第2話 入学試験
異世界での十五年間を過ごした孤児院を出たアンナは、マリアと共に、丘の麓の街から列車に乗った。
本で得た知識の通り、鉄道はあったのだが、なんと燃料は石炭でも電気でもなく魔力なのだという。先頭の車両は蒸気機関車によく似ており、煙突からは燃焼された魔力が煙となって放出されていた。
汽笛が鳴り響き、ゆっくりと列車が動き出す。丘の上に見える修道院がどんどんと小さくなり、すぐに見えなくなった。
座席に座ったアンナは車窓から外の景色を見ることにした。ようやく本当の意味で異世界を見ることができる。
前世では貧乏で引きこもりだったため、海外旅行なんて夢のまた夢だったが、異世界は全てが知らないもので、移動すらも冒険だった。
列車はオルレアン共和国の内陸部に広がる広大な農地のど真ん中に敷かれたレールの上を駆け抜けていく。変わり映えしない耕地も、アンナには特別に見えた。
しばらく景色を眺めていると、いつのまにか隣の席にイヴがいることに気がついた。向かい側の座席に座るマリアのことをじっと見ている。マリアはイヴのことが見えているようで、微笑みながら視線を返した。
「あら、久しぶりね、イヴ」
二人は知り合いのようだ。アンナは二人の過去が気になるが、空気がピリピリしていて怖くて聞けない。
「今更なんのつもり? アンナちゃんをあなたの後継者にはしないからね」
「そんなつもりはないわ。ただ、アンナには魔法学校で色んなことを学んでほしいだけよ」
二人の様子はまるで子供の進路で意見が分かれた夫婦みたいだ。
「魔法学校は魔法至上主義者の巣窟だよ。アンナちゃんが嫌な思いをするかもしれない」
現在、魔法社会には魔法至上主義が蔓延っている。魔法という学問の総本山であるサンミシェル魔法学校に魔法至上主義者がいないなどあり得ないだろう。イヴはアンナが以前の縁談で魔法至上主義者に悪口を言われたことがあるため心配してくれている。
「魔法学校への進路はアンナが選んだこと。信じて応援してあげることが私たちの役目だと思うけど。それにアンナの魔法は強いわ。だから大丈夫。でしょ、イヴ」
イヴはアンナの魔法そのものだ。彼女は神霊で、とても強い。イヴは言い返せずに悔しそうに頬を膨らませた。
「もし、アンナちゃんをいじめるやつがいたらそいつを『破壊』するから」
非常に物騒な物言いだが、魔法学校に行くことをイヴは認めてくれたようだ。
「ちょっと、過激なのはダメよ。カエルに変身させるくらいならいいけど」
アンナは心の中で「いいんだ」とビックリする。案外、マリアも過激派だ。
程なくして、列車はオルレアン共和国の首都ダルクに到着した。
列車を降りると、駅のホームにも街にも人がたくさんいた。人混みが苦手なアンナは目が回りそうになる。
首都ダルクは花の都と呼ばれており、富裕層や芸術家が多く住む街だ。そのため人々の身なりは華やかで、街には美術館やアトリエが多く存在した。
街そのものが美しく、巨大な門や電波塔、宮殿といった建造物が、街を一つの巨大なアート作品にしている。人混みの疲れも、この綺麗な街並みを見ていると癒える気がした。
◇
次の日。アンナはサンミシェル魔法学校の入学試験当日を迎えた。
サンミシェル魔法学校はオルレアン共和国の西部にある魔法学校で、国内だけでなく周辺国からも魔法使いたちが集まる世界一の名門魔法学校だ。
その名門校の試験ともなれば、この花の都ダルクの宮殿一つを貸し切って行われる。
試験会場の宮殿に到着したアンナはその受験生の数に圧倒された。アンナと同年代の身なりのいいお坊ちゃまとお嬢様たちが大勢集まっている。まるで舞踏会か社交界だ。
アンナはというと質素な修道服を着ていた。地味なのに、それが逆に目立ってしまう。なんだか視線を感じる気がして落ち着かない。
「アンナ、大丈夫よ。あなたなら合格できる」
マリアが優しく声をかけてくれる。
「う、うん。がんばる」
なんとか気合いを入れてアンナは一人、試験に臨んだ。
試験は、読み書きの能力や知能を試す『筆記試験』。魔法能力を測定する『魔法能力鑑定』。現在の魔法能力を確かめる『魔法実技試験』の三つだ。
