第44話 一般居住者区画


 アリスとルーナが一仕事終えて談笑している頃、魔力鍵を複製した潜入班が動き出した。


 隠蔽魔法で姿を隠したシオンと椿姫が警備の魔動人形の背後を取ると、一撃でそれぞれ一体ずつ魔動人形を破壊する。透かさず、キリエが魔動人形の残骸に触れて、通報を未然に防いだ。


 そしてアンナは大きな扉の中央にある認証装置に、複製した魔力鍵を当てた。


 小さな電子音がして、認証装置が緑色に光り、ゆっくりと扉が開き始めた。すると───


『……助けて……助けて』


 アンナは大勢の魂の囁き声を感じた。それはまるで苦痛に身を捩る悲鳴だった。


「なんですか、これ」


 千里眼で扉の向こうの景色を見てしまった椿姫は震えながら声を溢した。


 扉の向こうにあったのは街───ではなく、巨大な空間に並べられた棺桶コフィンの列だった。


 棺桶には近未来的なモニターが取り付けられており、そこには心電図と魔力量が表示されている。それぞれの棺から太いパイプが空間の中央の穴に向かって伸びていた。


 アンナたちは目の前の景色の意味が理解できずに呆然とするが、これが良くないものであることだけはわかった。


 空間に入ってすぐにあるモニターとキーボードが付いた装置──魔力コンピュータを魔機マキナに強いシオンが操作して調べる。すぐに彼女の表情が憤りに満ちたものに変わった。


「ここはキヴォトスの魔力炉で、その魔力源が棺に入った一般居住者です」


 つまり行方不明の一般居住者は魔力を取られ続ける家畜にされていたのだ。

 

 意味は理解したが、アンナたちは言葉を失ったままだった。なんでそんな酷いことができるのか理解できなかったからだ。


 この救いの方舟キヴォトスは千人の人間を犠牲にすることで成り立っている偽物の楽園だったのだ。

 怒りのあまり、アンナは奥歯を強く噛んだ。


「幸い、棺桶コフィンの中の人々は生きているようですが、この装置を操作して一般居住者を解放することは不可能です。この方々を解放するには、術者であるノアを倒すしかないかと」


 それを聞いてアンナは僅かに安堵した。先程アンナが聞いた声は、死んだ人々の残留思念ではなく、コフィンの中から助けを訴える人々の魂の叫びだったのだ。


「よかった。それなら早くノアをやっつけよう」


 魔力を取られ続けて苦しむ人たちを早く助けたい一心だったが、通信魔法で状況を共有していたアリスが制止した。


「それは少し待ってください。まだ調べていただきたいことがあります。この奥にある気候制御装置です。おそらくそこでノアの本当の目的がわかるはずです」


 アリスはこれまで会場組と潜入班が得た情報からノアの目的を推測していた。

 四人は棺桶から伸びる管が続く、キヴォトスの最下層にある気候制御装置に向かった。


 厳重に閉じられた扉を魔力鍵を使って開けると、その向こうには巨大な地球儀が鎮座していた。そして、その下には円形の窪みがあり、周囲を魔法陣が囲っている。魔法陣に記された名は『リヴァイアサン』。強大な悪魔の一柱の名だ。気候制御装置には悪魔の魔法が使われているのだ。


 シオンが操作用のコンピュータを調べる。するとモニターに世界各地の異常気象情報が表示された。そのどれもが、未来の日付だった。


「これは異常気象の予測なのかな?」


 キリエの疑問にシオンが深刻そうに答えた。


「いえ、予測ではなく、予定・・です。どうやら世界各地の異常気象はこのキヴォトスが発生させているようです」


 それはこれまでのノアへの認識が百八十度ひっくり返る真実だった。

 アリスが明らかになった事実を言葉にする。


「ノアは預言者でも予知者でも、救世主でもありません。世界が滅ぶと嘘を吐き、異常気象を発生させてはそれを止める、自作自演のペテン師です」


 少女たちは衝撃の真実に驚きつつも、納得していた。だって世界が滅んだら困るのだから、嘘でないとおかしい。


 そして、真実を知った少女たちに次の疑問が生じた。キリエがアリスに質問した。


「でも、なんで嘘の予言をして、異常気象を起こしたの? 人気者になりたかったとか?」


「これは本人に確認を取らないことには推測の域を出ませんが、おそらく、ノアは本当に世界を滅ぼすつもりなんです。そして、このキヴォトスに保護した優秀な魔法使いだけが生きる世界を創り上げることが彼の最終的な目的だと思われます」


