第6話 決闘の授業


「アンナちゃん、朝ですよ〜」


 アリスの声で目が覚める。寮で迎える初めての朝だ。


「おはようございます、アンナちゃん」


 アリスは既に制服に着替えていた。まだ時間に余裕はあるのだが、隙を見せたくない性分なのだろうとアンナは勝手に納得する。


「……おはよう、アリスちゃん。起こしてくれてありがとう」


 昔のアンナなら知らない場所で熟睡などできなかっただろうし、朝の空気感が嫌いだった。

 薄暗く、冷たく、静かな空気の中に、目覚めた人々の発生させる料理や洗濯の音が焦燥感を煽るようで嫌だった。人間と関わることが苦手で、学校に行きたくないから、毎朝憂鬱だった、


 でも、今は違う。友達がいて、学校に行きたい理由がある。少しだけこの朝の空気が好きになった。

 

 顔を洗い、制服に着替えて食堂に向かう。食堂では既にユニコーン寮生たちが食事を始めていた。各々好きなタイミングで朝食を取り、登校するようだ。


 マリアは授業の準備や魔法騎士の仕事があるため、会う機会が減る。養女になってからマリアと一緒にいることが当然になっていたアンナは少し寂しかった。


 朝食を済ませたアンナとアリスは校舎へと登校する。記念すべき魔法学校最初の授業は『戦闘魔法基礎』だ。

 自分の好きな授業を選択して受けられるサンミシェル魔法学校でも、戦闘魔法基礎は必修科目となっている。


 一年生は体育館へと集められた。ステージの上にはアンナが入学試験で決闘したアルゲース先生の姿がある。


「おはよう一年生諸君。戦闘魔法基礎を担当するシーザー・アルゲースだ」


 壇上のアルゲースとアンナの目が合う。アルゲースがギロリと睨んできて、アンナは咄嗟に目を逸らした。


「昨今、悪の魔法使いたちによる事件が増えている。そのため、戦闘魔法基礎が必修科目となった。この授業を通して、身を守る術を身につけてほしい」


 結界のヨシュア先生も言っていたが、世の中物騒だ。マリアが最近忙しくしているのも悪い魔法使いの対処をしているからである。


「今日は基礎の基礎、『無属性攻撃魔法』と『防御魔法』を覚えてもらう」


 アルゲースが壇上で右手を構えると、周囲から魔力が集まりだし、紫色の球体が出来上がった。アルゲースはそれを壇上の木製の的に向けて凄まじい速度で発射した。的は一瞬で木っ端微塵になってしまう。

 

「これが無属性攻撃魔法の一例『魔力弾』だ。無属性攻撃魔法は魔力の量や形態を変えることで様々な状況に対応できる。次は防御魔法だ」


 今度は魔力弾を空中に放り投げると指揮をするように自在に操り、自分自身に向けて魔力弾を飛ばした。

 アルゲースに魔力弾が命中する寸前、彼の眼前に魔力で作られた半透明の壁が出現した。壁は魔力弾からアルゲースを守り、魔力弾は消滅した。


「防御魔法はこのように魔力で壁や盾を作り、身を守る魔法だ。

 では、君たちにも実際にやってもらおうか。戦闘魔法の授業はもちろん実技主体だ。決闘の模擬戦形式で攻撃と防御の戦闘魔法を学んでもらう。まずは二人一組を作りたまえ」


 アルゲース先生の号令で生徒たちがそれぞれ親しそうな人同士で二人組を作り始める。

 アンナは二人組になるのが苦手だ。人が奇数の時はたいてい最後に残って先生と組むことになるか、どこかのグループに入れてもらい三人になる。その入れてもらうグループもなかなか決まらなかったりすると最悪で、入ったグループの二人が全然知らない人だと気まずい。


「アンナちゃん、一緒にやりましょう」


 救いの女神アリスが声をかけてくれた。彼女は性格は悪いがとてもいい子だ。


「決闘については詳しく説明するまでもないだろう。古くからある揉め事を解決する儀式だ。現在ではスポーツとしても魔法決闘は親しまれている」


 決闘が勝った方の意見が通るというのはつまり、魔法が強い方が上に立つということ。決闘は魔法至上主義を助長する悪しき慣習だとアンナは思った。


「全員相手が見つかったな。それでは、模擬戦開始!」


 先生の号令で多くの生徒たちは平然と攻撃魔法を発動した。

 魔法能力が発現した人にとって無属性攻撃魔法はパンチやキックをするようなもので、難しいことではない。ほとんどの生徒が、学校で教わるまでもなく既に習得している。

 それに相手を攻撃することに抵抗があまりないようだ。決闘はスポーツという認識なのだろう。生徒たちに攻撃魔法が暴力という意識はない。

 

