孤独や絶望に囚われない方法
川島由嗣
孤独や絶望に囚われない方法
学校の図書室の窓際の席。そこが僕のお気に入りの場所だ。なぜなら、その席からは図書館で座っている人達を見渡すことができるからだ。放課後になるといつもそこに座る。僕と同じように本を読んでいる人。勉強している人、寝ている人と様々だ。そんな人達を眺めるのが僕の趣味だった。
でも一番好きなのは、図書館入り口のカウンターに座っている女子生徒、神谷さんを眺めることだった。彼女は黒いセミロングの髪を後ろにまとめ、図書委員としていつも頑張っている。クラスは同じだが、席は離れているので喋ったことはない。
「神谷さん。お疲れ様。」
そんなある日、僕は神谷さんに話しかけることにした。話しかけられるとは思っていなかったのか、彼女は驚いて固まっている。
「え・・・っと。新藤君だよね・・・・。」
「僕の名前覚えていてくれたんだ。嬉しいな。」
覚えていてくれたことが嬉しくて思わず笑顔になる。でもすぐに納得した。興味ないから忘れていたけど僕ってクラスでは有名人だった。覚えていても当然か。
「同じクラスメイトだからね。全員の顔と名前くらいは覚えているよ。」
「あ、そういう意味か。それはすごいね。僕なんてクラスの人の半分ぐらいしかしらないよ。接点がないと興味ないから覚えないし。」
彼女はそれを聞いて苦笑していた。どうやら僕の事を詳しくは知らないらしい。まあなんであれ、僕を知っていてくれるのは嬉しいからそれでいいや。
「それで・・・何の用かな?本の貸し出し?それとも予約とか?」
「ううん。神谷さんと喋りたかったから話しかけただけ。」
「え?」
彼女が意外そうに首をかしげる。同時に少し警戒しているようにも見えた。まあ当然か。いくらクラスメイトとはいえ、接点のなかった男子生徒に話しかけられるなんてなにかあるのかと警戒するのも当然だろう。
「クラスでは色々な人と喋っているから話しかけなかっただけで、ずっと気にはなっていたんだ。」
「そうなの・・・。えっと・・・ありがとう?」
「あはは。別にそこはお礼を言われる必要はないよ。それに話しかけておいてなんだけど、どうしても話したい話題とかはないんだよね。図書室だから大きな声は出せないし。」
「そうだね・・・。何かお勧めの本でも紹介しようか?」
「いや別にいいよ。だって神谷さんって、別に本が好きといわけじゃないでしょ?」
「!!」
虚を突かれたようで、慌てて顔を上げてこちらをみた。だがいたたまれなくなったのか、すぐにそっと目を伏せた。
「どうして・・・。」
「だって図書室にいるときはいつも辛そうな顔をしているし、本も開いてはいるけどほとんど読んでないでから。」
「私・・・・そんなにわかりやすいのかな?」
「そんなことはないと思う。毎日眺めていた僕だから気づけたんだと思うよ。」
「毎日眺めていたって・・・。ちょっと怖いんだけど。」
あらら。ひかれちゃったか。これは補足しておかないといけない。さらに声を小さくして話しかける。
「僕、図書室にいる人を眺めるのが好きなんだよね。人間観察ってところかな。」
「と・・特殊な趣味だね。」
「別に無理して肯定しなくていいよ。気持ち悪い趣味なのは自覚しているから。でも色んな人を眺めてその人の背景を考えることが好きなんだ。小説を読んでいる時に登場キャラクターの背景を考察するのに近いかな。この人は何で図書室にいるんだろう。この人の背景は何だろう・・とかね。」
「でもそれって当っているかどうかはわからないよね。」
「勿論。小説みたいに次のページをめくれば続きが読めるわけじゃないからね。勝手に一人で考えているだけ。言い換えればただの妄想だよ。まあ誰かに迷惑をかけているわけでもないからさ。」
「・・・・それなのにどうして今日は私に話しかけたの?」
「そろそろ神谷さんが限界を超えそうに見えたから。」
「!!」
神谷さんが驚いて固まっている。どうやら当たりだったようだ。
彼女を毎日眺めていた僕だからわかる。彼女は毎日辛そうな表情をしていたが、ここ最近それがさらに酷くなっていった。このままだと近いうちに彼女を眺めることができなくなりそうなので、その前に話しかけることにしたのだ。
「あ、別に同情するつもりも善意を押し付けるつもりもないよ。限界を超えそうだったから、話せるときに話しておこうと勝手に思っただけ。後で後悔はしたくないから。」
「どうして・・私なんかに。」
「可愛いから。」
「え・・・・?私が・・・?」
意外そうな顔をしている。そんなに不思議なことかな?確かにみんなのアイドルとか言われるほどの容姿ではないかもしれない。でも顔は整っているし、何より笑顔が可愛い。可愛いは正義だよ、うん。
「神谷さんの可愛さについて話を始めると、僕の独演会になっちゃうからやめておこう。それに僕が話しても神谷さんは否定するでしょ?」
「それは・・・・。」
「ああ。ごめん。別に責めているわけじゃないんだ。ただ神谷さんが自分の事をどう思うかは自由だけど、それと同じように僕が神谷さんの事をどう思うかは僕の自由だと思うから。頭ごなしに否定してほしくないだけ。」
自分に自信がないのか、彼女が辛そうに俯く。そんな顔をさせたくて話しかけたわけじゃないんだけどな。
そうだ。せっかく話しかけたのだから一つお願いをしてみよう。
「そんなことはさておき。いい機会だから一つお願いがあるんだけど。良ければこの後、僕の思いで作りに付き合ってくれない?」
「思いで作り?」
「うん。一度でいいから神谷さんと一緒に過ごしてみたかったんだ。なんでもいいよ。散歩でも、お茶でも、どこかに遊びに行くのでもいい。勿論変なことは一切しないよ。」
