第16話 地球(観測者:ミ=ゴ)

 ミ=ゴが地球に飛来することは珍しくない。


 冥王星を前哨拠点に、そしてユゴスを重要拠点として、銀河中を探索して回る宇宙生物である。

 その姿は翼を持った甲殻生物と形容するべきものだが、その性質は菌類に近い。


 外科手術に長けており、円筒形の容器に地球人類の脳を移植して宇宙に連れ去ったという記録がある。地球に現れる主な目的は鉱物の収集であるという。

 地球人に対して、物的な証拠が残された例はいまだない。だが、その目撃例はいくつか散見されており、ヒマラヤの雪男として知られるビッグフットの正体はミ=ゴであるともされる。


 だが、そのミ=ゴの目的は鉱石の収集ではなかった。飛来したのは日本のとある都市である。


          ◇


 宇宙空間はエーテルに満ちている。ミ=ゴはその触手にある棘を使ってエーテルを掴み、道順通りに辿っていけばいい。それで地球に着く。

 地球の大気圏に差しかかるとエーテルは少なくなり、その代わりに空気が充満している。空気圧はミ=ゴの甲殻を圧し潰すことはできない。圧力も摩擦も何の問題なく地上へと辿り着いた。


 辺りを見回す。事前に取得していた情報の通りだ。

 地球人の感覚でいうと、閑静な住宅街といったところだろうか。朝の通勤時間も落ち着いており、人通りがほとんどない。

 この場所で待てばいいはずだ。


 食事にする。大気中の水分を集め、太陽光と酸素、二酸化炭素を混ぜ合わせ、固形化する。

 そうしてできたものをむしゃむしゃと食べた。それだけで、ミ=ゴが地球時間で数日の間、生存するのに事足りる。

 地球の生物とは違い、味を楽しむような文化は持ち合わせていない。ミ=ゴは必要のない情報は排除し、最適化した生物であるからだ。


 しかし、そんなミ=ゴにも不測の事態が起きた。


――バウバウバウ!


 ビクリとする。

 怖れていた生物といきなり遭遇してしまった。


 地球の生物を創作したものが、この哺乳動物に恐るべき猟犬の遺伝子を混ぜ合わせたのは偶然だったろうか。

 その吠え声は菌の集合体であるミ=ゴの甲殻を、臓器を、触手や頭部を分解する。瞬く間に身体が蒸発するのを感じた。


――こんなところで、私は消えるのか。


 ミ=ゴはあらゆる環境に適応し、どんな生物の攻撃にも耐えうる。犬の吠え声や牙が脅威とはいえ、ミ=ゴの存在自体を脅かすことはない。

 だが、蒸発した肉体は大気を漂い、甲殻の肉体を取り戻すのに時間がかかる。


 今は時間がない。このままでは使命を果たすことができなくなる。


 損傷しながらもミ=ゴは飛ぶ。翼でエーテルを掴んだ。


――バウバウバウ!


 犬の吠え声が聞こえた。身体が溶ける速度が上がる。


 上だ。エーテルによって身体が浮き上がった。

 そこに犬の牙が迫る。犬もまた跳び上がっていた。


――見えている。


 ミーゴの顔から触手のように伸びた目がギロリと犬を見た。

 犬の牙をスルリと避け、犬の身体に纏わりつくような軌道で飛び上がる。犬は空中で空振りしたような動きになり、そのまま地面に突っ伏した。


――ギャイン!


 犬の悲鳴が響く。あまりに大きい鳴き声だ。それを浴びた時、ミ=ゴの翼が溶けた。もろにその音波を受けてしまったのだ。


 ドシン


 地面に打ち付けられる。犬がほくそ笑むような表情を浮かべ、ミ=ゴを追い詰める動きをした。

 どうにかして立ち上がろうとするが、いかんせん消耗が激しい。翼も触手も溶けており、力を入れることすらできなかった。


――ババウバウバウッ!


