終わりの始まり
社交界とお嬢様 第29話
約束をしてから、毎日少しづつ刺繍をしている。お嬢様に送ると思うと一針一針に気を使った。
青色の小さな花は私の瞳の色、照らす月は私たちの始まりの日の月を思い出せるように。そんな完成図を思い描いて
少しずつ、少しずつ、出来上がっていく、一日一日を刻んでいく……
当然のことだが、一日一日と時間が刻まれれば、たくさんのご令嬢がそうであるように、お嬢様も社交界に参加される日が近づくわけで、もう充分その年齢であるお嬢様にも、その日は当然やってきた。
社交界に出ることは、喜ぶことで悲しむことではない。私以外にとってはそうだろう。
社交界に先にあるお嬢様の結婚が現実味を帯びてきている。それを考えると毎日心の中に重い石の塊を抱えているようだった。
お嬢様を着飾るためのドレスや装飾はとても似合っていて、煌びやかで、美しいですと手放しで褒めたたえたいのに、その美しさは社交界で出会うたくさんの男性のためにある。
そう思うと私は自分の手でお嬢様着飾っていくことを虚しく思った。
社交界で上手く振舞うお嬢様も、上手くいかないように振舞って社交の場で評価を下げてしまうお嬢様もどちらも嫌で、いつも何と声をかけていいのかわからなかった。
がんばってとも、行かないでとも言えない私はお嬢様と目が合うたびに情けない顔になっていたと思う。
出かける前のお嬢様は、もはや手の届かない貴族のご令嬢で離れて見る佇まいは、私が手を触れていいような方ではないと思わせる。
こうして、社交界でも多くの男性の目に留まるのだろう。
お嬢様が社交界へ参加されるようになってもう3度目になる。帰り着いたお嬢様の顔色は悪かった。同行される奥さまのにこやかな表情とは裏腹に、日に日にお嬢様に元気がなくなるのが見ていてわかった。
それでも表向きはいつもの気品ある姿で振舞っているお嬢様を見ると、胸が痛んだ。
着飾っていたドレスを脱ぎ捨てるように着替え終わると、お嬢様は倒れるようにベッドに横になった。
「疲れちゃった、マリー」
「アイリス様…」
「来て」
言われるままに私はお嬢様のそばに行って、戸惑うことなくベッドの上に上る。私の膝に頭を預けたお嬢様を上から被さるように一度抱きしめ頬に軽くキスをすると、ブランケットを引き寄せてお嬢様の肩まで掛けた。
私の膝に触れたお嬢様の手は冷たかった。無理をしているのが体調に少しづつ現れている。お嬢様の額に触れてみる。それでも熱までは出ていなくて少しホッとする。
お嬢様の手を温めるように包む。
お嬢様は目を閉じていて、そのまま眠れればいいけれどと身を案じた。
出来るだけ眠って、社交界のことなんて少しでも忘れられればといいのにと思った。
もし私がお嬢様がたくさん出会う貴族の紳士ならば、お嬢様を射止めただろうか。考えても無駄な想像をする。お嬢様の視界にも入らなかったかもしれない。透き通って輝くグリーンの瞳を、目を引く白銀の髪を、きっと遠くから眺めることしかできなかっただろう。
今こうやって、ありのままのお嬢様を見られるのは、私だけ・・・
白銀の髪を安心しきっているお嬢様のそばで撫でることができるのは、私だけ・・・
この手をちゃんと温められるのは、私だけ・・・
それでも、私には絶対に手に入れることができない……社交界で出会う男性ができることを・・・
眠っただろうか、私は静かに横になって寄り添う。
その髪に触れて、何度も撫でる…
お嬢様の額にキスを頬にキスを首筋に手に・・・キスを・・・・・・
そっと扉を閉じてお嬢様の部屋を出ていく時、お嬢様の閉じた瞼から一筋の涙が流れたことを私が知ることはなかった。
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