「話すぐらいだったら別にいいけど・・。」
まさか了承してもらえるとは思わず、喜びで叫びそうになるのを必死に抑える。ナンパみたいな誘い方だったけど、受け入れてもらってよかった。
「よかった。じゃあ図書委員の仕事が終わるまで待っているから。どこで話をするのがいいか考えておいて。」
そうして神谷さんの仕事が終わった後、帰り道を彼女と一緒に歩く。彼女の帰り道に小さな公園があるらしく、そこで話すのなら別に構わないと言われたのだ。僕としては彼女を眺めつつ話ができるのであればどこであろうと構わない。
公園近くの自動販売機で彼女に飲み物を奢る。その後、公園のベンチに2人並んで座った。風が気持ちいい。こんなにいい天気で、隣に神谷さんがいてくれるなんてここは天国だろうか。
最初は彼女も少し緊張していたようだけど、僕がただ満足げに笑っているのをみて警戒心が薄れたようだった。お茶を一口飲むと安心したように息をついた。
「新藤君は不思議な人だね。」
「そうかな。できる限り人に迷惑をかけずに素直に生きているだけだよ。」
「ふふ。それ自分でいう?」
そのやり取りで緊張が完全にとけたのかそこからは色々な話をした。彼女の趣味や学校の話。彼女の事を色々知ることができてとても有意義な時間だった。
話が一段落ついたところで、彼女が唐突に深いため息をついた。
「それにしても・・・。私ってそんなに辛そうに見えたんだ。」
「そうだね。もってあと数日かなって思えるぐらい。」
その言葉に彼女は一瞬泣きそうな顔をして顔を伏せる。だがすぐに顔をあげると、縋るような視線でこちらを見てきた。
「面倒な女と思ってくれていいんだけど。もしよければ、ちょっと吐き出させてくれない・・・かな。」
「別にそんなことは思わないよ。僕でよければ喜んで。それで神谷さんの負担が減って神谷さんを眺められる日が増えるなら大歓迎だ。」
そう言っても彼女は最初話すのをためらっていた。だがやがて決意が固まったのかぽつりぽつりと話し始めた。
「私・・・普通の人生で別に不幸でも何でもないんだ。両親も共働きだけど仲もいいし、お小遣いも充分もらっている。学校でも友達はいて虐められているわけでもない。」
「うん。」
「でもね。皆で話している時、何かをしている時に急に心の中でもう一人の私がでてくるの。そして叫んでいるの。辛い!!助けてって!!」
「何を?」
「それが自分でもわからないの。でもその声を聞くと、孤独と絶望を感じてそればっかり考えちゃうんだ。ただマイナス思考なだけかもしれない。でもその声が自分の中でどんどん大きくなるの。今では1人でいるときにも聞こえてきて気が狂いそうになるの。」
「ありきたりな質問で申し訳ないけど心療内科とかの病院には?」
「行けないよ・・。親に事情を説明できるわけないし、下手に心配かけたくないし。」
「そっか・・・。」
踏み込んでこず、ただ話を聞いてくれるのが嬉しかったのだろう。彼女は堰をきったかのように色々話し始めた。学校の事、友達の事、親の事等々。内容は主に不安や不満だった。僕は合いの手は入れるが自分から話を広げることなどはしなかった。
そうして彼女が話し終わるまで聞いていたら、いつの間にか1時間以上が経過していた。ただ溜まっていたのを吐きだせて満足したのか、彼女は最初の時よりもすっきりした表情をしていた。
「ありがとう。なんだかすごく楽になった。」
「それは何より。僕としても神谷さんを眺める時間が増えるそうで万々歳だ。」
「なにそれ。」
僕の言葉に彼女はおかしそうに笑う。なにって僕の本心なんだけど。でもこの様子なら当分は大丈夫そうだ。
「ごめんね。だいぶ時間たっちゃって。」
「いいよ。そもそも誘ったのは僕だし。僕としても思い出作りができて嬉しかった。でも確かにそろそろ暗くなるね。帰ろうか。送るよ。」
ベンチから立ち上がる。彼女もそろそろ帰りたいと思っていたのか、すぐにベンチから立ち上がった。あ、そうだ。余計なおせっかいだけど聞くだけは聞いておこう。
「ちなみにだけど、神谷さんの話を全部聞いた僕の感想って聞いてみたい?」
そういうと彼女の顔が強張る。何を言われるか不安なのだろう。両手は強く握りしめられていて少し震えていた。
「・・・・こういう聞き方ってずるいんだけど、それって私嫌な思いしそう?」
「どうだろう。そんなことはないと思うけど、僕は神谷さんじゃないから断定はできないかな。でもその様子だったら、やめておいた方がよさそうだね。」
「え・・・。いいの?」
「うん。押し付ける気なんてさらさらないよ。繰り返しになるけど僕は神谷さんを眺めていたいだけ。それ以上は望まないよ。今回は限界そうだったから無理して僕の思いで作りに付き合ってもらったけど。」
神谷さんの話を聞けて、彼女の事をたくさん知ることができた。なによりいつもより近くで彼女の事を眺めることができた。僕としてはそれだけで本当に満足なのだ。
ただ神谷さんにとってはそう言ってくれたのが嬉しかったのだろう。安堵のため息をついていた。だがやがて再び縋るような視線でこちらを見てきた
「・・・・我儘で申し訳ないんだけど、たまにでいいから、またこうして吐き出させてもらってもいい?」
「勿論。その代わり神谷さんを引き続き眺めるのは許してね。別に付きまとうつもりもないし、こっちから話しかけることはしないから。」
「ちょっと恥ずかしいけど・・・・いいよ。今日は聞いてくれて本当にありがとう。」
「こちらこそ。」
それから僕と神谷さんとの奇妙な関係が始まった。教室ではお互い一切喋らない。図書室でも基本話すことはなく、僕が彼女を眺めているだけだ。でも一つ変わったことがある。彼女を眺めていると、彼女が視線に気づき目が合うことが増えた。そんなとき、彼女は少し恥ずかしそうにしつつ、でも微笑んでくれた。やっぱり可愛い。
