第9話

「つまり、その者が、かつてあなたの憧れた地上の者ですか」

「そのとおりです」

 かぐや姫と月からの使者の間で交わされる会話に、僕らはついていけない。ただ、成り行きを見守るだけだ。会話の中心にいる青年は気まずそうに視線を反らすが、誰も気に留めなかった。

 ふたりはしばらく睨み合っていたが、先に折れたのは月からの使者のほうだった。

「あなたはかつて、地上の者に恋をした。それが我々月の住人にとっての大罪だと知りながら」

「ええ。それがもとで私はこの地球に下ろされました」

「それでもなお、その者を月に連れて行こうとしているのですね」

「私は、幼いころより彼を見て学びました。彼には、私たちの持っていない、他者を思う気持ちがあります。そして、小さなことで悩む真面目さも。私たちにはない、私たちが見習うべき感情が、彼にはあるのです」

 熱く語るかぐや姫の隣で、青年は居心地が悪そうに体を動かした。それと同時に僕は悟る。かぐや姫が月に帰る際に着たという天の羽衣。それを着ると心はふつうの人と異なり、思い悩むこともなくなるのだという。もし月の住人がみなそういう心の持ち主なら、かぐや姫が地球の住人に、彼に憧れたのにもうなずける。

「彼は、私の本質を見てくれました。私の美貌や富に惹かれた他の者とは違い、私というひとりの人間を。彼は、特別なのです。ですから、何と言われようと、私は彼とともに月へ帰ります」

 顔を伏せる帝の隣で、青年は納得したような表情を浮かべた。昼間『かぐや姫が俺を呼ぶ理由がわからない』と言っていたから、かぐや姫が自分を選んだ理由がわかってすっきりしているのかもしれない。

 僕も、かぐや姫の言って言うことはわかる。突然どこからともなく現れて、かぐや姫が一緒に月に帰りたいと言っていたから来てくれ、と頼んだ僕を彼は信じてくれた。そのうえ、食事まで与えてくれた。彼には、そういう優しさがあるのだ。おそらくそれまで月で暮らしていたかぐや姫の知らなかった優しさが。きっと、かぐや姫に初めて会った時から彼はそういう人だったんだろう。

「かぐや姫……」

「あの、どうして地球の人が月に行っては行けないのでしょうか」

 さらにかぐや姫を諭そうとした月からの使者に、僕は声をかけた。自分の声が震えているのがわかる。この場にいる全員の視線が痛い。でも、僕は、言わなくちゃいけない。かぐや姫と、自分の夢を叶えるために。

「なぜ? それは、この地球は我々にとって汚れた地だからです」

「でも、かぐや姫だって長い間地球にいましたよね」

「それは」

「なら、かぐや姫と同じようにすればその人だって月に行けるんじゃないでしょうか。」

 月からの使者はものすごい目で僕を睨んできたが、それ以上はなにも言わなかった。僕らの勝ちだ。僕は全身の力を抜いた。自分で思っている以上に緊張していたらしい。かぐや姫がほっとした表情でこちらを見ている。

「あなたには、何かお礼をしなければなりませんね」

 少し間があって、かぐや姫の言う「あなた」が僕のことだと気がついた。僕は頼まれたことをしたまでだ。しかも、それは僕の夢をかなえるため。お礼だなんてとんでもない。

「あなたにも蓬莱を差し上げましょうか」

「いえ。それは結構です」

 僕はかぐや姫の申し出を丁重に断って質問した。

「代わりと言ってはなんですが、ひとつだけ教えて下さい。あなたは、今、幸せですか?」

 かぐや姫は大きく目を見開いたが、すぐに満面の笑みを浮かべた。

「ええ。とても」

 僕はそれを聞いて満足した。これで、僕の願いも叶った。青年も、かぐや姫の隣で小さくうなずいている。うん、満足だ。

「それならよかったです」

「あなたのくださったこの幸福、私は必ず大切にします」


 その後のことはわざわざ書かなくてもいいだろう。かぐや姫と青年は二人揃って月へ昇って行った。僕が最後に見た二人の表情は本当に幸せそうだった。きっと、ふたりは月の上でも幸せに暮らせるはずだ。

 だから、僕はこのことばでこの物語を結ぼうと思う。


――かぐや姫は、本当に愛した人ともに月へ帰っていきました。めでたしめでたし。

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特殊能力の使い道 駒月紗璃 @pinesmall

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