第19話 神殺し*三
翌日。
葉来の助言通り、彼女の動きを見るようになった。分析しようと思って見てみると、案外違いが分かってくる。それよりも困難だったのが、やはり首をもたげる苦痛への恐怖を抑えつけ、冷静な心持で観察に徹することだった。
素早く、また重たい彼女の槍を一撃、止めることが叶う。
「あれえ、すごいじゃない」
と身を引いた彼女は嬉しそうだった。
「手加減するのも疲れちゃうから、早くもっと上手くなって!」
次の一撃は、とても目でとらえられるものではなかった。あっさり額を貫かれ、さすがに意識がぶっつり消えた。
「手酷くやられたな」
目を覚ましたのは、日没後だった。
「一撃は、防いだ」
「お前ができるようになったと見て、突然難易度を上げたというところだろう」
「あんな動き、見ようとしたって無理よ」
「だろうな」
あっさり頷く。
「そもそも、五感頼りで神は殺せない」
「じゃあどうしろって言うの」
「難しいことではない……お前は感覚で術を使っているだろう」
「当たり前でしょ。目に見えないものを相手にしているんだから」
「それなのに、涼葉の姿がとらえられないと弱音を吐くのか。同じ話だろう」
自分になかった発想に閉口する。
「しかし、お前はまだ確実にそれをとらえきれていない。もっと明確につかめ。お前がとらえているそれのことを、沖、という」
「チュウ?」
「そうだ。名前を知ることで認知を区切るのだ」
葉来は腰かけ、火の玉を焚き火のように浮かべる。それを挟んで向かい合うように、マキも座る。
「本来、沖というものそれぞれに違いはない。水のようにな。しかしそれが宿ったものの中を対流する間に、それらしい癖が生まれてくる。流れる早さ、緩急、淀みのあるものないもの。それが、個々の違いになる。それを知ることを、沖を読むという」
「どうして沖、なんてものがあるの」
「万物は、始源と歴史を捨てられんようにできているからだ」
「……どういう意味」
「そのままだ」
すべてのものは「はじまり」と「これまで」を捨てられないようにできているから、沖があるのか?
全く答えになっていない。が、もしかしたら、「なぜ空には太陽があるのか」というほど神話的な問いになるのかもしれない。マキはそれ以上を追究しなかった。
「知っているだろうが、沖は全てのものに存在している。だから、人間にとって死後の世であるここにも、沖がある」
「わたし、死んだのね」
「それでなければここには来られない」
「それじゃあ、今ここにいるわたしは何?」
「今ここにいるお前は沖そのものだ。ただしお前の肉体は死んでいる。本来沖は死体に留まるのだが、お前は何らかの強い動機があり、肉体を抜けだしたようだな」
胸に手を当ててみる。鼓動がなかった。しかし驚いたときや焦りを感じるとき、心臓は確かに動いているのだ。
「じゃあ、なんで痛いの」
「身体感覚は疑似的なものだ。沖が、肉体の反応の記憶を
自分が死んだということが、信じられない。しかしそれは、死の事実から逃亡するための不信、ではなかった。
通過点に過ぎない。そう思っていた。
「わたしは地上に、戻る」
「それを望むなら、自らの沖を使った術を鍛えろ。相手の沖を操る方が、自らの沖を操ることよりも高度な術だ。沖を読み切り、自分と即座に繋げねばならんからな。だからこそ、神の複雑で
葉来は二人の間の火の玉を天高く伸ばす。その先端がこちらに頭を向けた。それは大蛇の頭になっていた。大口を開けて火を吹く。その背後で巨体がうねっている。
「これを読み切り操れるのなら、自分の沖を使えなどとは言わない」
しかし確かに、茫漠で捉えどころがなかった。今までのものは、その全体像を把握しているだけで良かった。視覚にたとえるなら、蛇の全容を捉えてどのように動くかを知ればよかった。しかしこれは、蛇の鱗一枚一枚のわずかな形の違いや輝き方の違いを詳細に把握せねば、複雑すぎて捉えられないというものだった。
「自分の沖を使う方法を教えてやる。手を伸ばす感覚で、己の沖を開放するのだ。その時、水における沖の対流を
「知ってるわ、そんなこと」
と葉来を睨むが、立ち上がろうとはしない。
「やる気がないのか」
「わたしは自分で術なんか使わない」
「それではこの沖を読み切るというのか」
できる、とは思っていなかった。目を
「時間は与えんぞ」
大蛇が、迫る。
マキは焦りを抑えつける。全体が全て、一度にやってくるわけではないのだ。口から順に迫ってくるのだから、そこから消せばよい。しかし
驚く葉来へと急降下し、その背後に着地し彼の両肩を掴んだ。
「何をした」
「自分で術を使うよりも簡単だわ。今のわたしに肉体がないのなら、沖を操るだけで身体は自在に動くはず」
「……そうまでして、術を使いたくないのか」
溜息を落とし、中空の大蛇を消す。
マキは両肩から手を離し、距離をとる。
「地上ではね、術士はお上に引き渡されて、人間じゃない扱いを受ける。わたしはずっと隠してきたんだけど、かあさんを火事から助けようとして、ばれてしまった。しかもかあさんも死んだ。それで……」
「それは前も聞いた」
「それなら最後まで聞いて」
有無を言わせぬ、強い声だった。
「わたしはね、今まで自分を捨てて生きてきたの。わたしが術士だって知ってるのはかあさんだけだったから、絶対に機嫌を損なっちゃいけない。かあさんは私がかあさんの死んだ姉さんに似てるって嬉しそうだったから、常に、かあさんの姉さんの生まれ変わりとして振る舞っていた。いつも自分じゃない自分を生きて、わたしになることなんてできないで。かあさんの姉ならどうやって振る舞うかなってことばかり考えて生きてきた」
彼女は手の平に、視線を落とした。
「そうやって自分を失ったのも、わたしが術士だったから。自分で選んで生まれてきたんじゃないのに」
マキの瞳は生命線を
「だからせめて、会ってみて、ほんとうの違いを確かめたかった。何も聞けなかったけど。わたしはあの人とは違うって、それだけは確信した、のに……」
拳を握った。
「こんなところで死んだら、意味ない。わたしは地上に戻って、わたしとして生きたい」
「神を殺せば、地上に戻れる」
葉来は、白銀の棒を土に突き立てる。
「くだらん昔話は、それから精算するんだな」
マキはそれからも、自分で術を使おうとはしなかった。沖を読む精度を上げるために、涼葉とは目を瞑って
最初に彼女を刺し貫くのは、その眼玉だ。マキは心に誓う。
しかしそうしたところで、自分と同じように、復活するのだろう。息の根も止めてやりたかった……。
あれ?
「……どうやって、神を殺すんだ?」
初歩的な問題を、葉来に問うた。
「何回殺されても生き返るのに。神なんて絶対殺せないし、わたしだって殺されないでしょ」
「お前は殺される。神は確かに、殺されない」
「そんなの不平等じゃない」
「神と人が平等であるわけがない」
「じゃあどうやって勝負すればいいのよ」
燃えるような緑の瞳が、夕陽色を睨む。
「お前は『死んだ』と思わなければいい。そして神を殺す方法を、俺たちが言葉で教えることはできない。お前が学びとるんだ」
単純ではあったが、難しいことだった。
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