彼女が何か吐き出したい時は、彼女から話しかけてくれて帰りに公園で話を聞く形だ。そんな不思議な関係だが、話を聞いてもらえるのは神谷さんにとって絶大な効果だったよう、話を聞くようになってから彼女が笑顔でいる時間が明らかに増えた。図書室でも辛そうな顔はほとんどしなくなった。僕としては彼女の可愛い笑顔が眺められる機会が増えて嬉しい限りだ。
そんな日が続いたある日、いつものように公園で2人並んでベンチに座っていると、急に神谷さんが真剣な顔をして僕の事を見つめてきた。
「ねえ。前言っていた私の話を聞いた時の新藤君の感想って教えてくれない?」
「別にいいけど。急にどうしたの?」
「新藤君のおかげでだいぶ気持ち的に楽になってさ。今なら聞けそうかなと思って。それに新藤君は私の事を馬鹿にしたり、笑ったりすることはなさそうだなと思えたから。」
「心外だな。そんなことはしないよ。話すのは別に構わないけど、聞いた後僕の事が嫌になって、今後眺めるのは禁止にするとか言わないでね。」
「うん。約束する。」
そう言いつつも聞くのはやはり怖いのか、彼女は両手を力強く握りしめる。そんなに怖いのなら聞かなければいいのに。でも他の人がどう思ったのかが気になるのかもしれない。なんであれ僕なら大丈夫だろうと信用してくれるようになったのはいいことだ。
「じゃあ簡単に。僕が聞いた時、素直な感想と神谷さんに提案したいことが1つできたかな。まず聞いた感想。一言でいうと、神谷さんが感じた孤独と絶望は、神谷さんが抱えて生きていくしかないんじゃない?」
「え?」
彼女が意外そうな顔をしてこちらを見てくる。予想していた感想とは違ったようで意外だったようだ。それならもう少し詳しく話した方がいいかもしれない。
「言葉は選んだつもりだったけどそれが逆にわかりづらかったかな。じゃあもうちょっと詳しく話すために2つほど例をあげて話をしよう。」
そう言って僕は体の向きを彼女の方に向ける。そうして僕は彼女に向かって指を一本ピッとたてた。
「ここにとある人がいます。年収は数千万。美人の奥さんがいる。貯金は数億。そんな人が俺は孤独だ~!!不幸だ~!!って言っていたらどう思う?」
「正直・・・何を贅沢なこと言ってるんだろうって思っちゃうかな。」
「うん。その感想が一番多いだろうね。でももう少し彼の事を深掘りしてみようか。彼は奥さんとは政略結婚だから愛はない。稼いだ金も湯水のように奥さんに使われてしまう。仕事でも、毎日色々な人と駆け引きをしていて、油断したら一瞬で足元をすくわれる。下手をうつと一気に一文無しになるような世界だ。そんな世界で毎日働きづめだから、ゆっくりと休むことや気分転換をする暇もない。近くに信頼できる友人もいない。そう聞くとどう?」
「それは・・。ちょっと見方が変わるかも。そんな人生は嫌だし不幸だって言ってしまう気持ちがわからなくはないかも。」
「やっぱり神谷さんはいい人だ。そう言ってくれると嬉しくなるね。」
僕が嬉しそうに笑うと、彼女は恥ずかしそうに顔を伏せる。恥ずかしがる姿も可愛いな。それはともかく話を続けよう。僕は続けてもう一本、指をたてた。
「じゃあもう一つの例。とある夫婦のお話。彼らは高校生の時、2人は周りが妬くぐらいに仲がよかった。高校生なのにおしどり夫婦と言われていたぐらいにね。彼らはそのまま順調に社会人になって結婚。結婚後、子供はいないけどマイホーム持ち。ローンも借金もない。どう思う?」
「幸せそうだとは思うけど、深堀りすると違うんでしょ?」
「流石だね。もう少し彼らの深堀りしてみようか。その夫婦は共働きで、社会人になって5年たつころには、ほとんど会話することもない。部屋も別々だし食事も別々。休日に一緒に出掛けることもない。」
「それは・・・不幸かどうかはわからないけどちょっと嫌かな。」
「本当に?」
「え?」
僕が問い返すと彼女は驚いた顔でこちらを見る。確かにここまで聞くとそう思ってしまうかもしれない。でもこの話にはまだ続きがある。
「さらに彼らのことをもう少し深堀りしてみよう。確かに彼らはお互いの接点はないに等しいけど、夫婦それぞれで自分の趣味を楽しんでいるから孤独や絶望を感じることもない。お金も共有の口座に毎月一定額入れれば、後は何に使おうが自由。浮気は世間体的にダメだけど、それさえしなければ勝手に出かけようがお構いなし。」
「・・・・それって夫婦っていうより同居人じゃ?」
「そうだね。でもここまで聞くとどう?二人は本当に不幸かな?」
その問いに彼女は即答せず、少し考えこんでいた。やがて自分の中で整理できたのか顔を上げる。その表情は不満げだった。
「不幸とは言えないかもしれないけど・・・・私は嫌かな。」
「どうして?」
「せっかく夫婦になったのだから私だったら支えあいたい。いろんなものを共有して一緒に生きたいかな。」
「・・・神谷さんが僕の思っていたような人で本当に嬉しいよ。ちなみに僕も同じ感想。そんな夫婦関係はまっぴらごめんだね。」
僕としても夫婦になるんだったら、二人で色んな話をして、楽しいことを共有できる夫婦関係がいいと思う。彼女がそんな風に考えられるのなら、将来彼女の夫となる人物は幸せ者だろうなあ。羨ましい。
「まあでも今の話を聞いて、好き勝手出来るなんて最高じゃないか!!っていう人もいるし、神谷さんみたいにそんな夫婦関係は嫌だ!!っていう人もいるよね。」
「そうだね。色々な意見があると思う。」
