母は強し

 60年代の日米安保改定から従順な羊でしかなかった国民は牙をむいた。安保騒動という戦後最大の国民総員運動から発展し、ダム建設闘争・成田闘争・日大全共闘や中核派など安田講堂事件に代表される学生運動などが活発に行われた時代だった。しかし、70年代前半になると新左翼色の強い市民運動となり国民はその熱狂から目覚めた。しかし、市ヶ谷にある大学や西の権威ある大学ではユートピアという幻影を目指し未だそういった学生運動が活発であった。それゆえ大学の前にはタテカンと呼ばれる「アフリカの子供を救え」「部落解放を」と特徴的な角ばった文字で書いてある看板が校門にぞろっとそろっている状況であった。

 女学生はベンチで保守系雑誌を読んでいた。この女学生は大学でも異端の目を向けられていた。思想も保守的で日米安保について教授に聞かれ「強引だし、敵国だったアメリカに頭を下げるなんてごめんだけど国会でスクラムを組むのは違うと思う」と答えたことで、学閥の中でも干されている。しかし、彼女は素知らぬ顔で大学に通っている。

 

「隣良いかな」

 

「山城....私なんかといたらあんたも何されるか知らないよ」

 

「構わないよ。俺も馬鹿どものやり方に飽き飽きしてたところだ」

 

男は女学生の隣に座る。

 

「他人のことなんてどうだっていい。アフリカの子供がどうなろうが、どこにダムが作られようが。結局私が幸せならなんだっていい。違う?」

 

「なんとも利己的な考えだね。まぁでも間違ってはいないんじゃないかな。人間自分さえよければという考えが軸にあるんだから。」

 

「....そうね」

 

女学生は男を一瞥してまた本に目を向ける。

 

「木崎さん、食堂でも行かないかい?俺がおごるよ」

 

「あそこのは美味しくない...他が良い」

 

「じゃあ、いつもの蕎麦屋でいいかな?全く木崎さんはわがままで困るよ」

 

「じゃあ、私にかまわなくてもいいのに」

 

女学生・木崎文加(きざきあやか)は文句を言いながらも本を片付け、半身を男に預け蕎麦屋に向かった。

 

これが山城の父と母の出会いであった。

 

************

 

 山城滉一には父の記憶がなかった。というよりも物心つく頃には母と自分だけしか家にいなかったのだ。いわゆる母子家庭だったが、母は働きに出ている様子もなかったしとりわけ貧しいという経験もしたことがなかった。これは母が亡くなってから分かったことだが、投機家だったようでキャピタルゲインによって生計を立てていたようだ。

 

「今日は母の日か。久々にお寺に行こうか。和尚にもお礼を言わないとだし」

 

麻知は頷いて、手慣れた様子で線香やロウソクの準備をする。お寺はバスで数十分のところにある。墓参りにいくのは何年ぶりだろうか。母の実家、山城の祖父母宅の仏壇にはお盆や正月に行くたびお参りをするがお寺に行くことはここ数年なかった。

 

「お久しぶりです。葬儀以来で」

 

「これは山城さん。それに奥様も..いつもありがとうございます。」

 

「これ...お供えに」

 

麻知はお布施と菓子籠を渡す。

 

「どうぞゆっくりしていってください。」

 

「では、失礼します」

 

水桶を持ち、墓場へ向かう。ずっと来ていなかったのですごいことになっていると思っていたが、ちゃんと手入れしてくれていたおかげか思っていたほど荒れてはいなかった。花が新しかったので察するに誰かお参りに来た方が墓掃除をしてくれたのだろう。簡単な掃除をしてお墓を拝する。

 

「....お義母さまは本当に亡くなったのかな?」

 

「急に何を言い出すんだ...」

 

「そうだね...」

 

とはいえ、麻知の言いたいことも分かる。母は急に失踪したのだから。あれから興信所や警察にも捜索願を出したが、最終的には「死亡」という処理がされた。最初は納得が行かなかったが、歳月が経つごとに死んだのだと自己解決をしていった。

 墓参りを終えると、和尚がお茶を出してくれたので寺で休憩をした。

 

