それはあなたの産土

具屋

それはあなたの産土

「お国のために死ぬんだ、名誉な事だよ」


こんな、こんな母国から遠く離れた国の土の上で死のうとしている時に思い出したのは、慶彦の声だった。目だけで朝焼けの空を見上げる、震えるくらい何も変わらない青い空に、何もかもに、大声で笑いたかった。あまりにも馬鹿げていて、それでも俺たちの精一杯で、誇らしくて、ただただ悲しかった。

涙は伝って異国の土に染み込んだ。笑い声は喉の奥で潰れてかひゅ、と音を立てただけだった。


工房で仕事をする親父、台所にいるお袋、待ち望んでた弟の小さな手と、育った家の縁側から見た夕日。東京郊外の街の夏。セミが鳴いて、川がせせらいで、緑は濃くて、ただそれだけのある、俺のくに。


俺の国。


慶彦は俺の幼馴染みで、それこそ三つの時からお互いを知っている。17になった今年までずっと、ずっと一緒にいた。あんまりにもずっと一緒にいたから、相手のいない自分なんて全く想像もつかないくらい。


彼を思い出すとき、まずその空気を思い出す。彼の雰囲気その全てが秋の夜風に似ていたと思う。命の消える匂いがする不思議さが彼にはあった。次に指先を思い出す。細く長い、日に焼けた指先、形のいい爪。彼の爪の造形はとても美しくて、世界で一番美しいのだと俺は馬鹿みたいにそう思っていた。いや違う、今でもそう思っている。

そしてその次に声を思い出す。嘘をつくのがへたな声。凛とした、それでも優しげなその声で慶彦はいつも嘘をついた。



「英明、僕らずっと一緒には居られないよ」



東京の街が焼かれる前の日、親父の工房に一人残る俺を訪ねてやって来た慶彦が言った。宮大工の使う工具を作る工房は、貴金属を軍に提出させられたせいで稼働することもできず、埃をかぶっていた。親父は日がなうちの庭を耕し種をまいて、何かを恐るように工房に入ろうとしない。だから俺だけが毎日畑仕事を終えたあと工房に入り、一人道具の埃を払う。窯に火は入らず、主に放棄された工房はどこか寒々しく、夏の、生き物のような重さを持つ暑さだけがそこに横たわっていた。


細々とした工具を磨く俺に後ろからかけた第一声がそれだったものだから、俺はばっと振り返るのに精一杯でその言葉の意味を深くは考えられなかった。


「…慶彦」

「英明、」


ふふ、と笑う彼の長いまつ毛が影になって顔に陰影を作っている。彼の世界一美しい指先が粗末な一枚の赤い紙を摘んでいるのが見えた。


「……お前にも、来てると思ってた」

「そりゃあね。」

「この地域の若いやつは皆来ただろう、今日昨日で。陸介爺があんな顔でここら辺歩いてたんだ、赤紙に決まってる。」

「可哀相に、陸介爺。郵便配達員最後の仕事が僕らを殺す手紙を配る事なのだから」

「………一銭五厘の命だ、しゃあねぇよ」

「…そうだね」



溜息をついて自身の手元に視線を戻す。蝉の声をどこか遠くで聞きながら、俺再びは鑢を滑らせる。


「…どこに連れてゆかれるんだろうね」

「南方じゃないのか。多分。」

「それならいいのだけどね。寒いのは嫌いだから、暑いところがいいな。英明だってそう思うだろう」

「そりゃな」

「…知ってる?酒屋の相田さんところの末の男の子、空襲でやられちゃったというの。昼、友達と川遊びに行ってて、そこでB-25に掃射されたんだって。干してあった服も全部蜂の巣されていて、……ねぇ英明」

「何だ」

「英明の親父さんやお袋さんには本当にお世話になったと思ってる。僕の父親の友人だっていうだけの縁で、身寄りのない僕にこんなにしてもらって感謝しきれない程なんだよ。でも思うんだ、いつも。なんで僕じゃなかったのかなって」

「…」

「…英明、君が好きだって思う度に。」


不意にワイシャツ越しの背中に彼の指先を感じる。ただ触れられる、その感触を目を閉じて噛み締めた。


「君が好きなんだ。何度詫びたって足りやしない、誰に償いだってできる訳が無い、それでも僕には君以外何もなくて、でもそれで充分なんだ。…これからも」

「…何が言いたいんだ」

「この工房をなくしたくないんでしょう。あの優しい家族と、ずっと待ってた弟を死なせなくないんでしょう、英明。僕に君以外はないけど、君には沢山の僕以外がある。だから君は素直にこれに従う。そうでしょう?」

