7:旦那さまと奥さま

「さて、報告は聞いているが、君たちからも話を聞きたい。まず、今回の原因となる魔獣、アルスについてだ」


 呼び出された俺たちは、屋敷の執務室で事情聴取されている。

 まあ、話の中心となるのは俺のことのようだ。


 会話を進めるのはバッシュ公爵家当主、ヴァンドール・ラ・バッシュ。

 フレアお嬢さまのお父さんだ。

 名前につく『ラ』は、当主を表すとお嬢さまから聞いたことがある。


 年齢はパッと見だが、三十はいかないと思う。

 二十代後半のアラサーと見たね。ヒゲのせいでちょっと自信ないけど……

 短く刈り上げた茶髪からは武人というオーラを感じる。

 あとかなりゴリマッチョで、若いはずなのに貫禄がすごい。


 お嬢さまと同じ赤い目が俺を睨む。

 そんな父親に負けず、お嬢さまは視線を鋭くして俺を庇ってくれる。


「アルスが悪いと言いたいのですか、父上?」

「まだそうとは言ってない、フレア。ただ、極々一部の者からアルスが危険な魔獣だという報告が上がっているのだ」


 リリーが小声で「カタリナさん……」と呟いた。

 旦那さまはその呟きを聞こえなかったフリをして、話を続ける。


「なんでも危険な火魔法を使われたと言っていたが、これは本当か?」

「父上、アルスに火魔法はない。あるのは生活魔法だけだ」

「【着火】の魔法を使われた程度では騒ぐほどではないのだが……」


 旦那さまの話を聞くと、あの性悪女の根回しはえぐいなと思えた。

 あのときの証拠として、焼けこげた穴だらけの服を提出したそうだ。

 それに加え、当時のボロボロになった姿を見たという者の証言もあるんだってさ。


 旦那さまも最初は「それはない」と否定したらしい。

 だけど、あの性悪女と思われるその報告者は、こう言ったようだ。


 ――あの魔獣には何か隠された能力があるかもしれない。

 ――その能力はとても危険かもしれない。

 ――誰かにその危険な能力を向けられるかもしれない。


 『かもしれない』理論を振り回し、最後に『だから、あの魔獣は処分するべきだ』と、その報告者から唆すかのような進言があったらしい。

 今の話を聞いて、お嬢さまはその報告者が誰か気がついたみたいだ。


「あのメイドか、呆れるな。その件については、リリーが報告しているはずです。リリーとアルスに暴力を働いたうえに、アルスを殺そうとしたのです。反撃してもおかしくはありません」

「その反撃が問題なのだ」

「なぜですかっ!」

「いいか、フレア? もし、その反撃で誤って傷ついたのが俺だったら、お前はアルスを許せるのか?」


 お嬢さまが口ごもってしまう。

 うーん、旦那さまはお嬢さまを諭そうとしているみたいだけど……

 その割には微妙なこと言っている気がするんだよなあ。


 まず反撃って言ってる時点で、誰かが俺に危害を加えようとしてるわけじゃん?

 それで俺がやり返す相手を間違えるわけないじゃんか。

 旦那さまはお嬢さまに俺を手放すように説得しようとしているのかな?


 そんな風に考えていると、旦那さまが例えば……と言って例を挙げ始める。


「この世には怪しい薬や魔法がある。それらを使われて、アルスが正しい判断を下せない状況に陥った場合に、我々にその牙を向けるかもしれない」


 へえ、そういうこともあるのか。さすが異世界、危険なことばかりだな……

 でも、神獣の俺に効果のある薬や魔法ってあるのかな?

 仮にも『神』って名が入っているんだから、その辺りは無効化されるんじゃない?


 なんてのんきなことを考えていたら、お嬢さまが悲しげに旦那さまを見つめる。


「父上はアルスを飼うことに反対なのですか?」

「そんなことは言っていない」

「けれど、それは手放せと言っているようなものではないですか!」


(あーあ、親子喧嘩になっちゃった。どうすんのよ、これ……)


 お嬢さまは目に涙を浮かべ、旦那さまはそんなお嬢さまに弱ってしまう。

 一緒にいるリリーや料理長さん、侍女長と執事長たちもこの状況には口を挟めない。

 この部屋で唯一この場を収めてくれそうな人は優雅にお茶を飲んでいる。

 その人は飲んでいたカップをゆっくりと置いて、よく通る声で発言した。


「そこまでにしなさい、二人とも」

「しかしだな……」

「はい、母上!」


 すごい、あのお嬢さまが直立不動の姿勢になった!?

