9:森の小屋にて

 ガタゴトと揺れながら馬車が進んでいく。揺れから察するに、すでに街の外のようだ。

 俺の鼻も草木の香りを強く感じるようになり始めている。

 おそらく、今は森の中に入ったんだと思う。


(おっ? 馬車が止まったな。というか、やたら静かだ。お嬢さまが大人しい?)


 こんな森の中に運んでいることから、身代金目当てだとは思うんだが……

 馬車の扉が開く音がする。

 そして、今一番聞きたくないあの女の声が聞こえた。


「遅いですわよ? それで、うまくいきましたの?」

「うるせえぞ、情報を渡した程度で雇い主気分か?」

「その情報があったから襲撃日を合わせられたのでしょ! あら、その袋は?」


 あの女――カタリナが俺の入った袋に興味を持ったようだな。

 そこに男の声が聞こえて、袋の上からパンと力強く叩かれた。

 痛くはないが、ムカつく。あとで覚えてやがれよ……


「へへっ、売れば金になると思ってな。オイラが捕まえたんだよ」

「まあ! もしかして、あの毛むくじゃらの魔獣かしら?」

「ああ、毛並みがよさそうだったからな。闇オークションにでもかければ高額になること間違いなしよ! 売れなくても、最悪毛皮になってもらう予定さ」

「それはそれは……あのガキが泣いて喜ぶ姿を見るのが楽しみね、アハハ!」


 性悪女の甲高い笑い声にイラっとするぜ……

 だけど、話していた方の男は急にだんまりになったな?

 「何言ってるんだ、こいつ」みたいな雰囲気を感じる。

 なんだ? 仲違いか?


 それにさっきの男もそうだけど、性悪女を仲間として扱っていないぞ。

 ……まさか!? おい、やめろ! いくらなんでも、そいつはまずい!

 袋の中で暴れてみるも抜け出すことができない。


「アンタ、なんか勘違いしちゃいねえか? 俺たちは情報を売ってもらっただけだ」

「な、何よ? それより、取り分の話をしましょうよ!」

「はぁ、こいつ本当にまったくわかっていないのか。真性の馬鹿だな」

「なんですって!? よくもわたくしにそんな口の利き方、をっ……」


 女の声が不自然に途切れる。袋の上から生温かい液体がかかるのがわかった。

 何かがドサッと落ちる音がする。

 ……ああ、こいつらやりやがった。俺は本能で悟ってしまう。


「ちょっと、おかしら! やるならやるって言ってくださいよ! 血がかかったじゃないですか!?」

「うるせえ、どうせ小遣い程度にしかならねえよ。そんな魔獣なんざな」

「それにいいんですかい? ブリトー伯爵が文句言いやせんかね?」

「大丈夫だ。元々、目撃者は消せって言われているからな」


 ここは本当に異世界なんだな。

 あまりにもあんまりだ……


「じゃあ、街で使ったガキはどうするんです?」

「親はもう殺してある。どうせ野垂れ死ぬから、放置でいいだろ」

「へーい、わかりやした。って、うるせえな。静かにしやがれ!」


 袋の上から殴られた。

 だけど、こんなもんじゃないはずだ。


 ――あの女とあの男の子が味わった痛みは、この程度の痛みじゃないはずだ。


 暴れてみたが、今のままじゃ何もできない。

 俺はいったん諦めて大人しくする。


(浮かれていたよ。怠惰なペットライフなんて夢物語だった。ここは現実だ)


 目を覚まさせてくれてありがとう。それと、助けられなくてごめんな。

 異世界で生きる覚悟を俺は決めなきゃいけないのか……

 ここはあまりにも命が軽い。だから、人は一生懸命に生きるんだな。

 平和な日本じゃあまり考えることもなかったことだ。


 ――俺は怒っているのか? 俺は悲しんでいるのか?


