第7話 霊媒魔法


 決闘開始の合図を聞き、両者が素早く行動を開始する。

 アンナは懐からおふだを取り出して身構えた。ルーナは右手人差し指をアンナに向ける。


「センセーに勝ったくらいで調子に乗らないでよね腰巾着!」


 ルーナの指先に水が集まり、まるで銃弾のように先端が尖った形状へと変化する。

 形成された水の弾丸は即座にアンナへと発射された。

 授業ではまだ教わっていない水属性の攻撃魔法だ。原理は魔力弾と同じで、水属性の魔力を攻撃に用いるというもの。


 水属性の魔力は形状を自由に変えることができる特徴を持つ。水は人間と近しい属性であることから、魔力の伝達速度や変換効率も良く、戦闘においては攻防に優れたバランスの良い属性だ。


 水の弾丸の速度はそれこそ銃弾のように速く、目視は不可。放たれた瞬間、観戦する生徒たちはアンナの敗北を確信した。


「アンナちゃん!」


 アリスが心配のあまり声を溢す。ルーナは勝ちを確信しニヤリと笑った。

 しかし、アンナは無傷だった。


 アンナの眼前には防御魔法の壁が出現していた。その強度は先ほどの授業で使ったもののような貧弱なものではなく、式神の防御魔法に匹敵する頑強なものだった。


 アンナは魔法術式が書き記されたお札を掲げていた。これは『呪符』だ。

 あらかじめお札に魔法の術式を刻むことで、魔力を消費せずに魔法を使える道具で、東洋の魔法で用いられる。

 刻んでおく魔術式は他人のものでも可能で、アンナは呪符に契約している神霊の魔法を込めていた。当然神が使うよりも精度は下がるが、それでも神霊の魔法を即座に使うことができる。

 

 呪符の魔法は使い切りのため、使用した札を捨て、懐から補充する。左手で扇状に手札を持ち、右手を空けて、即座に呪符を使えるように構えた。


「符術とかダッサ〜。自分が魔法弱者だって証明してるようなもんじゃん」


 呪符を使う『符術』は、極論誰にでもできる簡単な魔法だ。そのため魔法至上主義者にとっては見下しの対象となる。


「魔力を使わないとしても、呪符には限りがあるからね。いつまで保つかな〜?」


 ルーナは今度は指ではなく手のひらをアンナに向けて構えた。瞬時に戦車の砲弾ほどの水塊が生成されて、即座に発射される。


 呪符の術式を起動させるため、アンナは呪文を唱えた。


玄武陣げんぶじん──きのえ!」


 再びアンナの眼前に防御魔法が展開され、ルーナの攻撃を完全に凌ぐ。呪符二枚を切って発動した陰陽道で、出現した魔法陣には『玄武』の紋章が刻まれている。

 水を司る神『玄武』の紋章と水属性に有利な木属性の術式『甲』を組み込んだ防御魔法は水属性魔法に対して強力な盾となる。


 防御に続いて、アンナは攻撃魔法の呪符を切った。予め付与した硬化魔法で金属の板のように硬くなっている呪符を手裏剣の要領でルーナに向かって投げつける。


火之迦具土ヒノカグツチ


 ヤマト帝国の古き神の名を唱える。それに呼応するように呪符は発火、爆発し、ルーナは爆炎に飲み込まれた。

 アンナの前世の世界でも著名な火の神『火之迦具土神ヒノカグツチ』の魔法を込めた呪符だ。その用法は言わば手投げ爆弾。

 前世が日本人だったアンナはヤマト帝国もとい日本の神様と相性が良く、その力を貸してもらうことができる。

 

 爆発の煙が晴れると、そこには無傷のルーナが立っていた。彼女の周囲を水の壁が包んで守っている。水属性の防御魔法だ。火属性の攻撃に対して有利な性質を持つ。

 ルーナは水属性魔法が得意なことはこれで明白だ。


「最初に水魔法で攻撃したんだから、火が効かないことくらいわかるでしょ。脳みそないの?」


 脳みそはある。だから水を使わせたのだ。

 水の壁に対して次の手を打つ。間髪入れずに呪符を飛ばした。


建御雷タケミカヅチ


 呪文に呼応し、呪符が雷を纏って加速、凄まじい勢いで水の防壁を貫通した。さらに雷属性の性質によりルーナに感電する。


「痛ったぁ!? ふざけんな!」

 

