第41話 どんな手を使ってでも


「な、何が起きて……?」


 持っていた地図で鼻をかんだカワズは、王を背負い直し、そっと辺りの様子を確認した。王族三名が逃亡済みと決めつけた賊たちは、王妃の寝室を探りながら、どこから逃亡したんだと未だ納得できない様子で慌てふためいている。


「馬鹿な、どこへ逃げたも、我々はここにいるじゃないか。目と鼻の先に……」


 震えが止まらない身体を自分自身で抱きながら、壁にもたれたカイルは、思考が追いつかず呼吸するので精一杯だった。同じくうずくまった状態から動けないエリシアは、亀の子のように頭を隠したまま、「メヒア様メヒア様」と念じ続けていた。


「それじゃあ王妃様に代理(?)の王様。賊が引いたら逃げますんで、準備しといてください。申し訳ないですけど、私は王様背負ってますんで、お二人は自分で歩いてください。ズズズッ」


 涙はあれど緊張感なく指示したカワズに、理解が追いつかないカイルが「え?」と聞き返した。「自分で歩いてください」と言い直すも、しばらくは同じやり取りが続いた。


「奴ら窓から裏庭へ逃げたに違いない。もしかすると庭に隠し通路があるのかもしれん。注意深く探せ、もし見つけたらそのまま殺して構わん!」


 賊を仕切る男が声高々に命じた。男は四人がいる廊下の目と鼻の先で、メンバーを二手に分け、急げと活を入れ走らせた。


「なんなんだよこれ。何が起こってるんだよ!?」


 頬を掻きむしるカイルの手を掴んで首を振ったカワズは、ポンポンと背中を擦ってから「立って」とお願いした。そのあまりにも冷静な言葉に驚き、カイルは図らずも彼の足にしがみついていた。


「子供じゃないんだからくっつかないでよぉ。それでお嬢様、私はこれからどこへ逃げたらいいんですか。早く教えてよぉ!」


 声のトーンから判断し、『ようやく落ち着きましたね』と頷いたアメリアが静かに口を開く。


『ご確認いただけましたか、お母様、それにお兄様も。彼のかくれんぼ能力スキル、なかなかでしたでしょう? 大丈夫です、御二人は必ず助かります。ですから最後まで諦めてはなりません』


 何もなかったかのように通り過ぎていく賊の姿を、目の玉だけを動かし見送る怪異。諭し諭してやっと顔を上げた王妃をカイルに預け、カワズは寝室から賊の親玉が出ていくのを見届けてから、皆を連れて一旦王妃の部屋へと戻った。


「どうしたらいいんですか、お嬢様?」


『ウフフ、しょせんは賊ですね。奴らでは気付けないのも無理はありません。当然、抜け道を使いますわ』


 アメリアの言葉にカイルとエリシアの二人も目を見開いた。

 どうやら抜け道の存在自体を知らなった様子の二人は、この部屋にそんなものはないと反論した。


『お母様もお兄様も、お城のことを知らなさすぎです。わたくしは幼少の頃より、この世の全てを知りたいと思い生きて参りました。その対象は、もちろんこのお城のことも入っておりましてよ』


 カワズはアメリアの言われたとおり部屋の奥へと進み、備え付けの本棚の前に立ち、左端の下から二段目のスペースの本をどけ、ぐっと手を入れる。壁伝いに指を滑らせば、ほんの僅かな出っ張りがあり、言われるままそれを押し込んだ。するとカコンと何かが外れる音がして、壁から取手のようなものが浮いて飛び出した。

 取手を九十度右へとひねり、そのまま引くと最右の棚全体が押し出され、扉のようにガチャンと開いた。「嘘?」と口に手を当てたエリシア王妃は、まるで他人事のように驚いていた。


『そこから天井裏へと移動し、中央の通路を抜けて外へ出ます。わたくしの言うとおりに進んでください』


 バングル王を背負って進むには狭い空間なため、カイルと手分けして細い隠し通路を降りた一行は、壁の裏側から聞こえてくる賊の声に怯えながら、アメリアの指示に従い外へと急いだ。

 調理場の天井裏を這って進み、武器庫横の隠しスペースをカニ歩きで通過し、苔むした金属製の垂直梯子を下った先に、今は使われていない中庭の井戸が見えてくる。井戸の底から真横に掘られたトンネルのような穴の中を進めば、突き当りに地下へと続く階段が現れた。


『階段を下って道沿いに地下の水路を辿れば、そのまま城壁裏の貯水池へ出られます。まずはそこまで出てみてください』


 背が低く、暗く水が滲んでカビ臭い地下通路へ進むと、遠く穴の先から微かな光が覗いていた。小型の羽虫が足元を這い回るたびに王妃が悲鳴を上げたが、それでも賊に見つかることはなく、カイルは首をひねるばかりだった。


「はぁはぁ、もうやだ、地下通路長いぉ。王様重い。辛い。だるい。疲れた。もう死んじゃう。眠い。寝たい。だるい。死ぬ。臭い」


 口をつくのは弱音と愚痴ばかり。

 それなのにこの痩せっぽちな青年は、権力に対する恐れこそあれ、眼の前に迫る脅威に対する恐れを全く感じさせない。ただ淡々と、なんの苦労もなく逃げおおせてしまっている。これがどれだけ異常なことか、カイルは自分と母の心持ちと、目の前の青年とを比較し、もう気付かずにはいられなかった。


「なぁアメリア、これは本当になのかい? もしかして、……僕らはもう死んでいるのではないかい」


『何を言うのです、お兄様。まだ勝負は始まったばかりです。ここからが正念場なのですから』


「勝負……? それに正念場とは」


『お兄様は、わたくしがもっとも嫌いな言葉をご存知ですか?』


 逃げる最中の漠然とした質問に、カイルもまた漠然とした質問で返答した。


「わからないよ。この世がフェアでない、ということかい?」


『違います。わたくしがもっとも我慢ならないこと、それは……』


 一旦魔道具を離し、息を整えたアメリアは全てを絞り出すように言った。


わたくしは負けるのが大嫌いなんです。たとえ相手がお父様であれお兄様であれ、誰にも負けたくありません。どんな手を使ってでも、最後は必ずわたくしが勝ちます』


「は、はは……、そうだね。確かにアメリアは、昔から負けず嫌いだった」


 それからしばらく無言の時間が続き、耐えられなくなったカイルが間を繋ぐように差し障りのない質問をした。しかしアメリアは答えず、無言のまま生臭い水路を辿った一行は、地下空洞を利用して掘られた水源へと行き着いた。

 貯水地になっている地下の大空洞は、小型モンスターと水生生物の姿があるだけで、比較的静かなものだった。これは良い場所を知ったと水場の縁に腰かけたカワズは、「少し休みましょう」と提案し、王を平らな地面に寝かした。


「あなた……? そ、そうよ、王の、王の容態は!?」


 自分たちの身を案ずるだけで精一杯だった王妃が、ようやく正気を取り戻し、未だ目を覚ますことのない王の容態を確認した。不安そうに容態を見守るカワズを尻目に、浅い呼吸を繰り返すだけでまるで反応なく眠り続ける王の姿に王妃はなぜか安堵し、「大丈夫です」と呟いた。


「大丈夫って、王様全然起きませんけど。本当に大丈夫……?」


 我慢できず、カワズが質問した。しかし答える意思がないのか、王妃は視線を外し、明言を避けた。


『カワズ、その話はまたどこかで。皆様、休憩はそこまでです。そろそろ賊も抜け道に気付く頃かと思います。それに……』



 不意にアメリアが言葉を止めた――

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