「…」

「ね、君と僕は死ぬしかないんだ」

「…そうだな、この嘘つきめ」

「酷いね」

「何が一緒には居られない、だ。……死ぬのはきっと汚いぞ、お前が思ってるよりもずっと」

「怖いなあ。死ぬの。絶対痛いじゃない、凄くさ。撃たれるのって、釘で指打っちゃうのの何倍くらい痛いのかな」

「さあな、撃たれたことないし。」

「ふふ、でもいいや、何倍痛くたって。英明と一緒なら。」



出征の時は、その地域の住民が皆出揃って若者を駅で見送った。お袋は最後まで泣いて泣いて、それでも弟を抱いて俺を見送るため駅まで来た。もう二度と帰れない、そう思ってみる町並みに特に何か感動があるわけではなかったけれど、ただただ惜しかった。土手に咲く竜胆、線路沿いの桜並木、幼い頃通った野原やお使いにいった横町。何もかも置いてゆくのだと思った。汽車の窓越しに握った弟の小さな小さな掌も、何もかも。

英明、と汽笛の音にかき消されそうな中で聴こえた親父の声、怒りを堪えたその声。親父、そう返すのが精一杯で、でも伝わったと、それだけは信じようと俺は汽車の中でずっと思っていた。



俺は俺の大切なものを生かすために、その為にただ一発ぽっちの弾になった。それなのに、一等好きな奴は、そのために死なせるつもりなのだから、何と言う矛盾なのか。


「合理的な心中だね」


まあ、それもそうかもしれない。




二人汽車の中揺られて、赤い紙に書かれた集合場所に着くと、点呼を取られ数人ずつの班に分けられた。出身地ごとに振り分けられたために当然慶彦とは同じ班で、死ぬ時は一緒ににいられる確率が上がったことを喜ぶ自分と、彼の無残な遺体を見る羽目になる確率が上がったことを厭う自分がいた。俺の嫌な予感はよく当たる。今回もものの見事に当たったのだが、そのことを報告する相手はその時にはもう居なかった。



本土決戦のための師団を作るための根こそぎ動員だったのでは、とぼんやり思いながら船に乗せられ離れてゆく陸地を見る頃には、もうなんとなく、諦めきれてなかったものも諦められたような気がした。

俺と慶彦の班が当てられた船はいささか古めいていて、まあ話によればそれは輸送船だというのだから、しようがないものか、と思った。それと同時に、敵国と戦うためにきたと思い込んでいたのに、東南アジアの島国の友軍に物資を調達するそのための動員なのではないか?という船内の噂に少し拍子抜ける。ど素人にいきなり戦闘はさせないんじゃあないの?そりゃ。慶彦がそう言った。






結果からいうと戦闘などする事無く俺達は死んだ。実はというと途中から戦闘すら出来ないのではないか、そう思っていたがその通りだったのだ。

たった三隻ぽっちの輸送船のうちの一隻が、見渡しても何も見えない恐ろしいほど平坦な海の上で、敵潜水艦の酸素魚雷を受けて沈んだ。その攻撃から逃げ切るために自分の乗る船が、沈没しかけている船の乗組員を捨て去り速度を上げるのを感じながら、俺は悟った。もう何もかも駄目なんだな、そう思った。だって輸送船だなんて言っているのに積荷は倉庫いっぱいにすらなっていないのだ。支給された軍服は最早足りず一部は上着しか配布されない。武器は九九式短小銃を1人ひとつ配られただけ。三八式歩兵銃を配られた者もいたけれど、当然銃剣はついていなかった。「…自動小銃相手に、鎖問式で敵うわきゃねえや」、そんな呟きをした四十半ばほどのの男が、まだ年若い上官に殴られる。年齢も職業もてんでバラバラな、もはや兵ですらない者達を纏めることに四苦八苦し焦っているような彼が、その男を殴りつけるのをぼんやり眺めていた。自動小銃なるものがどんなものかは知りはしなかったが、こんな武器では米兵に敵いっこないのだろう、それだけは分かった。

