私はお嬢様のお気に入り
@mizu888
眠れないのは誰のせい
眠れないのは誰のせい 第1話
伯爵家にお仕えするようになって10年が経った。侍女長から仕事を認められてからは伯爵のお嬢様アイリス様付の侍女としてお仕えしている。気が付けばアイリスお嬢様は18歳、私は25歳になった。毎日を目まぐるしく送っていたのであっという間だったように感じる。
今では数年前に入ってきたメイドのアンナが、器用で卒なくこなすので私のいないときなどは、何の心配もなくアイリスお嬢様を任せている。先日いただいた休暇も心置きなく、帰郷することができた。私のいないときには、アンナがお嬢様の侍女として仕事をこなしてくれる。
それは少しだけ、『私はずっとここで働くことができるだろうか』という不安を起こさせることがあった。
先日の帰郷したことで、長年勤めていたこのお屋敷から去ることを考えている。
仕事の合間手が空いた時間にふと思い出されるのは、お嬢様と過ごした日々のことだった。このお屋敷で使用人として働き始めて、お嬢様の侍女として仕事につけてありがたいことだった。
その日々が名残惜しいが、侍女長にはここをやめるかもしれないことを話している。このお屋敷を去ると考えるとふと思い出が頭の中をよぎる。
決断する前にお嬢様にお話ししなければいけない、そう思っている。
休暇を頂いていたときのこと、だいぶ田舎にある実家では、数日の滞在の間に隣人が訪ねてくることがあった。思い出話や、最近の近隣情勢やらを話しゆっくり過ごすことができた。
そこで、その隣人から近くのお屋敷で使用人を探しているからどうかと勧められた。話しを聞くと申し分ないほどのお家柄で、実家に近いことも含め条件がいい。アンナももう一人前使用人として充分働いていける。いい機会なのではないかと思い、紹介を受けることにしたのだ。
もちろん私一人ではすぐに決めてよいことではないので、侍女長に相談するため持ち帰る。
休暇明けに侍女長に話すと、「どこに行ってもあなたならよくやってくれるわ。こちらのことはなんとかやっていけるし。相談してみないとすぐには決められないけれど…。」うまく話が進むようにと侍女長にとりなしていただけることになった。
侍女長に相談したけれど、一番に伝えなければいけないのはお嬢様だと思っている。侍女長から奥様にお話しする前に、私からお嬢様に伝えたいと話しそれまで待っていただくようお願いをした。
お嬢様の部屋をノックして、部屋に入るとくつろいで、本を読んでいるところだった。
「お嬢様、少しお話があるのですがよろしいですか・・・」
お嬢様の白銀の柔らかな髪が窓から差し込む光を受けて輝いている。伏せられていた目線でも凛とした印象を与える。
読んでいた本を横に置いて、お嬢様がこちらを見る。優しく口角を上げた表情には純粋さとどこかあどけなさを感じる。
「先日は、休暇を頂いてありがとうございました。」
「ゆっくり休んでもらえたかしら、あなたの故郷の話も聞きたいわ。」
お嬢様は、ニコニコとして前のめりにそう言った。
「そうですね、故郷の話・・・えっと、お嬢様・・・実は・・・。いきなりのご相談で申し上げにくいのですが・・・。」
いざ話そうと思うと言葉がつまってうまく話せない。 何とか一言づつ口に出していく。握り込んだ手の中には汗がにじんでいく。
「長年このお屋敷に勤めさせていただいてありがたく思っております。それで、実は・・・実家の近くのお屋敷で使用人を探しているというお話がありまして・・・」
お嬢様は私が話ている途中で立ち上がった。
それに一瞬びくりとしてしまう。何を思ったのかこちらにズカズカと近づいて眼前に迫ってきていた。
「ダメよ!」
お嬢様はきっぱりとそう言った。話しは遮られたまま続きを話すことができなくなった。お嬢様の迫力に気おされたのだ。
「やめることは、私が許可しないから。」
私は、お嬢様のいきなりの強い口調に驚いてしまう。少し前までの雰囲気はどこへ行ったのか、いままで見たことがないほど冷たい表情でこちらを見ている。
余りの強い口調に、わたしはオロオロしてしまう。
お嬢様は、不意に優しく私の両手をとって持ち上げる。
「マリー、私の侍女はあなた以外に任せたくないわ。いなくならないで。」
真剣に見つめるお嬢様の目と先ほどとは打って変わった弱弱しい声に、私は「はい」と小さく答えることしかできなかった。
こんなに私を侍女として評価してくださっていたのだろうか。こんなお嬢様を見てしまったら、よい働き口の話だったがこのお屋敷を去る選択はなくなっていた。
もちろん侍女長にも、話はなかったことにしていただけるように伝えた。
そうしてその日を境にして、お嬢様の私を呼び出す回数が増えている気がしてならない。というのも今まで誰かでよかった使用人の呼び出しに、マリーと名指しされるようになったからだ。
今日も仕事も終わり就寝間近に呼び出されて行ってみると、お嬢様はベッドで枕を背もたれにして読書をしていた。
「どうされましたか?お嬢様」
「マリー来たのね、今日は少し肌寒いから、窓を閉めて」
「はい、かしこまりました」
私は窓を1つずつ閉じていく。窓を閉めながら外の景色に目が行く。
「お嬢様今日は月明りでお庭がきれいに見えますね」
お嬢様はベッドを降りると私の横に立ってお庭を眺めた。
「ええ、そうね。今日は明るくてよく見えるわ。月がきれいに照らしているのね」
綺麗なお庭をしばし眺めた後お嬢様の方を向くと、お庭ではなくまじまじと私を見つめているお嬢様と目が合う。お庭に見入ってしまっていた。わざわざベッドに入っていたお嬢様を呼び寄せておいて、私はぼーとしてしまっていたのだ。いつも眺めているお庭なんだからお嬢にしたらそこまで眺めるものでもなかったのかもしれない。私のことを遮らないように待っていたのだろうか。
心なしかお嬢様の強い眼光を感じる。
「すみません、おやすみになるところでしたのに・・・」
「いいえ・・・、きれいだったわ。今日みたいに月の明るい日じゃなきゃ見られない表情だと思うわ。」
「そうですね、昼間とは違った幻想的なお庭に見えて、輝いて感じます」
全くお庭を見ていないのではないかというほど、こちらに視線を感じる。気のせい?