「結局何が言いたかったかっていうと、孤独や絶望の感じ方なんて人それぞれだし、感じた全てを他人と共有することなんかできないっていうこと。今回あげた例も深掘りすると前と後で、印象が全然違ったでしょ?それに後付けなんていくらでもできるしね。それに例えその人の人生全てを知ったとしても、どう思うかなんて知った人次第。極論かもしれないけれど、本当の意味で自分の事を理解してあげられるのは自分だけだよ。」
小説や漫画でもよくあることだ。最初は大嫌いだったキャラクターがいたとしても、そのキャラクターの背景や思い等を知ると一気に好きなキャラクターになったりすることがある。逆もまたしかりだ。
「・・・・確かにそうかも。」
「それにさ。他人と全てを共有できたとしてもそれで全てがうまくいくとは限らない。たとえば友人に自分の生い立ちから今までの人生を話すとするじゃない?それで「本当に大変だったね。大丈夫。僕は君の味方だよ。」って言われたとしてもさ。その言葉だけで本当にその人の事を信じられる?あ、詐欺の可能性とかはいったん置いといてね。」
「信頼関係次第かもしれないけれど、ちょっと難しいかも・・・。」
「でしょう?例えば僕が神谷さんの話を聞いた後に、僕が同じことを言ったら、神谷さんは僕に失望して距離を取ったんじゃないかな?この人は何もわかってくれてないって。」
「そうだね・・・。・・たぶんそう。」
彼女が辛そうに頷く。もちろんそういう言葉に救われる人もいるだろう。ただその言葉を偽善だと嫌がる人もいる。どう受け取るかはその人次第だ。
「だから孤独や絶望を感じた時、それを本当の意味で理解できるのは自分だけ。100人いたら100通り孤独や絶望があるんだから。長くなっちゃったけど、神谷さんが感じた孤独と絶望は、神谷さんが抱えて生きるしかないんじゃないっていうのが僕の感想。」
大分長く語ってしまった。こういう語りはあんまり好きじゃないんだけど今回は彼女から求めてきたからってことで大目に見てもらおう。彼女を見ると、辛そうにうつむいていた。両手が小さく震えている。
「だとしたら私は・・・・ずっとこの思いに囚われながら生きていくしかない・・のかな。」
「その孤独や絶望を上回るか、自分の支えになるものを探してみたら?」
「え?」
「神谷さんみたいに孤独や絶望を感じている人は少なからずいると思うよ。でもその人達全員が、それに囚われているかというとそうじゃない。それは孤独と絶望を乗り越えられるものを持っているからじゃないかな。孤独と絶望を消すことができないのであれば、それに潰されないように他の事で自分をいっぱいにすればいい。そんなことを考えなくてすむぐらいに。」
「そんなものが・・・・・あるのかな。」
「そこで最初に言った提案につながるんだけどさ。これから僕とそれを一緒に探してみない?」
「え?」
意外な提案だったようで彼女は弾かれたように顔をあげた。驚いた表情でこちらを見ている。
「悪いけど僕が神谷さんの支えになるなんて言うつもりはないよ。さっきも言ったけど、何を支えにするのかを見つけて決めるのは神谷さんだ。でも探すお手伝いをすることぐらいは出来る。」
「・・・・新藤君にメリットがないじゃない。」
「あるよ。僕が可愛いと思う神谷さんを眺める機会が増える。神谷さんの笑顔をもっとたくさん見られる可能性があるなんてメリットしかないね。気づいてる?最初に話しかけた時と比べて神谷さんが笑顔でいる時間ってすごく増えたんだよ。それがさらに増えるんだったら僕としては大満足だね。」
可愛い神谷さんを眺められる機会が増えることは僕にとっては嬉しいことでしかない。神谷さんって素直だから表情がコロコロ変わって眺めていて飽きないんだよね。なにより笑顔が本当に可愛い。
「・・・・新藤君って私の事好きなの?」
「大好きだよ。というか好きでもない相手にここまでしないよ。」
「!!」
即答したのが意外だったのか、彼女が驚いて固まっている。顔もどんどん赤くなっている。こちらとしては何をいまさらって感じなんだけど。好きな人でもない人にこんなことをするのはよほどの聖人か、詐欺師か、チャラ男ぐらいだろう。
「あ、ありがとう・・・・。でも私・・・・付き合うとかは・・。」
「ああ。別にそんなこと考えなくていいよ。僕は神谷さんの事が好きで、できる限りの事をしてあげたいっていう僕の我儘だし。僕としては笑顔の神谷さんを間近で眺められるだけで充分。」
「・・・・本当に新藤君って不思議な人だね。」
「そうなのかな。僕としては見たいものを見るために全力を尽くしているだけだけど。後で見れなかったと後悔なんてしたくないから。」
彼女は少し考えた後、僕に向かって頭を下げた。
「・・・・それじゃあお言葉に甘えてお願いしてもいいかな。」
「もちろん。その代わりいつも通り神谷さんの事を眺めさせてね。」
そう答えると神谷さんは恥ずかしそうに笑って頷いた。うん。やっぱり彼女には笑顔が一番だ。そうだ。手伝う前に一つ言っておかなければいけないことがある。
「でも手伝うにあたって1つだけ約束して。間違っても僕の事を支えにしないでね。」
「え?」
「当たり前じゃない。だって僕が死んだらどうするのさ。よくあるじゃない。仲のいい夫婦がいたけど片方が亡くなったら、もう片方が追いかけるように亡くなるとか。他人を支えにするのはよっぽどの覚悟がないとだめだよ。共有や共感はいいけど共依存は怖いと僕は思う。僕は神谷さんを背負えるほど強くはないしね。」
物語に出てくるようなイケメンや強い人であれば「俺がお前を守る!!」とか、「お前の孤独や絶望も俺が一緒に背負ってやる!!」とかいうかもしれない。だけど残念ながら僕はただの一般人だ。できないことは素直にできないと言っておかないと。
