第3話 サンミシェル魔法学校
魔法世紀115年 9月
本日、サンミシェル魔法学校の入学式が行われる。
アンナは自室で制服に袖を通していた。魔法学校の女子の制服はブラウスにプリーツスカート、そしてフード付きのローブだった。ブラウスとスカートだけなら前世の学生の制服とほとんど同じだが、ローブを身につけるだけで魔法使い感が増した。
ブラウスのリボンタイをうまく結べずに格闘していると、マリアが手伝ってくれる。
「これでよし。うん、よく似合っているわよ」
アンナの両肩に手を置き顔を並べて笑うマリアが鏡に映る。前世で高校を不登校になったアンナは、制服を着ることに少し抵抗があったが、マリアが似合っていると言ってくれるなら、トラウマも消し飛んだ。
アンナはこの夏の間、ユーフォルビア山脈を望む丘の上にあるマリアの家で過ごしていた。今ではここがアンナの家なのだが、魔法学園は全寮制のため、馴染み始めた家ともしばらくお別れとなる。
「これから寮生活になるけど、心配だわ。一人で朝の支度できるのかしら」
そう言いながらマリアがアンナの髪を三つ編みのおさげに結ってくれる。マリアとお揃いの髪型が嬉しくて頬が赤くなる。
「さあ、出発するわよ。掴まって」
マリアの手を掴む。瞬きをした次の瞬間には既に首都ダルクの駅のホームにいた。マリアの転移魔法だ。転移魔法はとても便利だが、法による規制が強く、これで学校まで一瞬というわけにはいかない。
オルレアン共和国の西部にあるサンミシェル魔法学校へは、首都ダルク発の列車に乗って向かう。アンナはマリアと共に列車に乗り込んだ。
列車の中には魔法学校の制服を着た生徒たちがたくさんいた。十五歳から三年間通うため、上は十八歳までいる。
一年生と思しき生徒たちも、すでに友達になったりグループを形成しており、その光景にアンナは前世のトラウマを抉られる。アンナは高校に馴染めずに不登校になってしまったからだ。
「そうだ。アンナに紹介したい子がいるの。きっと仲良くなれるわ」
見かねたマリアがアンナの手を取って車両の中を移動する。知り合いを紹介してくれるようだ。
七、八月の間、共に過ごしたため、マリアはアンナが人見知りで引っ込み思案なことをよく理解していた。
「いたいた。久しぶりねアリス」
マリアに案内された座席には金髪碧眼の女の子が座っていた。アンナと同年代の少女だが、女神のように美しい容姿と気品のある落ち着いた所作が、この令嬢の巣窟の中においても彼女が別格の存在だと告げていた。
アンナはアリスと呼ばれた少女に釘付けになりながら、こんなお嬢様と自分が友達になれるのか不安になった。向こうからしたらメリットなど何もない。
「お久しぶりです、マリア先生。久しいと言っても二ヶ月ほどですが。その方が養女の?」
穏やかな表情と優しい声、アリスがいい子なのはすぐにわかった。
「そうよ。アンナ、この子で挨拶の練習しておきなさい」
スパルタ系聖女マリアの手によって、金髪お嬢様の目の前に押し出される。
「ア、アンナ・フルルドリスです。よ、よろしくお願いします!」
キョドって目がウロウロしてしまう。アリスは手で口を隠して小さく微笑んだ。
「入学試験での決闘、お見事でした。私はアリス・カサブランカと申します。こちらこそよろしくお願いします」
アリスは自己紹介をしながらアンナの目をジッと見てくる。彼女の碧眼から目を離せなくなった。何もかもを手放して支配されてしまいたい、そんな錯覚に陥る。
アンナはその時になって気がついた。この女は『蛇』だ。アンナはもう毒牙にかかっている。手遅れだった。
「こら、アリス。
マリアが窘めるとアリスは碧眼の魔力を弱めた。アンナはハッとして、正気を取り戻す。彼女は魅了の魔眼を使ってアンナを籠絡しようとしていたのだ。
「あら、バレましたか。突然ごめんなさい、アンナちゃん」
悪戯っぽく笑いながら謝るアリス。しかしおかしい。もう魅了の魔法は作用していないのに、アンナはドキドキしたままだった。
「魔法学校は魔法世界の縮図。権謀術数が蔓延る魔窟ですから、アンナちゃんのように強い人が味方に欲しかったのです」
それはアンナの実力を認めてくれているということ。利用しようとしているとしても嬉しかった。
「強かな子だけど、私の弟子だから信用して大丈夫よ。性格は悪いけどね」
マリアに弟子がいたなんて知らなかった。アンナはアリスに嫉妬の感情を抱いた。
マリアと親子になったとはいえ、まだ二ヶ月ほど一緒にいただけでしかない。自身の知らないマリアがいることがなんだか寂しかった。
「ふふっ、かわいいですね。心配しなくてもマリア先生を取ったりはしませんよ」
まるで心を読んだかのように、アリスはアンナの心情へ返答してきた。
「私、読心魔法が使えるんです。断りもなく心を覗いてしまい、申し訳ありません。もう勝手に読心魔法は使いませんから安心してください」
読心魔法とはその名の通り心を読む魔法だ。限られた特別な才能を持つものにしか使えない珍しい魔法である。
まるで裸を見られたかのような気分になり、アンナの顔が真っ赤になった。それを見たアリスは一際邪悪に薄目で微笑む。確かに性格が悪い。
しかし、アンナは彼女に対して嫌な気持ちは抱かなかった。アリスは性格は悪いが、悪い人ではないと思った。