 雷を司る『建御雷神|タケミカヅチ』の呪符は水属性防御魔法に対してかなり有効な攻撃性能を持つ。

 アンナはこれでルーナを気絶させる手筈だったのだが、想定していたほどダメージが出なかった。ルーナの防御魔法が優れているのだ。彼女は魔法至上主義者故にその魔法の実力は確かなものだった。


「マジムカつく。もういいや、殺しちゃお」


 声を荒げたと思えば突然落ち着くルーナ。いつのまにか彼女の右手には杖が握られていた。ルーナの背丈ほどある大きな杖で、穂先には大きな三日月の装飾が取り付けられている。


 杖がアンナへと向けられる。ルーナの背後、体育館の天井、さらにはアンナの背後に直径五十センチほどの魔法陣が合計四十個出現した。


「四十夜の雨よ、地上の邪悪を洗い流したまえ。方舟雨夜リジェネシス・アークナイト


 彼女の性格からは想像もできないほどの、祈るような清廉で厳かな聖典系魔法の詠唱。

 全ての魔法陣から同時に青色の矢が発射される。合計四十門の砲門による水属性魔法の全方位掃射。エクレシア教の聖典に記された裁きの再現だ。


弟橘比売命オトタチバナヒメ!」


 咄嗟に呪符を発動する。アンナの周囲を炎の壁が取り囲み、全方位からの水属性魔力の矢を防御する。水に弱いはずの火属性だが、その炎は絶えることなく燃え続け、水の矢を蒸発させていく。

 ヤマト帝国の神話において、海の神の怒りを鎮めるために、海に身を投げた姫の力を宿した呪符だ。

 ルーナの魔法は聖典に記された神の裁きの洪水を再現したものだ。それに対して弟橘比売命は水難から人を守る守護神であることから水に対して効力が増加する。このように魔法の原典や性質によって対抗する魔法に対して特別な効力を発揮する魔法を『特攻魔法』と言う。

 魔法の戦いは相性の戦いなのだ。


「特攻魔法か。だけど、それも長くは保たないよ〜。じっくりと溺死させてあげる」


 その相性も圧倒的な実力差や物量差を埋めることはできない。ルーナの魔法陣砲門からは水の矢が休むことなく発射され続ける。対して弟橘媛比売命の呪符は徐々に端から焦げて消えていく。アンナの手持ちの呪符も残り少ない。このままでは負けるだろう。それに向こうはアンナを殺すつもりだ。


「アンナちゃん!」


 アリスが叫ぶ。アンナは自分の怒りに任せてこの決闘を始めたせいで、アリスに心配をかけてしまった。それでも、戦う選択をしたことは間違いではないとアンナは思っていた。


「魔法弱者の分際で調子に乗って、ルーナに歯向かうからいけないんだよ。人間の価値は魔法能力で決まるの。強い方が偉いのは自然の摂理。あなたたち魔法弱者は最底辺の無価値なゴミなんだから、夢なんて見てないで身の丈にあった生活を一生していればいいんだよ」


 勝利を確信したルーナは魔法至上主義思想を語り始める。なぜ、そうやって他人を傷つけ、侮蔑するのか理解できない。アンナの中の怒りが多重積載されていく。


「ルーナさん、もうやめてください! 私が代わりに退学しますから!」


「やーだよ! 決闘は魔法契約だから、そう簡単に約束を変えることはできないし、約束は絶対に守らないといけないんだよ。ま、こいつはここで死ぬから退学させるまでもないんだけどね。

 アリスちゃんが退学したいなら勝手にすれば。目障りだから、退学大歓迎だよ」


 ルーナと取り巻きたちはまた笑い出す。アリスは自分が何もできないことが悔しいようで、再び無力感に苛まれ、悲しい表情をした。

 アンナもまた、自分の弱さが友達を悲しませてしまったことが悔しかった。グレーゾーンで躊躇っていたが、奥の手を使うことを決意する。


 弟橘比売命の呪符が焼き切れる。アンナを守る炎の壁が無くなるのと同時に、水の矢が全方位から降り注ぐ。

 静かに、素早く、アンナは両手を合わせた。祈るように、吼えるように、神の名前を唱える。


「───憑依、伊吹大明神」


 瞬間、黒い女の影が抱きつくようにアンナの背後に現れて微笑み、体の中へと浸透していく。

 水の矢が黒い魔力の壁に阻まれて消滅した。

 開かれたアンナの目の色は赫。それを直視したルーナは体が震え、後退りした。


 アンナが使用したのは憑依魔法。これは霊を術者の身体に降ろし、一心同体となることで、その降ろした霊の能力を術者が使えるようになる魔法だ。


 今のアンナは神霊伊吹大明神と同等の魔法能力を得ているということになる。その身は常に高濃度の魔力により守護され、あらゆる攻撃魔法を無力化する。さらに、蛇の魔眼により、相手には神の重圧がのしかかる。


