第45話 予言


 夜会が始まってからしばらく経った頃、ノア・ジウスドラが会場のステージに上がり、拡声魔法を起動した。夜会参加者たちの視線が一瞬で壇上に集まる。


「こんばんは、皆さん。夜会に出席してくれたこと、心より感謝する。今夜、私は素晴らしい資産たちに出会えた」


 キヴォトスの居住権を得られる者が発表されるのだと誰もがわかり、固唾を飲んだ。


 アリスたちは参加者が完全にノアに求心されてしまうのを恐れ、居住権発表の前に、真実を明かしたかったが、レヴィアタンに睨まれていて、動けない。


「皆も知っての通り、この夜会はキヴォトスに住む資格を見定める最終選別会だ。生き残りがかかっているのだから、緊張している者もいるだろう。だが、安心して欲しい。この場にいる君たちは全員合格だ。喜びたまえ、君たちはこの楽園で救済されるのだ」


 両手を広げて、ノアが人々を歓迎するように宣言した。

 参加者たちは歓声を上げ、拍手して喜んだ。中には抱きしめあったり、涙を流したりして、感動している者もいる。自分たちが救われることがわかったのだから、当然の反応だろう。


 その光景がアリスたちには不気味で気持ち悪い、まるでカルト宗教の集会じみて見えた。

 それは、救われない人々がいるのに喜ぶ人たちの感性が理解できないのと、このキヴォトスの真実を知ってしまっているからだろう。

 

 拍手喝采、参加者たちの心がノアの虜になる。熱烈な拍手と歓声の波、吐き気を催すほどの妄信的な空気。それを打ち破るように、会場の扉が勢いよく開いた。


 アンナ、キリエ、シオン、椿姫の四人が武器を持って会場に入ってくる。

 人々はアンナが放つ威圧的な魔力に怯み無言になった。アンナの怒りに呼応して、背後の女神イヴから、魔力が溢れ出しているのだ。


 今にもノアに切り掛かりそうなアンナを制止して、キリエが言い放った。


「みんな騙されないで! そいつ嘘吐きだよ!」


 キリエの指差す壇上のノアに再び人々の視線が集まる。突然の出来事に人々は困惑して騒めき出した。


 ノアは平然としたままで、狼狽える人々を静かにさせた。


「君たちはカサノヴァの生徒だね。この余興は予定にはないが、何の催しかな」


 あくまで白を切る老獪な男。仕方ないと溜息を吐いて、カサノヴァが立ち上がった。


 同時にレヴィアタンが立ち上がる。そこにアンナが斬り掛かった。その刀をレヴィアタンは平然と素手で受け止める。


「おまえがイブリースの巫女か」


 エクソダスの真の指導者を倒したアンナの知名度はそれなりに広まっており、『イブリースの巫女』という異名で恐れられていた。


 アンナの影からヌルりとイブが出現し、草薙剣を振るう。火炎を纏った薙ぎ払いにより、レヴィアタンは後方に吹き飛ぶが、その身体はあまりに頑丈で無傷だ。


 気を取り直して、カサノヴァが口を開いた。


「夜会に集った魔法使いたちよ、聞いてくれ。ボクが今から話すのは、このキヴォトス、そしてノアの真実だ」


 その美貌と美声、舞台の名優じみた仕草と口調で、人々は男の話に引き込まれていく。カサノヴァはノアの秘密を明かして、キヴォトス住民と夜会参加者を味方につけるつもりだ。そうすれば、キヴォトスは組織として瓦解する。ノアを戦わずして追い込めるだろう。

 ノアは「見ものだな」と笑うと、黙ってカサノヴァの話に耳を傾けた。


 カサノヴァは潜入班が撮影した写真を投影魔機を使って会場の壁面に映し出した。そこには一般居住者区画の棺桶の列が映っていた。


「これは一般居住者区画で、棺桶のような機械には一般居住者が閉じ込められている。彼らはこのキヴォトスの魔力源として魔力を延々と吸われ続けているんだ」


 ざわざわと観衆が動揺し始める。しかし、今のカサノヴァは救世主ノアを陥れようとする突然現れたピエロに過ぎない。人々は信じない。


「キヴォトスの秘密はこれだけじゃないぜ」


 次に映し出されたのは気候制御装置と未来の日付が表示されたモニターだった。


「ここに映っているのはこれから起きる災害の場所と時間だ。だけどこいつは予測でも予言でもない。予定・・だ。このキヴォトスが、世界各地に異常気象を起こしている元凶なのさ。つまりノアの予言は嘘で、異常気象は全て自作自演ということになる」