神谷さんも納得してくれたのか頷いてくれた。
「わかった。約束する。」
「ありがとう。じゃあ明日から色々探してみようか。」
「具体的には何をするの?」
「今まで神谷さんが経験したことがないことを色々試してみようよ。もしかしたら意外なものがそれにあたるかもしれない。失敗しようがどうなろうが神谷さんの事を馬鹿にすることは絶対にしないと断言するから。」
それから僕は神谷さんと色々なことを試すことにした。カラオケ、ボーリング、映画鑑賞等々。意外にも彼女は外で遊んだ事はなかったらしい。色々な経験ができてとても楽しそうだった。中でも彼女が気にいったのは猫カフェだった。連れて行ったときは猫たちを見て半狂乱になって猫たちと遊んでいた。うん。やっぱり可愛いは正義だ。
そんな日が続いたある日の事。僕らはまた猫カフェに来ていた。お金の事情もあるから毎日ではないけれど、明らかに他の場所と比べて来る頻度が多い。神谷さんは今もおもちゃを使って猫と楽しそうに遊んでいる。もう猫が彼女の支えでいいんじゃないかなと思ってしまう。あくまで決めるのは神谷さんだから僕からは言わないけれど。僕としてもこうして楽しそうな神谷さんを眺められる時間が減るのは悲しいしね。
そんなことを考えていたら、注意がおろそかになっていたらしく接客している店員さんとぶつかってしまった。店員さんが持っていたお茶が僕の腕にかかる。そんなに熱いものではなかったし、制服の上着を着ていたからたいしたことはない。謝る店員さんに笑顔でかえす。とりあえず制服の上着を乾かさないといけないと思い、上着を脱いで近くのハンガーにかける。下のシャツは半袖だったからクーラーの風が腕に当たって気持ちいい。
ふと目を見ると神谷さんが僕の腕を見て固まっていた。
「どうしたの?」
「新藤君・・・・?その腕・・・・。」
「?ああ。これ?知らなかったんだ。ごめんごめん。変なものを見せちゃったね。」
てっきり知っているものかと思ったけど、知らなかったのか。なるほど。だから僕に対してそこまで警戒心がなかったんだな。
僕の両腕は傷だらけだった。手首だけに傷があるというわけではなく、両腕のそこら中が傷だらけだ。体育の時間で着替えた時に目立っていたからクラスの男子生徒はほぼ全員が知っている。体育の後、教師までもが状況を聞いてきたから、てっきり女子にも広がっていて有名人だと思っていたけれどどうやら違ったようだ。
「なんでそんなことに・・・?」
「うーん。自分語りってあんまり好きじゃないけど。聞きたい?」
彼女は一瞬固まったがすぐに決意を決めたような表情になって頷いた。いやそんなたいしたことじゃないんだけど。
「新藤君がよければ・・・。あ、もちろん無理にとは言わないから。」
「別に僕は辛いことだとは思ってないから話すのは構わないけど。でもそうだねえ。あんまり長く話すようなことでもないから簡単に話そうか。」
ちょうどよく猫が僕の元に寄ってきたので、座って猫を膝に乗せる。神谷さんも近くに座ったのを確認して話し始めた。
「僕の両親は僕が小さい頃に亡くなってね。今は親戚の叔父さんの家に居候させてもらっているんだ。でも、会話なんてほぼない。接点といえば毎月、月の食事代が机の上に置いてあるぐらいかな。小さい頃はその孤独に耐えられなくて、気がついたら腕を引っ掻くようになった。引っ掻いていると痛みで余計なことも考えなくて済むしね。ナイフとかはもっていなかったし、痛すぎるのは嫌だったしね。人間って意外と丈夫でさ。意図して跡を残そうとしてやらない限り、腕を引っ掻いてもそんな簡単には傷がつかないんだ。でも成長するにつれてどんどん引っ掻く力が強くなっていって、引っ掻くというより搔きむしるようになってね。気がついたら傷が残って目立つようになっちゃった。」
彼女は絶句していた。まあ聞いていて気持ちいいものじゃない。しまったなあ。僕にとっては当たり前のことだったから油断していた。もっと腕の事は注意しておけばよかった。
「新藤君も孤独と絶望に囚われていたんだ・・・。」
「そんなたいそうなものじゃないよ。確かに小さい頃は引っ掻いても耐えられなくて自殺しようとしたこともある。でも人間の防衛本能なのかは知らないけど、理性がある程度働いていると死ぬ恐怖の方が勝ってなかなか死ねないんだよね。だから諦めたよ。ただいつ死んでもいいとは思っているし、なにかの間違いで次の日死なないかな、ぐらいは思ってはいるけど。」
「そんな・・・・。」
「そんな辛そうな顔しないで。悪いことばかりではないよ。毎日やりたいことがあったらその場でやろうと思えるようになったからね。最初に神谷さんに話しかけたのもそれが理由。僕がいなくなるのは別にいいけど、神谷さんを眺められなくなるのは辛いからさ。その前に思い出を作ってそれに浸れるようにしておこうと思って。」
彼女は絶句していたが、僕としてはそんなに不幸なことだとは思ってはいない。両親がいないのに衣食住があるだけで十分に幸せな方だと思う。まあそもそも誰が不幸で誰が幸福かなんていうのは考えるだけ無駄だし興味はない。それでも神谷さんに関わろうと思ったのは、ただ純粋に彼女を眺める時間がもっと欲しかったからだ。
「はい。僕の話はこれでおしまい。せっかく来たんだから猫をかわいがろうよ。」
それに応じるかのように膝にいた猫が鳴いた。頭を優しくなでてあげると満足そうにしている。猫も可愛いなあ。もちろん一番は神谷さんだけど。神谷さんは何か言いたそうな顔をしたが、同情されるのが嫌なのは自分が一番理解しているのだろう。それ以上は何も言ってこなかった。