 アリスの推論はノアという究極の魔法至上主義者の行動の到達点だった。アンナたちも、その馬鹿げた推測が正しいような気がしてならなかった。


 世界が滅ぶ予言。世界各地の異常気象と自然災害。優秀な魔法使いだけを保護するキヴォトス。

 このピースたちが組み上がった先に見える景色は優秀な魔法使いだけが生き残った世界だ。

 それは魔法至上主義思想の到達点と言えるだろう。


 だとするならば、このキヴォトスの気候制御装置は世界を滅ぼすことができる可能性がある。アンナは刀の柄に手をかけた。


「じゃあこの機械を壊そう」


 それを再びアリスが止めた。


「ダメです。世界を滅ぼせるような装置を無闇に壊せば何が起こるかわかりませんし、この機械は一般居住者の棺と繋がっています。術者のノアを直接倒すしかないです。ということで潜入班は会場に戻ってきてください。証拠は出揃いました。戻り次第、ノアを捕縛します」


 情報を騎士団に持ち帰ってからでは、世界が滅んでいるかもしれないし、次にキヴォトスに入るチャンスも無いだろう。ノアを捕えるなら今夜しかない。


 アリスの指示で潜入班が上層の会場に向かって走りだす。キヴォトス内では別の空間への転移魔法が使えない。


 会場組の戦力だけでは、ノアに勝てるかわからないため、アリスたちは潜入班の合流を待っているしかなかった。

 先程まで会場では透明化したノアを夜会参加者たちが血眼で探していたため、隠蔽魔法で姿を隠して不意打ちする方法も使えない。


 全員でカサノヴァの周りの席に座り、いつでも戦えるように精神を研ぎ澄ませていた。敵はノアだけとは限らない。真実を聞いてもノアの味方をする者がいるかもしれば、数で不利になり得る。


 警戒するアリスたち会場組の元に、ヒールの足音が近づいて来る。

 その足音の主から生じる重苦しい黒い魔力に影響されて、人々が自然と道を開けた。


 姿を見せたのは足元に深いスリットの入ったドレスを着た黒髪の美女だった。ドレスの胸元と背中も大きく開いており、纏わりつく色香と美貌に誰もが目を惹きつけられるが、同時に濃い魔力に当てられて怯んでしまう。

 

 女はカサノヴァの正面の席に足を組んで座った。


「レヴィアタン」


 カサノヴァが女の名を静かに呼んだ。

 少女たちに緊張が走る。

『レヴィアタン』。嫉妬を司る七大罪の魔神であり、最強の怪物『リヴァイアサン』の別名でもある。

 この女はノアに手を貸している悪魔なのだ。


「久しぶりね、カサノヴァ。この身体を譲って貰った時以来かしら」


「譲った覚えがないんだが、奪った・・・の間違いじゃないか?」


 見ての通り、肉体に受肉しているレヴィアタンだが、それはカサノヴァの作った人形らしい。

 霊体でいるよりも実体を得ている方が悪魔は強い。人間そっくりのカサノヴァの人形は悪魔が実体を得るのに誂え向きなのだ。


「ねぇ、ところで、どうして人形なんて侍らせているのかしら。あなたが本物の女に飽きる筈もないだろうし」


 レヴィアタンの目が潜入組の人形を見抜いた。カサノヴァは焦るでもなく平然としている。


「この子たちは教え子だぜ、手を出すわけないだろう。人形なのは、長めのお花を摘みに行っているから、その間のカモフラージュさ。君も女の子なんだからこの気持ちわかるだろ」


 レヴィアタンはカサノヴァのことを酷く嫌悪するように冷たい顔をした。


「相変わらずデリカシーの無い男ね。もっとまともな嘘を吐けないものかしら。何か企んでいるようだけど、ノアの機嫌を損ねないように気をつけることね。世界が滅ぶ時、この舟に乗っていたければ」


 忠告を言い終えても、レヴィアタンはその場を離れるつもりはないようで、アリスたちを値踏みするように見回している。潜入作戦がバレているかはわからないが、アリスたちを見張るつもりだ。


「そう怖がらないで、お嬢さんたち。ノアから頼まれているのよ、良い魔法使いがいたら、スカウトするようにって。もし、数人の小娘と、若作りのジジイだけで私の相手をできるのなら、きっとそれが生き残るべき優良種なのでしょうね」


 向こうから戦闘を仕掛けては来ないようだが、こちらが動けば対応するつもりだ。アリスたちは最強の怪物によって身動きを封じられた。もし勝ち目があるとするならば、アンナとイブだが、転移無しでは、到着までまだ時間がかかる。

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