第23話 ゾス星系 定点1

 フォーマルハウトを後にした三人の乗る宇宙ロケットに異変が起こった。

 それは高熱の圧力プレッシャーである。


「なんだ、一体何が起きているんだ」


 黒ウサギの姿をした宇宙生物ミ=ゴ、ミーちゃんが焦ったような声を上げた。

 いつも沈着冷静なミーちゃんにしては珍しいことである。それだけで、事体が深刻であることが感じ取れた。


「熱いっ。宇宙ロケットの冷却装置エアコンが動いてないの?」


 結杏ゆあが液体金属の身体をどろりと蕩けさせながら悲鳴を上げる。


「いや、機能はしているはずや。それを越えた熱量がこの付近に発生しているっちゅうことやな」


 最新鋭の機械兵士であるMINEマインが説明した。


「まさか、クトゥグアに目をつけられたのか? 一体なぜ?」


 ミーちゃんが深刻そうな声を出す。


「フォーマルハウトに着陸した時までは大丈夫やったやんな。てことは……」


 MINEの視線が結杏に向いた。

 それを見て、ミーちゃんがハッと気づいたかのようにぽつりと呟いた。


「クトゥグアは火、つまりプラズマ……。

 今の結杏は液体……水に象徴される状態……」


 その呟きを聞き、結杏が抗議の声を上げる。


「どういうこと? 私が何だって言うのよっ」


 ミーちゃんが気づいたような素振りをして、解説した。


「結杏がプラズマから液体に状態を変えたことで、クトゥグアは眷属が攻撃を受けたと感じたんだ。フォーマルハウトはダゴンによる侵略を受けていた。俺たちはその尖兵だとでも思われたんだろうよ」