 アンナは他人を魔法で攻撃することが怖かった。アンナの魔法は使い魔を使役するもので、直接自分が人を攻撃することには慣れていない。


「それでは、私たちも始めましょうか」


 アリスが右手を掲げると突然杖が現れて、彼女の手に握られた。これは、普段は異空間に格納している道具を取り寄せる『道具召喚』の魔法だ。

 原理は使い魔や霊の召喚と同じだ。お金や代償を払って契約している異空間にあらかじめ自分の道具を入れておき、必要な時にそれを召喚するのだ。


 アリスの取り出した杖は彼女の背丈よりも大きい百七十センチほどで、穂先には十字架の装飾が施されている。

 杖は魔法の補助や強化をしてくれるが、アンナは杖を使いこなすことすらできないので、杖を使わない『杖無しワンドレス』スタイルだ。

 道具の有無は相性でしかなく、魔法の実力に杖のあるなしは関係ない。


「アンナちゃん、遠慮せずに撃って来て大丈夫ですよ。防御魔法の練習はしていますから」


 アリスを囲むようにドーム状に展開された防御魔法は曇りのないガラスのように透き通っていてる。


「い、いくよ!」


 アンナは野球ボールほどの魔力弾を形成するとアリスに向かって投げつけた。投擲することで発射に使う魔力を節約できる。

 それをアリスの防御魔法は容易く防いだ。

 アンナは安堵した。自分の攻撃魔法が大したことないのは分かっていたが、他人を傷つけたくはない。


 次はアンナが防御魔法で、アリスの攻撃魔法を受ける番だ。決闘の模擬戦のはずが、なんだかキャッチボールみたいになってしまった。


「ば、ばっちこーい!」


 少ない魔力を引き延ばして、薄っぺらい防御魔法の盾を形成する。式神なしではこの程度がアンナの限界だ。


「いきます!」


 アリスの杖の穂先に集まった魔力がアンナに向けてレーザービームのように照射された。『魔力砲』と言われる攻撃魔法の型の一つだ。

 どう見ても薄い防御魔法では防げない攻撃に、アンナは目を瞑るが、なんともない。防御魔法は健在だ。


「やはり、上手くいきませんね。攻撃魔法は特に苦手です」


 昨日彼女は攻撃的な特性を持つ魔法が苦手と打ち明けていた。治癒魔法の能力に秀でる代わりに、それと相反する性質を持つ魔法に負の補正がかかってしまうのだろう。アンナの霊視は、それはアリスの魂が優しいからだと認識した。


「───きゃあ!」


 突然、体育館に女子生徒の悲鳴が響いた。

 悲鳴の主は眼鏡をかけた黒髪の女子だ。尻餅をついており、足にはアザができていた。

 彼女はユニコーン寮一年生の『日ノ宮椿姫ひのみやつばき』だ。日本によく似たヤマト帝国という国の出身である。


 椿姫の対戦相手はピンク髪のご令嬢ルーナ・セレスティアルだった。


「ちょっと、もう終わり? 練習にならないんだけど〜」


 ルーナの攻撃魔法が椿姫の防御を貫通して怪我をさせたようだ。しかしルーナは申し訳なさそうにすることもなく、逆に椿姫が悪いかのような傲慢な態度をとっている。


「ホント、ヤマト人はダメだよね。魔法が一世紀遅れてるんだよ。

 あはっ、いいこと思いついちゃった。そのまま的になりなよ。頭がバカなんだから、体で覚えるしかないよね」


 ルーナは腰が抜けて動けない椿姫に向かって、魔力弾を発射しようと右手を構えた。

 止めようとするものは誰もいない。セレスティアル家の令嬢に意見などすれば、魔法社会での立場が危うくなる。アルゲース先生すら見て見ぬ振りをしていた。


 容赦なく、魔力弾が発射される。それが椿姫に直撃───することはなかった。


「は?」


 ルーナは怒りを含んだ疑問の声を発する。

 魔力弾は椿姫に命中する直前で、空中に浮かぶ人型の紙によって阻まれて消滅していた。アンナが式神の防御魔法で椿姫を守ったのだ。


 アンナは反射的に式神に命令を出していた。前世で猫を助けた時と同じだ。心の中ではルーナが怖いとか出しゃばらない方がいいとか葛藤があるのに、本当は今自分がやるべきことがすぐに答えを出せる人間だった。


