眠れないのは誰のせい 第2話

 

 顔はいつものように振舞いながら、内心緊張している。お嬢様の朝の支度をするために重い足どりでお嬢様のお部屋に入る。


「おはようございます、お嬢様」


お嬢様はすでにドレッサーの前に座っていて、鏡越しに視線を送ってくる。


お嬢様は清々しい笑顔で「おはよう、マリー」と返した。


 座っているお嬢様の所まで来ていつものように支度を進める。


 いつも当たり前にしていること一つ一つ、お嬢様に触れることに緊張を覚えてしまう。昨日のことで、頭の中はぐるぐるしている。


 2言3言のたわいのない話をする。正直いつ昨日のことに触れてくるのかと身構えていたのに、お嬢様はいつものように鏡の方をまっすぐ向いて変わった様子がない。


 意識してしまっているのは自分だけのようで、なんだか拍子抜けする。


 もしかしたら、ただのおやすみのキスであいさつ程度の感覚だったのだろうか。いやそんなことは今までなかった。私が知らないだけで、私より長くお屋敷に使えている侍女長はもしかしたらよくしていたかもしれない?


 正解もわからぬところに答えを見いだして自分を納得させる。手は止めることなく、いつも通りの作業をこなしていく。


「マリー?」


「はい」


 お嬢様に名前を呼ばれて、目線を鏡の中のお嬢様と合わせ言葉の続きを待った。


「・・・」


 鏡越しに目が合っているが、お嬢様は何も言わない。


「どうされましたか?」


 沈黙がたまらずに聞く。


「マリー、昨日は眠れた?貸した本の感想楽しみにしているわ」


 作ったような笑顔だ。


「はい、ゆっくり休みました」


 昨日のことを気にしているとは思われたくなくてそう答える。


 7つも年下だというのにお嬢様は私のことを見透かしているのではないかと思うことがある。


 本当の所は、昨日は無理やり寝てしまおうと思ったのに、よく眠れなかった。眠ってしまえば昨日のことをもう少し薄めておけただろうのに。


「そう、それならよかった」


 すっかり支度を終えるまでの間、お嬢様はいつもと変わることはなかった。残りの時間お嬢様から何か話されるのではないかと内心気にしているこちらの気持ちを知ってか知らずか、澄ましている佇まいに少しヤキモキした。


 だからと言って、こちらからその話題を口に出して蒸し返すのは自分から火の粉をかぶりに行くようなものだからやめておいた。


 結局その日一日が終わるまで、なにかお嬢様から言われることもなくかった。終業後、自室で時間を過ごす。


お嬢様から借りている本を手にとり、読むことにする。


 おもしろい。引き込まれるように読み進めてしまう。


 ただ、時折手を止めて本を閉じ立ち止まってしまう。


 頭を抱える。内容がいけない。簡単に言えば貴族のお嬢様と従者の恋を描いた物語だった。考えたくはない方へ自分の意識を向けさせようとしてくる。


昨日のキスがいけない、あれのせいなのは間違いない。


勝手に自分自身を物語の登場人物に重ねそうになる。


まさか?お嬢様が私を・・・まさかね。

なぜいきなりあんなことをされたのか。ただお嬢様にからかわれたということだろうか?


 この本を読み始めれば私がキスされたことを意識して気にするとお嬢様はわかっていただろう。もしかして、こうして気にしている私を想像して楽しんでいるんだ。そうに違いない。ひどいいたずらだ。


 昨日のは、新手のいたずらでお嬢様は内心おもしろがっている。きっとそうだ。そこにお嬢様が私のことを・・・そんな気持ちなんてあるはずがない。


 そう思ったとたん「なぁんだ」とホッとした。同時に、少しチクリと心の中でショックを受けてしまう。何に一体ショックを受けるというんだろうか。昨日あまり寝れなかったこともあって、急に眠気がやってきて本を閉じて眠ることにした。


 次の日、お嬢様のお部屋を訪れる。読みかけの本を持って。


お嬢様の朝の支度を終えたタイミングで話し出す。


「お嬢様本をお返しします。・・・ありがとうございました」


 わきに置いておいた包みから本を取り出して、お嬢様の座っているソファーの前まで行くとそう言って本を渡した。


「もう読み終わったの?」


お嬢様は驚いた顔をしてこちらに向いた。そして楽しそうにこちらに笑顔を向けてくる。


「いいえ、途中まで読みましたが、私には合いませんでしたので、お返ししようかと。」


「どうして?前に恋愛ものが好きだと言っていたじゃない。私は全部読んだうえで感想を聞きたいわ」


 お嬢様は眉根を寄せて、残念でつまらなそうな表情で私のことを見ている。


「私には、このお話はわからないのでアンナにお貸しになったらいいのではないでしょうか?・・・きっとアンナもこういったお話は好きでしょうから彼女にお貸しになった方がいいと思います。話が盛り上がると思います。」


 自分でもなぜと思うが、突き放すような物言いになってしまう。


「・・・」


 お嬢様は納得したのか、無言で本の表紙に手のひらを置いて俯いている。


「それとお嬢様、本に影響されるのはしかたがないですが、あんなことは・・・キ、キスなんていたずらが過ぎます。面白がって遊ぶのはやめてください。私は他の仕事に戻りますので、失礼いたします」