酸素魚雷が当たった船が出す爆発音は、遠くはない筈なのにどこか薄い膜がかかっているかのように反響して聞こえた。耳に、というよりかは海水を伝って響くのだろうか、腹の底にその音は響く。一瞬、ひゅっ、と原始的な恐怖に襲われた。けれども船内が騒然としだすに連れて、それとは逆に心は落ち着いてゆく。隣にいた慶彦は茫洋とした瞳でその騒ぎを眺めていた。そういえば俺とこいつは集団から不思議なほど遠くにあって、そしてその感覚は俺を呆気なく恐怖からすくい上げてしまうほど鮮明だった。



不意に握られた手に、ふわりと体温が上がる。恐慌状態の船内では誰も俺と慶彦の繋がれた手なんかに気付きはしない。男の体臭がむっと立ち込める狭い船内で囁かれた慶彦の声は、妙に艷めいていて少しだけ変な気分になる。


「お国のために死ぬんだ、名誉なことだよ」

「…こんな、無駄死にがか」

「無駄死になんて、誰が聞いてるかわからないところでよく言うよ。……船に乗らず生き残ったって、違う代わりの誰かは死んださ。だから無駄じゃあないんだよ。自分が代わりに死んだのさ。自分が代わってあげた相手が、自分より価値があるのか無いのか、それは絶対に分かりっこないけど、でも人一人がそう簡単に大勢の人間を助けることなんてできないんだよ。きっとひとりでも助けられたらそれで万万歳なのさ。誰も助けられない命だったかもしれないのに、自分が誰かの代わりに死ぬことで誰かを助けたことになるなら、それは絶対に無駄死になんかじゃないと僕は思うよ。」

「…お前の言うことはいつも難しい」

「そう?」

「ああ。……けれど、憎くないわけじゃあないだろう」

「…そうだね。その時にならないと多分わからないだろうけど、その時はきっとなんで自分が死ななきゃならなかったのかって泣くだろうね。だって英明、」


そこで慶彦は言葉を切った。少しだけ言い淀んで、そして諦めたみたいに再び口を開いた。切なげに眉尻を下げて笑う、その顔。


「だって英明、ほんとは英明と一緒に暮らしてみたかったんだ」

「…」

「誰にも邪魔されずに。嘘。ちょっとだけなら邪魔されても良かった。英明となら乗り越えられたと思うからね。小さな庭のある家で、二人で暮らすのさ。手の空いた方が食事を用意して、もう片方は仕事の帰りに明日の買い物をするんだ。猫も飼おう。それで夜は、猫と英明と僕で川の字に寝る。どう?良くはない?…ふふ、ほんとにそれだけで良かったんだから。それ以外なら全部いらなかった。…いやまあ、もとからなんにも持っちゃあいなかったんだがね。でも上手くいかないものだね、何もかも……」



なにもかも。





ほんとうに何もかも。




慶彦が死ぬ間際、その体を飛散させるその直前、自分の代わりに死ぬはずだった誰かを恨んで泣いたのか、それは結局分からずじまいだった。でも多分泣いてはいなかったと思う。ただの勘でしか無いけれど。




船に乗り込んで何日たったのか、正確には分からない。上官に皆が皆叩き起されたある夜半、ようやく船は目的の場所へと着いたことが知らされた。狭い船内で赤色灯が数個、真っ暗闇を照らしていた。むっとする暑さと人の体臭、夜の闇の香りとおぞましさを混ぜたようなその空間で、妙にかすれた声のあの例の年若い上官が、諸君らの任務を告知する、と叫んだ。その声がなんだか切ないような響きをもっていたものだから、周囲の男たちは敏感にその響きを感じ取り不安を滲ませ始める。


「諸君らの御賜った任務は、このレイテ島で米兵と交戦中の友軍に、弾薬薬莢、その他物資を届けることである」


今思うと馬鹿みたいだ。友軍、そんなものもうこの島にはもういないようなものであったのに。


年齢も何もかもバラバラな男たちは皆幾ばくかの物資とやらを担ぎあげ、ぞろぞろとタラップを下りて島に上陸した。降り立ったのは浜辺で、細かな砂を靴裏越しに感じた。ああ、多分綺麗なところなのだろう本当は、そう思って不意に空を見上げた瞬間。


だだだだだだだだ。と音がした。そしてそれと同時に前を歩いていた男の肩が取れる。べちゃ、と小さな柔らかい暖かな何かが俺の頬にあたった。


あ、狙撃されたのか。


そう思い至った一瞬頭が真っ白になりそして目の前がカッと赤くなった。やばいやばいやばいやばい、殺される殺される殺される殺される!!!!!それだけが頭の中を支配して、俺は担いでいた木箱を投げ出した。全身の血が逆流する。耳の中に心臓があるみたいに自分の鼓動が大音量で聞こえてそしてそれ以外に何も聞こえなくなる。かちかちかちかちと歯が鳴るが、その音すらも聞こえない。殺される、という言葉と恐怖だけが真っ赤に自分を染め上げた。足が震える。「英明!」不意に少し後方から声をかけられる。聞き間違う筈がない。だってこの声は、