翌日以降何か変わるかもと思ったが、彼女は僕と変わらず一緒に過ごしてくれていた。少し無理しているように見えたけれど彼女は変わらず一緒にいてくれている。下手な同情するぐらいならまだいいが、距離をとられるのが一番辛い。彼女を眺めることができなくなるのは耐えられそうになかった。
そんな日が続いたある日の事。今日も僕らはどこに行くかを図書室で話し合っていた。
「今日はどこに行く?また猫カフェ?」
「今日はちょっと趣向を変えたくて。・・・・唐突だけど新藤君がやりたいことってない?」
「神谷さんを眺めること。」
即答すると神谷さんは恥ずかしそうに顔を赤くする。たまにこうしてストレートに気持ちを伝えて彼女の反応を眺めるのも最近の楽しみの一つだ。
「そ、それは嬉しいんだけどさ。そうじゃなくて。今私がやっているようにやってみたいことってない?」
「どうしたの急に?もしかして変なことを考えてない?」
「ううん。別に新藤君を同情したりとかはしてないよ。ただかなり色々なことをやったじゃない?だからたまには別の視点でやることで新たな発見があるかもって。」
「まあ・・・それは一理あるかも。特にここ最近は猫カフェばっかりだったし。」
「そ、それは本当にごめんね。猫が可愛すぎて。あれは反則だよ。それはともかくどうかな?何かない?」
彼女が慌てている姿を横目で眺めながら自問自答してみる。
自分がやりたいこと・・・。考えたことはなかった。人間観察や小説を読むことも今更だし、やりたいことは大体その場で消化するようにしてきたからなあ。色々考えていたが、やがて1つ思い当たるものがあった。
「あ。あった。」
「何々。」
「そんな顔されても。たいしたことじゃないよ?」
「いいのいいの。新藤君にとってはたいしたことじゃなくても私にとっては新たな発見に繋がるかもしれないし。」
神谷さんが興味津々といった顔でこちらに迫ってくる。
なんか言いくるめられている気もするけどまあいいか。ここ最近神谷さんも感情豊かになって色々な表情を眺めさせてくれているし。
「わかった。せっかくだから秘密にして直接その場所に行こう。」
「うん!!楽しみ!!」
そう言って神谷さんは嬉しそうに頷いた。いやさすがにもうちょっと警戒心を持とうよ。ここで僕がホテルにでも連れて行ったらどうするのさ。しないけど。連れて行って慌てる彼女の様子を見たいとちょっと思ったのは秘密だ。
それから僕は彼女を連れてとある場所に向かった。学校からは少し離れているが、話しながら歩けば気になるほどではない。すぐに目的地に着き、彼女と二人で建物の入り口に立った。
「ゲームセンター?」
「そう。実は行ったことなくてさ。」
「確かに・・。言われてみれば私も来たことがなかった。」
ここは学校から少し離れた場所にある大型のゲームセンターだ。そこら中から音が聞こえてきて少しやかましい。ここにいる人達は、気にならないのだろうか。それとも長くいると慣れるのかな。
「それで?何をやりたかったの?」
「え?」
「だって、ゲームセンターの中にやりたいものがあったから言ったんでしょ?」
「・・・・よくお分かりで。」
僕は降参したように両手をあげる。彼女はそれを見て楽しそうに笑った
「これでも短いなりに一緒に居たからね。多少はわかるよ。ほら、学生は居られる時間が決まっているんだから。先にそれをやろう。」
「わかったよ・・・。」
僕は神谷さんを連れゲームセンターの中に入った。中の案内板を見て目的のものがある場所に彼女を連れていく。
「プリクラ?」
「うん。」
僕が連れて行ったのはプリクラの前だった。そこは本来であれば男子禁制の場所だ。今ではカップルでも駄目なところもあるらしいけどここは大丈夫なようだ。最近は色々な種類があるようで色々な機種のプリクラがある。よくわからない言葉もいっぱい書かれているし、周りは女子学生ばかりだ。
「やっぱりやめとく?」
「ううん。やってみたい!!」
そう言って神谷さんは目をキラキラさせて一つ一つを楽しそうに眺めていた。吹き出しそうになるのを必死に堪えて、どれで撮影するかを2人で物色する。そしてその中の一つに入ってお金を入れた。僕には内容が理解できなかったが、神谷さんはプリクラの知識はあるようで色々モード選択をしていく。変な格好をするわけでもなく普通に撮影した。撮影した後も色々やることがあったがよくわからなかったので全て神谷さんに任せた。それも終わり、最後に写真が印刷されて出てくる。それを2人で眺める。
「おー。こんな風になるのか。」
「すごい。普通のモードにしたはずなのに目とかすごい大きくなっている。別人みたい。」
確かに顔がすごいことになっている。最近の加工技術はすごいなあ。撮影後、神谷さんが色々書いていたから写真も華やかになっている。
「ありがとう。いい記念になったよ。」
「こちらこそ。それで写真どうする?半分ずつでいい?」
プリクラの近くにはハサミが置いてあるテーブルがあって切り分けられるようになっていた。だが僕は静かに首を振る。
「僕はいらないよ。神谷さんに全部あげる。いらなきゃ捨てて。」
「え!?どうして!?」
「僕はプリクラというものに興味があっただけだからね。」
「・・・・・どういうこと?」
はぐらかそうと思ったが、それを察したのか神谷さんが視線でこちらを威圧してくる。ああ。これは説明をしなきゃ納得してくれないな。まあ言い出したのは僕だし、しょうがないかと観念することにした。
「ほら。前にいつ死んでもいいと思っているって言ったじゃない。だから僕は後を汚さないように基本写真には写らないようにしているんだ。卒業アルバムとかも含めて過去の写真は全て処分しているし。ただ、以前プリクラの話を聞いて興味はあったんだけどプリクラって男一人じゃとれないし、そもそも自分の顔なんて興味ないから忘れていたんだ。神谷さんがいてくれるならいい機会だと思って。」