 踵を返して入口に向かおうとしたところで、後ろから腕ごと包み込んで抱きしめられる。ギュッと抱きとめられると背中にぬくもりを感じる。


「いたずらでなんかしてないわ。絶対に全部読んで、あなたに読んでほしい。マリーの感想が聞きたい。私がこの本に影響されてあなたで遊んでいると思っているなら心外よ」


 お嬢様は後ろから耳元でささやき耳の後ろにリップ音を響かせてキスをした。


「お嬢様っ!」

抗議する。なんとか体を遠ざけようとするが、ほんの少し傾けることができただけだった。


「私はずっと・・・・・・」

お嬢様は私の体を包み直す用に体重を預けてくる。抱きしめられる強さが増している。


 これはいたずらだともう自分に言い聞かせる言い訳を何も思い浮かべることができない。顔が熱い。触れられた耳に嫌というほど感覚が向くのをどうにかしたいけれど、追い打ちのように温かい吐息を感じてしまう。 


 いつからか追い越された身長と包み込まれた背中に、ずーっと庇護するべき対象としてきたお嬢様への見方がゆらぎそうになる。


「困らせたくなんてないの。マリーが嫌なことはしたくない。ただ、あなたが簡単にこのお屋敷からも私の傍からも離れようとするから・・・知るべきだわ、私にとってどれだけマリーが必要だと思っているか」


 お嬢様の声が揺れている。


 体をひねって抜けだそうとすると、あっさりとお嬢様は手を解いた。自由になった手でとっさに耳を抑える。顔を見られるのが嫌で振り返ることができない。


「失礼します」


私は足早に出ていこうとする。


「今日の仕事が終わったら本は取りに来て。でなければ持っていくから」


 背中にお嬢様の声が届くが振り返らずに部屋を後にした。


 逃げるな!とくぎを刺されたのだと思う。お嬢様付きの侍女の私に、お嬢様を避けて過ごすことなんて不可能なのに。


 顔も耳も熱い、気にするな!気にするな!相手はお嬢様なんだよ。なんで動揺しているんだ・・・。


 マリーは首を左右に振って、自分を落ち着かせて仕事に戻った。


 


 その後、お嬢様は私の仕事の間、他に人がいる時はもちろん、いない時もいつも通りで、私が心配しているようなことはしなかった。


 ただ時折送られる視線に、探られているような気がするのは、私の思い過ごしと信じたい。


 夕暮れが過ぎた。長すぎる1日がやっと終わってくれるんだと思い始めていた時だった。


「マリー、今日は疲れたわ。早く休みたいから夕食はいらないわ。何かつまめるものがあればもらってきて。」


 夕方になって、お嬢様がそう言った。そこで今日初めてお嬢様の顔色をしっかり見た。いつもより少し疲れが出ている気がする。


「かしこまりました。なにか温かい飲み物もお持ちいたしますか?」


「ええ、お願い」


「かしこまりました、すぐお持ちします」


 夕食の件を、侍女長や厨房に伝えて軽食と温かいハーブティーを準備してお嬢様の部屋に戻る。


 ノックをしてしばらくしても返事がない。ゆっくり扉を開けるとお嬢様はソファーで目を瞑っている。


 戻ってくる間も身構えていたので拍子抜けする。


 起こしてしまうのは少し申し訳なく思ったが、このままにするわけにもいかず、食器をテーブルに置いて「お嬢様」と声をかける。


 少し身じろいだだけで眠り続けているので、お嬢様の体を揺すって


「お嬢様、御着替えになってベッドでおやすみになってください」


そういうと、薄眼が開いて


「わかったわ」


とお嬢様がゆっくりと立ち上がった。


 寝ぼけてふら付くお嬢様の体を支えて服の着替えを手伝う。本当に疲れているようだ。


どこか身構えてしまっている緊張は少し溶けたが、それでも注意を巡らしている。


 お嬢様がただ支えを必要として、触れた肩や腕がピクリと動くのを気付かれただろうか。


「着替え終わりました。なにか食べられますか?ベッドに横になりますか?」


「目が覚めたから軽くいただくわ」


お嬢様は自分でソファーに戻って座った。


 私はカップにハーブティーを注いで、お嬢様の前に置く。


 お嬢様の指先が私の手に一瞬触れて、お嬢様の手の冷たいことに私は気付く。


 私は、自分を殴りたいと思った。なぜ気付かなかったのか、ここ数日私は自分のことしか考えていなかった。


 お嬢様は、昔から心配や不安や体調不良があるとこうして手が冷たくなる。しかも、そう言った時ほどそういう顔を見せない。疲れたといった言葉で気づくべきだった。


「お嬢様、眠れていないのですか?」


 私はお嬢様の手を握った後、お嬢様の額に手を当てる。熱はない、むしろ体温が下がっているのかもしれない。


「お腹は減っていますか?お食事は一度おやすみになってから取った方がいいかもしれません、ベッドにおやすみになってください。目が覚めた時に何か食べられるように用意いたしますから」


お嬢様は、目線を窓の外に向けるようにそらす。


「別にもう眠くはないわ。気にしないで。ソファーにいる方が落ち着くから。ブランケットだけちょうだい。そうしたら、後は下がってもらって大丈夫だから」


 突然、間にラインを引かれたような態度に、スッと冷めた苛立ちが起こる。人の心を惑わせておいて、心配されるのもお世話されるのは嫌だというように遠ざけとするお嬢様にだ。


「・・・わかりました」


 私はお嬢様にブランケットをかけて、お茶を下げる。厨房に行って、食事は後でも出せるようにしてもらっておく。


 下がっていいと言われた足をお嬢様のお部屋にもう一度向かわせる。昼間はできるだけ避けたいと思っていたお嬢様の部屋に早足で向かっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る