三 鎌鼬 その一

 皐月(五月)十四日。

「旦那。起きてください。今日は昨日みたいに、途中で帰ってきたらいけませんぜ」

 夜明けまもなく、唐十郎の長屋に藤兵衛が現われた。昨日の妖刀が気になって仕事の出がけに寄ったと言った。

 唐十郎は賄いを藤兵衛の女房のお綾に頼んでいる。いつも朝餉を食すのは藤兵衛が出かけた後である。


 唐十郎が寝床を片づける間、藤兵衛は床の間の妖刀を見ていた。妖刀に貼った不動明王の護符は貼ったときのままで変わった所はない。妖刀が気になるのか藤兵衛は床の間の前から動く気配がない。唐十郎は手拭いを肩にかけて藤兵衛に訊いた。

「如何したか」

「旦那、夕べ何かありましたか」

「何も無い。その刀に何かあるのか」

「この刀の気配が違うんでさあ。なんて言ったらいいか・・・」

 藤兵衛は説明できぬ様子で床の間を見ている。

「おっと飯が冷めちまう。ではまた」

 何か言いたげなまま藤兵衛は部屋を出ていった。


 唐十郎は手桶を持って外へ出た。井戸端にいる藤兵衛の女房のお綾は唐十郎を見ると、

「今朝は、お早いお目覚めで。すぐ朝餉を支度しますから」

 と挨拶し、朝早く来る棒手振りから聞いた話をした。

「日本橋の讃岐屋に押し込みが入ったって話ですよ。

 賊はみんな、鎌鼬に殺られて、讃岐屋さんの前で賊の首と胴が離れたって話です」

 お綾は野菜籠を持って立ちあがった。

「それは奇妙な話だな」

 唐十郎は釣瓶で井戸から水を汲み、口をすすぎ、顔を洗い、手拭いで拭いた。


 お綾は、唐十郎が歩きだすのを待って話しはじめた。

「うちの人の仕事先が讃岐屋の近くなんですよ。仕事の合い間に様子を見てくると言うから、あたしは、あんまり変な所へ顔を出すんじゃないよと言ったんです。

 あの人妙なところがあるでしょう。変なものを取っつけてくるんじゃないかって、心配なんです」


「そんな事はあるまい。賊が鎌鼬に殺られたなら、鎌鼬が讃岐屋を守った事になろう。妙な物ではなかろう」

 先ほど長屋に来た藤兵衛はすでに事件を知っていて妖刀を確かめに来たな、と唐十郎は思った。

「そうですが、気味悪いじゃありませんか」

 おお、いやだ、とお綾は唐十郎の目の前で蝿を追うように手を振った。

「とかく、人は見えぬ物を恐れる。解らぬ事が怖いのだ」

 と言ったものの唐十郎は鎌鼬の本質が何か知らぬので説明できない。


「ところで、藤兵衛の仕事先は何処だ?」

「讃岐屋の筋向いの、味噌問屋の甲州屋ですよ」

「そうか・・・」

 唐十郎は、甲州屋へ行って藤兵衛に会ってから、讃岐屋を覗いてみよう、と思った。

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