第40話 異様な光景


 鼻が詰まり、半開きの口。

 泣き腫らしたまぶたに、泥だらけの衣服。

 さらには100点満点のおとぼけフェイス。


 どこをどう見ても救世主には思えぬ彼の姿に、カイルとエリシアの顔に不安の色が増していく。それも当然ですと前置きしたアメリアは、カワズについての情報を付け足した。


『其の者は、あのエイヴから逃げ切ったこともある、です。どのような賊が相手であれ、必ずやお二人を守り通してくれることでしょう』


 城の衛兵であるエイヴのことは、王族の二人もよく知っていた。

 だからこそ、その言葉はあまりにも嘘臭く、誤った情報として受け取られてしまう。王族二人の視線は、秒毎に険しく変貌し、幼気いたいけなカワズの胸に、深く、深く突き刺さるのだった。


 しかし時間は待ってくれない。

 城門を突破した賊たちは、用意周到に内外部から守りを突破し、既に目前にまで迫っていた。悲鳴を上げ、逃げ惑うメイドたちの声が現実味を呼び起こし、皆にリアルを突き付けた。


「王の間は目の前だ、奴らを討ち取り、この国を貴族連中から取り戻せー!」


 野太い男の声が廊下に轟き、王妃の肩が大きくすくんだ。

 もう余裕はありませんと告げるアメリアの言葉を最後に、エリシアは全て諦めたように座り込んでしまった。


「は、母上! まだです、まだ諦めてはなりません。まだこの私がいるではありませんか!?」


「もうおしまいです。我々だけで、賊の一団を突破することなどできるわけがありません。もうおしまいです」


 口では強がっているものの、迫りくる恐怖からか、カイルも足が震えて立っているだけでやっとの状態だった。しかしそれも廊下の奥から聞こえてきた重い扉を突き破る音をきっかけに、腰が抜けたよう無様に倒れてしまった。


「なんで、どうしてなんだよ。僕はこの国のために、王国の民衆のために、やれることをやってきたじゃないか!?」


 泣き言を言ったとて、その声が賊へ届くわけもない。

 いよいよ近付く破壊音が、もう目と鼻の先にまで迫っていた。


「なぁ、おいお前、いつまでグズグズ泣いているんだよ。なにか、なにかできるんじゃなかったのか!?」


 這いつくばりながらカワズのズボンを掴んだカイルは、未だ鼻をすする無様な男に懇願した。「ふぁい」と答えたカワズは、何をするでもなく皆を壁際へ寄せ、棒立ちしているだけだった。


「ちっ、王がいない。どこかへ逃げたか!? 奥だ、奥の間を探せー!」


 賊の怒号が聞こえてくる。

 未だ覚悟が決まらず、哀れなほど涙を流したカイルが「終わりだ」と嘆く。

 多数の足音が廊下の端から聞こえていた。賊が目の前の角を曲がれば、もはや遮るものは一つもない。逃げ場なく見つかり、惨殺される。

 頭を抱えてしゃがみ込んだエリシアは、「殺さないで」と繰り返していた。立つことすらままならず、後退るだけのカイルは、傍らで何もしようとしない無能な男を恨めしそうに引っ張り、「この木偶がぁ!」と叫ぶので精一杯だった。


「王妃の部屋はあっちだ、急げ!」


 直接鼓膜を揺らす怒声が届き、カイルが「ヒッ」と縮こまった。

 先頭を駆けてきた賊の一人が、剣を片手に姿を現した。


「はっ、はっ、い、嫌だ、死にたくない、どうして僕が殺されなきゃいけないんだ。だから嫌だったんだ、僕は王なんか、王になんか、なりたくなかったんだ!」


 土を掘る子犬のように、無様に這い出すカイルのズボンをカワズが掴む。


「はなせ、はなせよ、逃げるんだ、ここにいたらみんな殺される!」


 スローモーションのように迫る賊たちが、剣を振り上げて四人に迫った。王を背負ったまま身体を壁に寄せたカワズは、王妃も隣に引っ張り、ハァとため息を付く。


「見えたぞ、王妃の間だ、突っ込め!」


 速度を上げた賊が目の前に迫り、カイルとエリシアは声も出せずに目を閉じた。振り上げた剣先が己の首を裂き、腹を裂き、執拗に貶められる姿を想像し、歯を食いしばった。しかし――


 ドゴンという鈍い音が響き、重厚な扉が蹴破られた。

 野蛮に響く靴音は、四人の袖を通り過ぎ、次々に部屋へと突入していく。


 一秒、二秒と経過し、殺されると諦めていた二人は、瞑りすぎていたまぶたを開けるのを躊躇ためらい、さらに五秒が経過した。声をかけられることも、刃が向けられることもなく、次に聞こえてきた言葉は、「王妃と皇子の姿がないぞ!」というだった。


「…………え?」


 カイルが目を開けた直後、賊の一人が四人の真横を走り去った。

 思わず身を引いて壁にぶつかったカイルは、頭を抱え、怯えながら周囲を見回した。

 賊は勢いを落とすことなく、目の前を駆けていく。が、その誰もが、自分たちのことを見ていない。


 悪い冗談かのように、王族である自分たちを誰一人見向きもせず通過していく。お前たちの目当ては私たちだろうと思わず口にしてしまうくらい、それは異様な光景だった。




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