 しかしこれでも観衆が信じることはない。野次が飛び交った。


「その写真が本物だって証拠はあるのか!」


「嘘吐きはおまえだ!」


「ノア様がそんなことする訳ないだろ!」


 当然カサノヴァもこんな薄っぺらい写真だけで、救世主を信仰する人々を動かせるとは思っていない。


「そうだ。ノアがこんなことするはずもない。だからさ、ノア。一般居住者区画と気候制御装置をみんなに見せてやってくれないか」


 もしはぐらかしたりすれば、ノアは求心力を失うことになるだろう。問いかけに、ノアは答えられず、困ったように、面白そうに、顎に手を当てた。


 それを見て、観衆の中にノアに対する疑念が生じた。一人の男性がノアに問いかける。


「ノア様、あの者たちが言っていることは嘘ですよね?」


 返答の代わりに、ノアはくつくつと笑い出し、しばらくすると真顔になった。


「彼らの言っていることは全て真実だ。予言は嘘で、このキヴォトスの動力は魔法弱者から搾取した魔力だ。そして世界各地の異常気象も気候制御装置が発生させたものである」


 何の躊躇いもなく、男は自分の罪を洗いざらい語った。これまでノアを信奉していた者たちの顔が青褪める。


「……な、何故そのようなことを」


 熱心な信奉者たちが失望して膝から崩れ落ちた。彼らの嘆きにノアは答える。


「いい質問だ。答えよう。私が世界が滅ぶと嘘を吐き、自ら災害を起こしたのは───人類を救うため・・・・・・・である」


 ノアは大仰な手振りで堂々と宣言するが、その矛盾した意見を人々は理解できない。ノア・ジウスドラはにやりと不気味に笑った。彼の演説の声が一段と大きくなる。


「今、人類は危機に瀕している! 魔法弱者という劣等種が大繁殖し、優良種である我々魔法使いはこのままではやがて淘汰されてしまうだろう。私はそれを防ぐため、優れた魔法使いをこの方舟に乗せて保護し、それ以外の劣等種を滅ぼすことで、人類を救おうとしているのだ!」


 アリスの推測は正しかった。ノアは優秀な魔法使い以外を滅ぼすつもりだ。


 聞いた信者たちの頭の中で、崩れかけていた救世主像が再び強固になっていく。彼は魔法至上主義者の求めていた救世主そのものであった。


 追い詰めたつもりが、いつのまにか聴衆の心を奪い取られていた。カサノヴァは感心しつつ、舌戦での負けを悟った。


 もうカサノヴァがいることも忘れられ、ノアが一人で演説を続ける。


「世界が滅ぶこと、これは嘘ではない。私がこの手で、邪悪な劣等種を滅ぼすからだ! そして、人類を救うこともまた真実である! 君たち魔法使いという優良種、即ち真の人類を私が救い、楽園へと導くのだから!」