 これまで憑依魔法を使わずに、呪符で戦ったのは、憑依魔法が使い魔で戦ってはならないという条件に抵触する可能性があったからだ。しかし、呪符だけでルーナに勝つことはできないため、一か八か使用した。

 憑依魔法には完全に霊に主導権を奪われるスタイルのものもあるが、アンナの場合は術者に主導権があるため、使い魔が戦うという条件には触れないはずだ。

 問題は審判がアルゲース先生だということだ。アンナに恨みがあるため、どう判定を下すかわからない。


「憑依って、使い魔使ってるじゃん! センセー、反則ですよ!」


 ルーナが震えながら抗議する。アルゲースは悩ましそうに考えて、胃が痛そうに口を開いた。


「憑依はルール違反ではない。条件は『使い魔で戦わない』だ。召喚をしているわけでもないし、肉体の主導権が霊にあるわけでもない。戦っているのはアンナ・フルルドリス本人だ。よって、このまま続行とする」


 アルゲースは理不尽な評価をしたらマリアに首を飛ばされかねない。セレスティアル家の令嬢への贔屓よりも自分の地位を保つことを選んだようだ。

 一応、アンナはアルゲースに感謝する。


「クソ、神霊がなんだ! 身体は魔法弱者のままでしょ!」


 ルーナは四十の砲門を集約し、直径五メートルほどの巨大な魔法陣を頭上に展開した。それはまるで巨大戦艦の主砲だ。


「天の涙、海の夜、二巡目の創世前夜が訪れる。沈め。創世前夜粛清再生アトラハシース・フラッド!!」


 巨大魔法陣を砲門として、水属性攻撃魔法の奔流が放たれる。

 轟音掻き鳴らし迫り来る神の裁きの再現。その身に異教の古き神を宿した巫女は、一刀を以って迎え撃つ。

 アンナの右手に黒い刀身の太刀が出現、激流に対して静かに振り下ろされた。


草薙剣クサナギノツルギ


 水柱が二つに割れる。攻撃性を持った激流は散り、無害な雨となって周囲に降り注いだ。

 アンナが振るったのは神剣『草薙剣』。ヤマト帝国の神話において、伊吹大明神───またの名を『八岐大蛇』の体内に宿っていた神器である。


 元々は儀礼用の古剣を器としていた神器であったが、戦闘に用いるために扱いやすい太刀の器に神剣の御霊が降ろしている。つまり太刀に神剣を憑依させているのだ。

 このように特別な魔法能力を備えた刀剣を『魔剣』と呼び、魔法使いの中には杖の代わりにこれを用いて戦う者もいる。


 八岐大蛇は水害の化身であるため、草薙剣には水を操る権能が備わっており、水属性魔法を容易く無力化することができた。

 さらに、伊吹大明神を憑依したアンナの身体能力は魔力によって大きく向上しており、魔法に対して剣で戦うことができる。


「封印術『九血縄クチナワ』」


 アンナの足元の影から、黒い魔力で体を構成された九体の蛇が飛び出し、ルーナへと射出される。


「ひっ!?」


 蛇はルーナの防御魔法を容易く食い破ると、彼女の身体に巻き付いて、身動きを封じた。九血縄に縛られた者は蛇の魔力毒により魔法の使用を阻害され、肉体の動きも制限される。

 太刀を鞘に収めるとアンナはルーナへと無言で近づき、頬を拳で殴打した。


「───いっ、」


 頬が腫れ、口と鼻から出血する。初めて殴られたのだろう、ルーナは目を大きく開いてしばらく放心していた。


「なにすんだおまえ───」


 ルーナは殴られたことに怒鳴るが、この至近距離でアンナと目が合ってしまい言葉が途中で途切れた。

 瞳の奥の奥、少女は邪神の深淵──伊吹大明神の心象風景を見てしまう。

 それは血だらけの山河。自然という太古の神による無慈悲な暴力の痕跡と、信仰により供物となった人々の残虐な最後が脳裏に焼き付く。恐怖のあまりルーナは失禁していた。


「そこまでだ。勝負あり。勝者アンナ・フルルドリス」


 アルゲース先生が勝敗の判断をつける。アンナはハッとして封印術と魔眼を解除した。腰が抜けたルーナはペタンと座り込んでしまう。

 観衆の生徒たちは目の前で繰り広げられた攻防のレベルの高さにざわついていた。

 

