ケルビン373

「...」

 

 ここ最近朝ごはんが寂しい。家で食べることや麻知と一緒に食べることは変わりないのだが、献立がご飯と味噌汁だけなのだ。刑務所の飯でも漬物なりご飯のお供はあるのに..これでは猫のえさである。麻知は何も言わず同じものを食べている。一度自分で目玉焼きでも作ろうと思ったが、冷蔵庫は空だった。遂に我が家も野口家のようにごはんを作ることが億劫になったのだろう。しかし、ならばと外で済ませると言えば、

 

「..なんで?」

 

「えっと..」

 

「...何?私のごはんが食べられないっていうの?」

 

責められる始末である。ここ数日こんな食事が続き飽き飽きしており、ご飯にしょうゆをかけたりと新たな味の開拓をしている。麻知は少々不機嫌に見えるが..気にしないでおこう。

 支度を済ませ、玄関で靴を履く。そこには麻知はいない。普段は弁当を渡して見送ってくれる麻知だが、あの日を境に昼食もこの始末である。それは人事異動で私の部署に女性社員が入ってきたことから始まる。その子は今年から入ってきた新人で研修を終えて配属されたので手取り足取り教えている。久しぶりに女性社員が来たので部下も私も嬉しかった。異動からしばらく経った近くの美味しいお店にでも行こうという話になった。もちろん私は弁当であるし、ここ周辺のランチ事情を知っているわけではないので部下に任せようとしたのだが彼女が、


「課長もご一緒にどうですか?....え?奥様が...そうですか。」

と寂しそうにしていたのが大変申し訳なく、部下とのコミュニケーションの場を自ら反故にするのも、と思い誘いを受けてしまった。弁当は後で食べればいいと考えその時は歓迎会も兼ねて外で昼食を済ませたのだが、弁当のことを失念しておりその夜麻知に問いただされた。

 

「なんで食べてないの?」

 

「ごめん...部下に誘われて近くのお店で済ませた」

 

「断らなかったの?」

 

「....新しく入ってきた子が誘ってきたんだ..断るのが申し訳なくて..」

 

「私には申し訳なく思わなかったんだ..」

 

「後で食べようと思ったんだけど..その...忘れてて」

 

「もういい」

 

そういうと麻知は手を付けていない弁当をゴミ箱に捨てる。別にそこまでしなくても、とも思ったが麻知の気持ちを考えれば当然か。ここ最近は昼食も野口と共に社員食堂を利用しているが、麻知はおこづかいをくれるわけではないので時間の問題かもしれない..しばらく許してくれる感じではないし、どうしようか。

 

「課長、今日も食堂に行かれるのですか?」

 

新しく入った水萌(みなも)晴絵が話しかけてきた。

 

「え?ああ。」

 

「やっぱり前無理にお誘いしたのが悪かったのですかね..すみません」

 

「いや、水萌さんは悪くないよ。気に病むことはないさ」

山城は白い歯を見せはにかんだ。

 

「課長は優しいですね..そのお詫びといっては何ですが..」

 

そういうとかわいい巾着袋を差し出してきた。

 

「お弁当を作って来たんです。よろしければどうぞ」

 

「あ、ありがとう...いいのかい?」

 

「はい!どうぞ食べてください」

 

巾着袋を開けると、サンドイッチが入っていた。なんとも女の子らしいお弁当である。食パンをわざわざ耳を切り抜いて焦げ目を入れておりだいぶ手間がかかっていることがわかる。具はレタスやトマトなど野菜がメインでヘルシーなものだった。食べ応えはないが部下からの厚意だ。おいしくいただいた。

 

「どうですか?」

 

「おいしいよ」

 

「っ本当ですかっ!よかったぁ..あの、課長」


水萌は子ウサギのように体を跳ね喜んだかと思えば、モジモジしながら山城に尋ねた

 

「ん?」

 

「また明日も作ってきていいですか..?」

 

「...まぁ水萌さんが問題ないなら」

 

「はい!」

 

麻知のことは長期化しそうなので二つ返事でOKをした。しかし、予想外のことが起きてしまった。

 

「..はい」

 

「...」

 

なんの前触れもなく朝ごはんも前のようにおかずが出るようになり、弁当もいつものように渡されたからだ。麻知の心境にどんな変化があったのだろうか..

 

「...その..ちょっと子供っぽい態度とってごめんなさい」

麻知は顔を伏せながらしっかりとした口調で謝ってきた。

 

「..いや、こっちこそキッパリと断れば済んだ話だし..もういいよ」

 

それにしても困った。きっと水萌さんは私のためにお弁当を作ってくれたんだろうし、しかしそれを麻知に言えばまた機嫌を悪くするだろうし..

 

「?どうしたの?」

 

「いや、どうもしないよ..」

山城は不意に目線をそらせた。

 

「...嘘。何か隠してるよね..」

麻知が迫る。その瞳に光はなかった。

 

「嘘なんてついて...」

 

「言ってるよね?嘘つく相手は考えたほうが良いって..」

 

麻知に見透かされた以上は本当のことを言うしかないと思い、私のことを心配して水萌さんがお弁当を作って来てくれたことと今日もまた作ってくるというのを了承したことを麻知に全て話した。また昨日までのようなことに戻ることが怖かったが、麻知は静かに私の話すことを聞いていた。

 

「...そう。なら、野口さんにその水萌?って子のお弁当を食べて貰えばいいじゃない。私と仲直りしたってことを話して」

 

「いや、でもそれは。」

 

「あなたの気持ちも分かるけど..私が作ったんだから。要らないでしょ?水萌さんには謝って」

 

「...分かったよ」

 

私は乗り気ではなかったがそうするしかないと思い、家を出た。他になにか手立てはないかと電車の中で考えたが思いつかなかった。せっかく麻知と仲直りしたのだあまり事を荒げることはしたくないし、しかし水萌さんの厚意を無駄にさせることも気が引ける..折衷案がないか思案しているうちにお昼になってしまった。

 

「課長♪」

水萌が嬉しそうに山城のデスクに駆け寄る。

 

「水萌さん」

 

「お弁当持ってきましたよ」

昨日と同じ巾着袋を持っているのが分かった。

 

「その...申し訳ないんだけど、家内が弁当を持たせてていらなくなったんだ..でも折角作ってきてくれたし、3課の野口課長に食べさせてあげていいかな...」

 

「そうなんですか...じゃあ、野口課長には奥さまのお弁当を食べていただければいいんじゃないですか?」

 

「?」

言っていることが一瞬理解できなかった。この子は何を言っているんだ。

 

「私は課長に作ってきたんです。それに奥さまは課長が食べたと思っているはずですしきっと大丈夫ですよ、それとも私のお弁当は口に合いませんでしたか...?」

 

「い、いやそんなことはないよ..でもなぁ」

 

「ほら、じゃあ食堂に行きましょう♪」

 

「あ、ちょっと」

 

結局押し切られる形で私は水萌さんのお弁当を食べることになった。


まぁ麻知は分からないか...

 

**************

 

ダンッ!!ダンッ!!

 

麻知は夕食の下準備をしていた。

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