「私も未だに文加さんが亡くなったとは思えないんですよね」

 

「和尚もそんなことを...まぁでも母が死ぬなんて確かに想像できない話ですね。」

 

「私と山城さんの両親とは大学の先輩後輩の関係で文加さんはあの頃今の奥様みたいな無口で静かな雰囲気でしたね」

 

「母がですか?俺の前では無駄口の多いイメージでしたけど」

 

「お父さんと結婚してから雰囲気が変わりましたね。」

「へぇ...」

 

「でも、私に似ているっていうの分かる気がする...あの時見たお義母さまはいつもと違って冷たい...というか圧倒されるものがあった」

 

「あの頃って?」

 

「小学校の時、あなたがお義母さまに珍しく手をあげられたとき..」

 

「あの時か。」

 

 

 それは小学校低学年の時、その頃から麻知とは家が隣近所ということもあって仲が良く放課後はいつも二人で遊んでいた。ある時、クラスで男子に麻知はちょっかいを出されていた。そいつはいつも他の女子に対しても嫌なことをしていたそんなこともあってかこの際だから鉄拳制裁をしてやろうとそいつを殴った。クラスからは称賛の声があがった。しかし、そいつの親がPTAの役員だったり先生も暴力には敏感ということもあって俺はお叱りを受けることになった。謝れと言われたが、そんなことは俺のプライドが許さなかった。まずあっちが悪いことをしてきたのだ何故俺が謝らなければいけないのか..そう意地を張り続けたがどんな理由であれ暴力はいけない、暴力をふるったこと自体に非があると言われ続け少しずつ罪悪感を感じ始めた。しかし、謝罪の言葉を出すことはなくついに学校はそれぞれの親を呼ぶことにした。子どもの喧嘩に親を出すのはいかがなものかと今思えば感じるが、こうでもしなければ解決しないと思ったのだろう。そして、うちの母が来た。わざわざ学校に足を運ばれたことでこれまでそこまで感じなかった罪悪感がぐっとこみ上げてきた。謝れば全部済むんだ...俺は自暴自棄になっていた。相手方の親も来たところで先生はこれまでの経緯を聞いてそして、どっちにも非があったということで解決させようとしていた。俺からすれば納得のいかない解決方法だったがこれ以上母に迷惑をかけたくなかったので謝ることにした。本音は悔しかった。

 

「ごめんなさい...」

 

「ほら、滉一くんも謝って」

 

先生が促す。

 

「ご、ごめんなさい....」

 

「滉一」

 

パチンッ

頬に一瞬しびれが走る。小学生の小さな体では耐えることができず少しよろめいてしまった。きっと自分のしたことについて怒っているのだろうとそう思った。しかしその考えは違うことに気づく

 

「悪くもないのに謝っちゃダメでしょ?」

 

「え?」

 

「だって、麻知ちゃんを守ってあげただけでしょ?なんで謝るの?自分が損になることはしちゃだめ。分かった?」

 

母はいつにも無く淡々とした機械的な喋りでわたしを諭した。

 

「ちょっとあなた、何を言ってるの!お宅の息子さんが私の息子に手を出したんですよ。悪くないわけないじゃない!」

 

相手方の母親が声を上げた。しかし、母は臆することなくこう言い返した。

 

「お言葉ですけどあなたのところのバカ息子が女の子に迷惑をかけてるのがよっぽど悪いじゃないですか。滉一はそれを律しただけにすぎませんよ。それに先生」

 

母は担任の先生を睨み

 

「監督責任は先生にあるのではないですか?なんでこんなバカをほっといてるんですか?先生がそんなだから滉一が代わりにない頭絞って鉄拳制裁を下したんじゃないですか」

 

「お母さん、確かにそれに関しては申し訳ありません。しかし、バカ呼ばわりは..」

 

「そうよ!人の息子になんてこと言うの!」

 

「......あんたがバカだから息子もバカなのよ」

 

「なんですって」

 

「お母さん!」

 