 アンナは勝負に勝ち、念願の顔面パンチをお見舞いできて目的は達成したのだが、感情に任せてやりすぎてしまったかもしれないと、モヤモヤしていた。


「クソが! 認められない! こんなの反則だ!」


 よろよろと立ち上がったルーナが抗議してきた。アンナはわざわざ心配したことを後悔し、少し安心し、呆れた。彼女に反省するつもりはないらしい。


「誰が魔法弱者に頭を下げるか! ルーナ、絶対に謝らないから!」


 どうせこうやって謝罪を拒まれるだろうとはアンナも思っていた。どうすればいいのかわからず、アルゲース先生の方を見ると、胃が痛そうに苦悩していた。

 そこに、アリスが笑顔でやってきた。


「ルーナさん。私と日ノ宮さんに謝罪してください」


「ルーナはわざと怪我させたわけじゃないし、事実を言っただけだもん。なんで謝らないといけないの? あなたは娼婦の娘だし、魔法能力で人間の価値が決まることは事実でしょ?」


「事実、ですか。魔法能力で人間の価値が決まると言うのなら、アンナちゃんに負けたあなたは毛嫌いしているユニコーン寮の魔法弱者以下の価値ということになりますよ。私たちをゴミと言いましたが、あなたはそれ以下ということになってしまいますね」


 ふふっと、意地悪そうに笑うアリス。舌戦が得意と自分で言っていたが、確かに強いとアンナは畏怖した。絶対に敵に回したくない。


「人間の価値が魔法能力で決まるということを訂正し、謝罪をすれば、少なくともゴミ以下ではなくなりますよ」

 

 ぐぬぬとルーナは悔しそうに歯を食いしばる。それを見てアリスの笑みがさらに幸福そうになる。


「決闘の約束は必ず守らなければならないと、ルーナさんご自身が先程おっしゃっていたではありませんか」


 ルーナに謝罪させるため、さらに畳み掛ける。


「決闘の勝敗による約束を破ると罰則が下されるのはご存知ですよね? 古くからあるしきたりです。そうですね、今回の場合、逆にルーナさんが退学になる、あたりが適当でしょうか」


 ルーナの表情が引き攣る。


「わ、わかった。謝る。退学したくないし」


 渋々謝罪をすることを決めて、ルーナはアリスと椿姫の前に立った。


「魔法能力で人間の価値が決まるという発言を訂正し、日ノ宮椿姫さんに怪我をさせたこと、アリス・カサブランカさんを侮辱したことを謝罪します。申し訳ございませんでした」


 先程からの口調とは打って変わり、礼儀正しい言葉使いで謝罪し、頭を下げた。本心から申し訳なく思っているのか、反省しているのかはわからないが、謝罪の形としては及第点だとアンナは思った。


 しかし、アリスは納得していないようだ。ルーナの心を読心魔法で読み、心からの謝罪と反省をしていないことを見抜いたのだろう、先程よりも笑顔が怖く感じる。


「謝罪の作法が違いますね」


「は?」


 ルーナが疑問と苛立ちの声を溢す。アンナにはアリスの考えが想像できてしまい、「うわ」とドン引きしてしまった。性格が悪過ぎる。


「日ノ宮さんはヤマト帝国出身の方です。彼女への謝罪はヤマト帝国の作法で行われるべきです。ほら、跪いて、頭を垂れて、額突いてください。わかりませんか? 土下座ですよ」


「はあ!? そんなことできるわけないでしょ!? ルーナは魔法貴族のセレスティアル家なんだよ? 平民の魔法弱者に頭を下げるだけでも屈辱なのに!」


「それでは仕方ありませんね。ヤマト帝国には、もう一つ伝統的な謝罪作法があるのでそちらでも構いません。

 誇りを守るため、生き恥を晒さぬために、腹を切って命で詫びる『切腹』という作法です。それなら、セレスティアル家の矜持を保ったまま謝罪ができますよ」


 ルーナが青ざめる。アリスは本気だ。ルーナが本心から謝罪の気持ちを持ち反省しなければ、本当に腹を切らせるつもりだ。狂気じみた意志の強さにルーナは喧嘩を打ったことを後悔する。

 

 ルーナは身体を震わせながら、ゆっくりと膝をつく。生まれながらに持つ魔法至上主義思想と、セレスティアル家の矜持が謝罪することを拒むが、決闘に負けた彼女に拒否権はない。

