第18話 神殺し*二

 そうして日没まで、涼葉の体力は衰えることを知らなかった。


 マキは一度たりとも、攻撃をかわすことができなかった。掴めたものすらも、ない。忽然と涼葉が姿を消した今彼女の内に残るのは、激痛への恐怖のみ。そのせいなのか、あるいは痙攣けいれんなのか、震えが止まらない。


 小さく縮こまる彼女に忍び寄る闇と、人影。

「手酷くやられたようだな」

 痩せた男が、残光を背後に白銀の棒を携えていた。


 マキは反射的に立ち上がり、距離を取った。ぶるぶる震える両脚で、武器をそれとなく構えてみる。

「安心しろ。俺とあいつは真逆と思っていい」

 その発言をすぐには信じられなかったが、足がもたなかった。膝から崩れ落ちる。


「太陽の出ている間は涼葉がお前に武術を、星の出ている間は俺がお前に、術を教える。お前は術士だろう」

「ちがう」

 葉来は片眉をぴくりとひそめた。

「ここで虚言は通用しないぞ。術士であるかそうでないかなど、一目で分かる」

 闇が空をおおい、星が穴を開けたように光る。葉来は手の平を空に突き上げた。


「術は四つの元素を主に操る」

 空に、火炎の大鳥が姿を現す。マキに向かって急降下してきたと思うと彼女の眼前で飛び散り、二人を取り囲むように落ちて小さな炎が等間隔に並ぶ。

 何かが背後で動く気配にマキが振り向くと、水の大蛇が彼女を見下ろしていた。しばらく彼女をめつけると、突如として空に首を突き伸ばす。水の蛇は空にぶつかったかのように円盤状に広がっていく。水だったものは、蛇の身体を失うと共に闇へと化した。やがて星空を塗り潰した大きな闇は、数十の刃に分かれて炎の間に突き刺さり、炎の縁をなぞるよう動き出す。風が巻き起こり、ぐんぐんと火炎を煽った。

 二人は、焔の壁に取り囲まれる。

「火、水、闇、風。この四つだ。今からお前には、この炎を消してもらう。どの術を使おうと構わない」


 炎の壁は少しずつ、しかし着実に迫ってきていた。皮膚がじりじりと焦げる。日中味わいつくした絶息の痛みを反芻し、震えあがる。

 そうであっても、できないものはできない。

「わたしは術なんて、使えない」

「何度も同じことを言わせるな。お前が術士であることは分かっている。それに加えて資質も高い。このくらいの炎なら簡単に消せるはずだ」


 マキは観念して白状する。

「……たしかにわたしは、術士よ」

「知っている。早く消さんとまた苦しむぞ」

「でも術は使いたくない」

「なぜだ」


 一瞬ためらいはしたが、真っ直ぐ葉来を見据えた。

「地上では、術士は鬼だと迫害されるの。わたしはそれが原因で、こんな場所に落とされた。もう術なんて使いたくない」

 切実な彼女の顔を、彼は鼻で笑う。

「思いのほか、つまらない理由だったな」

 途端にマキは額に青筋を立て、叫んだ。

「あんたに何が分かる!」

「逆に、なぜお前を分かってやらないといけないのだ」

 夕刻色の瞳が、炎を映して静かに光る。

「ここでお前がやるべきはくだらん過去に囚われることじゃない。神殺しの術を体得することだ」


 腹の底から、怒りが湧き上がる。ないがしろにされた感情が許さないと叫ぶ。取り囲む炎の一つを操り、葉来を襲わせる。

「指令を忘れたか。俺を殺すのではない。炎を消すのだ」

 彼は指差し一つで、マキの炎を消す。

「うるさい!」

 彼女はそれでも諦めなかった。マキは周りの炎に意識集中させる。地面と炎の間に感覚を滑らせ、炎の先端を撫でるように、腕を回した。大地からその炎を全て毟り取り、頭上で巨大な球にまとめあげる。

 高々と上げた手を、一気に振り下ろす。炎の球は葉来に落下した。今度は、一指のもとに消し去ることは叶わない。対抗して大量の水をぶつける。高熱の水蒸気が飛び散り、葉来の皮膚を焼いた。


 水蒸気の向こうから姿を現したマキは、荒く息をつき肩を怒らせ、星明りを借りて葉来を睨んでいた。

「……思った以上にできるな」

「こんなことができるばっかりに、わたしは今地獄にいる!」

「自己憐憫はよせ、鬱陶しい。余人が欲しても手に出来ぬ才を持ちながら泣きわめくな」

「あんたは人間じゃない!人間の苦しみが分かるわけないじゃない」

「死ぬまで言ってろ。今日はこれでよしとしてやる。明日に向けて休んでおけ」

 葉来は暗闇に姿を消した。


 翌日、日の出と共に涼葉が現れ、打ちかかってきた。前日と同じように、やられっぱなしだった。ただ一つ違うのは、恐怖が薄らいできたことだった。痛みに慣れることはなかったが、「来る」と覚悟をすれば、多少は違った。


 日が沈み涼葉が消え、ぶっ倒れたマキの顔を見た葉来は「ちょっとは成長したのか」と呟いた。

「殺されるのが、怖くなくなった」

 と起き上る。

「恐怖を感じなくなるのはかえって危険だ。内攻につとめるのではなく、武術を学びとれ」

「分からないもの」

「感覚的にできないというのなら、お前に武の素質はないということだ。そういう奴がただ見て真似たところでできるようにはならない。よく観察して分析しろ。真似をするのはそこからだ――さあ、ここからはお前の得意分野だ。憂さ晴らしするつもりでかかれ」


 その夜は一晩中、昨日と同じことの繰り返しだった。炎に囲まれ、せばまる円にまれる前に、消す。同じ方法を二度使うことは禁じられた。しかしそれでも、彼女は自ら術を繰り出さなかった。何度か危ないところまで火が迫った。焦りにを失う自分をなんとかなだめ、百八回を乗り切る。

「朝まで寝てろ。助言を忘れるなよ」

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