第13話 過去と現在と

「わたしは、さくの娘。あなたに、ずっと会いたかった」


 しかし、彼女の娘に会えることなどないはずなのだ。


 家を出て何年が経ったかは定かではない。仮に子供がいたとしても、自分と同じ年齢に達するほどの時が経っているとは思えなかった。

「……人違いじゃ、ないかしら。名前が、たまたま、同じなだけ」

「確かに、わたしたちが同じくらいの年齢で出会えることはおかしい。でもここは、少なくとも普通の世界ではないのでしょう。時間の経ち方が変でも不思議じゃないわ」

「でも……」

「それなら聞くわ。妹の名はさく。母はのの、父は陽慈。あなたは春の生まれで家の近くには桜がたくさん植わっていた。だから、好きな季節は春……違う?」


 心臓が、どきりと鳴る。

 全部、聞いたことがある。

 あの景色にときめいたのも、確かに、故郷を映していたからだった。


「まだ、ピンとこない?」

 答えずにいると、彼女は続ける。

「村で一番機織が上手く、また器量も良かった。誰からも好かれるような優しい質で、少しも威張るようなことはなく、素直な娘。母の仕事や畑の仕事をよく手伝い、あなたを見かける度に、近所の人は声をかけた。好物は餡を使った菓子。年に一度だけ宿場に行く日は、必ずねだっていた」

 胸の奥が、むずがゆい。無視するように、首を何度も横に振る。


「ごめんなさい……わたしは、昔のこと、あまり、覚えてない……」

「どうして?」

「……閉じ込められてた、から」

 マキは怪訝な顔をした。

「あなた、売られた後、どんな暮らしをしていたの?」

 みちは、首を傾げる。

 売られた?

「全部、忘れてるのね」

 彼女は溜息を吐く。

「ひどい日照りが続いて、あなたは隣村に売られたの」

「……そんなの、嘘よ」

 自分を産んだ両親の顔。同じ年ごろだった子たちが笑う顔。皆と、あたたかな村で苦楽を共にする生活。

 わずかな記憶を、何度も反芻はんすうする。

「そんなこと……そんなことする人たちじゃないわ!」

「忘れてるのに、自信たっぷりね」

「でも、ちゃんと、覚えてることもある!」

「都合の良いところだけ、なんでしょ」

 マキの瞳が冷たく凍る。


「わたしはね、あんたの妹に、あんたの生まれ変わりだと育てられてきた。好きなもの、好きな色、好きな季節。性格や得意なこと。何から何まで、あんたと同じになるように。さくは、あんたがいなくなってからおかしくなってしまった。大好きだったあんたへの、異常な執着によって」

 聞きたくない。耳を塞ごうとする手を、マキが引っ掴む。

「逃げないで」

「だって!わたしは関係ないじゃない!」

「あんたを責めてるのではないわ。ただ、教えてよ。あんたがどんな人間か。わたしは自分を忘れてしまったの。わたしはあんたと違うことを確かめたい。剥がれないの。あんたの生まれ変わりだっていう、母さんの言葉が。ずっとこびりついてんのよ」

 みちは、ひたすら首を横に振る。

「わたしは殺されたようなものだわ。あんたそっくりの生き物になれるように生きてきたのだから。あんたとは決定的に違うのに、あんたと同じだって……」

「決定的に違うって、知ってるじゃねえか」

 晴瀬が、静かな声をさす。

「手を放せよ。怖がってる」

 マキは彼を睨み、みちの手を放す。

「あんた、鈍いわね」

「……何の話だ」

「わたしと彼女の、何が決定的に違うか。あなたなら分かるはず……彼女には分からないけど」

「目の色か?」

「馬鹿と話をする気はないわ」

 再び、みちに目を向ける。


「あなたが、どんな人なのか、教えてくれるだけでいい」

 夜が、光に引き裂かれる。

 みちの濡れた瞳に、朝日が宿った。

「わたしはわたしのことなんか、知らない」

 太陽が、辺りを光で染めていくのと同時に……細かな、地鳴り。

 顔を出した太陽に照らされ、山の方から大きな生き物がやってくる。


「蛇だ」

 杉の大木ほどもあろうかという黒蛇が、おそろしい速さで突進してくる。晴瀬はとっさにみちを抱えて、横に飛びのく。砂浜に手をついた二人が見たのは、海へと放物線を描くマキの身体だった。

 余力で海に飛び込んだ蛇は、海水を滴らせ巨体をひるがえし、赤い舌を吐きながら二人を見下ろした。

「竜宮からの迎えである。そこにある男は即刻、娘から離れよ」

 深い淵から響いてくるような声だった。

「いやだ……」

 みちは晴瀬にしがみつく。「竜宮になんて行きたくない!」


 蛇は娘の声には答えず、青年を見下ろす。

「娘から離れろ。先刻の女のようになりたくないならな」


 晴瀬は大蛇の双眸を睨み、立ち上がった。彼の右手から、闇の棒が伸びる。それは先端の尖った銛となった。

 みちは、目を丸くしてそれを見上げる。彼は本当に、術士なのだ。


 しかし、鬼などという恐ろしいものには思えなかった。朝の光を浴び、大蛇に掲げられたそれは、自分を守ってくれる刃。

「お前がどっか行けよ。化物」

「術士風情が、神の使者に勝てると思うてか」

 と蛇は嘲笑を含み、大口を開け突進してくる。みちはぎゅっと目を瞑る。晴瀬は「待ってろ」という声を残して離れる。それが恐ろしくて目を開いた時、既に勝敗は決していた。

 清澄な空に、おぞましい悲鳴を上げる大蛇。その目から噴き出る血が、浜を、海を、そして晴瀬を真っ赤に染めていく。血を滴らせ「大丈夫か」と手を伸ばしてきた彼の手を、みちは縋るように握る。強い力で引っ張り上げられた余力で、彼の胸に抱きついた。


 蛇の血に、左頬が濡れる。「汚れるぞ」と彼の声が、すぐ耳元に聞こえる。みちは、首を横に振った。

「あなたといれば、いいんだわ……」

 晴瀬は、躊躇いがちに彼女を抱き寄せる。みちは応えるように、ひとつ息を吐く。全身が弛緩しかんするほどの安堵に、彼に寄りかかった。

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