 ……わからない。

 この感情になんて名前をつければいいかなんて、俺にはわからない。

 袋にかかった温かったはずの液体は……もう冷たくなっていた。




 それからあいつらは建物の中に入ったみたいだ。

 匂いからして、木造の小屋か何かか?

 俺はたぶんどこかの部屋に投げ入れられた。


(痛えな、この野郎! 動物には優しくしろ! 保護団体が黙っちゃいねえぞ!)


 遠ざかる足音に聞き耳を立てる。

 話し声がうっすらと聞こえるが、断片的にしか聞き取れない。

 見張りの順番を決めているのか?

 ああ、もう! 動物なんだから、聴覚くらいもっといいはずだろ!?


<聴覚強化スキルを習得しますか?>


 おおっ、久しぶりアナウンスさん!

 助かります! スキルの追加お願いします!

 久しぶりのアナウンスさんの声に少しだけ気持ちが落ち着く。

 それから意識すると、ハッキリと声が聞き取れるようになった。


「それじゃあ、かしらとオイラは最後ってことで、あとよろしくなー」

「ちくしょう! どうせお前はイカサマだろ!」

「さぁてな? 見破れないお前らが悪いんだっつーの」


 偉い奴と俺を叩いた奴はどっかに行くみたいだな。

 扉を開けて出ていった足音がする。

 残された奴らは適当に見張りをするみたいだ。

 これなら少しくらい動き回ってもバレないと思う。


 俺はさっそく袋から抜け出すために、気合を入れて縮小化する。

 うぉぉぉぉ、きっつぃぃぃぃ! 腹に力を入れろおおおお!


(はぁ、はぁ……なんとか抜け出せた。こんなの二度とやりたくねえ!)


 さて、まずはお嬢さまと合流だ。

 どこにいるのかは匂い袋の香りでわかる。

 ……こっちだな。ボロボロの小屋で助かったよ。

 たくさん隙間があるから、さっきみたいな苦労をしなくて済む。



 階段があるけど、下じゃないな。匂いがするのは、こっちか。

 穴の隙間から部屋を覗くと、女の子が倒れているのが見える。

 間違いない、あの服装はフレアお嬢さまだ!


 お嬢さまを見つけたけど、寝ている……? まさか死んでないよな?

 ……そうだっ、【鑑定】!


 名前:フレア(メス)

 年齢:六歳

 種族:ヒト族

 状態:健康(薬により睡眠状態)

 能力:体力D、知力F、敏捷E

 スキル:剣術、体術、直感、幸運

 称号:剣の頂に近づける者



 どうやら薬で眠らされてるみたい。

 まあ、お嬢さまの性格じゃ、こんな状態でジッとしているわけないか。

 俺がそんなことを考えていたせいか、お嬢さまが目を覚ます。


「んん……アルス? ここは、そうだ。私はたしかっ……んぐ!」


 騒ぎそうだったので、お口を肉球ストップだ。

 静かにしているようにお嬢さまの目をジッと見る。

 こちらの意図が伝わったようで頷いてくれた。


「ふぅ、私としたことが敵地で騒ぐなど……賢いアルスがいてくれて助かったよ」


 俺はお嬢さまの顔に肉球を押し当て、安心させようと試みる。

 肉球の柔らかさが気持ちがいいのだろうか、目を閉じてうっとりし始めた。


「……アルスありがとう、落ち着いたよ。まずは脱出と行きたいが、先に父上に連絡をとりたい。リリーはさすがだな。緊急連絡の手段を持たせてくれているのだから。……その前に、この拘束を解かなくてはな」

