バレンタイン

1年前 内藤宅

「先生、誰からもチョコ貰ってないんでしょ」

「うるせーな宿題増やすぞ。ちゃんと貰ったわ姉..」

「身内からのチョコはカウントされませんー」

由佳は意地悪そうに笑うと机の下からリボンで綺麗に包装された包みを取り出した。

「ほら先生バレンタインチョコ♥」

光輝は由佳からチョコを受け取ると

「全くバカだな。バレンタインっていうのはな殉教者ウァレンティヌスが処刑された日であってだな..」

「チョコレートを渡す文化は製菓会社がチョコレートを売るためのキャンペーンでしょ?先生いつも言ってるから覚えちゃった」

「ったく知ってるならんなもん渡すんじゃねぇよ。返さねぇといけねぇだろ」

由佳は舌を出して「ホワイトデーはテ⚪︎ファニー待ってるから」と言うと光輝は参考書の背表紙で頭を叩いた。光輝は包装を取り、チョコを一つ摘まんだ。

「なんだよテンパリングしてないのか。つや消し使ったみたいになってるじゃねぇか」

「文句言うなら返して」「やだね」

光輝は摘まんだチョコを口に運ぶ。

「チョコの原料のカカオバターは温度調節が大切なんだ。再結晶化がうまいチョコは艶があって滑らかな口当たりになるんだ」

「へぇ。じゃあ、来年は気を付けて作るね」

光輝は「ああ」といい、チョコを口にした

**************

2月14日

「「弟君、お兄ちゃん、ハッピーバレンタイン」」

「ありがとう姉さん、さよちゃん」

朝、二人からバレンタインチョコを貰う。毎年の風景である。二人とももう彼氏がいるのだし、俺ももう20になるのだそんなチョコ一つで一喜一憂しない。

「でも、来年からはいいよ。二人とも彼氏がいるんだし、手間を掛けさせられないよ」

そういうと、二人の顔が一斉に歪んだ。

「え.....どうして、お姉ちゃんのこと嫌いだからそんなこと言うの....」

「ひどいよお兄ちゃん!私、一生懸命お兄ちゃんのために作ってるのに」

そして、シクシクと泣き始めてしまった。まさか泣かれるとは思ってもみなかったのだ。

「あーごめんごめん。うん!美味しいよ。ちゃんとお返しするから」

光輝は無造作に包み紙を剥がしてチョコを頬張った。ハートを型どったチョコレートだった。光沢があり、高島屋のショーウィンドウに並んでいても分からないくらいの出来だ。流石二人とも理系出身なことはある。

「うん。弟君のお返し楽しみにしてるね..♥」

「甘い....お返しをね♥」

二人は恍惚の眼差しをこちらへ向けていた。毎年、ホワイトチョコだったりティ⚪︎ァニーのアクセサリーをあげたりしてお返ししているのだが、2人とも渋い顔をしており今年は喜んでくれるプレゼントを考えたい..

「あ、時間だ。行ってくるよ」

「うん。車に気を付けてね」「お兄ちゃんいってらっしゃーい」

今日はバイトの日である。駅へと走って向かう....その前に、

 

何も飲まずにチョコを食べたので口がカラカラだった。近くの自販機でコーヒーを買った。

-------------

池袋駅前

石神井公園から西武線に揺られて池袋へと到着する。山手線へ乗り換えようと改札へと向かっているとき、ふと男女が揉めているのが目に付いた。

「ちょっとやめてよぉ」「いいじゃん、もう1時間近く待ってるしさ」「ワンチャン来ないかもしれないべ」

なんら珍しくもないナンパの風景だが、問題はそこではない。アニメ声にあの100点満点の顔....

「リカちゃん?」

それは昨年のクリスマスにレンタル彼女としてデートをした大久保理香ちゃんだった。彼氏(きゃく)がまだ来てないのかナンパに捉まってしまったようだ。俺は人が吸い込まれていく乗り換え改札口を逆行して出口へと向かっていた。そのままリカちゃんとナンパ男×2の近くへと迫った。

「リカ、お待たせ」

凄い自然な流れで彼氏ヅラをしてリカちゃんの肩に腕を回した。

「あ、お兄さん」「バイトでしょ?ここはカップルのふりをして凌ごう」

俺は小声で耳打ちをするとリカちゃんは小さく頷いた。

「なんだよお前邪魔だよ。あっちいけ」「⚪︎き家でチーズ牛丼でも食ってろよ」

「リカ、行こうか」

俺は奴らを無視してリカちゃんの肩を抱いたままその場を立ち去ろうとした。俺は東京大学生物学科だぞ。どうせ青学程度の偏差値の癖に、バカな女と酒でも浴びてろクソが。

背を向けると、ふいに肩に手を置かれる。

「おい、無視してんじゃねぇよ。陰キャが生意気なんだよ、ちょっとツラ貸せよ」「見ろよこいつ、脚震えてるぜ。ハハハッ」

ナンパ男たちは恫喝まがいのことを口走る。隣の男は何が面白いのか腹を抱えて笑っている。ちなみに震えていない。俺はリカちゃんに

「リカちゃんは逃げて。俺はこいつらをひきつけるから」と囁くと、リカちゃんは腕から離れた。そして、

「とっとと失せろよゲボ野郎」

「.....え?」

クリスマスの時、知恵伊豆の彼女たちに向けたようにかわいい笑顔には似つかわしくない暴言を言い放った。ナンパ男たちは硬直している。俺はリカちゃんの腕を取って思いっきり走った。