アンナを自分の味方にしたいなら、マリアにバレないところで魅了魔法を使えばよかったし、読心魔法のことも黙っていればよかったのだ。それなのにわざわざ魔法を明かしたのは、アンナを騙したりしないという意思表示なのではないだろうか。
アリスもアンナと同じように友達を作りたかったのかもしれない。味方が欲しいというのは、隙を見せたくない彼女なりの照れ隠しなのではないかとアンナは思い至った。
「ア、アリスちゃん。わたしで良ければ、味方になるよ」
アリスがアンナに能力を明かしてくれたことに報いて、先程の冗談じみた勧誘に答える。予想外のアンナの言動にアリスは目を丸くしたが、すぐに笑顔になった。その笑顔は先ほどから見せている上手すぎるものではなく、破顔という言葉の似合う年相応の少女のものだった。
「嬉しいです、アンナちゃん! 是非、よろしくお願いします!」
そんな少女二人のやり取りを、マリアは隣の座席に座って、うんうんと頷きながら見守っていた。後方保護者面である。
そしてその隣で気に入らなさそうに目を細めてアリスを睨みつけているイヴがいた。
「イヴ? この子はアリスちゃんだよ」
「アンナちゃん、この女、カエルにしていい?」
アンナに友達ができた嫉妬からなのか、アリスがアンナを利用しようとしているからなのか、イヴが物騒なことを言い始めた。
しかし、それを聞いたアリスは恐怖するでもなく、イヴを嬉しそうに凝視した。魅了の魔眼でイヴを籠絡するつもりのようだが、相手は神だ。通用するわけがない。
「ふん、魅了の魔眼なんて私には効かな───」
しかしあっという間にイヴの頬が紅潮し始めて、目が泳ぎ始めた。
「こ、これは違うよ! 私はアンナちゃん一筋だよ! この子の魅力魔法との相性が悪いだけだよ!」
まるで浮気現場を見られたかのように慌てふためく女神。マリアが口を抑えて笑いを堪える。
「ちょっと、見てないで魔眼をやめるように言ってよ! あなたの弟子でしょ!」
「嫌よ、面白いんだもの。それにもう手遅れよ」
イタズラっぽく笑う聖女。アリスの師匠なのだと納得する性格の悪さだ。
「イヴちゃん、お手」
アリスの言葉に、反射的にイヴは跪いて手を差し出した。
「わっー! 違うんだよ、身体が勝手に動いちゃうんだよ」
言葉では抵抗するが、その体はアリスの言いなりだった。自分の使い魔を他人に操られているのに、なんだかアンナはドキドキしていた。いけない感覚に目覚めてしまいそうだ。
ともかくアリスとイヴが仲良くなれたようで何よりだった。
そんなこんなでしばらくの間、列車に揺られているとアンナは車窓から見える景色が大きく変化したことに気がついた。
先程まで広大な耕地の真ん中を走っていた列車が、現在は海の上にいた。海上にはレールが敷かれており、空を映す鏡のような凪の海に小さな波紋を伝播させながら列車は走行している。
「わぁ、すごい!」
幻想的な光景に感動して、感嘆の声が漏れる。ここが魔法のある世界であることを強く実感する。
「見えてきたわ。あれが、サンミシェル魔法学校よ」
マリアに教えられた方向を見ると、そこには海に浮かぶ山のように大きな城があった。城の中央には巨大な鐘塔があり、空高く聳え立っている。
海を行く列車と海に浮かぶ城に感動していると、アンナは一瞬、寒気に似た違和感を覚えた。
「今なんか変な感じがしなかった?」
「ああ、魔法学校の結界の中に入ったのよ」
結界とは聖域と俗世を隔てる境界である。施設や土地の防衛や隠蔽に用いる魔法で、部外者の侵入を妨げたりもできる。
「サンミシェル魔法学校の結界は世界で一番頑丈なのよ。なんせ、ここが魔法という学問の総本山なんだから」
マリアが解説してくれる。先生をやっているだけあって慣れている。アンナも夏の間、彼女から魔法を教わった。
「アンナ、変な感じって、どんな?」
「え、ええと、トゲトゲしているというか、攻撃的というか。あ、でも、わたしは結界のこととか詳しくないし慣れてないからそう感じただけかも」
「無意識の感知は重要な情報を拾うことがあるのよ。万が一結界に綻びなんてあったら大変だし、後で私が結界担当の先生に確かめてみるわ」
マリアは子供の勘違いかもしれない感覚に対して本気で向き合ってくれる。とても嬉しかったが、世界で一番頑丈な結界にケチをつけてしまったことが不安だった。その結界担当の先生に怒られてしまわないだろうかと。
程なくして、列車はサンミシェル魔法学校駅に到着した。乗客の学生たちがゾロゾロと列車から出ていく。人混みが苦手なアンナは他のみんなが行ったあと、最後に列車から降りた。
城同様に、駅のホームも海の上に浮かんでおり、空色を映した凪の海が視界に広がった。駅というよりもどちらかといえば港だ。
前世では拝めなかった幻想的な世界に、アンナの好奇心は既に不安を上回っていた。
先に外で待っていてくれたマリアとアリスがアンナを出迎える。
「すごいですね、アンナちゃん。これからここで魔法の勉強ができるなんて、とても嬉しいです」
眼前に聳える海上の巨城を見据えて、アリスが目を輝かせた。お淑やかなお嬢様でも、好奇心を抑えられていない。出自は違えど、二人の少女は同じ志を持ってここにいた。
そんな少女二人を導くように、マリアが前に出て手を広げた。
「ようこそ、サンミシェル魔法学校へ」
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