第21話 竜宮*四

 髪の白い、瞳の赤い、夢で男を殺したあの女。

 部屋で笑う女が、宙を滑りみちの口を塞ぐ。


「ここで大声だしたら、また来てしまうよ」

「いかがなされましたか」

 襖の向こうで、めめの声。

 暴れようとする彼女の手を抑え、赤い目の女がみちの声で「ちょっと、見間違えた、だけ。大丈夫」と答える。

「左様でございますか」

 彼女はあっさり、去ってしまう。


 黒い瞳に涙を一杯溜めた娘を、女は笑う。

「大声出したら、泣かせるよ」

 みちは何度も頷く。

「ヒヒヒ」

 女は軽やかに床を蹴って寝台にかける。


「あんたに会うのは二回目だね。私はケネカというよ」

 一度会えば忘れない容姿。雨が降ったあの日、黒い男の中で出会った女だった。

「……冬に、いとしい、人をころしたのも、あなた?」

「夢に見たんだね?そりゃ話が早い」

 と大きな瞳を細める。


「私はあんたの前に、月神に憑かれてた女……月の女だ」

 血の気の無い顔。だらしなく口を開けて笑う様。人殺しとはこれのことだ。みちは震えあがった。

「何をそんなに、怖がってるんだい」

「出ていってよ……」

「あんたに言うことがあって来たのに、出ていく道理はないよ」

「聞くから、言ったら、すぐ出てってよ」

「そーんなすぐに終わる話じゃないんだ。ほれ、床に転がってないでそこにでもかけな」

 巫女の裳裾もすそを振り上げ、足で椅子を示す。みちは床を這い、身を縮めて座った。


「臆病そうな娘だねえ。名前はなんてんだい」

「……みち」

「みち、みちか」

 何が可笑おかしいのか、赤い唇で名前を何度も繰り返して笑っている。自分自身が彼女の口の中で転がされているような気分だった。

「あんたは、どんな風に生きてきたんだい」

「……機織はたおり、をやっていた」

「その前は?どこの村の人間なんだ」

「わかんない」

 口減らしのために売られたというのを思い出し、首を横に振る。

「しらない」


 床に落ちた自分の影を見つめる彼女を「ヒヒヒ」と笑う。

「過去をなくしたのかい。みち、って名前のクセに空っぽなんだなあ」

「ちがう。言えないだけ」

「そんなら頭を叩いてごらんよ。空っぽでないかどうかさ。私は術士だから、あんたの中までよく見える」

 みちは、手の平の底で頭をどっと叩いてみる。コォォォンと、空洞を音が走ったような響き。

 目を丸くして手の平を見つめる彼女を、ケネカは笑った。

「ほれみろ、空っぽだったろう」

「……それならあなたは、どんな風に生きてきたの」

 彼女は手を握り締めて問うた。

「聞きたいのかい?」

 拳を膝の上におろして、頷く。ケネカは肩を強張らせる彼女を、品のない笑顔で笑っている。


明鳴あかなき神社ってとこで巫女をやってたんだけどね、こんな見た目だから珍しがられて宮中に招かれたんだ。宮中に行く前に海神にとっつかれた男殺して、宮中では王サマを殺そうとした。でも無理だったね。で変な男に殺されて死んだ」

「王様を、殺そうとしたの?」

 王は、国を支配する太陽の神の子供だ。ケネカは悪びれるでもなく頷く。

「王様は、尊い、存在だわ」

「あんたらにはそうかもしれないけど私にとっては違うんだ」

「あなたには違う、とかには、ならないはずよ。だって、太陽の神様の、御子みこなんだもの」


「私には、その太陽が憎いんだよ」

 ケネカの顔から笑顔が消える。

「太陽の光は、痛くてたまらん眩しくてたまらん、でな。建物の外に出られんのだ。だから太陽の子供を殺してやろうと思ったのさ」

 みちのおののいた瞳を見ると、彼女はまた笑顔を顔に貼りつける。


「月は死神だから拝んじゃならん、月光は殺光だから浴びちゃならんというが、私は構わなかったんだ。太陽は憎いがその分月が好きだった。それで月神に気に入られたんだろうねえ……ああそうだ、私がどうやって死んだか、聞きたいかい」