「・・・・」
「だから神谷さんがいらなかったらこの写真は捨ててくれてもいいからね。僕としては経験できただけで充分。楽しかったのならこれを機に他の友達と一緒に撮りに行くことも・・・神谷さん?」
話の途中で神谷さんがいきなり歩き出し、切り分けるスペースで写真を切り分け始めた。そして小さな写真を2つだけ切りとり戻ってきた。戻ってくるなり僕に向かって勢いよく手を突き出した。
「学生手帳出して。」
「え?」
「早く!!」
「う・・うん。」
慌てて学生手帳を出して神谷さんに手渡す。神谷さんは自分の学生手帳も出し、2人の学生手帳の1ページ目に写真を貼った。
「ちょっと!?」
「はい。これなら邪魔にならないでしょ。ちなみに剝がしたら本気で怒るから。」
「いやでも。」
「異論は認めないから。私はこれを支えなんかにしないよ。新藤君も言っていたでしょ。共依存はダメだけど共有や共感はいいって。私はこの経験を共有したいし忘れたくない。今後、新藤君と離れることになったとしても、人間観察が趣味の変わった人だけど、私を好きって言ってくれて、私の事を本当に大事にしてくれた人がいたってことを忘れたくない。忘れない。」
「いやそんなおおげさな。僕なんてたいしたことしてないって。」
「・・・でも新藤君気づいている?今、君泣いてるよ。」
「え?」
言われて慌てて目元をぬぐってみると手が濡れていた。そこで初めて自分が泣いていることに気づいた。何度も目元をぬぐっても涙が止まらない。おかしいな。自分の感情をコントロールできないなんていつ以来だろう。だが僕の思いとは違って涙は止まらない。
「あれ?・・・・あれ?・・・・おかしいな。」
「ほらほら慌てない慌てない。」
「!!」
神谷さんはいきなり僕の顔を隠すように優しく抱きしめた。慌てて離れようとしたが、意外に力が強く離れられない。
「隠してあげるからさ。思う存分涙を流すといいよ。それはきっともう一人の新藤君の叫びだから。」
そう言われて僕は抵抗するのを諦めた。まさか彼女に言われる日がくるとは思わなかった。どちらにしろ、涙を流したままじゃ他の人に不審に思われるだろう。
「じゃあお言葉に甘えて少しだけいいかな。」
「うん。遠慮なくどうぞ。」
声をあげて泣いたり、泣きじゃくるわけでもない。ただただ涙を流した。僕を抱きしめてくれている彼女の身体は暖かく、心地よかった。
抱きしめられてどれくらいたっただろう。でも多分5分か10分ぐらいだ。涙が止まったのが分かると、彼女の背中を優しくたたく。彼女はゆっくりと僕を放してくれた。
「止まった?」
「うん。いやあ。びっくりしたよ。まさか人前で泣く日が来るとは。」
「そ。じゃあ他にも行こう?」
「え?」
「だって時間はまだあるじゃない。別に必ず遊ばなきゃいけないわけじゃないけどさ。せっかく来たんだから、探検してみようよ。」
そう言って彼女は僕の腕を引っ張った。諦めて彼女についていく。そこからは色々なゲームを眺めつつ、ホッケーやUFOキャッチャーで楽しんだ。
そんな風に遊んでいたらすっかり遅くなってしまった。2人で外にでる。あたりはだいぶ暗くなっていた。彼女を送るために彼女の家路を歩く。
「あ~楽しかった?」
「本当?それはよかった。」
「新藤君も楽しかった?」
「もちろん。あそこまで泣いたり笑ったりしたのはいつ以来だろう。」
「それはよかった。」
彼女は嬉しそうに笑う。あんまり見られたくはないところを見られてしまったが、彼女の楽しそうな姿を見ることができたので良しとしよう。そんな風に考えていると、彼女が何か思い出したようにこちらを見てきた。
「そういえばさ・・。ずっと聞き忘れていたんだけど。新藤君っていつ私の事が好きになったの?私って一目惚れとかされる容姿じゃないし。」
「それは自分を卑下しすぎだよ。十分可愛いと思うけどなあ。特に最近は磨きがかかっていると思うし。クラスの男子生徒からも話しかけられること増えたでしょ。」
「!!本当によく見ているね。それはいいから。誤魔化さないで。」
「ばれたか。・・・明確なきっかけはあるんだけど秘密。」
「なんで!?」
彼女は不満げにしているが、僕としてもこればかりは譲るつもりはない。
「前にも言ったけど後出しでなんていくらでも言えるしね。本来、後出しで言うこと自体僕は嫌いなんだ。腕の事とか家の事だって言うつもりなんかなかったし。」
「え~。」
「それにさ。言葉って厄介で人を縛るんだよね。」
「人を縛る?」
「そう。後付けであれなんであれ、人って何かの話を聞くと大なり小なりそれに引っ張られるんだよね。例えば僕自身の話。何も思わなかったわけじゃないでしょ。」
「それはそうだけど・・・・。」
きっと僕の話を聞かなかったら、今日ゲームセンターに来ることはなかっただろうし、来たとしても僕を抱きしめるなんてことはしなかっただろう。これ以上僕に引っ張られてほしくはない。彼女には余計なことに囚われず笑っていてほしいのだ。
「だから秘密。墓までもっていくつもりだよ。」
「そこを何とか。」
「こればかりは何を言っても駄目。まあでもそうだね。お互いがそれぞれ誰かと結婚したとかなったのなら思い出話として話してもいいかもね。もう変わらない関係になったのなら、それに引っ張られることもないだろうし。」
「ほう・・・。」
何だろう。今一瞬彼女の瞳が強く光ったような気がする。そしてとてつもない寒気を感じた気がするけどきっと気のせいだろう。まだまだ暑いし。
