三
「……」
夢だろうか。前回もそうだった。生きながらに身体を溶かされ、意識を失い、こちらで肉体と魂を再構築される間に、過去のおれを追体験した。
カプセルの中、ぼんやりと外を眺めながら、今しがた掘り起こされた記憶の続きを脳内に流す。
あおちゃんの手にかけた猫を埋葬し、散歩したあとは、なにごともなく家に帰った。布団にくるまって、手に染みついた血のにおいに気がつき、あわてて手を洗い直した。石鹸で何度も、何度も洗うのに、においがとれなくて、いやになって布団にくるまった。眠れなかった。
決して忘れることはない。思い出すたびに舌が苦みを訴える、強烈な記憶。
「おはよう、少年。何周目かな?」
フタが開き、若桜がいやらしい笑みを浮かべて言った。
「若桜さんにとっては何人目ですか?」
「ふふ、鋭いね」
一瞬目を丸くした若桜は、これまでのニヤニヤとした笑みとは違う、嬉しそうな顔をした。
「ふたりめだよ」
なるほど。つまり、いまこの世界には、オリジナルのみやこと二周目のみやこ、そしておれの三人がいるということだ。周回数と人数の合致は、偶然か必然か。前周のように匿ってもらおうにも、ドッペルゲンガーがふたりもいたらいろいろ不都合が多そうだ。
と、気になることはありつつ、まず考えるべきは、どうやってあおちゃんを救うかだ。おれの将来など、あおちゃんの命に比べれば些末な問題である。
「ひとりめのおれはなんか言ってましたか?」
「いや? 私への殺意を口にしていたくらいかな」
「それはおれも口にしますけど」
特に新しい情報は得られなさそうだ。おれは節々痛む身体を無理やり動かし、カプセルを出た。
「ああ、そうだ。お金貸してください」
研究所を出る直前、はたと思い出して言った。
「返すアテはあるのかい?」
「ええ、まあ」
適当に答える。実際のところ、みやこオリジナルに言えば千円くらいならもらえるだろう。
野口ひとりを受け取り、研究所を出た。
コンビニでガムと、適当に菓子パンとコーヒーを買う。おそらく二周目のおれがすでに万引きしていることだろうが、念の為、である。
足早に学校へ向かい、屋上へ。
「――」
いた。案の定だ。屋上へ続く扉の前でゴソゴソとしている。ガムを詰めこんでいるのだろう。
一瞬、声をかけようかと考えて、やめた。下手なアクションを起こして未来を変えたくない。こいつにはなにも知らないまま二周目の行動をしてもらったほうが都合がいい。
足音をたてずにこっそり踵を返す。――はずだった。
「え、おれ?」
おれの声が背中にかかった。振り向くと、ガムを詰めこんでいたみやこが、目をまんまるくしてこっちを見おろしてきていた。
同時、チャイムが鳴った。
「行くぞ!」
深い考えがあったわけではない。ただ、直感的に、放置してはいけないと思った。ついてくるよう呼びかけ、返事を待たずにおれは駆け出した。靴下で滑るが、そうも言っていられない。前周のようにひとりならともかく、同じ人間がふたりいるのだ。仲良く並んで歩くわけにはいかない。
にわかにざわめきだす廊下。上級生の視線をくぐり抜けて、校舎を出た。
しばらく走り、校門を抜け、生徒の気配がなくなったところで足を止め、振り返った。
「よお。みやこ」
格好つけて呼びかける。
膝に手をついて大きく呼吸するみやこ。ついてきてくれているか不安だったが、大丈夫だった。
それにしても、満身創痍になるほど走っただろうか。おれも大概息が切れてはいるが、こいつほどではない。積み重ねてきた怠惰の量と質は同じはずだが。と一瞬思ったが、みやこは、突発的な事態に加えて、どこまで行くのかもわからないまま走らされたのだ。精神的な負担はだいぶ大きかったことだろう。肉体に影響が及んでも不思議ではない。
みやこは呼吸の落ち着かないうちから、オバケでも見たかのような視線をおれに向けた。
「おま……なんで…………あ、もしかして、三周目か?」
「正解」
「え、マジ……なんで……ガムじゃダメだったのか?」
戸惑い、顔色を悪くするみやこに、おれはつとめて冷静に言った。
「ガムはうまくいった。が、そのあとがダメだった。っていっても、おれのいた世界線の話だから、ここがどうかはまだわからんけど」