 さすが、母は強しといったところか?


 そう、この人こそがお嬢さまのお母さん。

 フローラ・バッシュ、バッシュ公爵家夫人だ。


 年齢はおそらく二十代半ばくらいだと思う。

 女性の年齢を詮索してはいけないってのは異世界でも同じのようだ。

 寒気がするぜ……

 彼女の見た目は十代でも通用するくらいに若々しく、スタイルもいい。


 それと際立つのが腰に届くほどの長さの金髪だ。

 ただ、異世界の定番事情である石鹸問題でその髪質は残念なものになっている。

 日本のシャンプーとか使えれば、あの髪はもっと輝くのに惜しいな……


 っと、奥さまを見ている場合じゃないな。

 まだまだ緊迫した状況なんだ。ちゃんと話を聞かなきゃな。

 旦那さまが奥さまに何か言おうと口を開いたが、目線だけで黙らされる。

 そのまま奥さまの涼しげな青い瞳が旦那さまを射抜く。


「まず、ヴァン。何を怯えているのですか? あなたならその程度の魔獣に遅れは取らないでしょう?」

「それはそうだが……」

「なら、男らしく飼うことを許可しなさい」

「わ、わかった……」


 おお、猛獣みたいな旦那さまが素直に従ったぞ。

 奥さまは猛獣使いか何かかな?


 そんなことを考えていると、背中がヒヤッとした。

 奥さまお綺麗です! お美しいですよ~!

 考えていることが筒抜けな気配に、俺は必死によいしょした。

 よし、俺に向かう危険な気配は消えたようだな、危なかったぜ……


 俺がふざけている間にお嬢さまに向き直った奥さまは、言葉遣いを注意し始める。


「フレア。いつも言っているでしょう? 私のことはお母様と呼びなさいと」

「で、ですが、母うえ……」

「何かしら、フレア?」

「なんでもないです、お母様!」


 おぉ……お嬢さまがなんだか小さく見える。

 が、頑張ってくれ、お嬢さま! 主に俺の快適なペットライフのために!


「お、お母様。アルスは無暗に人に危害を加える魔獣ではありません。ひとつひとつの行動すべてに必ず意味や理由があって……」

「なら、私の言うこともちゃんと聞くのかしら?」

「は、はい! リリーの指示にもちゃんと対応するので、大丈夫だと思います!」

「そう。じゃあ、フレアの婚約者に相応しい人でも連れてきてもらいましょうか?」


 その言葉に場が凍る。

 お嬢さまがそれはさすがに無理かもという絶望的な表情になる。

 旦那さまもお嬢さまに婚約者はまだ早いという表情で俺を睨む。

 奥さまは楽しそうに俺を見ているが、試されているのがわかる難題だな。


(はぁ、こういうときの丸い解決方法ってひとつしかないよな……)


 俺はこれで誤魔化せるかなと不安に思いながらも、ある人物の足元に歩み寄る。

 この人しかいないじゃんと、前足でその人の足を叩く。


 俺の答えに奥さまは少しだけ驚き、愉快そうに笑ってくれた。


「アハハ! よかったじゃない、ヴァン。魔獣に認められたみたいよ?」

「俺がフレアの婚約者!?」

「アルス! なんてことを言うんだ!?」


 いやだって、こういうのは「お父さんのお嫁さんになる!」ってのが鉄板ネタだろ?

