第2話

「ぃ……ぃひ……ひ……」


 三歩程距離を開け、女が立ち止まった。


「どうかしたか」


 俺の問い掛けを女は無視した。


 ゾンビみたいな恰好で、石のように固まっている。


 よく見ると、だらりと垂れた黒髪の隙間から、ギョロついた大きな目が俺を凝視していた。


 視線が合った瞬間、女はビクリとして顔を逸らした。


「冷やかしなら帰ってくれ」

「――ッ!?」


 女は再びビクリとして、頭が取れそうな勢いで首を左右に振った。


「喋れないのか? それなら筆談で話してくれ。スマホでもいいぞ」


 三度女はビクリとすると、バサバサと黒髪をはためかせる。


「ち……ちがっ……ぃ、ぃひひひ……」

「なんだ。少しは喋れるじゃないか」


 ブンブンと今度は縦に振り。


「ひ……人見知り……で……。ひ、ひひっ……」

「そうか。難儀な性格だな」


 見た目もキモいし、こんなんだから友達がいないのだろう。


「今この瞬間から俺達は友達だと言ったが、さっきの言葉は撤回させてくれ」

「……そう、ですよね……」


 女の頭がガクリと下がった。


 俺は机に用意しておいた書類を一枚取って女に向ける。


「正確には、君がこの入部届けに記入して、顧問が入部を認めた瞬間からだ」

「………………ぃひ?」


 次の瞬間、女はバネ仕掛けみたいに頭をあげた。


「は、入って良いんですか!?」

「悪い理由は特にないが」

「で、でも私……。こ、こんなですけど……」

「どんなだ」

「どんなって……。不気味と言うか、怖いと言うか……。周りからも、幽霊みたいだって気味悪がられてて……貞子とか呼ばれていて……ぃ、ぃひひ……」

「確かにキモいが、入部を断る理由にはならない。そもそも、入部を断るような条件を定めてないからな。定めるべきか? 人殺しや凶悪犯罪者は流石に遠慮したいが。そういった行為に心当たりはあるか?」

「あ、あるわけないです!?」


 女が激しく首を振り、踊る黒髪がそよ風と共にシャンプーの香りを俺に届けた。


 見た目の割には甘く爽やかな匂いだ。


「なら問題ない。俺と友達になる気があるのなら、この入部届けにサインしてくれ」

「い……いいんですか? 私なんかと、友達で……」

「しつこいな。いいと言っているだろう」

「で、でも私……。お、オカルトとか好きだし……。ち、小さい頃から幽霊みたいだって気味悪がられて、と、友達が出来た事だって一度もなくて……」

「君の事情なんか知った事じゃない。俺と友達になる気があるのか、ないのか。どっちなんだ」

「な、なります! ならせて下さい!? ぃ、ぃひひひっ……」


 薄気味悪い引き攣り笑いをあげると、女はコソ泥みたいに入部届をひったくり、大慌てで記入した。


 まるで、急がないと俺が心変わりを起こすとでも言いたげな態度だった。


 その割には、女の書いた字は美しく達筆だった。


「二年二組の四谷麗子よつや れいこか」

「はい! ぃ、ぃひひひ……。周りからは、貞子って呼ばれてますけど……」

「そう呼んで欲しいのか?」

「いぇ!? ぜ、全然……。オカルトは好きですけど……、からかわれるのは、好きじゃないです……」

「では四谷と呼ぼう。いいか、四谷」

「は、はい! もちろん! い、いひひひひっ!」

「さっきからよくわからないタイミングで笑っているが、笑い上戸なのか?」

「い、いぇ……。愛想笑いと言うか、癖と言うか……。緊張するとつい出ちゃって……ぃ、ひひひっ……。い、嫌だったら直します! ……無理かもしれませんけど……出来るだけ、抑えられたらいいなと……ひ、ひひっ」


 言ったそばから不気味笑いを浮かべると、四谷はハッとして口を押さえた。


「べつにいい。好奇心で聞いただけだ」

「ひ、ひひ……。そ、そう言ってくれると……助かります……ひひひっ」


 嬉しそうに言うと、四谷は急にモジモジしだした。


「そ、それで、その……ふ、ふひひっ! こ、これで私達、お友達という事で、いいんでしょうか……ひひひっ」

「厳密には顧問がこいつを認めてからだが。断る理由はないだろう。もし断られても俺が認めさせる。だから、友達と言って問題はないはずだ」


 俺も友達を作れと言われただけで相手までは指定されてない。


 今更後出しであれこれ条件を出されても聞いてやる筋合いはないだろう。


 ただそれだけの話なのだが。


「ぃ、ひ……ひひ、ひひひひひひっ! う、嬉しいです! そこまでして私とお友達になってくれるなんて! 嬉しい、嬉しい! ひひひひ! は、廻間さんは、うひひ! い、いい人です! わ、私の、ふひっ! 初めての、ひひひ! お、お友達です!」


 四谷は小躍りをして喜んだ。


 見ているだけで呪われそうな不気味な踊りだった。


 大袈裟な奴だ。


「俺にとっても四谷は初めての友達だ」


 別に嬉しくはない。


 ただの事実だ。


「うひ! うひひひ! ひーっひっひ! わ、私達、ひ、ひひ! 初めて同士ですね! そ、それで、なにをしましょうか! ふひ! ふひひ! わ、私! ほ、放課後に、お友達と遊んだり、ひひひひ! そういうの、ずっと憧れてたんです!」

「まずは入部届を顧問に提出する」

「で、ですね! ひひ、そ、その後は? いひひひ!」

「家に帰る」

「いひ……ひ? か、帰っちゃうんですか?」

「あぁ。友達同好会の目的は友達を作る事だ。それが達成された今、ここに居座る理由はない。じゃあな四谷。お前には感謝するぞ」

「……ぇ、ぇ、ぇ? そ、それって、どういう……」

「戸締りは任せた」


 二人で職員室に行く事もない。


 四谷を置き去りにして、俺は一人で入部届を出しに行った。


「えぇ!? 本当に入部希望者が来たんですか!? しかも、二組の問題児の貞子……じゃなくて、四谷さんって……。よく会話が成立しましたね……」


 互井先生は感心した様子だ。


 なんだが昆虫との会話に成功したような扱いだった。


「別に普通でしたが」


 少し個性的な所があるのは認めるが、異常という程ではないだろう。


 異常者でないのなら、俺と同じ普通人だ。


「普通、ですか……。まぁ、廻間君を基準にしたら、世の中の人はみんな普通の範疇かもしれませんね……」

「よしてください。それじゃまるで、俺がとんでもない変わり者の異常者みたいじゃないですか」

「みたいじゃなくてそう言ってるんですけど……」

「はははは、ははははは! はーっはっはっは!」


 面白くて、俺は五分ほど腹を抱えて笑い転げた。


 なぜか先生はバケモノでも見るような目で半泣きになっていたが。


「先生、今の冗談は笑えました。つまらない人だと思ってましたが、結構ユーモアがあるんですね」

「……もうそれでいいので、そろそろ帰ってくれませんか……」

「言われなくてもそうします。そういうわけなので、友達は作りましたから」


 宿題をやり遂げた後のようなさっぱりとした気持ちで職員室をあとにする。


「……友達って、そういうものじゃないと思うんですけど……」


 去り際に互井先生が何かを言ったが、俺の耳には届かなかった。

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