 みちが首を横に振ると、彼女は話し始めた。

「王サマを殺そうってのは、無謀な話だったんだ。そん時はそうは思わなかったけどねえ、力があふれ出てきて……でもあっちは数が多くてどーにもならんかった。そんで逃げたけどね、海の近くでデカイ奴に片目をぶっ刺された。そんでもしぶとく生きてたら、黒い……あんたみたいに空洞の男がいてね、よく分からんことばっかりぬかして私を殺そうとするから、もう片目を自分で抉ってそいつの口に突っ込んでやったのさ。そこは海辺だったねえ。その空洞男に海に捨てられて死んだんだ」

 気味の悪さに堪えらず、立ち上がる。


「ヒヒヒ。あの空洞男の中に眼ン玉を突っ込んだおかげで、死んだあともこうして形を保つことができるのさ」

「……出てってよ」

 震える声で言いながら、後ずさる。

「前に会ったことがあるだろう。普段はあの空洞男の中にいるんだけどね、あれが寝ている間はふらふらできるんだ」

「出てって」

「空洞男が憎いからねえどうにかこうにか苦しめてやろうと思って機会をうかがってるんだ」

「出てってよ!もう聞きたくない」

 みちはとうとう耳を塞ぐ。

「ヒヒヒ」

 頭に直接声が響き、小さく悲鳴をあげて手を離す。


「じゃあ本題に入ってやるよ。あんたは月神に憑かれた女と海神に憑かれた男……月の女と海の男の話を、甘くみてる」

 目を閉じ、耳の穴に内側から蓋をして話の侵入を防ごうとするが、彼女の声は鼓膜を介さず身体の内に響き渡る。

「あんたが思ってるよりもっと、業が深い。どんな道を選んだって、必ず、男を殺す未来に辿り着くようになってるんだよ」

「そんなことない。私がここにいれば、晴瀬に会わなければ、いいはず」

「それを、甘いと言っているのさ。出会ってしまったのがもう終いなんだ。諦めな。月神は海の男を殺すことで、海の力を手にするんだ。そうして憑いた女を操って、太陽の神を打倒するよう仕向ける。私がまさにそうだったようにな。耐えられん女は自分で身を投げたりしちまう。けどあんたは空っぽだから、うまいこと操られるだろうよ」

「嫌だ!」

「嫌だと言ったところで決まっているんだ。それなのにねえ、化物に股開く道を選ぶもんじゃないよ」


 みちは途端に顔を赤くし口ごもる。

「股、開くなんて」

「婚礼、ってもんが何を意味してるか、分かってないんかい。うぶだねえ」

 ケネカは白髪をもてあそぶ。

「婚礼の次に待つのはちぎりだ。あの化物はどんな風にあんたに子供を植えつけるんかね。考えただけで身の毛がよだつねえ」

「主様は、化物なんかじゃない。神様よ」

「化物みたいなもんさ。人間の信仰を失い、地の底水の底に落ちて、あんたのような乙女をちゃらちゃら飾り立てた竜宮で騙している」

 口をだらしなく開けて笑う。

「主の顔も、この建物も調度も庭も、稲穂の原も、ぜーんぶあのおちぶれた蛇神が作った偽物さ。ここは、本当は、だだっぴろいただの荒野だ」

 ケネカの身体が透けてくる。

「あれえ、あの男、もう目覚めたのかい」

 独り言をほおり、じゃ、と手首を振る。

「よく考えなよう。化物の母ちゃんになりたくないんならねえ」

 彼女の消えると共に、油の切れた灯火が消えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る