「待て待て待て。詳しく教えてくれ」
手を振って、青ざめた顔のまま訴えてくるみやこ。
まあこういう反応になるだろう。おれが同じ立場でもそうする。
さて、どこまで正直に話すべきか。
もともとの予定では、このあとあおちゃんの部活が終わるまで適当に時間を潰し、下校をともにすることで事故から守るつもりでいた。が、それを馬鹿正直に話してしまえば、みやこも守備固めに立候補してくるに違いない。
この役は譲れない。
心の中で首を振る。
断じて、独占欲だとか、自己顕示欲だとかではない。合理的判断だ。
こいつもおれも同一人物だが、覚悟が違うのだ。一回多くタイムマシンに乗った痛みが。一回多くあおちゃんの死を経験した喪失感が。おれの心を、リングの端まで追い詰めている。もし万が一、またあおちゃんが事故に巻きこまれそうになったとして、おれのほうが絶対に、一瞬はやく動けるという自信がある。
そう。あおちゃんを救うという一点において、こいつよりもおれのほうがわずかに適している。感情論ではなく、合理的な判断として、1%でも確率を上げるために、おれがやるべきなのだ。
だから、おれは言った。
「明日、あおちゃんが事故に遭う。登校時に、トラックに撥ねられる」
ウソの情報を。
「マジか。……あれ、タイムマシンって十時間までじゃ」
「改良して時間制限が延びた。あのサイコパス頭おかしいわ」
「すげえなもう改良したのか。さすがサイコパス」
みやこはまったく疑うことなくうんうんと頷いた。
「てなわけで、放課後、オリジナル合わせて三人で、明日に向けて作戦会議をしたい。どうせおれもお前も行くアテなんてないし、今晩はオリジナルに匿ってもらうことにしよう」
「わかった」
「放課後までおれは図書館で時間潰すけど、お前はどうする?」
先手必勝。向こうから言われる前にこちらから表明する。このへんで無料で時間を潰せる場所といえばそのくらいしかない。まあ、頑張れば双子だと言えないこともないだろうが。
「……どうすっかな。金もねえし」
「金ならサイコパスんとこで借りれるぞ」
「借りたん?」
「千円だけな。あとでオリジナルに請求する」
「じゃあ、おれも借りて、マックでも行くかなあ」
憂鬱そうな顔でそう言って、みやこは歩き出した。
図書館に着いた。
前回同様、犯罪学のコーナーへ向かう。が、先輩の姿はなかった。
「まあいいか」
小さくつぶやき、棚に並んだ本たちを見上げる。こんなにたくさん論じられるほど、世の中には罪が溢れているのだ。あおちゃんもその一部なわけだが、果たしておれとあおちゃん、どちらが真っ当といえるのか。
「出井くん、だっけ。仁本の幼馴染の」
適当に目についた本を抜いてペラペラめくっていたら、声をかけられた。
振り向き、見覚えのある栗色ちんちくりんに、返事をした。
「どうも」
「めずらしいねこんな場所で。授業は?」
「推薦が決まって出席しなくて良くなったんで」
「君まだ一年でしょ」
呆れたように言う先輩。
「ま、あたしも他人のこと言えないけど。ところで、なんの本読んでたの?」
「……どの本でしたかね」
あまりに適当に手に取っていたものだから、改めて本棚を見上げたら、わからなくなってしまった。森の中に木の葉を落としてしまったようなものだ。
「犯罪者ってなんでこんなにたくさんいるんですかね」
ぼんやりと本の羅列を眺めながら、独り言のように尋ねる。
先輩は数瞬の間をおいて、答えた。
「法律があるからだよ」
意味がわからなかった。
彼女を向いて、物憂げな顔に再度驚いた。
「どういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。本当は、人間の行いに良い悪いなんてないの。偉い人たちが法律なんていう自分ルールを設定して、逸脱した行為を罪と呼び始めた。それだけなんだよ」
思わず、まじまじと見つめてしまった。
まさか彼女からこんな言葉が出てくるとは。前周では、「悪い人がなにを考えて悪いことをしているのか知りたい」と語っていた。あまりにも矛盾していないだろうか。
だから、もう少し引き出したくて、反論してみた。