「ワフ」


 俺は小さく吠えて、お嬢さまの後ろに回った。

 火傷させないように、縄だけを生活魔法の【着火】で慎重に燃やす。

 なんとか結び目を焦がし燃やして、お嬢さまが自力で縄を切る。


「アルスは本当に優秀だな。中に人間がいるんじゃないかと思うほどだ」


 内心ギクッとするが、それには気づかないように首元のポーチを差し出した。

 それをフレアお嬢さまが俺の首から外して、中から筆記具を取り出す。

 メモを書いたら、あとは開放感溢れる開きっぱなしの窓から投げるだけだ。


「よし、あとはリリーのもとに届けるだけだな……っと!」


 豪快なジャイアントスイングで、ポーチが窓から外に飛んでいく。

 俺は距離を稼ぐために部屋の隅にいたので、ポーチが消えるのを確認できた。


(よし、これで連絡は届くはずだ。あとはこちらの正確な場所と安全確保だな)


 場所を伝えるのはあとでいいとして、安全確保が先か。

 とは言っても、ここは森の中で敵は何人いるかわからない。

 旦那さまたちが動くまで、もう少し時間を稼ぎたい気持ちもある。

 どうする……?


 悩んでいると、フレアお嬢さまが俺の脱出方法を聞いてきた。


「そういえば、アルスは麻袋に入れられてなかったか? どうやって脱出したんだ?」


 俺は実演すればいいかと、一瞬だけ極小にまで体を【縮小化】してみせた。

 はぁ、やっぱりこれ苦しいな……

 お嬢さまを見ると、口をポカンと開けて驚いていた。


「……アルス、そんなこともできたのか。帰ったら、もう一度鑑定しないといけないな」


 そんなことよりも安全確保だよ! どうするの!?

 俺はお嬢さまの足元でウロチョロする。


「落ち着け、アルス。どうやらあいつらは酒盛りをしているようだぞ?」


 たしかに、俺の鼻に酒の匂いがふんわりと届く。

 あとカードか何かして、一喜一憂している声がここまで聞こえる。


「今のうちに身の安全を確保したい。アルス、何か武器を見つけてきてくれないか?」


 えっ、安全確保に武器ですか!? 物騒過ぎない、この子!?

 驚いていると、武器の指定までし始める。


「できれば、ショートソード。最低でもナイフが欲しい。頼めるか?」


 わかったと伝えるために、フレアお嬢さまの目をゆっくり見てから頷く。

 ひとりにするのを許してくれよと思い、部屋を出る前に一度振り返る。

 お嬢さまは俺の目を見て、力強く頷いてくれた。

 それを見て、もう大丈夫だと思い、振り返らずに俺は部屋を飛び出す。


 残されたお嬢さまが涙を拭っていたことに、俺は気づかなかった。




 さて、見張りに気づかれないように小屋の中を歩き回る。

 あちこち穴が開いている割には、意外としっかりとした二階建ての小屋だな。

 飲んでいるみたいだから、少しくらいの物音なら気づかないと思うけど、なるべく慎重に行こう。


 武器、武器っと。お嬢さまが持てるくらいの大きさの武器はどこかな?

 おっと、見張りがいるな。って、寝てるし……

 かなり短めの剣とナイフが床に転がっているな。


 森の中での戦闘を考えているのか? 訓練された奴らなのかもしれないな。

 まあ、いい。両方とも貰っていこう。

 【アイテムボックス】の中に【自動回収】っと。

 うん、物音も立てずに盗んでいけるとか、やっぱり便利だなこのスキル。


 そんなことを考えていたら、見張りがガバッと顔を上げる。

 気づかれたかと焦るも、見張りの顔は真っ赤だ。

 ……なんだ、酔っぱらってるのかよ。

 見張りは机を撫でて「平たいぞ~」と呟きながら、また寝息を立て始めた。


(ビックリさせんなっつーの……あと何が平たいんだよ、怒られてしまえ)


 見張りが寝た机の上から、ひらひらと何かが落ちてきた。

 手紙? 証拠になりそうだな。なんか家紋っぽいのが封蝋に押されてるし……

 とりあえず、これも回収っと。


 よし、これで目的は果たせたな。

 俺は見張りに気づかれないように、慎重にお嬢さまのもとに戻った。

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