二
最悪の目覚めだ。カプセルから外を伺いつつ思う。なるほど、すべての記憶がそのままだ。生きたまま身体を溶かされた苦痛まで完璧に脳細胞に刻まれている。向こう一年は悪夢にうなされることだろう。
空気の抜ける大きな音とともに、蓋が開く。
待ち構えていたという顔で、若桜が口を開いた。
「やあ、さっきぶりだね、少年。名前を教えてくれるかい」
「……出井です」
「ふむ。出井君ね。よしよし。乗り心地はどうだったかね?」
「……全身麻酔を用意しといたほうがいいですよ」
ニヤニヤと浮かぶいやらしい笑み。やはり人道主義者など嘘っぱちだった。こいつはどう見てもマッドサイエンティスト側の人間だ。
壁にかけてある時計に目をやる。なるほど嘘はついていなかったようで、11時過ぎを指していた。
「さて、詳細に感想を聞きたいところだけれど、急ぎかい?」
「まあ」
「それなら、はやく行きたまえ。コトが終わったらまた報告に来てくれよ」
できればもう二度ときたくはねえなあ、というのが正直なところだが、おれはこれでもそれなりに社会性を手にしているので、「次はあなたをぶちこんでやりますよ」とだけ答えておいた。
研究所を出ると、太陽が高い位置から燦々と照りつけてきていた。
「ほんとうに時間が戻ってんだなあ」
不思議な気分というか、妙な感慨深さがある。
とはいえ、タイムスリップは目的ではなく手段。あおちゃんを救えなければなんの意味もない。
ひとつため息をついて、コンビニに入った。そこでようやく、財布を持っていないことに気づいた。
衣類は再構築してくれているから、財布もポケットに入れておけばよかったのだろうが、まあ、いまさら言っても仕方ない。
どうしようか。右に左に迷ってウロウロする。幽霊屋敷に戻ってお金を借りるのが第一感だが、貸してくれるとも限らないし、そもそも、できればあそこには戻りたくない。磁石の同じ極を近づけたときみたいな、見えない反発力がおれの心に芽生えている。
ならば選択肢は一つしかない。ちらりと視線を巡らせ、店員がいないことを確認し、ガムを袖に隠した。そのまま、何食わぬ顔で店を出る。棒読みの「ありがとうございましたー」に、ちくりと心臓が痛んだ。
ともあれ、成功だ。打球の初心者がこんなにあっさりとできてしまうとは。この犯罪がなくならないわけだと妙な納得感があった。
学校までは徒歩十二、三分。できるだけ目立たないように、しかし不審者にならないよう堂々と、学校の敷地をまたいだ。
人目につかないルートを通って、校舎の屋上へ向かう。
どうすればあおちゃんの転落死を避けられるか。
簡単な話だ。屋上への扉をふさいでしまえば良い。
まだ味のするガムを吐き出し、鍵穴へねじこんだ。
本当はボンドが一番良かったが、この際贅沢は言ってられない。時間がないのだ。綺麗にひっぺがえされないよう、できる限り奥へ奥へと詰める。
「これくらいでいいか」
呟くと同時、チャイムが鳴った。
急いで階段を降りる。
わらわらと三年生たちが出てきた。誰だこいつ、という顔を向けられるが、何食わぬ顔で隙間をすり抜け、この時間軸のおれとは反対方向へ歩いた。
さて、ここからどうするか。
「…………あれ、こっからどうしたらいいんだ?」
呆然と呟く。
周囲の喧騒が遠くなった感覚。足元がぐらつく錯覚。
若桜は言っていた。
隠れて生きてもいい。
殺して成り代わってもいい。
共存してもいい。
あのときは、そんな無責任な話があるかとため息をつくだけだった。
それだけでこの話を終わらせて、未来の自分へ丸投げしてしまった。
これから、おれはどうしたら良いのだろうか。
隠れて生きる。と、そうは言っても、戸籍もなく生きていけるほど現代日本は無法社会ではない。身を助ける芸も持ち合わせていないし、ホームレスになるのが関の山だ。
殺して成り代わる。論外だ。殺したあとの処理方法を持たないし、そもそもおれの性格的に、ひと思いに殺すというのは難しい。反撃を食らうなり助けを呼ばれてコトが大きくなる未来が容易に見える。
かといって若桜を頼るのも嫌だ。もしかしたら助手として雇ってもらえるかもしれないが、実験台として生命を終える可能性のほうが高いだろう。
つまるところ、おれに残された選択肢は、共生しかないのだ。
まあ、ある意味都合はいい。今回のこのガムであおちゃんがどうなるか、顛末を知りたい部分も大きい。
とりあえず、放課後まで時間を潰して、待ち伏せをするべきだろう。
おれは学校を出て、図書館へ向かった。金がないときの時間つぶしといえば、ここに限る。静かだし、座れるし、なにより金がなくても何時間でも居座れる。
入館し、独特のにおいを取りこむ。たぶん、本のにおいなんだろう。おれはあまり本を読まないからか、このにおいをかぐと眠気のほうが強くなるが、あおちゃんはむしろ元気が出ると言っていた。あおちゃんは見た目通り読書家で、部屋の本棚は小難しそうな書籍でぎっしりだった。
そういえば、あおちゃんがおすすめだと言っていた本があった。なんといったか。連続殺人鬼が獄中で書いた本だというのは覚えているが、作者もタイトルも全然浮かんでこない。
ぶらぶらと歩きながらそれっぽいタイトルの本を探す。平日の昼間だからか館内はすいており、定年後のジジババか幼児連れしかいない。
