第14話 罰

「私が死んだと思ったら、大間違いですよ」

蛇が倒れた跡の残る砂浜に、めめが立っていた。みちは目を疑う。彼女が蛇であった証拠に、片目が真っ赤に潰されていた。


「私は、神の使いです」

 手が血を拭うと、元の通りの瞳がぐわっと目を開く。

「その男から、今すぐ離れてください」


 穏やかな彼女の雰囲気は消え去り、蛇の眼光で晴瀬を睨んでいる。彼は怯むことなく、静かな視線を返す。

「みちは、竜宮に行きたくないって言ってんだ。強引に嫁がせるのなんてやめろよ」

「何も知らない者が意見をしていい話ではない」

「でも、強引に嫁にするなんて絶対おかしいだろ」

「それでは、教えてあげましょう。みち様、その男は、あなたを必ずや不幸にします」

「何を、言うの!」

 彼の胸から顔を上げ、みちは掴みかかるように叫ぶ。


「今だって、助けてくれた!わたしは竜宮に行きたくない……あなたたちの方がよっぽど、わたしを不幸にする!」

「……今は、そう思ってしまうかもしれません」

 めめの表情は、哀切に歪む。

「ですが、私の言葉の意味が分かる日は、必ずやってきます。あなたがいずれ、その男を殺してしまうその時に」

「そんなこと、あるわけないじゃない!」


 本当に?

 言い放った瞬間、胸にひらめく声がある。

 愛する男を、躊躇なく殺した。あの生々しい夢。

 どこかへやってしまうよう、首を横に振る。


「薄々、感じているのではないですか」

 彼女は目を細める。

「あなたは、月の神に憑りつかれています。そしてその男は、海の神に」

 好きだけど、怖いもの。

 二人は顔を見合わせる。

「月と海の神は、それぞれ女と男に憑りつくのです。そして愛し合った後、女は男を殺します」

「そんな変な話、あるわけないだろ」

「愚か者は誤認を貫けばよろしい」

 ピシャリと言う。

「今はその男が恋しいかもしれません。しかしそれも、神が錯覚させた恋情なのです。神の力には、抗えません。必ずや、その男を殺す運命に至るでしょう。それでも、共にいたいと言いますか」


 信じがたい話に、みちは閉口する。

「あなたの心をおもんぱかるからこそ、離れろと言うのです」

 極寒の夢が、どうしようもなく蘇る。頬の血はそのまま、あの時の血の感触を反芻する。

 これが蛇の血でなく、彼の血だったら。

 みちはいで、夢の最後を思い出す。

「つぎは、うまくやるって。夢で言った」

 迷いのない瞳で、彼女は告げる。

「絶対に、わたしは、晴瀬を殺したりなんかしない」


「甘いなあ……」


 突如、場外から声が降る。

 三人は一斉にその方を見る。晴瀬が、悲鳴に近い声を上げた。

「神に憑かれた人間が、神の恐ろしさを知らないとは」

 後ろで手を結び、男が立っていた。

「初めましてお嬢さん。俺は春軌はるきという。晴瀬は俺の獲物だから、横から奪う真似はやめてほしい。悔しければ、次の海の男を待て。繰り返すようだが、あんたは晴瀬が好きなんじゃない。海の男にひかれているだけだ」


 明らかに恐懼きょうくする晴瀬の手を、みちは握った。

「そんなわけ、ない。あなた、晴瀬に、何してるの」

「復讐してやってる」

「なんで、そんなことするの!」

 春軌の瞳が、ギラリと光る。

「晴瀬に殺されたからさ」


 思わず、彼の顔を見上げる。何も言わず、唇を噛んでいた。

「想像がつかないかもしれないが、そいつは本当に俺を殺している」

 じっと見上げても、彼は一度も目を合わせようとしない。

「そんなおっかない奴だと分かっても、一緒にいたいと言うのか」

 答えは、決まっていた。

「術士でも、人殺しでも、彼といたいもの!」

「……神の恋情を断とうと思う方が、難しいことなのかもしれない」

 バチン!と音がしたかと思うと、二人は引き離されていた。

「この……」

 再び手を取り合おうとする二人の喉元に、中空から現れた真っ黒い刃が突き立てられる。

「それ以上、動ける?」

 晴瀬は「やってやる」と刃を避けみちへと走る。

「馬鹿だなあ」

 刃はピタリと、彼にはりつく。彼女に手が届く一歩手前、闇の刃は彼の首を斬り落とした。


 みちは、表情を変えることすらできなかった。

 力を無くした四肢と、胴体から離れた首。

 どういうことなのか。説明を求めるように春軌を見る。

「大丈夫だよ。胴と首はまた繋がるから」

 その言葉が終わる前に、彼女は気を失って倒れた。

 すぐさまめめが駆け寄り、優しく抱き上げる。


「鬼め、嫁様に傷がついたらどうする」

 怒りの形相を、彼は乾いた笑いで受け流す。

「神の怒りを被るのは御免ごめんだ。彼女を傷つけるつもりなど最初から無い」

「この里を、これ以上荒らすな。その男と共に、相応しい場所へ消えろ」

「……だってさ、晴瀬」

 息のない彼を見下ろす。

「言われなくても、行くのにね」

 春軌が彼の背中に触れた時、二人は宙に消えていく。それをしかと見届けためめは、桜の林立する山へと向かう。


 誰もいなくなった浜には、深い海鳴りが響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る