お嬢様がいない日 第13話

 



 あれから数日、結局のところお嬢様と話をできていない。

 冷静に話したい。この間のように取り乱してしまうのは情けない。

 あんな私を見てお嬢様も話しかける機会を迷ったのだろう。お嬢様は時間のある日でいい、仕事も終わった夜に話しましょうと言ってくださった。それをいいことに、数日後にいらっしゃるお客様のための準備などで忙しいと言い訳をして、何度も話し合うのを引き伸ばしている。本当はそんなに忙しくはないのだけれど。

 私が話すのを先延ばしにしているのを知っていて待っているのかもしれない。


 今のお嬢様は、不必要に触れてこないし、突然私がドキドキするようなことをしてきたりもしない。お嬢様と侍女ただそれだけの時の、以前のようなお嬢様そのものだ。 

 私が自分で話す機会を引き伸ばしているくせに、寂しいと感じてしまっている。


「今日は街に出かけるわ」

 お嬢様に突然予定を告げられる。大体の予定は前もって知らせていただいているのだが、今日初めて知った外出の予定に驚いた。きっと急に決められたのだろうけれど。


「そうなのですか?申し訳ありません、今日は侍女長に前から手伝って欲しいと頼まれていた仕事がありますので・・・」


「聞いているわ、そちらの仕事を優先して。こっちはちょっとしたことだから」

 お嬢様はそう言った。いつもみんなに見せるようなお嬢様の平静な様子。気になることなど何もないような様子に、私は心が重くなる。それでも表情には出さないように努めた。私には、お嬢様に何かを求める権利はないのに。

 お嬢様はあっさり私の『何もなかったことにしましょう』という提案を受け入れたのかもしれない。お嬢様があの時差し出したハンカチがポケットに入っている。ポケットを手で押さえると、余計に心は重たくなった。あんな拒否の仕方をした。お嬢様を傷つけたのは私の方だ。


 お嬢様はそれから朝食を済ませて日がもう少し登ったころ外出の支度をして、街へ向かわれた。アンナに同行してもらうことにしていたらしい。

 そうなんだ……私は胸の前でギュッと拳を握って何事も無かったように見送りをして侍女長の元へ向かった。


 今日はお嬢様が留守だ。別の仕事に一生懸命に励もう、悩み事は置いておいて。

 幸いと言っていいのかやることはたくさんあるようだった。


 まずはいつもの仕事が終わってからにしましょうと侍女長が話したので、そちらに手を付ける。

 お嬢様の部屋、一つひとつ掃除してしていく。ベッドメイクの作業はどうしてもお嬢様を感じずにはいられなかった。一度だけベッドの上に横になってシーツの上に手を滑らせる。目を閉じると否応なくお嬢様の香りがして、すぐそこにいるように夢想した。起き上がってシーツを交換する。

 

 逃げている。

 お嬢様を心のままに受け入れば私は今以上に好きになってしまうだろう。お嬢様がいなくなる将来のつらさを考えれば好きになるようなことは受け入れるべじゃない。だから『なにもなかったことにしましょう』なんて言ってしまった。

 だからと言って、またただのお嬢様と侍女の関係になることに、これだけ心が苦しくなっている。

 だから答えを出すことから逃げる意外私にはなかった。



「マリー今日は人一倍頑張って働いてくれるわね、少し休憩にしましょう」

 侍女長がそう話しかけた。

 大分仕事が進み、すこし気になった柱に着いた汚れをやっておこうと、落とし始めていた時だった。

「はい、もうすこしだけ。ここの汚れが上手く落ちなくて、もう少しなんですが気になって」

「あらあら、よく気がつくわね。では先に行っているから終わったら来てね」

「はい、では後ほど」


 侍女長が行ってしまった。


 柱の汚れはほとんど目立たない。

 言い訳のように擦り続けたのは、お嬢様とアンナが今楽しそうに街にいるかもしれないと考えてしまうのを考えないようにしたかったからだ。


 胸の内がモヤモヤする。羨ましいなと思ってしまう。私が一緒に行きたかったなんてわがままをこの汚れのように落としてしまいたかった。これが今まで通りなんだ。元に戻るとはこういうことだ。

 お嬢様といるのが私でないことも増えるし、話す機会も減っていく……


 行き場のない悩みのはけ口にされた汚れもすぐに落とし終わってしまって、私も休憩に向かうことにした。



「マリー来たわね、こっちよ」

 地下に降りていくと、侍女長が料理場から少し顔を覗かせて手招きした。


「ああ、マリーもちょうどよかった。今度くるお客様に出すメニューを考えているんだけど、なかなか決められなくて一緒に相談にのってくれる?」

 キッチンメイドのパルマさんだ。


「もちろんですよ。でも料理のことなんてわかりませんけど・・・」

 パルマさんの相談に乗ってあげたいけれど、料理については関わったことがいないため助言できることはないと思った。


「いいのいいの、相談と言っても難しいことじゃないんだよ。このメイン料理のソースをさ、いつもと同じものを出すのも味気ないから、いくつか試作してあるから食べてみてくれない?」


「そういうことなら」

 キッチンの中はおなかの空くような香りに包まれている。

 キッチンにある大きな調理台の前に立つと、

「いくつかのソースと料理があった」

「私は、もういただいたからマリーの意見も言ってあげて」

 侍女長はもう先に試食したようだ。


「試作のためにいい食材を出すことはできないから、残り食材で申し訳ないんだけれど」

「いえ、お客様に出す料理の試食ができるなんて。いただいてみますね」

 少しラッキーなことが訪れて少しだけ元気づけられる。


「どれもおいしいですね。私の好みとしてはこれかなと思います」

 私はモグモグしながら指をさして示した。


「なるほどね・・・やっぱりそれが一番人気だよ」

 そうして侍女長、パルマさんや見習いキッチンメイドとキッチンを訪れる使用人と意見を交わした。

 パルマさんもどうするかイメージが固まったようだ。


「もう戻らなきゃね、マリーそろそろ行きましょう」

「はい」

 侍女長に促されて、キッチンを後にする。

 数日後にはお客様がいらっしゃる。忙しくしているが、いつも仕事を楽しそうにしているパルマさんに私は仕事への意欲を貰っていた。そしてそんなパルマさんが今日は羨ましかった。


「何だかわからないけれど少しは元気になった?」

「えっ?」

 侍女長は私の様子に気づいていたようだ。そんなにいつもと違っていただろうか。

「何かずっと考え事をしてるようだったから」

「すみません、少し元気になりました」

「何かできることがあるなら言ってね」

「はい、ありがとうございます」

 気を付けなければいけないことなのに、気づかぬうちに態度に出てしまうなんて。相談もすることができない問題、どうするのかはお嬢様と話をするしかない。お嬢様と話すのが怖い…



 お屋敷はどこもいつものようでいて、いつもより忙しそうにしている。

 残りの仕事もせわしなく働いて、考えないようにできた――――と思っていた。


 お嬢様とアンナが外出から帰ってきていた。

 玄関ホールを談笑しながら歩いている2人を見てしまって、また心は重くなっていった。



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