最初の『筆記試験』は、幼少の頃から本を読んでいたことと、イヴから魔法の知識を教わったことが幸いし、なんとかなった。
しかし問題は魔法能力鑑定だ。
五歳の頃、魔法能力鑑定を行った際、ボールス夫妻に魔法能力を罵られたトラウマがあるし、何より才能というものは変化しないのだ。
「次、受験番号66番」
試験官にアンナの番号が呼ばれる。机の上の水晶玉に手で触れるように指示され、言われた通り、手を置いた。
十年前の再現が行われるかのように、水晶玉には文字が浮かび上がった。
魔力量 E
属性 無
適性魔法
修練のおかげが魔力は少しだけ成長しているが、属性と適性魔法は変わらない。
試験官や周囲の受験生からざわめきの声が聞こえ始め、やがてくすくすと小さな笑い声に変わった。
「恥を知れ魔法弱者め。よくこんな最低ランクの魔法能力で伝統あるサンミシェル魔法学校の試験を受けようと思ったな」
固めたオールバックの、いかにもエリートな風貌の男性がアンナに言い放った。魔法学校の先生のようだ。
「もういい。魔法実技試験を受けるまでもない。おまえは不合格だ。さっさとここから立ち去れ」
「……え?」
ボコボコに罵倒され、どうしていいのかもわからなくなる。アンナはとても悲しい気持ちになり涙が出た。
この男性は魔法至上主義者で、魔法弱者のアンナが入学することがどうしようもなく許せないのだ。
「アルゲース先生」
突如、マリアがアンナの横に転移魔法で現れ、男性教師を制止する。
「これはこれは、円卓の騎士にして、救世の聖女マリア・フルルドリス先生ではありませんか」
男性教師───アルゲースが挑発するように、マリアの名前を称号と異名で飾り立てる。
マリアは魔法騎士の中でも最高位の『円卓の騎士』であり、十六年前に強大な悪魔を倒した英雄らしい。
受験生や試験官はマリアの登場に驚くが、アルゲースはマリアが来ることを知っていたようだ。
「まさか、この魔法弱者はあなたが連れてきたのですか? まったく毎年毎年困るんですよ、貧民や魔法弱者を入学させてもらってはね」
「魔法を学ぶ機会は万人に平等に与えられるべきです。一部の者が魔法を独占する時代は百年以上前に終わりました」
全ての人類に魔法能力が与えられた魔法世紀元年以前は、一部の魔法使いだけが魔法を使えたのだという。
マリアはアンナのような孤児や、貧しい子供たちを支援しており、魔法学校への入学の手助けもしていた。もちろん、魔法至上主義者にとってはマリアの活動は気に食わないだろう。
「マリア先生、勘違いしてもらっては困りますよ。私は魔法学校に入学するのに相応しいかどうかを見定めているだけです。そして、その子供は魔法学校に入学に値する能力を持っていない」
「まだ彼女の魔法を見ていないでしょう。鑑定でわかるのは才能だけ。努力の成果は実技に現れる。入学するに相応しいかどうか見極めるなら全ての試験を受けさせるべきです」
「その必要はありません。時間の無駄です」
「私も折れるつもりはないので、確かに時間の無駄ですね。なのでご提案があります。この子とアルゲース先生で『決闘』して、この子が勝ったら合格にするというのはどうでしょうか」
マリアがそんなことを言うからアンナもアルゲースも周りの人たちも呆然としてしまう。
魔法使いの古くからある風習に『決闘』というものがある。物事が決まらない時、対立し合う者同士が戦い、勝った者の意見が通るというものだ。
しかし、十五歳の子供で魔法能力の弱いアンナと、大人で魔法学校の先生のアルゲースでは勝敗など目に見えている。
「ははは! 何を言うかと思えば、子供と私が決闘? 巫山戯ないで欲しいなマリア先生。こんな魔法弱者が私に勝てるはずないでしょう」
「あなたが勝つというのでしたら、決闘を受けていただけますよね?」
「いいでしょう。その決闘お受けします。私が勝った場合、その魔法弱者は不合格です」
アンナを置いてけぼりにして、勝手に話が進んでいく。そして、アンナは突然大人と決闘することになった。
「ごめんなさいアンナ。決闘することになったの。でも、あなたなら勝てるわ」
マリアが微笑む。優しそうに見えてかなりスパルタだ。アンナはなんだか背筋がゾクゾクした。
