お出かけ 第28話





 書籍に囲まれた空間に入る。途端に外の空気と切り離されて、今日は何か見つかるだろうかと、胸がほわっと浮き上がる。たくさんの本に視線を投げてからハッと気づいてと横を見ると、ようやくお嬢様にずっと見られていたことに気づく。


「ア、アイリス様もお好きに見て回られてくださいね」


 私は少し焦って、ごまかすようにそう言った。


「楽しそうね。せっかく一緒に来たんだから一緒に回るわ」


『アイリス様もお好きに見て回られてくださいね』って、本を前にして浮かれてお嬢様をないがしろにしたみたい・・・

 いや、私としては好きなものを見て回ってほしいから、気を使わないで済めばという意図だったのだけど。私はお嬢様と一緒に回りたいという気持ちが無いみたいに聞こえてしまっただろうか……


「では、あちらに行ってみてもいいですか」

「ええわかったわ」


 ここに車から降りてお嬢様が組んできた腕は、あの後すぐに外された。

 私は意を決してお嬢様の手を引いて先を歩く。人の目が気になって長くは繋いでいられない、けれど別に周りに気にされている様子はなかった。

 意識しすぎているのかもしれない。手を引いて行くくらい、よくやることで前まで当たり前に出来ていたはずなのに……。



「この本は少し前に人気だって聞いたわ」


 お嬢様は、私が気にしていることなど意に介していないのか、本の方に興味が行っていているようだ。


「ええ、その本は私も気になっています。でも私の読みたいのは、もう少し向こうの方みたいです」


 私はもう一度お嬢様の手を引いた。当たり前のように繋いで、不自然にならないように離した。そう思う……


「・・・ありましたこの本です」

「よかったわね、見つかって」

「はい」

「マリーはどんなの借りるの?」

「これは推理小説ですね。これもなかなか借りられなかったのであってよかったです今日はあって」

「ふふっ、本当に楽しそうね、でもそちらばかり見て、こっちを見てくれないのは寂しいかな」


そう言って横から手が伸びてきて、私の髪を耳にかけた。


「マリーったら、ずっとそっちを見てるから」

 お嬢様がほほ笑んだ顔にドキリとした。そんなに愛おしそうな眼を向けられると恥ずかしくなる。


「え、えっと、アイリス様も貸本を利用されるんですか?」


 私は、お嬢様の意識を逸らそうと話を振った。私のお給金では本を買うなんて贅沢あまり出来ないから、貸し本を利用するけれどお嬢様はそもそも借りることがあるんだろうか?


「ええ。だいたいお父様が許してくれる本は買ってもらえるけれど、恋愛小説なんかは題名によってはダメだからあまり買ってもらえないし、自分で借りに来るわ。買ってもらうのが難しい本とかそういうのを借りるの、マリーに貸してあげたりするでしょ、あれはだいたい買う事を許してもらえた本よ」


 たしかに、いくつか恋愛小説を貸していただいたことがある。でも、そう言えば、あの恋愛小説はよく許しが出たなと思う。


「不思議なんですが、お嬢様が前に貸してくださったご令嬢と従者の恋愛小説は、買うことに許可をいただけたんですね。旦那様や奥様が、お嬢様に見せるとも思えませんけれど」

「まさか、あれはもちろん内緒で買ったわ。あんな内容の本を買うなんて知られるだけで叱られちゃうわよ」


 もしかして私に読ませるために、買ったわけではないよね?と聞いてみたいと思ったがそれは聞かないことにした。あの本もなかなか高価なはずだ。いくならんでも、まさかね・・・


 

 お嬢様も人気だと言っていた本を借りることにしたようだ。その後もいくつか見て回って、貸本屋を出た。




「ちょっと休憩しましょう」


 そう言って、お嬢様に連れられたお店はでティータイムを一緒に過ごした。こうやって一緒に座ってお茶を飲むことなんてないので、少し夢みたいだと思った。


気が付くと意外と時間が経っていた。

あっという間というのはこういうことか……。

ふわふわとした心地でお店を出る。ああ、まだまだもっと時間があればいいのに……




「アイリス様、もう一件だけいいですか?」


 私はお嬢様に聞いた。


「ええもちろん」


 そう返事が返って来て、行き先は告げずに一緒に向かう。


 私が来たいと思った場所に訪れる。お嬢様の表情を見て、気に入っていただけたようでよかったと思った。


 それはどこかというと、手芸店。品揃えの良いこの手芸店はただ見ているだけでも飽きない。普段は材料を、お嬢様が自分で買いに来るなんてことないだろうから、入ったことはないはずだ。

