第23話 竜宮*六

 蛇の子供を何匹も何匹も何匹も何匹も何匹も何匹も何匹も何匹も何匹も、産む夢を見る。


 痛みの中苦しみの中、床じゅうに広がる蛇の子供たち。産めども産めども尽きない腹の子供。白い蛇。壁から天井から、這い回っている。意識がかすみ始めると「まだ、まだ、まだ、まだ」と声が聞こえる。汗が滑る自分の肌は、濡れて光っている。人の肌でない色に光っている。夢だと分かっている。苦しみは終わると分かっている。しかしそれが千年も後の話のような気がしている。蛇の子供は窓から出ていく。何百匹かが集まり、扉をようやくこじ開けた。出ていく。一気に出ていく。腹から下る子供の量も増える。血が逆流したかのような感覚に、暗闇へと吹き飛んだ。


 夢から覚めたのは、夜が終わる前。

 喉が鳴るほど、激しい息をついていた。引きげの安堵と引き摺る恐怖に涙が頬を駆け下る。あんなに蛇を産むのか?産みたくない。わたしは蛇じゃない。肋骨の鱗は日に日に数を増す。爪を立てて剥がそうとかきむしる。痛みも走らなければ、めくれることもない。

「……だ、やだ、いやだ、嫌だ!」

「だあから言ったじゃないのよお……」

 闇に白く、浮かび上がる影。

 ヒヒヒ、と白髪の女が笑う。


「あんたってほんとに空っぽなんだねえ……自分で選ぶことができない……あの主に騙されて子供は嫌だなんて泣いちゃって……警告までしたのにねえ……」

 嘲笑に耐え切れず、枕を掴んで投げるが届かない。

「わたし、こんなの、望んでなかった」

「だから、よく考えなって言ったのにねえ。馬ぁ鹿」

 罵倒ばとうが余りに妥当で、みちは泣いた。

「泣き虫ぃ」

「わたし……どうしたらいいの……」

「何言ったって、「うるさい!」だろう?そんな奴に助言なんてできないなあ」

「教えて……」

「タダじゃ教えない」

「分かったから」

「言ったな」

 みちは必死で、頷いた。


「子をろせ」

 期待外れな助言に、みちはいきどおる。

「それができたら、教えてなんて、言わない!」

「ほうらね、あんたを助ける方法を教えてやったのにそれだ」

「そのくらい、わたしにだって分かる!」

「どーせ迷ってるんだろ?腹ん中の子供を殺すのは嫌だが、産むのも嫌ってさ。残念だけどそのどっちかしかないんだ。だから答えは『堕ろせ』だ」

「どうやって、堕ろすの……」

「簡単さ。ここは地上と違うからね。腹の子の死を念じながら、それを口にも出すのさ」

 みちは頭を抱える。どん、どん、と心臓が全身を打つ。体内に宿った命を、捻り潰す。自分が恐怖から逃れるために。要するに人殺し。動機は自己防衛。「死ね」と自分が、言われたら?相手が自分を守るために。

「いやだ」

「可哀想な子だねえ」

 と口では言いながら、ヒヒヒと笑う。


「んじゃ、教え賃を払ってもらおうかね」

 彼女の身体が消えて行く。

「あんた自身が、神となれ。そして、あの空洞男を殺せ」

 赤い瞳を見つめる。

「あんた空っぽだから、素質はあるよ」

 そう残して、彼女の姿は失せる。

 全てが精気を失ったかのような夜けに、一人たたずむ。

「月神に憑かれたのは。わたしのせいじゃないのに……」

 ゆら、とふすまを開け、廊下に出る。手探りで闇を進む。壁も床も、ひんやりと冷たい。初冬の夜。


「蛇の子なんてわたし。望んでないのに……」

 手探りで、外に出る。

 東の空が、白んでいた。

「神になれなんて、そんなの無理……」

 うすぼんやりした光の中、みちは実りの原へ歩く。稲穂を見れば、心が休まると思った。しかし思い通りにはならない。冬へと季節を進めた田の稲は、すっかり刈り取られていた。

「ない……」

 冬がくる。そんなこと、分かり切ったことだった。あの桜の里とは違い、ここでは季節が巡る。それが美しいと思ったのに。

「こわい」

 爪先のかじかみに、冬の痛みを思い出す。月光の明るさを思い出す。一人冷たい床の上、夜を過ごす。白い光が眩しくて眠れない。だから、頬寄せた月光。

 それが自分の首をしめている。


 ふわり、肩を包み込む腕がある。

「月神……」

 感じる。強い力で、柔らかに、包み込まれる。言葉は無いのに意図が分かる。

 これが、諸悪の根源。

 これが、離れれば、万々歳だ。

「わたしから離れろ!死神!離れろ!」

 言葉で子が堕りるなら、憑き物だって――「浅はかなこと」

 唇を、下から撫でる手。

「生まれる前の命とおなじやり方を、神に用いるなんて」

「離れて……わたしから離れてください……お願いします」

 神は答えず、ぎゅ、と抱き付き身体の中に染み込む。

 朝を始めていた東の空から、太陽の頂がのぞく。光の巨塊が空の闇を襲おうとしている。毎日がこうして始まり、冬が少しずつ目をこじ開ける。いよいよ、月神の支配からは逃れられなくなる。夏の、空を這うような月とは違うのだ。高々とのぼり、氷柱つららのような光線をき散らす。その光がきっと、子を堕ろす。晴瀬を殺す。太陽を殺しにいき、おそらく叶わずわたしが死ぬ。今度こそ、徹底的に、死ぬ。


「いかがいたした」

 太陽と同じ方角から、歩み来る男。

「子ができてから、具合が悪そうだが」

 表情のないその顔は、面そのものだった。神の手が作り出した、超絶技巧の面。目鼻の配置、彫りの深さ、描き出す曲線の滑らかさ。

 嘘、そのものだ。

 なぜすぐに、ケネカの言葉を信じられなかったのか。


「お前の暗い顔を見るのが……」

 次の言葉を、その薄い唇が発する前に。みちは綺麗な面のこめかみに爪を立てた。

 ガコ、と音がし、指が食い込んだ。

爪先から全身に向かって、鳥肌が走る。怖気おぞけを唸り声に殺し、一思いに面を剥がした。


 玲瓏れいろうが腰を折り、顔を覆い、形容し難いほどの醜い音を発する。みちは耳を塞いだ。遠くで竜宮が砂になっている。地平線の向こうまで続く稲の原も砂になる。目の前の主も、外側から砂になる。無になれ、無になれ、無になれ!しゃがんだみちは念じていた。嘘はなくなってしまえ。全て!

残ったのは、霞んだ青空の広がる荒野だった。

 ゾラゾラ音がする方を見ると、黒みがかった銀の色に輝く大蛇が、重たい身体を引き摺っている。


「厳しき道を、選んだのだな」

 地獄の底から響き渡るような声。大きな真っ黒の瞳に、自分が映っている。生気を失った顔で、怯えるでもなく見上げている。

「好きに、あの男にも、会うがいい。だが、至る場所はこくであることを覚えておれ」

「晴瀬は、まだ、生きてるの」

 蛇は答えず、彼女に一礼をし、去っていった。

「……みち?」

 振り向いたのは、東。そこに今度は、海の男が立っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る