「なに邪魔してくれてるわけ? 魔法弱者の分際で出しゃばらないでくれる?」


「……」


 いつもなら怖くて怯むアンナだが、今はルーナを睨みつけながら、椿姫を守るように立ち塞がった。


 アリスが座り込んだ椿姫の元に駆けつけて怪我の確認する。脛にアザができているようだ。


「大丈夫ですよ日ノ宮さん。すぐに治しますからね」


 アリスは患部の上に手を翳し、言い慣れた聖句を口ずさんだ。


「私は癒す者。あなたの痛みと傷を背負う者」


 掌からは暖かい緑色の光が発せられ、アザと腫れがみるみるうちに治っていく。聖典系というジャンルの魔法で、エクレシア教の聖典に記された救世主や預言者たちの奇跡を再現する魔法だ。

 数秒で傷は消え、痛がっていた椿姫の表情も穏やかなものになる。


「怪我は治りましたが、しばらくは安静にしていましょうか」


「あ、ありがとうございます」


 椿姫は震える声で感謝する。怪我は治っても、まだ恐怖で体がうまく動かせないようだ。アンナは椿姫の介抱を手伝い、体育館のすみっこに座らせた。


「一瞬で怪我を治せるなんて、すごいよアリスちゃん」


 マザーラドリエルの熟達した医療魔法を見ているアンナにはこの技術が高度なものだとすぐにわかった。治癒魔法に関しては既にプロと遜色ないどころかトップクラスだ。医療魔法の神童の名は伊達ではない。


「魔法医を目指しているのでこれくらいは大したことではありませんよ。それに、私にはこれくらいしかできませんし」


 アリスは苦手な魔法が多いことをコンプレックスに思っているようで、悔しさと無力さを押し殺すように言った。

 苦い表情のアリスを楽しげに眺めながら、ルーナが近づいて来た。


「魔法弱者が魔法医になれるわけないじゃん!? 魔法医になるには医療魔法以外の魔法能力も要求されることくらい知ってるでしょ?」


 ルーナとその取り巻きたちはアリスを嘲笑する。アリスは俯いて何も言い返さない。

 彼女の言っていることをアンナの前世の世界で例えるなら、医者になりたいけど数学や理科の勉強ができないから医大に入れないとか、保健体育の筆記試験の点数は高いが運動が苦手で成績が良くないということだ。


 しかし勉強ができないのと違い、他の魔法が使えないということが、医師としての能力の欠如ではない。医学の知識と医療魔法の能力があれば魔法医として仕事をするには十分だろう。体育の成績が悪いから医師になれないということはない。


 それなのに他の魔法能力を求めるのは、上流階級の魔法至上主義者が、高給の職業資格を庶民に与えたくないからだ。魔法に優れた血筋を持つ上流階級の魔法貴族と違い、庶民の魔法能力は偏っており、例え医療魔法に秀でていても、他の魔法に適性がなく、魔法医をはじめとした高給で高い地位の職業になれない。


 上流階級、魔法至上主義者がここまで庶民の魔法弱者を嫌うのは、優れた血統に魔法能力の低い血を混ぜないためであり、魔法と富を限られた上流層で占有するためでもある。


「魔法弱者が魔法学校にいるのっておかしくないかな? 目障りなんだよね。とっとと学校やめて、娼婦にでもなったら? アリスちゃんのお母さんも娼婦でしょ? 魔法能力は雑魚でも、男を喜ばす才能は遺伝してるかもしれないよ。

 売女の娘は魔法社会には不要なの。無能で穢れた血が混じったら困るからね」


 みんなの前でアリスの出自を馬鹿にする。周囲の生徒たちの中には、アリスの出自を知って、ヒソヒソと陰口を言い始める者もいた。

 娼婦になる女性は魔法能力の優れない者が多く、魔法至上主義者からは差別の対象だ。エクレシア教においても娼婦は良いとされない。


 昨日は悪口を言われても動じなかったアリスの表情が暗くなる。娼婦の娘であることを周りに知られたことがショックなようだ。


 昨日あしらわれたことや、いじめを邪魔されたことが気に入らなかったのだろう、ルーナはターゲットをアリスに切り替えた。アリスの出自を知っているあたり、神童と呼ばれる彼女に対して前から思うところがあったようだ。庶民の血が流れるアリスが持て囃されることが気に入らないらしい。