「慶彦!!!!」


名を呼ばれれば俺を支配していた恐怖が少しだけその支配を緩めた。足が動く。足が動く。ひきつった喉で叫ぶ名前。暗闇に慣れだした目。人のシルエットが浮き彫りになって、けれどそれも次の瞬間にはだだだだだだだだ、という音と共に消えてなくなった。慶彦、慶彦慶彦慶彦慶彦、その名前だけを便りに限りなく原始的な恐怖を振り払って後ろを振り向く。


そこには真っ直ぐな水平線だけがみえた。









米軍の狙撃が自分たちを全滅させられなかったのは、真っ暗だったからだろう。浜辺の向こうに広がっていた密林に逃げ出した何人かは、ただひたすら草葉の影に息を潜めて夜明けを待っていた。どうやってここまで逃げ延びてこれたか自分でもわからなかった。ただ帰ってこない返事から、恐怖から、錯覚なのかどうかすら分からない視線の感覚から、ただひたすら動かない足を叱咤して逃げた。逃げ出した。どこから米兵が撃ってきたのか、それも良く分からないまま。


自分の押し殺した呼吸すら聞かれているような気がした。朝の光が海へと溢れ出すのを見届けてようやく長く息をつけた。そして光は夜が隠していた恐ろしい殺戮のあとをその眼下に晒し出す。




夜明けの光に照らされた浜辺は赤かった。砂は血を吸って赤く、夜明けの光を反射した。たくさんのひとだったものが人形のように折り重なりそこにあった。遠くから見るだけでも、みんなそれぞれ一様にどこかが無くなっていることが見て取れた。




「よしひこ」

握られた手の温度を思い出す。優しく嘘をつくその声が叫んだ俺の名前。ひであき!

「…よしひこ」

一緒に暮らしたかったのだと、言いよどんだ末口にした。どうせ死ぬのだからと、その思いが彼に口を開かせたのだろう。あのとき胸に迫った切なさはきっと、誰にも理解できない。

「、よしひこ」


君が好きなんだ。


「慶彦!!!!」





ひであき、君が好きなんだ。


世界で一番美しい指先が触れた、俺の背中のその場所がかあっと熱を持つ。あいつの体が、とても綺麗な指先が、君が好きだと笑ったその顔が、あの動かない人形の山の中に埋まっているのか。支配欲か独占欲か、何れにせよこの場に全く相応しくない感情が燃え上がった。胸は愛しさで張り裂けて、もうどうしようもなかった。この数秒の間は、燃え盛る情熱で何も怖くなかった。

昨晩あんなに音を立てまいとしていたのにも関わらず、俺は勢い良く立ち上がった。

あの中から慶彦を引っ張り出してやらなくてはならない。あの世界で一番美しい指先を握って助け出さないと。あんな恐ろしい場所に、慶彦をひとりにしてはならない。


今思えば俺は全く正気じゃあなかった。視界を遮るもののない、そんな場所にひとり走って向かうなんて、けれど多分折り重なる何処かで見たことある人達、その破片が飛び散っている、その光景を見て俺の気は多分違ってしまっていたのだった。




俺は走った。

海から顔を出した朝日がそのまま波に揉まれて溶けてゆく、その光を浴びなから砂を踏みしめて走った。そして探し始める。折り重なる死体の中から、おれの世界で一番美しい指先を。


誰かの腕が邪魔で放り出す。誰かの足が邪魔で放り出す。誰かの腕が。誰かの足が。誰かの腕が。誰かの足が。体なんてみんな穴があいて見れたもんじゃない。頭蓋や顎が抉られたように砕けたものも多くて誰かわからないような様なのに、それでも残った箇所で、ああこいつはあの時俺の横で訓練させられてた奴、こいつは飯の時横に座ってた奴、そういうのを思い出した。ああ、全部一瞬だった。


太めの体を持て余した男だったものをひっくり返したとき、その影から遂におれは慶彦の手を見つけた。慶彦!俺は叫んだと思う。多分。そしてその手を掴んだ。引っ張りあげてやらなくては、他のやつらの下敷きにされてやる慶彦を引っ張り出してやらなくては。