「はぁはぁ..お兄さんごめんなさい、迷惑かけちゃって」

「俺が勝手にやったことだから。あ、でも待合場所あそこだったよね。お客さん大丈夫?」

「え?..うん!今日はお休みだから大丈夫~」

「そうだったんだ。ごめんねお邪魔して、それじゃあ」「あ、待ってお兄さん」

振り向くと、リカちゃんは肩に掛けたバッグをゴソゴソと物色し黄色いリボンで結んだピンク色の小袋を取り出していた。

「お兄さん、これお礼に」「え、俺に?いいの?」

光輝は小袋を受け取る。

「今日はバレンタインだから」

「あ、そうか。ありがとう。大事に頂くよ」

俺はリカちゃんに笑顔を見せて、改札へと向かった。

-------------

白金 住宅街

 白金は東京屈指の高級住宅街である。元は江戸幕府の大名屋敷が並び立つ場所であり、明治維新後も華族や財界人が住居を構えるなどして立派な邸宅が並んでいる。

バイトの度に歩く街であるが、やはり目を見張る。どの家にも鉄柵の門の先にはベ⚪︎ツにポ⚪︎シェ、ランボル⚪︎ーニと高級車が駐まっている。アメリカ映画で見るビバリーヒルズの街並みと重ね合わせても遜色のない風景だ。

大きなガレージの隣にある階段を上り、インターフォンを押す。カチャッとかすれた音の後に聞き慣れた声が聞こえてきた。

『はーい』「大家です」『あ、先生!開いてるから入って』

表札に「内藤」と書かれたドアを開けると、教え子である内藤由佳が出迎えてくれた。クリスマスに上野の店でばったり会って以来リカちゃんとのことをしつこく聞かれている。しかし、レンタル彼女であることは誰にも明かしていないのでお茶を濁している。

リビングへと案内される。玄関も5帖はあるだろう真っ白な壁にはヒロヤマガタのシルクスクリーンが飾られていた。リビングに入ると80型のテレビにオープンキッチン、花瓶が載ったガラスのテーブル、まるでモデルハウスのような生活感のないリビングである。

「紅茶淹れるね」「お構いなく」

俺は机に広がった宿題を確認する。赤ペンのキャップを外して丸を付けたりチェックを入れていく。内藤がテーブルへと戻り、紅茶を置く。

「先生も暇だねーバレンタインにアルバイトなんて」

「お前もな。なんでバレンタインまでこんな馬鹿生徒と一緒に勉強しないといけないんだ」

「まぁまぁ私は先生と一緒にいれて嬉しいけどね」

「はいはい。ここ間違ってるぞ。」

普段通りたわいもない話をしながら勉強を進めていく。内藤は思い出したように机の下からリボンで綺麗に包装された包みを取り出した。

「ほら先生バレンタインチョコ、今年も誰からも貰ってないんでしょ」

「馬鹿言え、ちゃんと」

「身内はカウントされません-」

由佳がそういうと光輝は鼻を鳴らして笑った。

「残念だったな。今年はちゃんとチョコを貰ったんだなぁほら」

光輝は由佳に理香から貰ったチョコを印籠を見せつけるかのように取り出した。

「え.....誰から貰ったのそれ」

由佳は抑揚のない声で質問をする。

「見たことあるだろ。彼女だよ」「へぇ....ちょっと貸して」

由佳は光輝の手からチョコを奪ってキッチンへと向かっていった。おもむろに足でゴミ箱の蓋を開ける。中には手が付けられていない料理が大量に捨てられていた。その山にピンクの小袋が投擲される。

「何やって...」

「なんで他の女からチョコなんて受け取ったの?」

鋭い視線を俺に向けて詰め寄ってきた。

「なんでって」

「あんなゴミみたいなチョコ食べたらおなか壊しちゃうよ先生。私のチョコ食べてよ、ちゃんとテンパリングして美味しいチョコを作ってあげたんだから。こんなことしてあげる彼女なんて私しかいないよね?だから先生は私だけ見てればいいんだよ。あの女レンタル彼女なんでしょ?あんなの呼ばなくても私がデートしてあげるのに...先生、客にしか見られてないよ。私ならずーっとそばに居るし、なんでもするよ?だから、他の女なんて見ないで、他の女と話さないで。」

内藤は俺の首に腕を回して口を寄せた。口の中にはダージリンの香りとフレグランスの甘い香りがした。

「好きだよ先生」

「こんなことしてお父さんとお母さんが...」

俺がそう口にすると、内藤は

「今はあいつらのことなんてどうでもいいでしょ!....んちゅ..」

と激昂し、口を塞ぐように再びキスをしてきた。

「先生、ベッドへ行こう..チョコよりも甘いものあげるから」

俺はその時口内を犯され、意識も朦朧としており判断ができない状態だった。もうどうにでもなれと流されるように寝室へと向かった。寝室は間接照明の他には明かりはなく、アロマが焚かれ部屋の大部分はダブルベッドが占めていた。

「ここはあの女が愛人を呼んで愛し合ってる場所。服脱がせてあげるね、先生」

そういってTシャツを脱がせ、跪いてズボンのベルトを外している。

「もし、誰か来たら..」「大丈夫だよ。あの人たちは家には帰ってこないから、それぞれきっとどこかで愛人といるんじゃないかしら。それにここはセキュリティがしっかりしてるから誰も来ないよ...なんだかんだで期待してるじゃん」

由佳はピンと俺のものに触れた。

マザーグースの歌に女の子は砂糖にスパイスそして素敵ななにかで出来ているという詩があるが、俺と由佳しかいない薄暗い密室の中で身体を抱き合わせてエニシンググレートを味わった。交わるごとに不安に抱えていたものが霧散し、快楽と甘美だけを追っていた。

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