第33話 レイチェルの試験について

 「――さて、そろそろ終わりにしようか。これでも仕事が詰まっているからな」


「忙しい中、時間とらせてしもうて……、すまんの」


「いえいえ、それよりも……」


 月村さんはチラッとレイチェルねーさんへと目配せをする。


「レイチェル、お前……、ここで働く気ならちゃんと室長へ挨拶しに行け」


「うっ……」


「事情は理解するが、それくらいはしないと……示しがつかないだろ?」


 ねーさん、ただいま絶賛求職中。アメリカで手酷い失敗をしたせいなのだが、ここで働くとなったら、神屋師匠せんせいだって上司となる。

 だったら月村さんの言う通りにするのが筋というものだ。


「そうだね。神屋せん……、神屋さんの所にも行こうか。案内して、コウ」


「はいよ。こっち」


 俺を先頭にして、全員が黙って室長室へと向かっている。その沈黙に耐えられなくなったのかローラが口を開いた。


「コウ……、カミヤさんってどんな人?」


「そうだな……。普通にしてれば優しい人だぞ。まあ……普通にしてればだけど」


 俺の返答に偽ロリが説明を付け加えながら、ローラへと視線を向ける。


「そうさの……。術者としては、現在の日本で最強じゃろうな。剣の腕だけならば全盛期の彌永いよながには敵わんかもしれんが」


「そ……そんなに凄い人なの? カミヤさんもイヨナガさんも……」


 少しばかり驚いた顔のローラではあったが、今度は俺からの補足が入る。


「そのくらいの人じゃないと、対策室ここの室長は務まらないってこと。なんだかんだで腕っぷしも重要なんだよ」


 そんな話をしているうちに、『室長室』のプレートが掲げられた部屋の前へと到着する。在室中となっているので、部屋での執務中のはずだ。

 レイチェルねーさんへと目配せをし、彼女を扉の前へと導きノックをしてもらう。


「どうぞ」


 室内から男性の声が聞こえてきていた。間違いなく神屋師匠せんせいの声だ。


「し……、失礼します」


「坂城、入ります」


 部屋の奥のデスクで書類仕事をしながら、緊張しているねーさんと俺を一目する師匠せんせいだった。

 見た目はメガネを掛けてスーツを着た四十歳手前のどこにでもいそうなサラリーマンの様な格好の男性だ。


 「二人ともよく来てくれた。功も直接顔を合わせるのは久々だな。あと、後ろの方々もどうぞ入ってください」


 その一言で、ルーシーとローラも室内へ足を踏み入れる。


「挨拶が遅くなってしまって済まなかったの。本来ならば、いの一番に足を運ばねばならんかったのじゃが……。ローラの件でも世話になった。ありがとう」


「いえいえ。事情は知っていますから、お気になさらずに。貴女には色々と借りもありますしね」


 真剣な眼差しで礼を述べながら、師匠せんせいへと頭を下げるルーシーの姿があった。


「あ……、あの、初めまして」


「ローラちゃんだね。初めまして。功は役に立っているかな? もし不満があるのなら私に言いなさい。すぐに対処させてもらうよ」


「ふぇ!? 不満とかないです! お兄ちゃんができたみたいで楽しいです」


 なら良かった、と言いながらローラとの会話を終えると今度は竹刀袋に入れていた駄蛇が凄まじく殺気立ちながら師匠せんせいを威嚇していた。


「シャー! シャーーーーヘビ!」


「何だ!? おい、何してる!?」


「こいつ……、宿敵と似た気配がするヘビ! 何者ヘビ!」


 基本的に尊大で遠慮がないとはいえ、最近は友好的な駄蛇がここまで殺気立つのは初めて見る。とりあえずこいつをなだめなければと思案していたのだが――


「成程……、これが八岐大蛇の残滓ざんし……か。そう警戒するな。お前を祓おうなんて人間は、この場には誰もいないよ」


「ヘビっ!? 何で目の前にいるヘビ!?」


 そう、神屋師匠せんせいは一瞬にして俺の背後へと回っていたのだ。その動きを完全に追えていたのは、この場ではルーシーしかおらず、特にローラは何が起こったかも分からずあちこちをキョロキョロと見回している。


「腕を上げたの。下手すればワシもその動きに付いていけんぞ?」


「そうでもないですよ。ここ二年はデスクワークばかりで現場に出ていませんしね」


 遠慮がちにそう答える師匠せんせいだが、ただ立っているだけだというのに、全く隙が見当たらない。思わず冷や汗をかいてしまった。


「それで? わざわざ顔だけを見せに来たわけじゃないのだろう?」


「あっ! はい。その……、ねーさんの事で相談が……」


 それを聞き、師匠せんせいが全員を室内の来客用テーブルとソファが置かれたスペースへと案内する。

 すると冷蔵庫や戸棚から沢山のお菓子やジュースを腕一杯に抱えて持ってきていた。


「……せ、師匠せんせい? これは……?」


「いやな。お中元で色々と送られて来ていてね。ここの皆にも配ったが、まだ余っているんだ。青森のリンゴジュースとか宮城の萩の月とか、千葉のぬれ煎餅もあるぞ。それとも島根の出雲駄菓子の方が良いかな?」