 先程とは比にならないほどの万雷の拍手と雄叫びが巻き起こる。それは歓喜ではなく狂気だった。

 アンナたちは凄まじい嫌悪感と憤りを覚えた。


 ここにいる魔法使いの多くは、地上に残った人々が魔法弱者なら滅ぼうとも何とも思わない魔法至上主義者ばかりだった。

 ノアが悪いことをしていれば、信奉者が離反するなんて、人間の善性を信じたのが悪かったのだ。カサノヴァの信奉者を味方につける作戦は失敗に終わった。

 後はもう、ノアを戦いで倒すしかない。最悪、大勢の信奉者とも戦うことになるだろう。


 ノアが手を挙げて拍手を止めた。


「では、今一度キヴォトスの居住者を募ろう。この場にいる者は全員、その資格を持っている。さあ、救いの方舟に乗りたい者は壇上に上がりたまえ」


 一斉に人々がステージに群がって這い上がり、ノアの後ろに立ち並んだ。アンナたち魔法学校生と数人を残して会場の人々は広いステージに上っていた。


 アンナたちにノアが声をかける。


「君たちは優秀であることを、先程の行動で証明した。次世代に遺したい資産だ。是非ともこちらに来て欲しいものだな」


 続いて、ルーナの母親がルーナに声をかけた。


「ルーナ、こっちに来なさい! そっちにいたら死んでしまうのよ!」


 しかしルーナは友達を見捨てることはできず、決断できないでいた。

 見かねたノアが何かを閃いたようで、楽しそうに微笑んだ。


「ふむ、私は君たちに犠牲になっては欲しくない。そこでデモンストレーションをお見せしよう」


───ガコン


 床が、いやキヴォトスそのものが揺れた。気候制御装置が起動していた。


「これより、魔法弱者の集う罪深き堕落の都アクアを海の底に沈める」


 キヴォトスが世界を滅ぼせる力を持っていることを見せつけて、恐怖で人の心を掌握しようというのだ。

 当然見過ごせない。アンナはイブにレヴィアタンを任せて、ノアへと一瞬で距離を詰めた。


天羽々斬アメノハバキリ!」


 あらゆる防御を無視して切断する斬撃、ノアはそれを体を逸らすだけで容易く躱した。その無駄のない挙動は、まるで未来が見えているかのようだ。

 老獪な詐欺師がニタリと笑った。


「予言は嘘だが、未来が見えないとは言っていない」


 ユリア・コンセンテスも用いた簡易未来視だ。数秒先までの未来なら一瞬の間に知ることができる。


 身体強化魔法の能力も高いようで、スサノオを憑依して高速移動するアンナに追いつき、目の前に杖を突きつけた。


「それも視えているぞ、カサノヴァ」


 ノアが宣言した後、いつのまにかカサノヴァがアンナを守るように立ち塞がっていた。そのカサノヴァの動きは速すぎたのか、アンナにも感知できないほどだった。


「アンナちゃん、あとは頼む」


 カサノヴァは振り向いて笑うと、次の瞬間には真っ白な塩の塊に変貌していた。その肉体も衣服も全てが塩になり、石像のように動かない。

 ノアが開発したという『塩化魔法』だ。対象を塩に変換する、彼にしか使えない魔法である。


塩の柱ネツィヴ・メラー。さらばだ、旧き友よ」


 残念そうにノア・ジウスドラは笑い、杖を振った。塩化したカサノヴァは一瞬で粉々に砕け、白い粉だけが床に散った。


 自分を庇ってカサノヴァが死んだことを認識して、アンナは呆然とする。再びノアの杖が向けられるが、シオンが転移魔法でアンナを後退させて助けた。キヴォトス内でも同一空間内での転移は可能だ。


「……どうしよう、私のせいで、カサノヴァ先生が」


 ショックを受けたアンナは先程までの勢いを失ってしまう。駆け寄ってきたアリスの顔を見れなかった。


「アンナちゃん、今は戦いに集中してください。残念ながら、あの人は塩になったくらいで死ぬタマではないので、気にする必要はありません」


 父親が死んだというのにいつも通り冷静だ。アリスの言う通り、アンナはすぐに切り替えて、立ち上がると刀を構え直した。


「シオン先輩、ありがとうございます」


「お礼なら、アクア名物の真っ黒スパゲッティでいいですよ」


 こんなタイミングでもジョークを言って、緊張で強張る面々の精神を和ませるシオン。

 ユニコーン決闘部は一ヶ所に集まり、杖と武器を構えた。


 しかし、敵は魔法の祖ノア・ジウスドラだ。迂闊に動けば、塩にされてしまうし、側には魔神レヴィアタンもいる。

 それに、魔法至上主義者とはいえ、生き残るためにノア側に付いている人たちを戦いに巻き込むわけにはいかず、アンナたちは動けない状態だった。


 両者の睨み合いが続く中、ついに気候制御装置が発光した。


 会場の窓から、眼下の海に巨大な津波が発生するのが見えた。津波は五十メートルを超えるほどの高さに成長して、あっという間に海に浮かぶ街を飲み込んだ。

 