果たしてその腕は思っていたよりもずっと簡単に引きずり出せた。けれどその軽い感触に俺の心臓は今度こそ止まった。だって肘から先に慶彦がいやしないのだ。



ぱぁん、と唐突に朝焼けの中に乾いた音が響いた。


全身の血管がばっと開き濁流が体中を駆け巡る。俺は掴んだ慶彦の手を離さないように握りしめた。そして思い出す。己の腰に釣り下げられていた九九式短小銃のことを。顔を上げると俺が出てきた密林とは逆の少し開けた林にいくつかの人の影が見えた。みんなみんな殺してやる、こいつらをこんなにしたやつをみんなみんな殺してやる、それだけを思って俺は腰にぶら下げていたその銃を空いた手で引き抜いた。俺は立ち上がって、もう一度走り出す。赤く滲んだ砂を踏みしめて走り出す。その時俺は叫んでいたのかそれとも唇を噛み締めていたのか分からないが、その幾人かの米兵が一瞬戸惑いの色を浮かべていたのが見えた。けれども俺が握り締める短小銃の存在に気がつくと一気に顔を引き攣らせ見るからに立派な歩兵銃を俺に向けた。ぱぁん!ぱぁん!ぱぁん!乾いたいくつかの音がしたけれどそんなこともうどうでも良かった。なぜだか今思うとちっともわからないのだが、その音に俺は恐怖を覚えなかったのだ。


俺は引鉄を引いて、そして十数メートル先の米兵の一人が倒れた。ずがん、と低い音が骨を伝って体中に響く。遊底を膝で引いて薬莢を出すと、火薬の匂いが鼻をついた。ああ、弾は何発入っていたのだったかな、この銃。慶彦の冷たい手をもう一度強く握って、もう一度引鉄を引く。黒い銃身は色濃い太陽を反射させて艶やかに光っていた。

ぱぁん!ぱぁん!ぱぁん!再度乾いた音が響いて、それと同時にがくん、と膝が崩れる。突然揺れた視界に驚くのと同時に、左足が熱を発し出す。かっと燃え上がるように熱くなったその次の瞬間、全身をきしませる様な痛みが左足を襲った。こらえきれずそのまま崩れ落ちる。


崩れ落ちる瞬間、もう一人の米兵も同時に崩れ落ちたのが見えた。ああ、あの2発目も当たったのだな、と冷静に考えた。ほんの数秒の間、体が重力のまま地に叩きつけられるそれまで、その米兵と目が合ったままだった。そいつは驚きと、しくじった、というような表情をにじませていて、それでもその目は死ぬのが怖いんだ、とそう語っているのがわかった。こんなにでかい体躯で、生意気そうな顔つきで、あんなに立派な銃を持って、それでも青い目は死ぬのが怖いと言った。あれ。なんで俺はこいつを殺したのだろうか。


国を守るためだよ、俺もお前も。


青い目のそいつが、そう笑った気がした。





ぱぁん、とその音は、次こそ俺を外さなかった。胸に受けたその弾は俺の呼吸を詰まらせる。いずれ止める。俺が完全に倒れ伏したのを見た米兵は何やら仲間の生死を確認したあと、あの凄惨な状況の砂浜へと歩を進めていった。俺はさっきまで全身を焦がすような熱さで感じていた憎しみをすとんとなくしてしまったように感じている。きっとあの青い目のせいだと思った。

そうなるともう感じるのは左手で握り締めた慶彦の手の冷たい温度だけだ。


あまりに呆気なくて。それでもどうにもなりはしなかった。空は青く、朝焼けの色を靡かせていた。大声で笑いたかった。あまりにも馬鹿げていたから。それでも俺たちの精一杯で、誇らしくて、ただただ悲しかった。




悲しかったのだ、俺はずっと。



視界が徐々に暗くなってゆく中で、不意に俺は星が流れたのを見た気がした。そうだ祈ろう、釘で指を打つよりか数百倍も痛む胸の中で。ぼんやりとした頭では論理的な思考は出来ず俺はただ、みんなみんなかなしくなくなりますように、と祈った。

みんなみんなかなしくなくなりますように。



このまま俺は土に還ろう。俺の愛した世界で、一番美しい指先と、慶彦と一緒に土に還ろう。祈りのために還ろう。



みんなかなしくなくなりますように、

みんなかなしくなくなりますように、

みんな、かなしく、



















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