彼女も聞き出すのは諦めたようで話題を変えてきた。
「ちょっと申し訳ないんだけどさ。明日から一週間は寄り道せずに帰るだけでもいい?」
「それは全然かまわないけど。急にどうしたの?」
「ちょっと決めたことがあるんだ。」
どうやら彼女は何かを決心したようだ。力強い目をしている。まあ今の彼女であれば距離をとられることを気にすることもないだろう。僕は素直に頷くことにした。
「神谷さんが決めたことなら口を出すつもりはないよ。僕は眺められれば満足だし。」
「本当に新藤君は変わらないなあ。あ、でも一緒には帰りたいから、よろしくね。」
「それはもちろん。喜んで。」
ゲームセンターに行った翌日から、彼女は一人で考え込む時間が増えた。ただ辛そうではない。ノートに向かって独り言をつぶやきながら何かを一生懸命書き込んでいた。放課後も図書委員の仕事がある時は本を読んだりせずにノートと睨めっこをしていた。
そしてゲームセンターで遊んだ翌週の放課後、神谷さんがたくさんの紙を抱えて僕の席の前にくる。そしてその紙を勢いよく僕の机の上に置くと、慣れた手つきで3つの山に分けた。ご丁寧に内容が分からないように一番上の紙は白紙にしてある。意味が分からず混乱していると、彼女が懐からもう一枚紙を取り出して満面の笑みで手渡してきた。
「これは?」
「説明する前にまずはお礼を。新藤君のおかげで、私の人生は変わりました。そして孤独や絶望が気にならないくらい、楽しいことが見つかりました。本当にありがとう。」
「お、おお。それはよかった。それでこれらの紙は?」
「覚悟が決まったのでそれを渡しました。」
「覚悟?」
意味が分からない。首を傾げつつ2つ折りになった紙を開いて中の文字を読むと僕は固まった。
「神谷さん・・・・。これって。」
「はい。婚約の契約書です。」
「うん。それは見ればわかる。どうしてこんな結論になったのか教えてほしいかな。」
「新藤君に会って今まで、日々が本当に楽しかった。そして気づきました。いつの間にか孤独や絶望を全く感じていないことに。」
「それは本当によかった。でもそれがどうしてこの契約書につながるのかな。」
「私は誰かと新しいことを見つけたり、色々な事を共有するのが大好きみたいです。一方通行なんかじゃなく見つけたことを誰かと共有したい。そしてその相手は新藤君がいいです。あなたを支えにはしません。ただあなたと一生一緒にいて色々なことを経験して共有したい。」
まさかの言葉だった。いや確かに最近彼女にのめりこみすぎているなあとは思ってはいた。彼女にはもっとふさわしい人がいると思うし、変にひきずられてほしくはなかったから、そろそろこの関係も終わりにしようと思っていたけど先手をとられてしまった。
「念のために聞くけど同情じゃないよね。」
「勿論。これはただの私の我儘です。」
「そう断言されると何も言い返せなくなるなあ・・・。」
「なのでまずはこれらを読んだうえで、納得いただけたのならこれらにサインをお願いします。」
彼女が三つに分けた山を指差す。恐る恐る目の前の書類をめくってみ。そして中身を見てさらに固まる。
「婚約を結ぶにあたる詳細の提案書?こっちは、婚約から結婚までの過ごし方に関する提案書?最後は婚姻届け?うわあ。がちもんだこれ。」
「当然です。ちなみに両親には既に許可はもらっています。」
「話早すぎやしませんか!?」
「そして高校卒業後には新藤君には家に来てもらって、新藤君の大学の学費も全て貸してもらえるように話がついています。援助ではなく借りる形ですが。」
「神谷さんの両親理解ありすぎない!?」
「ええ。今までの事を全部話して毎日じっくり話し合いましたから。」
どうやら、彼女がここ一週間寄り道しなかったのは、これらを作るのと両親を説得していたかららしい。その気持ちは嬉しいが・・・。どうしようか考えていると彼女はいい笑顔でさらにこちらに迫ってくる。先ほどから丁寧な言葉使いだが、その分圧が強い。
「私の事が好きなんですよね?できる限りの事をしてあげたいんですよね?それならば私のささやかな我儘を聞いてくれますよね?」
「これのどこがささやかなの。・・・これ僕に拒否権なくない?」
「まさか。本当に拒否権をなくしたかったら婚姻届一枚しか渡しません。」
「・・・・それもそうか。」
「だから新藤君には自分の意思で私を選んでもらいたい。私としてはこれからも一緒に居て、毎年一緒に写真を撮って笑いあえる。そんな関係でいたいと思っています。」
彼女は満面の笑顔でこちらを見る。思わずその笑顔に見とれてしまった。その笑顔はずるいよ。僕が今までで眺めてきていた中で一番の笑顔だ。見ているこちらまで幸せな気分になってしまうぐらい。そんな笑顔を見せられたら拒否権はないようなものじゃないか。
でもまずは提案書から読んでみよう。契約書とかはよく読まずにサインしてはいけないと相場が決まっている。提案書を読み始めると神谷さんが笑顔で資料の説明を始めた。やっぱり笑っている神谷さんは可愛いけどその姿はどこか輝いているように見えた。
そうだね。これから、2人で色々なことを経験して色々なことを共有していくのも悪くないかもしれない。どんな時でも孤独と絶望を感じる暇がないくらい幸せだと胸を張って言えるように。
「あ、ちなみにこれらにサインをしたら私を好きになった理由、話してもらいますからそのつもりで。互いに結婚するのなら話してもいいんですよね?」
「げ!?」
覚えてた!?
孤独や絶望に囚われない方法 川島由嗣 @KawashimaYushi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます