麻知の憂鬱

キッチン

「麻知ちゃぁん、またお弁当渡せなかったよぉぉ」

 

「....なんでいつも渡せないの透ちゃん」

 

麻知は山城の同僚・野口の家に来ていた。数少ない女友達の野口透の相談にいつも乗っている(一方的に聞くだけだが)。透は自分の気持ちに素直になれない性格でいつも野口に弁当を渡そうと試みても恥ずかしくなってお小遣いを渡して「外で食べてきてっ!」と言ってしまうようだ。麻知はその話を聞きながら「おいしいよ」と言い、渡せなかったお弁当を食べるのが野口家に来る時のルーティンとなっている。

 

「だって、お弁当を渡すのが気恥ずかしいっていうかさ...こんなお弁当を宏人に見られるの恥ずかしいんだもん!」

 

「可愛くていいと思うよ...私もやってみたい」

 

ハート型にかたどられた人参や一口大のおかずなど女の子が作るお弁当といったかわいらしいものだった。

 

「麻知ちゃんはいいよ。だって麻知ちゃん昔からお弁当つくってたわけでしょ。でも、私付き合ってた頃から料理苦手で作ってあげたことなんてなかったし、宏人が一人暮らしだったから料理上手で...結婚してからお料理頑張って覚えたけどなかなか渡せなくて..どうすればいいかなぁ麻知ちゃん」

 

「旦那さんならきっと透ちゃんの努力を分かってくれるはずだよ。だから自信もって。」

 

「そうかな?麻知ちゃんに言ってもらえるなら明日また頑張ってみるね」

 

「またダメだったらまた食べに来るから」

 

「ま、麻知ちゃん..」

 

麻知はいじわるそうに微笑んだ。透もそんな麻知を見てアハハと笑顔を見せる。

 

「それじゃあまた明日。」

 

「うん。じゃあね、麻知ちゃん」

 

「.........私に言ってもらえたら..か。透ちゃん、私だって滉一に突き放されたことがあるんだよ..」

 

帰り道、麻知は少し前のことを思い出していた。

 麻知は高校の頃から山城を台所・キッチンに入れようとしなかった。キッチンというのは女性にとって箱庭のようなものである。男からすれば何に使うかよくわからない道具や調味料などがある魔女の館のように感じるが、女性にとってはどういう配置にすれば料理がしやすいかと考えるのが楽しく、かわいい食器や調理用具を揃えるのもまた日々料理をしていく上で新鮮味があって楽しいのである。また、調味料も男からすれば「さしすせそ」の「さ」「し」「せ」、例外で中濃ソースぐらいしか味覚の中で知らないわけだが、料理をする人間は何と何を組み合わせれば美味しくできるかと科学者のように研究していくのが楽しいわけだ。女性のキッチンへのこだわりの根幹は「好きな男の子に料理を喜んでもらう」ことである。キッチンには女の子の秘密が詰まっているわけで、荒らされたくないというのが女性の本音なのだ。麻知もまたそんな秘密を抱えた少女だったわけで結婚をしても、山城に「手伝おうか?」と言われても頑なに入れようとはしなかった。しかし、ある時山城がキッチンにいたのだった

 

「何をしてるの...」

 

「うわっ麻知驚かすなよ...いや、少しおなかすいたからお湯を沸かそうと思って..」

 

「カップ麺...?」

 

麻知は嫌な気分になった。山城が自分が作ったもの以外のモノを口にしようとしていたからだ。なので冷凍食品やレトルトの類は普段使わないし、コンビニなど寄り道も許していない。

 

「そのカップ麺どこで買ったの?私はそんなもの買った覚えはないんだけど」

 

「会社の同僚が食べてておいしそうだったから..帰りに..」

 

「寄り道しないでっていつも言ってるよね....なんでそういうことするの....?おなかがすいたなら私が今作る....」

 

「いや...ゆっくりしていていいよ別に...」

 

「私の料理よりカップ麺のほうが良いの?」

 

「そんなことは...」

 

「ちょっと待ってて。あなたが私以外が作ったものを口にするなんてゆるさないんだから...」

 

「.....あ、ああ。」

 

麻知は複雑な気持ちで間食を作っていた。これまではこんなこと無かったのに..私の料理が嫌になったのだろうか。そんな疑念が頭によぎったが普通に食べていたし、言っていたことは間違いないのだろうと思った。

 山城は山城で麻知のことを心配していた。高校の頃から山城の母に頼まれ山城と自分の弁当を毎日作り、同棲時代からは麻知に胃袋をつかまれている。普段から手の込んだ料理を作っていてもっと手を抜いてもいいのにと思っていた。かつて過労で倒れたこともあり、それもあって麻知にあまり手間をかけさせたくないと考えていた。今回のことは単にそのカップ麺が美味しそうだったからという理由だが、正直山城は同僚の野口のように昼食はどこか外で食べてもいいと思っている。麻知の弁当に不満があるどころか感謝しているが、麻知の負担が減るならそれでもいいというだけである。そう思ってある日の朝、麻知が弁当箱を差し出した際に山城は言った。

 

「はい。」

 

「...麻知、毎日お弁当を作ってくれるのはありがたいんだけど...たまには休んで..」

 

山城は言葉を止めた。なぜなら麻知がうつむきながら涙を流していたから。

 

「...んで、そんなこと言うの...私の料理...嫌?頑張って作ってるのに....もっと料理勉強するから...もっと上手になるから...嫌いにならないで..私から離れないで...」

 


泣き出す麻知に山城は慌てて宥めた。

「麻知の料理が嫌なわけないよ。ただ、毎日大変かなって...」

 

「そんなことない!滉一が私の料理を食べてくれると思うと全然苦じゃない。滉一が他の女の料理を食べているのを考えるだけで...胸がキューって苦しくなるの...だから私を安心させてよ!.......うう....」

 

「ごめん...もう言わないから」

 

「本当に?」

 

「うん」

 

「その.....行動で示して欲しい...」

 

麻知は頬を赤らめて言った。山城は麻知の唇を自分の唇と重ねたそして麻知を抱きしめた。

 

***********

 

 麻知は家に着くと夕食の支度を始めようとしていた。麻知は小瓶を見てこう呟いた。

 

「もし、他の女の食べ物を食べたら.....一緒にイこう..ね?」

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