 それは反省というより、教訓。謝罪というよりも命乞いに近かった。

 ルーナが跪き、頭を垂れた。


「……申し訳ございません」


 アリスはルーナの頭を靴で踏むと地面に無理やり額を押し付けさせた。


「これでよし。はい、美しいですね」


 満面の笑みだ。悍ましいものを見て、アンナはすっかりルーナへの怒りが消えてしまった。顔面パンチがアンナにとっての限界だ。同情の余地はないが、アンナは人をそこまで強く罰せない。


 プルプルと震える体で土下座をし、頭を踏まれ、先程は失禁までした恥態を俯瞰して、アリスは満足気に頷いた。


「謝罪を受け入れます」


 隣にいる椿姫も控えめに頷いて肯定する。彼女もアリスの行動にドン引きしていた。


 顔を起こしたルーナは気に入らなさそうに不貞腐れている。怒りを内包した表情をしているものの、戦いでは勝てない相手と口論で勝てない相手が目の前にいるためお得意の横暴な手段は取れず、諦めていた。

 するとアリスが膝をついてルーナに目線を合わせた。


「なによ、これでいいんでしょ。まだ何か用?」


 アリスはルーナの頬に触れる。手から緑色の光が生じ、次の瞬間にはルーナの頬の腫れが治っていた。


「え? なんのつもりよ」


「先程のことはもう許しました。今のはただ怪我人の治療をしただけです。私は魔法弱者ですが、これでも魔法医を目指しているので」


 アリスの眼がルーナの目をじっと見る。次第にルーナの頬が赤くなった。アンナは「うわっ」と心の中で再びドン引きした。とんだ女狐だ。先程まで争っていた相手が弱っているタイミングで、魅了の魔眼を使って落としにかかった。


「お礼は言わないから!」


 ルーナは照れながら頬を赤く染めて、足早に去っていった。アリスはこうして敵を一つ消した。さらに、あわよくば味方にする算段のようだ。


───キーンコーンカーンコーン。


 ちょうど学校のチャイムが鳴る。授業が終わり、決闘を見学していた生徒たちは散っていく。最初の授業がこんな形で終わってしまい、流石にアンナもアルゲース先生に申し訳なく思っていると、そのアルゲース先生が近づいてきた。


「これであのお嬢様の横暴が治ると思えば全体的な授業効率も良くなるか。一応、感謝しておくぞ、アンナ・フルルドリス。だが、次から私的な決闘は授業時間外にやってくれ」


「あ、はい」


 トボトボと先生は体育館を後にした。アンナは彼を少しだけ見直した。魔法至上主義者で、いじめを見て見ぬふりしたり、ルーナに逆らえなかったり、欠点はあるが、彼はクビにならないためとはいえアンナの憑依を認めてくれた。


 アンナも体育館から切り上げようとするとアリスがくるっとこちらを振り向き、そのまま抱きしめてきた。


「アンナちゃん、無事でよかった。もう、無茶しすぎです」


 その身体は小さく震えていた。本気でアンナのことを心配してくれている。

 強かな舌戦でルーナを下した狡猾な女狐の面は魔法社会で生き抜くために身につけた技術であり、本来のアリスは十五歳の優しい少女だ。


「心配かけてごめんねアリスちゃん」


「でも、おかげでスッキリしました。ざまぁみろです」


 子供らしく無邪気に笑って見せる。その後、表情が不安そうに曇った。


「……ルーナちゃんにバラされてしまいましたが、その、私、娼婦の娘なんです。嫌、ですよね」


 純血主義の蔓延る魔法社会では娼婦の子供というだけで毛嫌いされる。

 アリスの場合、娼婦の娘であること自体をコンプレックスに思っている訳ではなく、そのことを知った周りの人が自分への見方や態度を変えたりすることを恐れているようだ。


 アンナはアリスが娼婦の娘だからといって態度や接し方や関係を変えたりしないと伝えたかったが、適切な言葉が見つからない。言葉は原初の魔法だが、時に呪いになり得る。


「心を読んでいいよ」

 

 アンナは自分の心をそのままアリスに伝えたかった。自分の心の隅から隅まで、見せつけてもいい自信があった。

 孤児院で育ったアンナにとって親が娼婦の子供たちは身近にいたからおかしなことではない。それに、親や出自は本人とは関係のないことだ。アリスはアリスなのだから。


 アリスは目を瞑り、アンナの心を読む。すぐに安心したように、ほわっと笑った。

 

「わたしはアリスちゃんの味方だからね」


「ありがとうございます、アンナちゃん!」


 学園生活開幕早々、決闘騒動を巻き起こしたが、この決闘を通して二人はさらに親しくなれたのだった。

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