「・・・ええそうね」
そう答えたお嬢様に一度逸らした視線を戻すが、やはりこちらを見ている。
小さかったお嬢様もいつからか私の身長を超えた。お嬢様が私のすぐ近く立って微笑んだ。感じたことのない圧は気のせいだろうか。
同じ窓枠から外を眺めてる。薄く窓に反射しているお嬢様の視線を感じた。いつもならどうしたのか尋ねるが、なぜだか良くない雰囲気を感じて私は目線には気づかない振りを決めることにした。
ふいにお嬢様はベッドに戻ると、読みかけの本のページを開いた。
私は小さく息を吐く。少しの間、息が詰まっていたことに気が付く。
「では、私は失礼いたしますね」
お辞儀をして部屋を出ていこうとすると、お嬢様に呼び止められる。
「待って、こっちに来て」
お嬢様はベッドの傍まで私を呼ぶ。私が傍らに立つと「ここに座って」とお嬢様はベッドの脇をポンポンと叩いた。
「はい」
自分を落ち着けるためにも早く去りたかったが、言われるまま腰掛ける。
「この本、あと3ページで終わるの。そうしたら、マリーが次読んだらいいわ。貸してあげるから読み終わるまで待っていて」
「いいんですか、お借りしても」
こうして本を貸して下さることに、さっきまでの緊張感を忘れたようにウキウキが顔に出てしまう。お嬢様は、時々読み終わった本を貸してくださる。
「もちろんよ。ぜひ読んで感想を聞きたいわ」
「ありがとうございます」
私のウキウキした表情に、お嬢様もフフッと笑う。
ふと、お嬢様は私の手をとって、
「少し寒いわ、待っている間マリーもここに入って」
お嬢様は布団の端を持ち上げて、中に入るよう促す。
「いえ、ここで大丈夫ですよ。向こうから椅子を持ってきます」
「いいから入って」
有無を言わせず引かれた手に、隣に入らせてもらう。隣に入り込むとほの温かさが伝わってくる。
私は少し乱れた布団の端を持ち上げて直した。それを見届けてお嬢様は、また読みかけのページに目を戻す。
3ページめくられる間、私は隣で静かに待っている。お嬢様の視線がゆっくり文字をなぞっている。お嬢様の視線がこちらにないことをいいことに横顔を盗み見る。私が、お嬢様の顔をこれほど眺めている時間はいつ以来だろう。横顔も凛々しく美しく、ベッドサイドランプの灯りが余計にお嬢様を大人びて見せているようだ。
そんな事をふわっと考えていると静かにページのめくられる音がやんで、パタンと本が閉じられる。
「待たせたわね、はいどうぞ。読み終わったわ」
「ありがとうございます」
お嬢様が本を差し出したので、受け取ろうと手を伸ばす——————ふいにその手を掴まれて強く引っ張られる。
「わっ」体勢を崩してお嬢様の方へ倒れるのを抱きとめられる。
「マリーがそういう顔で見つめるから…」
抱きしめられて耳元でささやきかけられる吐息がくすぐったかった。
え?お嬢様の言っている意味が分からない、そういう顔とは、意味を考えていると私は動きを止めたままお嬢様の腕の中に納まっている。気が付くとお嬢様の顔が近くにあった。唇に柔らかい感触があって、すぐに離れる。
驚きのあまり、何が起こったのか頭の名が真っ白になる。
我に返って口元を手で隠す。「えっ・・・」何をされたか気づいて驚きに心臓がいきなり跳ねて、バクバクとせわしなく打ちはじめる。
お嬢様は布団に埋もれた本を拾いあげると今度はちゃんと私の手に持たせる。
「おやすみ、マリー」
お嬢様は笑顔でそう言った。
「・・・おっ・・・おやすみなさい・・・」
やっとのことで声を発した私はそそくさとベッドから降りて廊下に出る。自室には無意識の中帰っていて、もう何も考えず眠ることに決めた。
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