第25話 神殺し*五

 葉来は、その日も太陽が昇る少し前に姿を消した。そこから涼葉の現れるまでの間を、いつもは休息の時間にあてていたが、その日のマキの瞳は爛々らんらんと輝いていた。槍を抱えて座り込む。

 

 神を殺す、その瞬間の感触が、手の中にある。

「これは予感だ」

 端緒たんしょを胸の底から引っ張り上げ、ありはしない心臓の熱で解凍する――葉来の言動への疑念。神の性質。怒りを見せたその時の、涼葉の満足気な笑み――これらを組み合わせることで、神殺しの方法を掴めやしないか。


「自らの沖を使う術を、葉来が鍛えないのはおかしい」使えればそれでよい、などという程度で神が殺せるだろうか。それこそ、操り返されて終わりだろう。しかし「それができんと神は殺せない」。それなら、やはり使えればそれでよいのかもしれない。人間が自ら発する術には、神は抵抗を示さない?という考えが浮かんだが、そんな浅はかなことではないだろう。それに、最初は使うことを強く要求してきていた。


 それをしなくなったのはいつか?


 記憶を辿たどると、定かではなかったが、自分が過去を話した後からのような気がしていた。となれば「わたしが自ら術を使おうとしないことそのものに、理由がある?」

 そもそも、神を殺すまでの力量を身につけることが無理な話だ。葉来や涼葉の沖でさえ、読めはするものの攻略できるものでは到底ない。だから鍛錬は、神を殺すための「何か」を発動させるための、最低限の技術を身につけさせるためのもの。


 となれば?


 東の空が、銀を滲ませている。

 神は力で殺すものではない。そもそも神とあろうものがこのような荒野に落とされたのは、いわば人々に「殺された」からだ。それは信仰の喪失。神が成り立つための動機の一部を失ったこと。

 銀は赤に染まる。「その時」が迫っている。

 しかし自分は神を「信仰」してはいない……という思考に陥りそうになり、「違う」と引き留める。

 神の性質を捉えて、それを利用するのだ。

 人々の願いを当てられる存在でなくなったとき、神として地上に立てなくなる。神は人の願いがないと、成り立たない……「それも違う」


 夜が、明ける。


 花開く光に押し出されるようにして現れる、娘の影。とびきりの笑みに、白銀の槍を振るっている。

「あと少しなのに」

 うとまし気に彼女を見据えると、にた、と笑った。

 ――怒りを見せたその時の、涼葉の満足気な笑み。

 ぎゃ、と銀の切っ先が光る。

 神は人間の感情や性質に、影響されやすいと言い換えられはしないか?

 だから、感情を見せた時に彼女は笑うのではないか。一方で、武術で勝ろうとしたときには、甘いと一蹴する。


 赤金の槍を構える。

 それなら、きっと、足りないのは殺意だ。明確に相手を消してやろうという意気がないから、涼葉を貫くことができないのではないか。

 マキは、一切の濁りを抱えていない、その存在を見据える。何度も殺された痛みが全て、彼女への憎悪に書き換えられ、殺意を纏う。

 朝日を宿して輝く緑の瞳に、涼葉は満足気な笑みを浮かべる。マキは確信した。ありったけの殺気をぶつけるように、彼女の顔真っ直ぐに槍を放つ。


 しかしぶっ刺されたのは、自分の腹の方だった。

 なんど食らっても、慣れはしない。膝を突き、全身を痙攣けいれんさせながらも、憎らしい相手を睨む。

「それじゃ全然、足りないよ!無いのと同じ!」

 膝をついた自分を恥じた。

「なめやがって」


 憎しみは、一度湧くと留まることを知らない。だからこそ、今しかないと直感している。奥底からの殺意を、声帯を介してほとばしらせる。涼葉は喜色を満面に貼りつけ打ちかかってくる。襲いかかる衝撃も、金属のぶつかる激しい音も、マキは知覚しない。強い感情が身体感覚を殺していた。

 それが身体の範囲を越えて彼女の眼を貫く……「まだだよ!」

 ガツン!と強い音が、マキの耳に割り込む。


 集中をぶった切られて茫然ぼうぜんとする彼女の首を、槍が貫く。目が、様変わりしていく空を映している。水没する恐怖のような、無呼吸の域。もがけどもがけど、空気は肺に流れ込まない。空が遠ざかる。そのまま意識を手放してはならない。生き返れ、


 生き返れ!


 意識を掴んで引き摺り上げ、息を吐き出す。彼女は明滅する視界に涼葉を睨む。ここで折られては、いけない。まだだ。渾身の一撃を裏切られたからって、それがなんだ。今までだって何度も立ち上がってきた。

 静かな水平の広がった胸に、新鮮な憎しみが目を覚ます。

 その、眼球を、貫いてやる。

 そう思った最初の感情が、天に向かって真っ直ぐに伸びる。

 マキの動きに迷いはなかった。透明な、一撃だった。


「あ」


 手ごたえ。

 爪先から、金の粒が駆け抜けるような快感。

 赤金の槍は確かに、涼葉の片目を貫いていた。

「おおあたり」

 と破顔する彼女が気味悪く、槍を抜く。穴の開いた眼球から、彼女は溶けるように二つに割れ、地面に触れる前に宙にかき消える。不意に大気が震え、眼前に沖が集まっていく。見上げても見上げきれないような、膨大な要素を有した、沖。

「神だ」

 それが収縮し、人の形を成す。

「ここまで至った奴は初めてだ」

 残照ざんしょうの光を集めたような、銀の瞳を細めて笑った。

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