「そのくらい俺がやりますから、偉い人はどっしり構えてください!」


「良いじゃないか。プライベートな来客なんて久しぶりなんだ。政府のお偉方とか防衛関連の官僚とかの相手で癒しが欲しかったところだからね。皆でゆっくりお茶しよう」


 俺の訴えなんぞどこ吹く風。瞬く間にテーブルの上は、お茶やソフトドリンク、お菓子で埋め尽くされてしまった。この全てがお中元という名の各地の名物だ。


「え……、ええと? さっきの雰囲気との落差が……」


「まあ……、昔からあんなじゃよ。面白い奴じゃろ?」


 ローラはさっき駄蛇と俺の背後を取った人間と同一人物なのか疑ってしまうくらいの戸惑いを見せてしまう。

 そうして師匠せんせいがソファに腰掛けて本題へと移る。


「それで? レイチェルがアメリカでやらかしたのは知っているが、ここのメンバーとして働きたいと?」


「せんせー! じゃない。神屋さん、お願いします! このままだとルーへの借金も返せないの!」


 ねーさんが拝むように手を合わせて師匠せんせいへ懇願している。あちらは少しばかり考えたような素振りで口を開く。


「お前の腕は知っている。先日の模擬戦では振るわなかったようだが、その能力は希少だしな」


「じゃあ!」


 ぱぁっと明るい顔になったレイチェルねーさんだったが、厳しい表情となった師匠せんせいから注意がなされる。


「レイチェル、お前の能力は良くも悪くも戦闘に特化している。その方面では無類の戦果を上げることができるだろう」


 確かにその通りだが、この後に続くのはおそらく……。


「だが、現状では単純な戦闘のみという事案はそう多くはない。なので、戦闘面以外での能力を確認したうえで、どうするか決めようと思っている」


「えー……」


 落胆したような声を出すねーさんだったのだが、師匠せんせいから追い打ちが入る。


「それを無しにするのなら、功と組ませる」


「じゃあ、そっちでいいよ! 住んでる場所も一緒だしね!」


「ただし……その場合、功と同じ待遇で危険を伴う戦闘行為が必要な場合以外は、依頼が入った時のみの時給制となる」


 その言葉に顔が引きつってしまうレイチェルねーさんだった。


「分かりました……。その確認って、どんな事をすればいいですか?」


 観念したような雰囲気となってしまったレイチェルねーさんが少しばかり丁寧な言葉づかいで、師匠せんせいの返答を待っている。


「こちらで試験代わりの案件を選別するから、詳細は追って通達する」


「はーい……。よろしくお願いします……」


 いつもの元気がなくなってしまったねーさんが力なく受け答えをしている。そして師匠せんせいは俺の方を向き、一言。


「今回、レイチェルが担当する案件……、お前は手出し無用だ。まあ、お前の部屋での調べものくらいなら構わないが」


「了解しました」


 俺はそう返事をすると、あちらも納得したらしくスッと立ち上がる。てっきり執務に戻るものだと思っていたのだが、なぜか師匠せんせいは冷蔵庫と冷凍庫を開け、またしてもその中をガサガサと音を立てて探し物をしている。


「それでだ。このジンギスカン用ラム肉とか、わんこそばセットとか、中華街直送の飲茶セットとか……持って行ってくれないか?」


「……ご自分で食べたら良いじゃないですか?」


「単身赴任でこの量は無理だ。育ち盛りの子達がいる家に提供した方が有意義だろう?」


 お中元、どれだけあるのだろうか? 


 俺らが来たのは渡りに船だったのかもしれないが、言いたいこともある。


「ご自宅に送ればい良いでしょう。育ち盛りならあちらにもいますよね?」


「それがな。羽衣ういが、こんなに食べたら太るって怒るんだ。もう中学三年だと、そんなのも気になるらしくて、これどうしようかと困ってたんだよ……」


 神屋かみや羽衣うい師匠せんせいの一人娘で、奥さんと一緒に地方都市に住んでいる。

 娘を持つ父親の悲哀をその身で体現している室長の姿がそこにはあった。


「……なんなら功が届けてくれてもいいぞ? お前が持って行ったら嫌とは言わないだろうしな」


「何で俺が使いっ走りみたなことしなきゃならないんですか?」


羽衣ういも会いたがってるからな。たまにはいいだろ」


「嫌です。面倒です」


 地方都市までお中元を届けに行くだけって、かなり間抜けな光景である。

 すると、近くに座っていた偽ロリがワクワクしながら独り言を呟き始めた。


「これならば……、今夜はジンギスカンとビールで一杯、いや蕎麦の前にいい日本酒をクイっと……。それとも紹興酒と飲茶で……」


「その大陸の酒はうまいヘビか? 蛇も一緒に飲むヘビ」


 この年増ロリと駄蛇、家で飲む気満々である。

 

 今夜の晩酌を想像して、よだれを垂らしている一人と一蛇を眺めながら、師匠せんせいからご当地グルメを受け取り家路へと向かったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る