二 斬撃

 皐月(五月)十三日。

 その夜。

 唐十郎は夢にうなされた。夢の中で唐十郎は狭く暗い世界に居て、夕暮れの野に放りだされた子供のように心細く、心は抑圧されて今にも爆発しそうなのに、狭い空間から逃れられずにいた。

 本来の唐十郎なら、どのような状況でも戦場へ馳せ参じる修業はできている。天下泰平の世で忘れ去られたが、それが真の武士としての唐十郎の姿だった。だが、夢の中の唐十郎は本来の唐十郎ではなかった。


 唐十郎の目が覚めた。周りを見ると長屋の部屋が夢で見た狭く暗い空間に思えた。

 なぜ、何のためにここに居るのか・・・。

 一瞬、自分の存在に、唐十郎は疑問を抱いた。

 ふと床の間を見ると、妖刀に貼った不動明王の護符が半分ほど剥がれて、納めたはずの刀刃が鞘から少し出ていた。唐十郎はその刀刃から漂う異様な気配に気づいた。

 唐十郎は起きあがり、妖刀を鞘に納めて護符を貼りなおして床の間に置いた。そして、床の間に向って寝床に座り、瞼を閉じた。


 時は夜九ツ(子の刻、午前零時)巷に魑魅魍魎が漂いだす刻限である。

 瞼を閉じた唐十郎は、部屋に立ちこめた妖気が霧の如く己にまとわりつくのを感じた。

 瞼を開くと、暗く汚れた長屋の狭い部屋が見える。ふたたび瞼を閉じると、やはり妖気が霧のようにまとわりついてくる。

 妙だ・・・。

 そう思いながら唐十郎は横になった。


 そう思ったのは唐十郎の心だけだった。

 心は横になったまま深い眠りについたが、唐十郎の身体は確かな足取りで立ちあがり、床の間の妖刀から丁寧に護符を剝がして妖刀を腰に帯び、そのまま外へ出た。



 深夜。

 日本橋の堀端を男が歩いている。男は廻船問屋讃岐屋の裏手へ歩いた。

 いつもは店の者が寝静まった刻限なのに、讃岐屋の裏木戸は開いており、店の奥から土蔵へ続く渡り廊下に明かりが灯っている。廊下に人影は見えぬが母屋に人の動く気配があった。

 男は裏木戸から中庭に入った。母屋に近づくと内から讃岐屋清兵衛を脅す声が聞こえ、女たちの怯えた声に混じって、離れの奥座敷から若い女の悲鳴が聞こえた。

 男は音もなく渡り廊下に上がった。明かりを次々に消して音もなく奥へ進んだ。

 男が渡り廊下から奥中庭に降りた。そのまま奥座敷へ音も立てずに走ると、雨戸が外れた濡れ縁に、これまた音もなく立った。


 奥座敷で、猿ぐつわをされた娘が後ろ手に縛られたままうつ伏せになっている。黒装束の賊が娘の裾をめくり上げ、今まさに白い臀部を犯そうとしていた。


 風の如く男が賊の横に立った。一瞬に抜刀し、草原の草波を薙ぐが如く白刃を水平に走らせた。どんっと音を立てて賊の頭が背後の畳へ飛んだ。首からどっと血を吹きだして賊の身体がゆっくり横に倒れた。

 娘は気を失ったらしく、背後で起こった異変に反応しない。


 男はすぐさま奥座敷を出て、奥座敷から母屋の廊下を店の方へなく無く走って言った。

「おーいっ、こっちに来てくれ!娘が隠してやがったっ」

 母屋の座敷には賊が三人居た。声が届くと二人が男のいる廊下へ走ってきた。

 暗闇に紛れ、男は一人目を袈裟懸けに斬り上げ、返す刀で二人目を袈裟懸けに斬り下ろした。一瞬に、首の無い死体と肩が胴体から離れた死体ができた。

「そっちへ行くぜ」

 賊の声をまねて、男は奥座敷から店へ歩いた。

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