 その声は緊迫したものであり、それを肯定するかのように高温と圧力は強くなった。


 グニャリ


 熱と圧力により、宇宙ロケットが潰れるような音が聞こえた。

 結杏はそれと同時に目の回る感覚に襲われ、気を失う。


          ◇


 どれだけの時間が経ったのだろうか。

 長い時間が経ったとも一瞬のことだったとも思える。宇宙ロケットは潰れていなかった。


「えっ? えっ? 何が起きたの?」


 結杏ゆあが混乱した声を上げる。

 ミーちゃんもMINEマインも状況を把握してはいなさそうだ。


 しかし、先ほどまでの高熱が引き、圧力も感じない。

 どうにか生き延びたのだろうか。


「MINE、位置を確かめたい。付近の星を調べてくれ」


 ミーちゃんがMINEに指示を送る。

 すると、MINEの顔にあるモニターに目まぐるしく数列が走った。宇宙ロケットの観測装置と無線で繋がり、その情報を処理しているのだろう。


「ここはフォーマルハウト星系やない。全然、星の並びがちゃうで」


 それを聞き、ミーちゃんが少し考えるような素振りをした。そして、思案が行きついたのか、声を上げる。


次元転移ワープしたようだな。クトゥグアによって別の星系に転送させられたらしい」


 そして、ミーちゃんは「この辺りの星の情報をくれ」とMINEに催促した。


「この辺は恒星が多いようや。七つもの恒星が連鎖しているで。

 それに惑星がいくつか。しかし、妙な感じや。ワイの知らん材質っちゅうか状態っちゅうか、なんなんやろ」


 MINEの言葉を聞き、ミーちゃんがピクリと反応した。


「その特徴はゾス星系。クトゥルフの本拠地と聞く。宇宙中を探索するミ=ゴでさえ近寄らない宙域だ」


 それを聞き、結杏とMINEが息を飲む。想像以上に危険な場所に来てしまったようだ。


「じゃあ、クトゥグアは送り返してくれたつもりだったのかな。意外に親切……」


 あのワープ方法を親切というのは抵抗があったが、ふと結杏はそう思った。この状況も新設の結果とはとても思えないものであったが。


「どうだかな。旧支配者グレート・オールド・ワンの思惑なんて考えても無駄だ」


 ミーちゃんがそう嘯く。


 宇宙ロケットの窓からは緑色の天体が見える。四つの惑星が連なっている。そのどれもが衛星ではなく七つの恒星によって公転しているようだ。

 あれがMINEのいう材質不明の惑星なのだろうか。


「ゾス星系の惑星は岩石でもガスでもない。プラズマですらない。それらを超越した第五の状態にある。つまり、ダークマターだ。

 そして、あの連星にゾス三神と呼ばれるクトゥルフの落とし子――クトゥルヒがいるといわれてるな。一際大きい惑星はアビス、ザオース、イマールか」


          ◇


 緑色の天体はゾスの連星だけではなかった。

 いくつもの小惑星というべきダークマターの星があり、少しでも近づこうものなら強靭な触手が現れ、宇宙ロケットを飲み込もうとする。

 どうにかMINEマインの砲撃によって回避することができたが、宇宙ロケットの航行は繊細な操作を要求された。


「どうやらゾス三神以外にも落とし子はいるようだな。クトゥルフの孫やひ孫と言うべき存在かもしれん。力の弱い眷属だから、こっちの攻撃でどうにか対処できるけどな」


 ミーちゃんが呟く。


「ひえっ、まったく、こりゃ敵わんで。どうにか、こいつらを避けて、この星域を脱出するんや」


 MINEもぼやいた。


 ミーちゃんが天体の位置関係を把握し、進むべき進路を決める。それに従い、MINEが宇宙ロケットを操縦し、障害物を破壊する。

 こうなると、結杏ゆあは手持ち無沙汰だ。


「ねっ、みんなぁ、お腹空かない? ご飯作るよ」


 ゾス星系に来てから大分時間が経っていた。お腹が空いてくる。

 結杏は食事を作ることにした。


「手が離せないから、その場ですぐ食べれるものがいい。貯蔵庫におにぎりがあったか」


 ミーちゃんがそう言う。

 結杏はそれを受けて、貯蔵庫の中の宇宙食を漁った。


「おにぎりは……これかな。えぇーと、お湯を入れれば15分でできるのね」


 宇宙食のおにぎりはフリーズドライされたアルファ米を使用している。お湯をかけるだけで炊き立ての味わいを再現できるのだという。

 結杏は給湯器からお湯を注いだ。あとは待つだけだった。


          ◇


「酒も取ってくれ。焼酎があるだろ」


 ミーちゃんがモニターを眺めながら言う。それに従い、結杏ゆあは貯蔵庫を見た。

「しろ」と書かれた焼酎がある。ラベルを見ると米焼酎と書いてある。これだろう。


 コップを取ると、製氷機に入っている氷を入れ、米焼酎を注いだ。それをミーちゃんに渡す。

 ミーちゃんはそれをググっと飲んだ。


「よし、おにぎりもくれ。山菜の奴がいいかな」


 結杏は言われるままにおにぎりを渡す。

 そして、自分自身のためにコップに氷、米焼酎を入れ、さらに水で割った。

 それをグビッと飲む。


「ああ、なんかお米の美味しさがある気がする。香りが豊かっていうか。ちょっと甘いっていうか。

 ふーん、焼酎も結構おいしいのねぇ」


 お米の香りと甘さを感じられるお酒だった。そのためか、味わいがふっくらとしているように感じる。まろやかさとコクが両立しているようだ。


「確かにこれは米の旨味や。焼酎っちゅうと麦か芋ってイメージあるけど、米焼酎ってのもいいもんやな」


 いつの間にかMINEマインが自分でコップに米焼酎を注いで飲んでいた。身体のパーツのいくつかは外に出たままで、食べるための頭と腕、それに消化器部分だけが浮かんでいる。

 結杏はMINEにもおにぎりを渡す。


「みんなぁ、おにぎりを食べるよっ。

 私のは酒のおにぎりだよ」


 そう言うと、結杏はパッケージを破り、おにぎりを剥き出しにした。しっかりと三角形に握られたおにぎりに見える。

 それにパクっと食いついた。お米のふくよかな味わいはまさに炊き立てを思わせる。おにぎりに散りばめられた鮭の塩気が食欲を掻き立てた。

 鮭は意外にも肉厚で食べ応えがあり、その力強い味わいはインスタントとは思えないほどに生々しい味わいを持っていた。


「美味しいっ。意外っていうとあれだけど、美味しいねぇ。

 ちゃんとお米っていうか、ちゃんと鮭っていうか。しっかりとした美味しさがあるよっ」


 結杏はそう言うと、ニコニコとした笑顔になった。


「ワイのは赤飯やな。これも赤飯らしい旨味があってええで。ゴマ塩の味わいがもち米にあってええな。豆もしっかり食べ応えあるし、これはなかなかのもんや。

 米焼酎と合わせるのもええな」


 MINEも満足げに食事している。


「山菜も美味い。歯ごたえと香り、それに旨味。しっかりと再現できているのがわかる。確かになかなかの美味さだ」


 ミーちゃんもおにぎりを褒めていた。


「よぉーし、次はどのおにぎりにしようかなっ。

 赤飯も山菜も美味しそうだけど、白飯にしてみようかな。こういうのも意外に美味しいのよね」


 結杏は迷いながらも白飯のおにぎりに手をつける。


          ◇


「妙だな」


 ミーちゃんが呟く。その声には焦りが感じられた。


「どういうこっちゃ。ワイらは緑色の連星の反対側に向かっていたはずや」


 MINEマインの叫ぶような声が聞こえた。

 宇宙ロケットの窓には奇妙に禍々しさを感じる緑糸の星々が見える。いつの間にか、ゾスの四連星に近づいていたのだ。


「ちっ、そう簡単には逃げさせてはくれねぇか」


 吐き捨てるようにミーちゃんが言う。


 結杏ゆあはゾスの星々を眺めながら、自分の身体が変わっていくのを感じていた。

 液体金属の身体が肉を得ていく。その肌には鱗が生え、手足には水掻きがあった。目は左右に離れ、口が突き出る。


「インスマウス面だな」


 結杏の顔を見てミーちゃんが呟く。

 その姿は半魚人とでもいうべきものになっていた。


――あなたからは我らの神の匂いがする。


 テレパシーが聞こえていた。姿が変わったことで、このテレパシーの波長と合ったのだろうか。


――あなたは神のいる場所から来たのでしょう。


 何を言っているのだろう。

 結杏にはその言葉の意味するものが今一つわからない。


「ねぇ、ここの神ってクトゥルフだよね。クトゥルフってどこにいるの?」


 それを聞いてミーちゃんは何か鈍い反応をする。

 そして、言いにくそうに答えた。


「……地球だ」

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