「これがはじめてじゃないんでしょ。親が注意もせず人の息子を非難するなんていい御身分ですね...私の息子がそんなことしたらひっぱたきますけどね。まぁ、私は常識知らずですからそんな手荒なことするんでしょうけど...話しても埒が明かないのでこれにて失礼します...滉一、お母さんちょっと麻知ちゃんとお話したいから先に家に帰ってなさい。お菓子は置いてあるから」

 

「うん...」

 

「ちょっと待ちなさいよ!....なんなのよあの女」

 

母は誰の声も聞こえないとでもいうようにその場を去った。

 

「そこにいるんでしょ。麻知ちゃん、もう出てきてもいいよ」

 

「(ヒョコッ)...コウくんのお母さん」

 

麻知は山城が説教をされていた時から見ていた。自分をかばって怒られている山城を見てとても申し訳なく感じていた。

 

「ごめんなさい!コウくんは悪くないの...私をかばって...」

 

「うん。わかってるよ。麻知ちゃんも滉一も悪くないから大丈夫...」

 

「でも、コウくんのお母さん悪者にしちゃって...」

 

「おばさんのことはいいんだよ。麻知ちゃんや滉一が幸せならいいの...ほらもう泣かないで、かわいい顔が台無しよ。家で滉一が待ってるから麻知ちゃんおばさんと一緒に帰ろう?」

 

「うんっ!」

 

いつの間にか日が暮れていて夕焼けがアスファルトを染めていた。文加と麻知は親子のように手をつないで帰る。

 

「麻知ちゃんは滉一のこと好き?」

 

「大好き!」

 

「そっかーこれからも滉一をよろしくね。」

 

「はい。でも、最近コウくんのことを考えると変な気持ちになるの」

 

「どんな気持ち?」

 

「コウくんが他の女の子と話してたり、仲良くしてると...胸のところがキューってするの..病気なのかな..」

 

「ふふっやっぱり麻知ちゃんはおばさんに似てるね。それはね恋っていうんだよ」

 

「こい?」

 

「女の子は男の子のことが好きになると胸が苦しくなるものなの。だから麻知ちゃんは滉一に恋をしてるんだよ。おばさんも昔同じ気持ちになったことがあってね..おばさん昔から自分の思ったことを話す性格だからみんなに嫌われてたの..だけど好きな人はそんな私のことを分かってくれて好きになったの。でも、優しい人だったから他の女にも優しくするの..それがね許せなくて、私だけのモノになればいいのにって胸が苦しくなった。だから麻知ちゃんと一緒だよ」

 

「そっかーよかったぁ」

 

「うん。麻知ちゃん、おばさんも応援するから頑張ってね..でも、このことは滉一に言っちゃだめよ?」

 

「うんっ!約束」

 

文加と麻知は指切りをした。

 

 

「それではまたよろしくお願いいたします。失礼します」

 

「いえ、またお参りに来てあげてください。」

 

「.....麻知、実はいつも来ていたんじゃないか」

 

「..なんでそう思うの?」

 

「いや、なんとなくだけど手慣れてるな、と思っただけだしあの母の墓にお参りに来るなんて麻知ぐらいしか思いつかなくて..」

 

「ううん。久しぶりだよあのお寺に入るのは」

 

麻知は少し嘘をついた。

 

************

 

 ここは南太平洋の島国。面積は日本よりも小さいがマンションやビルが並び立つ。それはいわゆるタックスヘイブンと言われる場所で世界の富豪により経済が成り立っているからである。そんなタワーマンションの地下にある夫婦が残りの余生を過ごしていた。

 

「麻知ちゃんと滉一は元気にしてるかしら..まぁ麻知ちゃんならもう私がいなくても大丈夫ね..ふふっ私たちみたいに仲良くやっているはずよね?ね?ダーリン」

 

女はダーリンと前の男に投げかける。男は全裸で首輪と鎖で繋がれ目も虚ろになっていた。口は開けっ放しでもはや会話能力もないといった感じである。

 

「まぁ聞いても答えられないよね。他の女と話すからいけないんだよ?まぁ私とも話せなくなったのは勿体ないけど夫婦の間には会話なんてなくても大丈夫よね。これからもずうっと一緒だよ

 

ダーリン♥」

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