「あれ」
犯罪学の棚をのぞくと、見覚えのある女子に出くわした。
おそらく150センチないだろう小さな身長。栗色に染めた短い髪の毛。セーラー服のスカート丈は短く、しかしそれは色気よりも、活発な少女という印象をこちらに与える。たしか、あおちゃんとクラスメイトの……名前はなんだったか。
「出井くん、だっけ。仁本の幼馴染の」
向こうがこちらに気づいて声をかけてきた。
仁本青光(にもと・あお)。それがあおちゃんの本名だ。学校でのキャラから想像はついていたが、クラスメイトからは名前ではなく苗字で呼ばれているらしい。
「どうも」
「めずらしいねこんな場所で。授業は?」
「今日はもういいかなと」
「おー、不良だ」
「先輩もじゃないですか」
「あたしは推薦でもう大学決まったから、授業でなくてもいいんだよ」
「すごいナチュラルにウソつく」
「あーそっか、仁本も推薦組だったか」
あちゃーと、さして悔しくなさそうに言った。
「なんの本ですか?」
特に興味はなかったが、世間話として、彼女の手に持った本をさして尋ねた。
「犯罪心理学の本だよ」
「弁護士とか検察官になるんですか?」
「いやいや、ただの興味。悪い人がなにを考えて悪いことするのか気になって」
「へえ……」
どう言ったら良いかわからず、微妙な反応になってしまった。ド偏見を承知で言うが、テニスとかラクロスやってそうな見た目で、こんな小難い本はアイマスクにしそうなイメージしかない。
「出井くんは、なにを探しに?」
「……いえ、適当にぶらついてただけです」
なんとなく、特に理由はないけれど、本当のところを話すのが憚られてごまかした。
それからニ、三言葉を交わし、別れた。
夕方まで時間を潰して図書館を出た。ちらりと読書スペースを覗くと、先輩はまだ本を読んでいた。
下校時刻。おれは、この時間軸のおれ――ややこしいので、以後、べつ時間軸のおれのことを、みやこと表記しようと思う――の前に姿を見せた。
「…………は?」
たっぷり時間をかけて間抜けな顔をするみやこ。表情の間抜けさと、声のキモさに、早速嫌気が差した。
「まあ、その、なんだ。おれはお前のドッペルんゲンガーってやつだ。よろしくな、オリジナル」
そう言うと彼は、先より長い絶句を挟んで「いやいやいやいや」と手を振った。
結局おれは、みやこの部屋に匿ってもらうことになった。口からでまかせでメリットを提示できるような話術はない。ただ、おれは、おれ自身が、頼みごとに弱いという自覚がある。世界線は違えど歩んできた道は同じ。なら、どうすれば説得できるかなど、自己分析をするまでもなく理解できた。
タイムマシンに乗ってきたことを隠し、これからの話をする。
「屋上への扉がガムで塞がれててさ」
「へえ。あおちゃん大丈夫だった?」
すっとぼけて尋ねる。
「ああ、結局校舎裏で飯食ったけど、たまには違う場所もいいねって笑ってた」
そんな話をしていると、急にみやこのスマホが鳴った。
電話に出て、最初はいつもどおりだったが、一瞬で青ざめた。
電話を終えたみやこが言った。
「あおちゃんが、死んだって」
「どういうことだよ」
食い気味に尋ねる。
「知らん。帰り道で事故にあったって。おれ病院行ってくるわ。大人しく待ってろよ」
こちらの返事を待たず、みやこは財布とスマホを持って出て行った。
ひとり残されたおれは、ただただ混乱していた。
あおちゃんが死んだ。偶然なのだろうか。事故死と言っていた。嘘をつくメリットもないし、あの青ざめかたからして本当なのだろう。
ともあれ、このままではいけない。時間を確認する。
電車の時刻表を加味すると、もう一度タイムマシンに乗るには、猶予がない。今すぐにでも家を出るべきだ。
だが、
「本当に、乗るのか……?」
思わずつぶやく。
あの地獄の苦痛を、おれは、また選択できるだろうか。
だが、いや、しかし。しかしだ。あおちゃんが死んでしまった今なにもしなければ、それこそなんのためにタイムマシンに乗ったのかという話になる。コンコルド効果だと言われればまったくそのとおりだ。だが現実問題としておれは、一方通行のタイムマシンに乗り、ドッペルゲンガーとして生きる以外の道を手放したのだ。なのに、肝心のあおちゃんが死んでしまったのでは、あまりにやりきれない。ここで諦めたら、おれに残されるのは虚無しかない。
家の電話からみやこのスマホにかける。もしかしたらなにかの間違いで、ドッキリだったんじゃないか。死んだというのははやとちりで、一命をとりとめたんじゃないか。そんな一縷の望みをかけて、呼び出し音を鳴らす。
が、繋がらない。
それから五度、六度と電話をするも、出てはくれず、タイムリミットを迎えた。全力疾走で駅へ向かい、電車に飛び乗った。
一時間たっぷり揺られ、研究所へたどり着いた。
若桜の顔を見て、一瞬、ぶん殴ってやろうかと思った。
「おかえり、少年。お出かけかな?」
地獄の焼き直しは、今回は、描写を省こうと思う。同じようなものだし、読んで気分良くなるような話ではないのだから。
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