2:神獣らしいけど、俺はただのシーズーです

 全体的に見ても、鏡台の上にすっぽりと乗るほどの明らかに幼く小さな体。

 目元は薄いミルクティーのような茶色の毛で、耳はそれよりやや濃い茶色で毛先に進むほど黒に近づいている。

 体毛は白をベースに、うっすらと茶色が混じる程度だ。

 瞳はクリっとしているが、今は驚きで大きく見開かれている。


 それはそうだろう。

 鏡に映る子犬が自身の姿だと突きつけられているのだから……


(気がついたら、犬になってるとかわけわからんぞ! どういうことだよ!)


 それから! 俺の毛並みにブラシを入れているこのメイド少女も誰なんだ!?

 まったく状況が掴めないぞ!


「よし、綺麗になった。そろそろこの子のスープも冷めたかしら? うん、よさそうね」


 俺は鏡台から床に降ろされ、目の前にスープの入ったやや深めのお皿を出される。

 スープから香る匂いでわかる、これめっちゃ美味い奴だ……

 俺は食べていいのかとメイド少女を見上げる。


 少女は何かを考えてから「待て!」と言う。

 俺は内心で『えー……』と思いながらも食べようとする姿勢を一度やめる。

 続けて、「お座り!」と少女が言うので、これにも大人しく従う。


 少し間があいたので、俺は少女に目を向ける。

 首を傾げて、『まだ?』と姿勢だけで問いかけてみた。


「よし! 食べていいよ。……こちらの指示を理解している? 言葉がわかるのかしら?」


 メイド少女がなにか呟いていたが、お許しが出たので俺はさっそくスープ皿に顔を突っ込んで、スープを舐める。

 う、美味い! なんだこれ! すっごい優しい味!

 基本はミルク味なんだけど、お肉とか野菜の旨味が溶け込んでいる!


 俺は我も忘れて無我夢中となり、舌で掬い取るようにスープを飲む。

 む、意外と難しいな。食べるのにも苦労するとは犬って大変なんだな……

 徐々に舌の使い方がわかってきて、舌先の器用さが上がった気がする。


 そうして、スープを最後の一滴まで舐めとり、名残惜しそうに皿を見つめる。

 メイド少女も俺が食べているうちに、食事を取っていたようだ。

 俺が食べ終わったことに気づいたら、「少し待ってくださいね」と言って、湿らせた布で口元を拭いてくれた。


 拭いてもらったことで口の周りがスッキリしたが、あんなに美味しかったんだから、どうせなら舐めとればよかった……

 食事に満足していると、緊張感が抜けてウトウトし始めてしまう。

 そんな俺を彼女は優しく抱きかかえて、寝床に入れてくれる。


 意識がまだぼんやりと残っていたところに、誰かに頭を撫でられた気がする。

 優しい手つきだ。それに温かい。

 「元気に育てよ」と、メイド少女とは別の女の子の声が聞こえる。

 撫でられる気持ちよさを味わいながら、柔らかなクッションの上で俺は眠りについた。




 翌日、物音で起きたらメイド少女が着替え終えたところだった。

 いやいや、さすがに十代の子の着替えを覗いて興奮なんてしませんよ。


「おはようございます、起こしてしまいましたか? これから早朝の仕事に向かうので、しばらくいい子にして待っているんですよ。いい子に待つことができたら、今日はフレアお嬢様に会いに行きましょうね?」


 フレアお嬢様? なんかよくわからんが、わかった!

 俺は返事をするように頷いておいた。


「頷いた? やはりこちらの言葉を理解している? まさかね……」


 さて、メイド少女は部屋を出ていってしまった。

 今の俺は犬だからすることもないし、二度寝でもするか。

 寝る子は育つって言うしな。グースカと寝させてもらうぜ!




 クンクン……いい香りがする。あのスープの匂いだ。朝ごはんの時間かな?

 まだ眠たい目を前足でこすりながら、あくびをする。

 なんか寝床狭くなってない? カゴが身体にムチッとフィットするんですが……


 あ、メイド少女さん、おはよう。聞いてくれよ、なんかカゴが狭いんだけど?

 ……って、どうしてそんな驚いてるの?