「普遍的に悪いことってありますよね。たとえば人を殺しちゃいけないなんて、法律ができるよりずっと前から世界中で言われてるわけで」
「……そうだね。うん。そうだと思うよ」
なにか言いたげな空白を挟んで同意した。少なくとも、同じ意見ではなさそうだった。
だからおれは改めて(初めて)訊いてみた。
「先輩は、なんの本を探してるんですか?」
先輩は困ったような顔をして答えた。
「なんとなく、暇つぶしにぶらぶらしてただけ」
図書館で時間を潰し、放課後。おれは武道場脇に身を隠して待った。
あおちゃんが出てきたタイミングに合わせて、おれも姿を見せた。
「みゃーくん。どうしたの」
目を丸くするあおちゃん。制汗剤のにおいが冷たい風に乗っておれの鼻腔をくすぐる。
「一緒に帰ろうと思って」
「どういう風の吹き回し?」
不思議そうな声。
が、悪い気はしていないようで、あおちゃんはいつもの、おれにだけ向ける笑みを浮かべていた。
「あおちゃん、次の大会いつだっけ」
「来月だよ。今度こそ全国行きたいなあ」
並んで歩きながら、他愛のない話をする。
「そういえば、幽霊屋敷見てきたよ」
「へ〜、どうだった?」
「ほんとに貼り紙あったよ」
「現物は?」
「自殺教唆? ピンポンもしたくないよ」
おれの冷静なツッコミに、あおちゃんはカラカラと笑った。
こういうとりとめのない会話は良い。楽しい。ずっとこうしていたい。
が、いまはそのための時間ではない。
あおちゃんは今日、このあと、交通事故にあって死ぬ。おれは全身全霊で、あおちゃんの死を防がなければならない。
もっと言えば、あおちゃんのニ回続けての死が、ただの偶然か、あるいはなにか根本的な原因があるのかを探るべきだろう。
「あおちゃん、最近、なにか変わったことあった?」
「どうして?」
笑顔で訪ね返される。
さすがに脈絡がなさすぎた。
「なんか、あんまり元気がなさそうだなって」
口からでまかせを言う。実際はぜんぜんそんなことないのだが、まあ、占いみたいなものだ。誰にでも多少当てはまる、言われてみると心当たりの出てくる要素なら、どう言っても安牌だろう。
死んだ姿を見てきたなどと言うよりは百倍良い。
おれの安全策に、あおちゃんは一瞬目を丸くして驚きの声を上げた。
「よくわかったね。実は昨日足を怪我しちゃって。たいしたことないとは思うんだけど、練習中も痛かったから、大会に影響しないといいなって」
「病院は?」
スカートからのぞくしなやかな足。これで空手黒帯だというのだから、人間はよくわからない。
「たぶん、病院行くほどの怪我じゃないよ。我慢できるし」
「そっか。よくなるといいね」
多少強引にでも医者にかかるよう言うべきな気はしたが、黙っておいた。あおちゃんの身体はあおちゃんが一番詳しいのだ。おれがとやかく言ってもうるさいだけだろう。
それに、いまのあおちゃんは痛そうな素振りを見せていない。ほんとうに痛かったら歩き方にも違和感はでるだろうし、問題はないのだろう。
「なにかおれにできることあったら言ってね」
「うん。ありがと」
それからは、いつもどおりのやり取りが続いた。
どうでもいい話ばかりで、それが心地いい。
……油断、だったのだろう。
駅のホーム、最前列で電車を待っていた。
電車が警笛を鳴らしながら近づいてきた。
驚いたようにあおちゃんはスマホを落とした。
落ちどころが悪かった。
跳ねたスマホが線路へ吸い込まれるように飛び、追いかけたあおちゃんも――
「……………………」
ぐしゃ、という音が聞こえた気がしたが、警笛と、急ブレーキと、線路を叩く轟音でよくわからなかった。
おれのとなりに、あおちゃんがいないということだけはたしかだった。
それからのことはよく覚えていない。
逃げるようにホームを出て、走って、走って、走って、若桜の研究所の扉を力いっぱい叩いた。
にやあ~、となにか知っていそうな顔で出迎える若桜。
「おいどういうことだ」
「なんのことだか」
「三度目だぞ。三度目。あおちゃんがまた死んだ。なんのカラクリだ」
「落ち着きたまえよ。コーヒー飲むかい?」
「うるさい。いいから教えろ。お前はあおちゃんになにをした」
詰め寄るおれにマグカップを差し出して、若桜は冷静に言った。