 一通り見て回る。こんなのもあるのねと、好奇心をのぞかせるお嬢様の目はキラキラしていた。


刺繍糸の並ぶコーナーで足を止める。そこで私は話しを切りだした。


「……お願いがあります、アイリス様」

「ん?どうしたの?」

「……あのー、アイリス様がよろしければ、アイリス様と刺繍を入れたハンカチを交換したいです。私がアイリス様に、アイリス様が私に……」


 すぐにその意味は伝わって、お嬢様は誰からも見えないように私の手をギュッと握った。


「ええもちろん」


 静かに優しく囁かれた声が、背中を撫でた気がした。


 刺繍入りのハンカチは、思い人に送るもの。私が渡せるものは貴族のお嬢様が使うような高価なものではない。それでもただ持っていていただけるならうれしいとお願いした。



  手芸店で必要なものを買足し、外に出る。西の空の方に日は傾いてきていた。

大通りのすぐそば脇道に大きなホロ付きの荷台が停まっていた。それを通り過ぎる――――――いきなりお嬢様はその陰に私の手を引いた。一瞬のことで体は傾いて倒れそうになり、お嬢様に受け止められる。


「……マリー、交換条件きまったわ」


 抱きとめられて胸の中から声が聞こえたように感じた。


「えっ?・・・交換条件……今ですか?」



 顔を上げると、お嬢様は強い瞳で私を見つめている。確かに交換条件を別のにしてほしいと言ってから、お嬢様は少し考えるとなっていた。


 こんな外で交換条件と言ったお嬢様の意図が分からない。ドキリとした。


 お屋敷に帰ってからでもいいのではないのだろうか?そう思ったが、そういう空気をしていないのはすぐに分かった。


「……それは、なんですか?」


 真剣なまなざしは私を捉えて、少しも逸らされることがない。

 息を飲んで・・・お嬢様の言葉を待った…


……とくとくとくっ、心臓の音が速くなっていくのが分かる。









「……ここでキスして、マリー」


「……」


時々大通りを行く人達の気配がする。信じられない提案に体も思考も固まる。


「こっ、ここで?」

「ええ」

「・・・む、むっ、向こうに人がたくさんいます」

「見てないわ」

「……突然こちらに来たら?」

「その時はすぐ離れるわ」

「……私が?」

「そうマリーが」


 そう話している間中、お嬢様は私が逃げないように腰を抱き、少しづつ顔を近づけて額はぴったりと着いていた。

 すぐそこに唇があるのに、お嬢様はそこで止まってしまった。


 私から……私からしたことなんてない・・・・・・

 考える考えないということも難しいくらい、頭が回らない……


「マリー人が来ちゃうわ」


 このままでここにいるのは良くない。早くしないといけない、分かっている・・・分かっているが、緊張が、緊張なんてものではない……

 それでも気は急かされて私は、お嬢様の肩に手を置いて引き寄せた。

 唇も、まぶたも、手も、震えて言うことを聞かない。


  緊張して唇に触れるのがやっとだった。

 触れて離すつもりが、唇が付いた瞬間にお嬢様が私の方に傾いてきて離してくれなかった。


 そのまま深く触れ合って離れる瞬間に、リップ音が耳に響いて、それすら通りに聞こえてしまわないかと心臓が激しく打っている。


長すぎるということはなく離れた唇だったが、私には恐ろしく長い気がした。


 お嬢様は、一度私の唇を眺めて、唇に吐息がかかってまた近づきそうになったと思ったがスッと離れた。

 そしてお嬢様は、また私の手を引いて大通りに出た。私の顔の赤いのを挙動不審なのを、誰かに気づかれないかと気が気ではなかった。お嬢様の顔がどんな表情をしているのか気になったけれど、顔を上げることができなかった。



 車を頼んで帰路に着く。

 帰りは行きのようないじわるはされなくてホッとした。それでも隠れて手だけはしっかり繋いでいた。


 窓の外を見て静かに黙っているお嬢様は、窓から入ってくる夕陽照らされて、きれいだった。私はこの横顔をずっと覚えておきたくて、目を閉じてまぶたの裏に焼き付けた。


 今この瞬間にお嬢様の頬に手を伸ばすことができないことが、残念でならなかった。


 

 

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