第8話 夢

 よく晴れた空が、広がっていた。


 きん、と澄んだ空は冬の色。


 白い息を吐いて、手にしたほうきで参道を掃き清めるその手は、しもやけで真っ赤だ。寒さは日ごとに厳しくなり、身をさいなむ。それでも彼女は、冬が好きだった。太陽が早々に姿を消し、冴えわたる月が高々と昇る冬が。


 全部掃き終わってしまうと、ほうきをしまって奥の神社へと山を登る。鬱蒼とした木々の下に、こじんまりとした拝殿がある。戸を開けると、カビた臭いが鼻をつくが、入ってしまえばすぐに分からなくなった。乱雑に物が置かれた、薄暗い部屋。部屋の真ん中に火鉢がある。氷のような空気にし潰され、その火は余りに小さい。


 囲炉裏いろり端に正座をする。姿勢を正し、目を瞑った。途端に、目蓋の裏には拝殿の周りの景色が映った。やがて山の下から人がやってくる。着ぶくれた初老の男……神主。


 きっと、悪い知らせ。

 それも、決定的に。


 目を開ける。戸の方を向いて座り、神主を待つ。

「ケネカ」

 緊張に満ちた声。予感が正しいことを確信した。

『どうぞ』

 戸が開いた音。少しばかり明るい外を背景に黒く映える神主の顔は、うまく見えない。

「明日、たねばならなくなった」

 突然、神主が消える。鬱蒼とした木々も消え、視界が開ける。


 夜。

 空で光線を放つ月の光の強さ。シンシンと肌を突き刺す白。真円しんえんの光に全てが凍りつき、夜闇は地べたに這いずる。そこはどこかの広野。

 向こうから、その人が歩いてくる。ああ、待っていた。満ち足りた月にも負けぬ強い光が、胸の内から零れ落ちる。


「ケネカ!」


 声が、身体に響いて、凍っていた足が溶け出す。縋るように走り、その温もりを抱きしめた。

「待たせて悪かった」

『寒いわ……』

 その鼓動で、何もかもが救われるような気さえする。互いの温もりを確かめ合い、手と手を握り合って向かい合う。


『あのね……やっぱり、行かなきゃいけないって』

 愛しい顔が悲痛に歪む。そんな顔、見たくなかった。鏡のように、彼の表情を映す。

「どうしても、なのか」

『ええ……逆らえる相手じゃないの。逆らってどうにかなる相手でもない』

「そう、だよな」

 握る手の力が、強くなる。

「俺も行きたいが……」

『わたしだって、共に来てほしい。あなたと一緒にいたい……ずっと、ずっと』


 愛しい人は、返事をしない。じっと、口をつぐんでいる。月明りに瞳は光るのに、はっきりした顔立ちは影を深く溜め込んで鬱屈としていた。

 握る手の力が、そ、っと弱くなり、やがて彼は離れてしまう。どうして?視線を向けると、彼は懐から細長い物を取り出す。


「これで……」


 さやを払う。現れた銀の光。月光を含みこんだ凄絶。

「俺たち、ずっと、離れないだろ」

 震えたその肩は、寒さのためではないだろう。それを愛おしく思う。そっと、震えに手を置いて、その胸に頬を寄せた。

『そうね……。永遠は、死でないと、叶えられないもの』

 彼の向こう、満月を見上げる。

 白い面。強烈な光を放っておきながら、我関われかんせずとでも言うような顔。それを睨みながら、彼の首に腕を回し、片手は震える両手に握られた、鋭利な刃に触れる。


「お前、血が」

『今から死ぬのに、そんなことで動揺してちゃダメでしょ』

「ああ……」


 鉄の冷たさをなぞり、その両手に触れる。手はまるで、死人のように凍えている。血で粘る指先で、彼の手から短剣をそっと奪う。

「お前が、やってくれないか。俺には、もう……お前の血が触れただけで……」

 彼は芯から震えている。

『怖いの?』

「お、前に殺されるのなら」

 す、っと息を吸う。彼の胸が大きく膨らむ。

「お前と、しね……」

 う、と短い声が漏れる。

 脇腹を刺したそれを、そっと離す。


『わたしはまだ、死ぬわけにはいかないの』

 身を離し、信じられないという顔で目を見開く彼の、心臓を一突きにする。全身に吹きかかる血は、火傷しそうに熱かった。


 月下に倒れた彼を見下ろしていると、どうも、月光に突き殺されたように見えてくる。

『ごめんね』

 しゃがんで、月を映すその瞳を覗き込む。

『次はうまくやるから』

 目を閉じてやり、口をそっと閉じて、その唇に………………

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