第11話 らしさ、とは何かしら?

 私には妹がいます。子どものころ、お姉ちゃんらしくしなさい、とよく言われました。意味がよくわからなかったけど、言うこと聞きなさい、おとなしくしてなさい、わがままいわないで、お姉ちゃんなんだから我慢しなさい。ということだったと思う。

 私が妹だったらよかったのに、なんでお姉ちゃんは我慢しなくちゃいけないのかしら、そんなふうに思ったことを覚えています。そんなこと思ったことある人いるんじゃないかしら。お母さんにとっては当たり前のことだったと思うけど、私は嫌だった。

 だから、私がお母さんになったら、子どもたちにはそんなふうに言わないようにします。


 絵が上手にかけて褒められたとき、「子どもらしい純真な絵ですね」という意味のことを言われました。そのときはそんなもんかな、と思ったけど、最近絵を描いていて子どもらしい絵ってどんなんかしら、と疑問に思いました。

 私は今、子どもかしら、それともおとなかしら。それもよくわからないわ。おとなは、子どもは純真って思ってるみたいだけど、それだけじゃないわ。大人と同じように、良いことも悪いことも考えてる。人をいじめたり、自分だけ良ければいい、そんな気持ちになることもある。

 周りの人への配慮とかわからないから、思ったことをそのまま言ったり、やりたいことをやりたいようにやったりすることが、純真ということの意味なのかしら。

 私はもう、小さい子ではないけれど、きれいな風景はきれいだと思うし、可愛い動物はかわいい、映画やマンガ、本を読んでも感動する場面はちゃんとあります。きっと、もっと年をとっても同じじゃないかなと思う。

 だから、自分なりの感じ方、やり方があるということでは、おとなだって純真になれると思います。

 

 おとなになるということは、自分が子どもだったときのことを忘れちゃう、ということのような気もします。

 からだは時が経てば成長して大きくなります。でも心は目に見えないから、成長したかどうかわかりにくい。でもからだが成長するのだから、心も成長したほうがいいと思う。私が赤ちゃんと同じようにマイペースだったらおかしい、っていうことは誰でも感じると思うから。

 私は心も成長したいと思うけれど、子どもだったときのことは、忘れないようにしたいと思います。


 最近はあまり言われなくなったけど、女の子らしいっていうことも言われました。かわいいワンピース着てたら、女の子らしくて可愛いわね!って褒められて嬉しかったこと覚えています。

 子どものころから、女の子と男の子は違ってた。女の子はお人形で遊んだりしたけど、男の子は競争や戦い!なんて言って走り回ってた。今ゲームやってるけど、私が好きなのと男の子がやってるものは違う。

 もちろん、からだの大きさや形も違う。男性は筋肉がついて直線的な感じだけど、女性はふくよかで丸みがある。私は女性の彫刻作品をとても美しいと感じます。力の強さも違うし、男性のほうが速く走れる。

 だから、ものの感じ方や考え方もきっと違ってると思う。髪型や服の好みも違うでしょ。男性でスカートはいてる人は殆どいないわ。


 私は、そんな違いを、違うんだなってわかることが大切だと思います。世の中には差別ということがあるけれど、それはいけないことだと思うけれど、違う、という区別はあると思います。

 女の子らしさ、ていう言葉は、いい意味にも悪い意味にも使われるけれど、私は無理して男の子みたいになりたいとは思いません。











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