 旦那さまは娘と妻を天秤にかけて、複雑な顔をしているけどな。


「でも、ヴァンは私のものだから、いくら娘でもダメよ?」

「ふ、フローラ……!」


 奥さまの言葉に旦那さまが喜ぶ。

 鉄板ネタで旦那さまを選んだんだけど、奥さま的には妥協ラインみたいかな。

 それなりに考えて出した答えにダメ出しをされてしょんぼりな気分だ。


「ふふっ、アルスちゃんなら本当に婚約者を連れてきそうで楽しみね」

「ぬぁぁぁぁ、アルス! まだ早い、まだフレアに婚約者なんて早いからな!」


 はぁ、なんだか部屋の雰囲気が一気に緩んだな。

 こんな親子の会話を見せられては、みんな苦笑いで気まずいよ……


「久々に愉快な気持ちになれたわ。まさか冗談も考えられる魔獣だなんてね?」

「さっきのは冗談だったのか、アルスよ!?」

「父上、さすがに私でも冗談だとわかりますよ?」


 奥さまに認められたようだけど、これで呼び出しの件は終わりかな?

 早くお嬢さまの部屋に戻ってゆっくり寝たいよ……




「そういえばフレア、今度街に行く予定があったな?」

「はい、視察という名の買い物に行きます。それがどうしました?」

「ちょっと問題があってな……その、だな? 視察を延期にするか、時期を早めるか……最悪、視察自体を中止にしないか?」


 旦那さまが何やらお嬢さまの予定について話し始めた。

 街に行くという滅多にない機会を潰そうとしているためか、旦那さまはお嬢さまに嫌われないよう丁寧に説明する。

 話を聞く限り、お嬢さまの安全を考えてのことのようだ。


 なんでこんな話をしているかというと、原因はカタリナにあるようだ。

 旦那さまはあの一件の報告を聞いた後、カタリナに一週間無給の奉仕活動を命じた。

 だが、あの女はそれを無視して、あろうことか屋敷の食器を盗んで逃げたとのこと。


 食器はこの家と関わりのない商人に売ったみたいだが……

 公爵家の食器だとすぐに見抜いた商人は、カタリナから食器を買い叩いたそうだ。

 その後、商人はこの家に食器を直接返しに来たんだってさ。


 その商人のすごいところは、ただ食器を返しに来たわけではないと言って、旦那さまに面会を要求したところだ。

 カタリナの情報を売りに来たと説明して、執事長もこれは旦那さまの判断を仰ぐ必要があると判断したみたい。


 旦那さまも旦那さまで商人の話に興味をもち、面会を許可したそうだ。

 カタリナの行方を理路整然と報告し始めた商人を、旦那さまは役に立つと判断し、今後の活躍次第で公爵家の影を担わせることをチラつかせ、さらに商人から話を聞きだした。


 あの女はガラの悪い連中と付き合い始め、そいつらに乗せられ、お嬢さまを狙う計画を現在立てている最中だと、商人はカタリナに酒を飲ませて吐かせたらしい。

 さすがにこれ以上は怪しまれると判断して、商人は酒場から撤退。

 帰り道も追手がいないかを確認し、店にも監視がついていないと判断して屋敷に来たと説明する。


 深くまで聞くことはできなかったみたいだが、お嬢さまが狙われるという計画の存在がわかっただけでも大したものだ。

 その商人の腕はたしかなものだろう。その話が本当なのであればだが……




 そういうわけで、お嬢さまに視察予定日の判断を委ねられた。

 お嬢さまは少しだけ考えて、「視察の中止は絶対にしませんが、延期も早めることもしません」と宣言した。

 旦那さまになぜそのように判断したと聞かれ、お嬢さまは理由と予想を説明する。


「おそらく内通者がいるのでしょう。だから、計画も立てられるのだと思います」

「たしかにその可能性は高い。セバス、カタリナ・レーテルに近かった者を調べ上げよ」

「かしこまりました」


 執事長のセバスさんが恭しく一礼して部屋を出ていく。

 それに合わせて、今回の呼び出しは終わりのようだ。


 「視察の日には護衛もそれなりにつける予定だ。だが、視察までの間にも何かあるかもしれない。フレア、周囲には気をつけるのだぞ」


 最後に旦那さまが警戒は怠るなと言って、俺たちは解散した。

 それから視察日まで警戒し続けたが何も起こらず、セバスさんもカタリナの関係者を調べたが、大した情報は得られなかったようだ。


 結局、なんの事件もなく視察の日がやってきた。

 この時の俺は、今まで警戒し続けた反動で気が緩んでいたんだろうな。

 目の前で同時に色々なことが起きて、反応できずにまんまとフレアお嬢さまを連れ去られてしまったんだから……

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