「冤罪をふっかけるのはやめてくれたまえ。私はあおちゃんとやらをそもそも知らないんだ。まずは事情を聞かせてほしいね」
「っ…………」
言われてみればそうだ。いくら学内で有名とはいえ、部外者の若桜があおちゃんを知っているわけがない。
「すんません。取り乱しました」
おれはコーヒーを受け取り、頭を下げた。
「うむ。その子は君にとって相当大切な人なのだろう。仕方のないことさ」
「あんな発明してんのにそこは常識的なんすね」
「非凡とは平凡から歩み進めた先にあるものだよ。社会性のない非凡はただの非常識さ」
「ならなんであんなやらしい笑みでおれを迎え入れるんすか」
「研究者の一番の悩みはサンプル集めでね。難しいし、なにより面白くないんだよ。だから、モルモットが自ら出向いてくれるだなんて、嬉しくて仕方ないのさ」
「えぇ……」
おもわずドン引きし、ごまかすようにコーヒーに口をつけた。インスタントらしい雑な味だ。熱くて、苦くて、でも、すこし落ち着いた。
「実は――」
それから、おれは語った。
あおちゃんという幼馴染が屋上から落ちて、タイムマシンに乗る決意をしたこと。
屋上への扉を塞いだら交通事故にあったこと。
交通事故を防ごうと一緒に帰ったらホームから転落して電車に轢き殺されたこと。
黙って聞いていた若桜は、やがてコーヒーをすすると、真剣な目のまま言った。
「不快にさせたら申し訳ないが、運命、というやつなのかもしれないね」
「…………科学者が、そんな非科学的なことを言うんですね」
かっと熱くなる頭を振って、冷静に言う。
「科学というのは、現在の人類に解き明かせた法則でしかないからね。幽霊も占いも運命も、いずれ証明されればオカルトから科学の領分にかわるよ」
「仮に、今日あおちゃんが死ぬことが運命だったとして、おれはどうしたらいいんですか。どうすればあおちゃんを助けられるんですか」
「運命が科学的に証明されていない以上、抗うすべもまたわからないとしか言いようがないかな」
「……まあ、そうですよね」
「とはいえ、科学で証明されていないのは、あるという可能性だけでなく、ないという可能性もだ」
「というと?」
「運命かもしれない。だが、そうではないかもしれない。本当にただ運悪く3回連続で死ぬこともあるだろう。なにか彼女に意図があって、うっかり空回りしてしまっている可能性も考えられる。あるいは本当に死が運命づけられていたとして、捻じ曲げる方法は案外簡単かもしれないね」
「楽観的すぎませんか」
「悲観的になって少年は救われるのかい?」
「……」
ぐうの音も出ない。若桜の言うとおりだ。いまのおれは、未来に希望があると信じるしかない。
「それと、過去に戻ったら、ほかの自分と協力関係を結んでも良いかもしれないね」
若桜がタバコをふかしながら提案した。
「今回は少年のあとには誰も来なかったが、次はどうかわからない。五周目や十週目といった未来の君なら、新たな知見を持っているかもしれないよ」
「なるほど……」
今回は過去のみやこだったというのもあって、ウソをついて外野に追いやった。が、あれが正着だったかは正直良くわからない。協力関係さえ結べれば行動の幅も広がることだろう。案外悪くない提案かもしれない。
「ま、なにはともあれ、タイムマシンに乗ってから考えることだね」
「できるわけないだろ」
ニコニコと案内してくる若桜に思わずツッコミを入れる。
前二回と比べて時間的余裕はまだある。が、いまこの世界線でできることはなにもない。なら、ただ決断を先延ばしにするより、はやめの時間に戻って、準備に時間をかけたほうが良い。
「………………………………はあ」
と、理屈の上ではわかってはいるのだが、タイムマシンへの移動を全身が拒否した。
足は地に根を張り、腰は漬物石となり、脳が言い訳をまくしたてる。
心と身体が一致せず、おれの支配権は身体が握っていた。
「それじゃあ、良い旅を」
結局、おれがタイムマシンに乗れたのは、タイムリミットギリギリの時間になってからだった。
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