「わかりました。やってみます」
決闘なんて初めてで怖いが、やらなくては不合格になってしまう。渋々アンナは決闘を受諾した。
決闘は宮殿のホールのど真ん中で催されることとなった。試験は一時中断され、受験生や保護者、試験官たちが観衆としてアンナの周りに集まってきた。
決闘のルールは単純で、魔法を使って戦い、相手を戦闘不能にするか、降参させれば勝ちだ。アンナからすれば厳密なルールが制定されていない野蛮で古臭い喧嘩のように思えた。魔法である程度の怪我はすぐに治せるが、あまりにも危険すぎる。
試験官の一人が審判としてアンナとアルゲースの間に入った。
「それでは両者、名乗ってください」
「アルゲース家当主、シーザー・アルゲース」
アンナと向かい合ったアルゲースは自分の名前を自信満々に堂々と告げる。著名な魔法使いの家系なのだろう。
「あ、アンナです」
対してアンナは小声で弱々しく名前を言う。自信などあるわけないし、決闘は怖い。こんな大勢の前でなんて緊張してまともにできるわけもないし、先程の罵倒や嘲笑でメンタルも既にズタボロ。
「おいおい、家名もない貧民か」
アルゲースに笑われる。するとマリアがアンナの側に屈んで囁いた。
「アンナ・フルルドリス。あなたの名前よ」
彼女から名前を与えられるのはこれで二回目だ。アンナの名前は全部マリアから貰った大事なものだった。だったら、それを恥ずかしがったりする必要はない。アンナの心に勇気の炎が灯った。
「アンナ・フルルドリスです!」
羞恥も不安も吹き飛ばすように名乗りを上げた。アンナを動かしたのは自信とは少し違う、決意に似た衝動のようなものだった。アンナはマリアの期待に応えるために、魔法を勉強するために、絶対に勝たなければならない。
「決闘、開始!」
高らかに審判の声が宮殿に響く。アンナの心臓がドクンと大きく鼓動した。戦いが始まった。
アルゲースはバッと素早く右手をアンナに向かって構える。
「すぐに終わらせてやる」
周囲の魔力が彼の右手に集まりだし、空気を歪ませて震える電撃に変換される。攻撃的な特性を持つ雷属性魔法だ。
「稲妻よ我が敵を焼き焦がせ、
詠唱と共に雷電がアンナに向かって放たれる。命中すれば感電して気絶するだろう。当たりどころが悪ければ大怪我だ。魔法至上主義者は魔法弱者を人間だと思っていない。
しかし、雷魔法がアンナに当たる直前、透明な壁に阻まれるように突然停止し、消滅した。
「なん……だと?」
アルゲースは目の前の光景が信じられずに呆然とする。アンナの身を守ったのは、宙に浮かぶ、手のひら大の紙切れ──『式神』だった。
「軍曹さん、ありがとうございます」
アンナの式神には複数の術式がインストールされており、『防御魔法』、『飛行』などの魔法を使用することができる。アンナは式神に命令をして、式神がその通りに魔法を使うという仕組みのため、アンナ自身の魔法能力の低さや魔力の少なさは関係ない。重要なのは魔力コントロールと使い魔との絆だ。
「バカな、マグレに決まっている! こんな紙切れに私の魔法が防げるわけがない!」
「紙切れじゃありません! わたしの友達です!」
アルゲースが再び雷魔法で攻撃するが、式神の展開する透明の壁───防御魔法に阻まれて、アンナにダメージはない。
アルゲースが困惑する一方、アンナも自分が大人の魔法使いと戦えることに驚いていた。魔法の練習相手がイヴだったため、アンナの魔法の基準は神様レベルだ。人間の魔法など、神の魔法に比べれば児戯に等しい。
もちろん神様級の魔法などアンナには使えないが、アンナの使い魔なら別だ。文字通りの『神』を彼女は使役できる。
「召喚、伊吹大明神」
拍手を打ち、祈るように神の名を告げる。宮殿の床に五芒星の魔法陣が出現したかと思えば、次の瞬間、そこに着物を着た黒髪の少女が立っていた。巫女の声を聞き、神───『伊吹大明神』が降臨したのだ。
伊吹大明神から漏れた黒色の魔力が周囲の人々に恐怖の感情を抱かせる。少女の姿をしたそれが、紛れもなく上位の存在であると確信し、本能と魂が震える。
伊吹大明神の真紅の瞳が魔力を宿し、発光した。『蛇の魔眼』だ。