「きみ、なんか大きくなってない? たしかに小さめのカゴだったけど、これはいくらなんでも……」


 寝床のカゴから出されて、床に降ろされる。おっ、成長してるの?

 たしかに手足に力が入るね。だいぶ歩きやすくなった!

 あ、耳の裏かゆい。後ろ足でポリポリポリポリっとな。

 ……なんかもう、犬が板についてきたな。


「まあ、成長する分にはいいか。それに可愛いし……ほら、朝食ですよ。料理長に昨日の様子を伝えたら、少し量を増やしてくれましたよ」


 わーい、どんな人か知らんけど、料理長さん大好きー。

 美味しかったけど、量が物足りなかったんだよな。


 食べようとしたら、昨日と同じようにメイド少女に「待て!」と言われた。

 「えー、またやるの?」と嫌そうな顔を向けると、今日はその表情を見てか、すぐに「よし!」と言ってくれた。

 美味しいものを前にお預けはひどいよな、まったく。ペチャペチャゴクゴク。


「ものすごく嫌そうな顔を……これは完全に言葉を理解してますね。それに、なんというか、どこか人間らしさを感じさせます。まあ、いい子に待っていたようですし、午後にはお嬢様に会わせてもいいでしょう」


 俺はブツブツと呟くメイド少女を無視して朝食のスープを飲んだ。

 食べ終わる頃には彼女も食事を終えており、昨日と同じように口元を拭かれる。

 今日は口の周りのスープも舐めとっておいたから大満足だ!


 彼女は仕事があるみたいで、またすぐに出ていくらしい。

 狭くなった寝床はいったんクッションだけ外して、彼女のベッドの上に置かれた。

 俺もベッドの上に運ばれたので、ここで寝ていればいいようだ。


(任せろ! ぐうたらと寝るのは得意だ! 仕事がないのって最高!)


「あなたを見ているとなぜだか腹が立ちますね。……ふぅ、大人しくしているんですよ?」


 わかった!というように頷いて返事をしておく。

 そのまま、寝やすいようにクッションの位置を調整して、俺は横になった。


「はぁ、お嬢様に早く相談しなくては……」


 メイド少女は何を心配しているんだろうな?

 まあ、俺には関係のないことか。さっ、寝よう寝よう。お昼になったら起こしてくれ。




 ふわっと香るあのスープの匂いがする。もうお昼か。

 ふわぁ〜あっと、犬になってもあくびは出るもんだな。それにしても、今度はちょっとお肉の匂いが強いな? まさかスープにお肉が入ってるのでは!?


 ご飯への期待が高まり、起き上がろうとして体がクッションから大きくはみ出していることに気づく。

 あ、あれ? なんかまた体大きくなってない……? 


 扉が開いて、食事の乗ったワゴンを押してきたメイド少女と目が合う。

 彼女の目が大きく見開かれている。

 き、気まずい……俺は誤魔化すように可愛く首を傾げてみた。


「また大きくなっている……これは一刻も早くお嬢様に見せた方がよさそうですね。ほら、昼食ですよ。今回から具を少しずつ入れていくと料理長が言っていました。残さないように」


 わーい、やっぱりお肉が入ってる!

 さあ、食べようと顔を近づけたとこで、また「待て!」が来るのではと、グリンと音が鳴る勢いで彼女の顔を見る。


「うっ、もう『待て』とは言いませんよ。食べてよし……」


 よし、もう待たされることもないみたいだ。

 わーい、お肉お肉! 何のお肉だろうなー?

 モグモグ……うーん、鶏肉かな?

 けど、ちょっと固めだ。柔らかく煮込んではいるみたいなんだけどね。


(まあ、美味しいのには変わりないし、いっか!)


 俺の食べる様子をメイド少女はジッと観察していた。

 あんまりジロジロ見ないでくれます~? 食べづらいんですけど~?


「ちゃんと料理を味わって食べる魔獣なんているんでしょうか? これも相談するべきことかもしれませんね、はぁ……」


 食事終了、口の周りも拭いてもらってご満悦な俺。

 これからお嬢さまとやらに会うために、念入りにブラッシングされる。

 身体が大きくなったため、前足を鏡台に乗せて後ろ足で椅子の上に立つ。


 あー、これこれ。まだ一日と経っていないけど、二足歩行を忘れそうになるよ。

 もっと後ろ足に力が入れば二足歩行もできそうだけど、ペットライフを満喫したいから、もうこのまま四足歩行でもいいかも?