 ふと、アンナは自分が怒っていることに気がついた。昨日、アリスが笑われた時は怖くて何もできなかったのに、今は怒りが恐怖を塗りつぶしていた。抑えようとしても冷たい刃物のような怒りは鎮まってくれない。このどうしようもない気持ちを解決する方法をアンナは知らない。ただ、感情に従って身体が動く。

 立ち上がり、ルーナの前に立った。


「アリスちゃんに謝ってください」


「何おまえ。腰巾着が調子に乗んなよ」


 ルーナは言葉遣いを崩しながらも可愛らしい声でアンナを威嚇してくる。


「……アンナちゃん、私は大丈夫です。気にしていませんから」


 心の強いアリスならすぐに切り替えるのだろう。しかし、アンナはもうダメだった。


「わたしは我慢できないよ。アリスちゃんに悪口を言った人が笑っているのが許せないし、ただ見ているだけの自分が気に入らない。わたしは今、どうしてもこの人を……ぶん殴りたい」


 言葉として、隠れていた気持ちが露わになる。アンナはこの衝動の正体を知った。殺意だ。

 謝って欲しいだけじゃない。ルーナを打ちのめしたかった。先程の模擬戦では他人を傷つけることを恐れていたらアンナが、どうしようもない暴力衝動に駆られていた。

 

「え、なにこの子、めっちゃムカつく~。殺すよ?」


 ルーナの手に魔力が込められるのをアンナは霊視で感知した。それでも怯まずに、相手の目を見た。


「わたしと決闘してください」


 アンナの力強い言葉と目にルーナは動揺する。ルーナもまた、アンナから溢れる魔力を感知していた。アンナの背後に纏わりつくのは、ただあるだけで人間を畏怖させる存在──神だった。伊吹大明神がアンナの怒りに呼応して、その魔力を垂れ流しにしていた。


「わたしが勝ったら、アリスちゃんと日ノ宮さんに謝ってください」


 この傲慢な女には決闘で一度痛い目を見てもらい、さらに謝罪をさせたい。

 強気になったアンナが気に入らないようで、ルーナは目の下をピクピクと痙攣させていたが、一度目を瞑って落ち着きを取り戻した。

 

「いいよ。決闘、やってあげる。もちろんこっちからも約束。ルーナが勝ったらおまえ退学な」


「いいですよ」


 即答する。負けることなど考えていない。ただ目の前のルーナに怒りをぶつけたかった。


「ダメですアンナちゃん! 退学と謝罪では釣り合いが取れていません。そこまでする必要はないです。決闘は危ないですし、やめましょう!」


 性格の悪いアリスが心底心配そうに説得してくる。彼女は自分のためにアンナがリスクを負うことが嫌なのだろう。しかし、それと同じで、アンナも、アリスが酷いことを言われたら、やり返さないと気が済まない。


「心配させちゃってごめんねアリスちゃん。でも大丈夫。絶対に勝つから」


 案外アンナは強情で頑固だ。一度こうと決めたら、簡単には進路変更はしない。優柔不断だからこそ、導き出した答えは不動なのだ。


「ああ、それと、使い魔で戦うのは無しだからね」


「え?」


 ルーナの追加の注文に唐突に熱が冷める。それはアンナに武器を持たずに戦えと言っているようなものだ。


「じゃなきゃやんないから。だってずるいと思わない? 使い魔を召喚したらそっちの方が人数有利じゃん。それって公平な決闘とは言えないよね?」


 使い魔を使役しないアンナがエリートのルーナに勝てるわけがない。しかし、アンナに引き下がるという選択肢はなかった。


「……わかりました。使い魔では戦いません。それでいいですね」


「約束だからね。破ったらおまえの負けな。じゃ、早速やろっか。センセー審判やってくださ~い」


 アルゲース先生が冷や汗を浮かべながら、嫌々二人の間に入る。絶大な権力を持つセレスティアル家の令嬢と、自分を倒したアンナにはできるなら関わりたくなかったのだろう。

 決闘の開催を聞きつけて、模擬戦をしていた生徒たちも、野次馬として集まってくる。


「仕方あるまい。今から授業は決闘の見学だ」


 新年度最初の授業が決闘沙汰で中断になってしまうのは申し訳ないとアンナも思うが、そもそも先生や他の生徒がルーナの横暴を止めないから、こうして決闘することになっているのだ。


「おほん。では、それぞれ名乗りをあげたまえ」


「グリフォン寮一年、ルーナ・セレスティアル」


「ユニコーン寮一年、アンナ・フルルドリス」


 十メートルほどの距離を取り、対面した二人は同時に手を相手に向かって構えた。


「決闘開始!」


 絶対に負けられない、怒りの戦いが始まる。

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