魔眼とは魔法能力を持つ目である。イヴの目は、見たもの、見られたものを硬直させる蛇の目だ。アルゲースは恐怖で動けなくなってしまう。
「イヴ、決闘だよ。やりすぎちゃダメだからね」
「えぇ〜、しょうがないな〜。アンナちゃんの頼みだから聞いてあげるけど、ホントは殺したかったんだよねぇ〜」
などと倫理観がぶっ壊れた女神様。彼女にとってアンナ以外の人間のことはどうでもよかった。アンナがなんとかコントロールしているから悪さはしないが、神といっても邪神の類だろう。
「ふ、ふざけているのか? 貴様のような魔法弱者に異教の神が召喚できるはずがないだろう。これは、ハッタリだ、そうに違いない」
なんとか動けるようになったアルゲースが自分に言い聞かせるように喚く。そして雷魔法の攻撃を再開した。
雷撃は召喚されて実体を得たイヴに命中する。しかしイヴには傷一つない。
「なにこれ、電気療法? こんな静電気じゃ肩凝りも解れないんだけど。先生なのに恥ずかしくないの? 私が本物の雷魔法を見せてあげるよ〜」
イヴの言葉は冷たく、目は笑っていない。目の前のアルゲースのことなどどうでもいいのだが、アンナを泣かせた仕返しをしたいとは思っていた。
「
刹那、閃光で視界が真っ白になる。一拍の雷鳴が周囲から音を奪う。観衆の感覚が現実を認識する頃には、アルゲースは白目を向いて気絶していた。
視覚と聴覚を封じる回避不能の速攻雷撃。約束通り威力を抑えて気絶させるだけに留めたようだが、攻撃力と敏捷性を併せ持つ雷属性の特性を活かしたお手本のような雷魔法だ。
「勝者、アンナ・フルルドリス!」
審判が判定を下す。魔法弱者であるアンナが魔法学校の先生であるアルゲースに勝利した。周囲の観衆がざわめく。
「や、やった! 勝てた! ありがとうイヴ!」
大人の魔法使いに勝った嬉しさで、人前なのを忘れて喜んでしまう。イヴの頭を撫でていると、我に帰り、恥ずかしくなってしまう。
「ご褒美はアンナちゃんの血でいいよ〜」
魔力の少ないアンナは使役の代償として後払いで血液などの肉体の一部をイヴに捧げている。イヴにアンナを害するつもりはないため、多量に要求されることはないが、採血が苦手なアンナには覚悟のいることだ。
そういえば気絶したアルゲースは大丈夫だろうかと、心配して駆け寄ると、既に目を覚ましていた。
「あ、あの大丈夫ですか?」
「私は認めんぞ。断じて認めん。貴様が強いのではない。使い魔が強いのだ」
介抱しようとするアンナの手を払い除けて、往生際悪く負け惜しみを言う。
そこにコツコツと靴音を立てて、マリアがやってきた。
「強力な使い魔を使役できるのは彼女が優れているからです。使い魔の強さも実力のうちです」
腰が抜けて立ち上がれないアルゲースを見下ろしてマリアが正論をぶつける。『召喚』も『使い魔の使役』も魔法の一大ジャンルだ。使い魔を戦闘に用いる魔法使いは大勢いる。アルゲースがアンナを認めないのは魔法能力が低い者への差別意識があるからだ。
「今後、公平性の欠いた理不尽な評価を行なうようでしたら、私の方からアルゲース先生に決闘を挑ませて頂きます。貴方の
マリアが薄目でアルゲースに向かって微笑む。
「ひっ!?」
情けなく怯んだアルゲースは蹌踉めきながら逃げていった。
ざわめく観衆たちも散っていく。アンナのことを気に食わなさそうに見ている人もいれば、拍手してくれる人もいた。
決闘の後、マリアはアンナの前に屈むとそっと頭を撫でてくれた。その顔は少し悲しそうだ。
「アンナ、合格おめでとう。いい魔法だったわよ。それと……ごめんなさい。突然決闘なんて、危険なことをさせてしまって、怖かったわよね」
「ううん、大丈夫。怖かったけど、少し自信がついた気がする」
初めて人と魔法で戦って、怖かったのは事実だ。それでも、未来のために戦わなければいけなかったから力が出た。マリアからもらった名前があるから勇気が出た。
自分の勇気と実力で合格を手にしたアンナは同時に自信も手に入れていた。
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