 鏡台の鏡に映る自分の顔をぼんやりと眺めていたら、宙にホログラムのようなウィンドウが表示された。


(え、なにこれ? なんかゲームのステータスみたいな表示がされているんだけど……)


 犬なだけでもヤバいのに、これ以上おかしいものはいらないよ……

 嘆きながらもチラリとそれに目を向けると、そこにはこう書かれていた。



 名前:名無し(オス)

 犬種:シーズー

 種族:神獣

 状態:幼体(すくすく成長中)

 能力:体力E(S)、知力?(?)、敏捷D(S)

 スキル:鑑定、生活魔法



 おぉふ、見てはいけないものを見てしまった感が満載だ。

 まず神獣と表示されている点は……うん、スルーしよう。俺は何も見なかった。

 それと、犬種はシーズーだった。


 シーズーって可愛いよな。親戚が飼っていたのを思い出すわ。

 ちょこちょこと歩く姿とか、ふわっとした長い体毛でモフモフなんだよ。

 ただ、毛が伸びるからカット代が結構かかるとかで大変らしい。

 まあ、予想はしてたからこれは別にいいや。


 次はー……能力か。

 成長中と書かれているけど、括弧の中が最大値みたいな扱いなのか?

 Sって、かなりすごいんじゃね?

 でも、比較対象がいないからよくわからないな。


 そして最後に……

 スキルですって、魔法ですってよ、奥さん! なんかゲームみたいだ!

 可能性のひとつとして考えてはいたけど、ここってやっぱり異世界なの!? マジで!?


 あ、異世界と聞いて嬉しい反面、白米とか醤油とかもう食べられないんじゃね?

 ライトノベルのあるあるだよな。

 そういう食材がまったく出てこない世界の作品もあるから、この世界にあるといいんだけど……

 その前に犬だから体質的に、そういった食事が受け付けるかはわからんけど。


 スキルは定番の【鑑定】と【生活魔法】か。

 サポートペットって、個人的には好きなんだよな。ゲームなんかでもプレイヤーを支えてくれていた存在だ。

 まさか自分がそうなるとは思わなかったけどさ。

 魔法はどうやって使うんだろう……?

 うーん、【生活魔法】は後回しにするしかないか。


 【鑑定】は今見てるこのホログラムなウィンドウのことだろう。

 ほかの人のステータスとかスペックも見れるのかな?

 試しに、リリーを見てみようか。

 俺は視線を彼女に向けて、【鑑定】するように念じてみる。



 名前:リリー(メス)

 年齢:十三歳

 種族:ヒト族

 状態:健康

 能力:体力D、知力D、敏捷F(C)

 スキル:万能家事、不幸体質(改善中)



 リリーを一般的な人間の能力だとすると、俺の能力はまだまだ成長する伸びしろがあるみたいだ。


 にしても、【万能家事】に【不幸体質(改善中)】か。

 前者は有能そうなスキルだけど、後者はデバフ(悪い能力)に見える。

 常時発動するタイプなのかにもよって、【不幸体質】の見方は変わりそうだ。

 改善中と書かれているから、直せるのならどうにか直してあげたいな。



 自分の置かれている状況は少しだけ掴めたけど……

 俺が神獣だということは誰にもバレてはいけないと思う。絶対に面倒なことになる気がする。


 小説の主人公はこういったことを隠し通そうとして、途中でバレていたけど、俺はそんなヘマはしない。しないったらしない!

 だから、たとえ飼い主であろうとも神獣のことは隠し通す!


 そんなことを考えていると、ブラッシングが終わったみたいだ。

 新しい寝床となる大きなカゴに入って、大人しく運ばれようかね。

 さあ、リリー行こうか。俺をそのお嬢さまのもとに連れて行ってくれ。


「きみ、運ばれるだけなのにキリッとした顔してて腹立つ……」


 ……仕方ないじゃん、まだこの家のことわかんないんだからさ。

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