 アンナたちには一つの確信があった。アクアは沈まないという確信が。


 ノアが気に入らなさそうに眼下を見た。波が引いたそこには半透明の魔力の膜によって守られたアクアの街並みがあった。


「……マリア・フルルドリスか」


 感嘆する男の視線の先、アクアの鐘塔の頂点には、本物の救世主『マリア・フルルドリス』が立っていた。


 彼女がいる限り、アクアの街はあらゆる災厄から守られるだろう。


 気候制御装置のデモンストレーションは失敗に終わった。だというのに、ノアは何度目かの笑みを浮かべた。


「残念だ、聖女も世界の沈没までは止められまい」


───ガゴン


 一際大きい音と振動、気候制御装置が再び起動したのだ。

 空を黒雲が埋め尽くす。雷鳴が轟き、強風が吹き荒び、滝のような豪雨が降り出した。この現象は世界中で同時に発生した。


 気候制御装置の作動を確認したノアは満足そうに宣言した。


「今宵、私が神に代わって世界を滅ぼす!」


 ノアは世界を終わらせる引き金を引いてしまったのだ。信奉者たちによって万雷の拍手が巻き起こり、ノアはそれを両手を広げた姿勢で堪能した。


「君たちは幸運だ。今夜が最後の選抜だったのだから。それでは再び問おう。迷える子供たちよ、生き残りたければ我が救世の方舟に乗りたまえ。今から十時間後の夜明けには、世界の文明は水底だ」


 世界の滅びが始まったことで、僅かに残っていた反対者たちも、渋々とステージに上がっていく。


 当然、アンナたちはその誘いには乗らない。アンナたちの目的は世界の滅びを止めることだからだ。


 その時、徐ろにルーナが一人でステージへ上った。


「……ごめん、みんな。ルーナ、死にたくない」


 申し訳なさそうに、声を震わせていた。少女はノアと両親に迎えられ、列に加わった。

 アンナたちは誰一人、彼女を責めなかった。生き方と死に方は本人が決めるべきだからだ。


 残ったのはルーナを欠いたユニコーン決闘部六人だけだった。


 ノアは残念そうに、無謀な勇者たちを見下ろした。


「君たちを殺したくはない。今一度、考える時間を与えよう。それでもまだキヴォトスに反対するのならば、我々は戦うしかないだろう。答えが決まったのなら、再びここに来たまえ」


 ノアの言葉の後、ユニコーン決闘部六人の視界が真っ暗になった。


 気がつくとアンナはキヴォトスの甲板にいた。どうやら強制的に転移させられたようだ。

 甲板は防風結界で守られており、無風無音だが、透明の膜の外は凄まじい雷雨だった。


 近くにいるのはアリスとイブだけで、他の四人とは離れ離れになってしまった。通信魔法も妨害されて繋がらない。


「アリスちゃん、なにか作戦はある?」


 アンナの頭には敵を倒すことしかない。世界が沈没するのは十時間後だが、今この時も災害に苦しむ人たちがいる。一般居住者を解放するためにも、早くノアを倒さなければいけなかった。


 突然アリスが口を押さえて吹き出した。


「ぶふっ、頭の中、老人虐待まみれですよ」


「うん、どうやってあのジジイを倒そうか考えてた。話し方とか態度とか偉そうでムカついたから、できるだけ酷い目に合わせてやろうと思って」


 アンナの頭の中ではノアがお漏らししたり、金的されて悶絶していた。アンナはノアのことを心の幼い老人としか認識していなかった。前世の世界の悪徳な政治家や金持ちに似ていて、無性に腹が立つのだ。


「あっはは、変なイメージしないでください。お漏らしって、ワンパターン過ぎます」


 ツボったのかアリスはお腹を抑えて笑い転げる。


「これが私の予言。未来の予測なんて簡単だよ。やりたいことを想像して、そうなるように行動すればいいだけ。あのジジイは大したことない」


 アンナの頭を覗いたせいで、アリスの中のノアの尊大なイメージは崩壊し、恐怖が消えた。


 アリスは深呼吸をして真面目な顔をすると、作戦を発表した。


「対戦カードは考えてあります。アンナちゃんはレヴィアタンを倒してください。ノアはキリエちゃんと私でなんとかします。キリエちゃんは魔法が効かないので塩になりませんし、私は塩になっても死にませんから。私たちがノアと戦うとなれば、大勢の魔法至上主義者たちも黙ってはいないでしょう。これの相手は残りの三人にしてもらいます」


 随分と脳筋な作戦だが、アンナは気に入った。そもそもやることは『戦って勝つ』しかない。

 これは文字通り世界の命運を懸けた戦いだ。子供六人に背負わせるにはあまりに重い責任だが、やれるのはアンナたちしかいない。


「じゃあ、世界を救いに行こっか」


「ええ、行きましょう。ジジイをしばきに」


 二人と一柱は世界を救うため再びエレベーターに乗り込んだ。

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