 犬のけたたましい吠え声が響く。肉体が溶けていく。

 さらに、犬の牙が襲いかかった。もう、ミ=ゴには避けられない。


「ダメッ!」


 何者かがミ=ゴと犬の間に入ってきた。それは人間の少女だ。少女がミ=ゴを庇って犬の前に飛び出したのだろう。

 少女の腕には牙が突き立てられ、血が流れる。その血は手や腕を伝わり、ミ=ゴの肉体に振りかかった。


          ◇


 血の流れが溶けゆくミーゴの身体と混ざり合った。それと同時に、少女の思念のようなものが伝わってくる。


 それは孤独だった。それは共感だった。それは憐憫だった。それは希望だった。それは絶望だった。それは切なさだった。それは寂しさだった。それは温もりだった。

 それは感情だった。ミ=ゴにはない感覚である。


――これが地球の哺乳生物の感じる世界なのか。


 ミ=ゴは自分の身体が作り変えられていくのを感じていた。それと同時に、自身の精神構造まで変わっていく。

 地球人類の血と蒸発しつつあるミ=ゴが混ざり合うことで、化学反応が起きていた。


 感謝の気持ちがある。それは合理性を重視するミ=ゴには抱かない感覚のはずだ。

 そして、彼女から伝わってきた感情に共感する感情があった。その少女――結杏ゆあの記憶をある程度共有しており、彼女の持つ問題も理解しつつある。


 結杏には彼女の生活がある。何もなければ、それを続けることだっただろう。これから、それは意味のないものとなる。

 しかし、ミ=ゴは結杏を守りたいと思っていた。彼女の感情を理解し、自分の抱くべき意志を選択する。


 ミ=ゴの姿は変わっていた。菌で構成された黒い甲殻生物であることは変わらない。

 だが、その姿は地球のウサギに似た小動物であり、以前の翼や触手と同じように、耳を操れた。

 こうした変化はミ=ゴにとってあり得ないことではないが、非常に珍しい事象である。太陽系で活動するミ=ゴでは指揮官たるヌガー=クトゥンくらいしか例を見ない。


 ふと、視線を動かすと、結杏は犬を抱え、その犬の住居と思しき家のインターホンを押そうとしている。

 しかし、視覚以上に聴覚が大きな異変を感じ取った。何かが大気圏に突入した音が聞こえる。


「始まったか」


 それこそがミ=ゴが待っていたものだ。

 突入者は瞬く間に地表に落下する。そのインパクトで地面が大きく揺れ、次いで地震が起きた。


 結杏はパニックになる。

 地震が起きたことを、まるで自分のせいだと思っているようだ。


 ミ=ゴは結杏の身体を這い上ると、肩に乗った。そして、耳元に話しかける。


「聞こえるよな。安心しろ。これからは俺があんたを守る番だ」


 声をかけると同時に、自分の体内で薬を調合した。

 睡眠薬だ。パニックを起こしたままでは守り切ることはできない。今は眠ってもらうのがいい。

 それと同時に別の成分も薬に混じる。それはミ=ゴの身体を変質させたのと同じ成分だと、ミ=ゴは理解した。

 これから先、結杏は身体を変化させる必要がある。そのことをミ=ゴとしての綿密な思考と地球人類の直感とが混ざり合った感覚で導き出していた。


「これを飲め」


 ミ=ゴは結杏の顔に飛び掛かると、精製したばかりの薬剤を口移しで飲ませる。結杏はそれを素直に飲んだ。

 次の瞬間、結杏は瞬く間に眠っていた。


          ◇


 揺れはますます激しくなった。

 ミ=ゴの使命は、この事体を起こすものを観察すること、そして、何が起きるのか観察すること。この二つであった。

 しかし、今となってはどうでもいい。優先すべき使命は結杏ゆあを守ることに置き換わった。


 結杏を連れて地球から脱出しなくてはならない。

 ミ=ゴ単体であれば容易なことだが、結杏とともに宇宙に行くには相応の乗り物が必要だ。地球人類のロケットでは準備の時間がない。

 

 地球の文明レベルを超越した機械の力が必要だ。


――ここだな。


 地球人一人が通れるほどの穴が開いている。落ちてきたものはそのまま穴を掘ったようだ。

 ミ=ゴはその耳でエーテルを掴み、猛スピードで穴の奥へ進む。


 瞬く間に地殻を過ぎた。高熱のマントルにあっても、穴は続いている。外殻に辿り着くが、液状であるはずのその場所は凍り付いており、やはり穴が続いた。

 そして、内核に入る。その場所にロボットがいた。


 その全身はシルバーメタルに輝いている。

 流線形のボディに二本のアーム、頭にはモニターが嵌められている。地球人類を意識した構造と思われるが、足の生えるべき場所にはホバー機能だけがあるようだった。

 

 ロボットはアームを駆使して内核に何らかの機器を設置していた。おそらく爆弾だろう。

 ミ=ゴにはその爆弾を無効化するために使う時間などない。それは放置するしかなかった。

 気づかれないように気配を殺してロボットに近づくと、体内で精製した電磁波を浴びせる。


――初期化する。


 電磁波を通して、ロボットのコンピュータをハッキングした。記憶の全てを消去すると、ミ=ゴに対して音声入力による命令を受け付けるよう上書きした。


「この場を離れるぞ。地上に戻る。そして、手ごろなロケットを見つけて、地球から脱出する」


 ミ=ゴがそう言うと、ロボットは動きを止める。そして、顔のモニターに数列を高速で羅列した。

 一分一秒をも惜しむミ=ゴにとって、永遠とも思える時間だった。

 

――失敗か。


 そう思うが、やがてロボットが再起動した。


「Supplement the information necessary for the activity with local information. Reboot.(活動に必要な情報を失った。現地の言語を取得し補足する。再起動。)」


 ひとまず動くようだ。ミ=ゴは安堵した。

 ミ=ゴとロボットは超高速で元来た道を戻り、地上に出ると、眠ったままの結杏を回収する。そして、ミ=ゴとロボットは最寄りの宇宙基地センターへとかっ飛んだ。


 宇宙基地には打ち上げ予定のロケットがあった。

 ミ=ゴはそのロケットの中に結杏を放り込んだ。


「こいつは大気圏突破も危ぶまれる完成度のロケットだ。しかも、まだ完成してない。だが、あんたならこいつで宇宙に飛び出せるよな」


 ミ=ゴがそう言うと、ロボットのモニターが高速で数列を映し出す。

 そして、ロボットは形状を変えると、ロケットにドッキングした。地球のロケットをベースに不足部分をロボットに収納されていたパーツで補われている。


「Yes, it is possible. It's going to fly.(可能だ。飛ぶ。)」


 その言葉とともに、ロケットエンジンが起動を始めた。ミ=ゴは急ぎ、ロケットに飛び込み、ハッチを締める。


 ドーン


 その音は地球のあちこちからエネルギーが噴出する音であったが、同時にロケットが発射する音でもあった。

 地球中が溶けたマントルで覆われるのを裏目に、ロケットは宇宙に逃げ出したのだ。


          ◇


 ロケットは宇宙空間を飛ぶ。その進路は太陽系の外側に向いており、その先には火星があった。

 しばらくして、結杏ゆあが目を覚ます。


 結杏はマジマジと黒ウサギの姿になったミ=ゴを眺める。


「ねっ、ウサギさん、あなたの名前は何? 私は結杏っていうの」


 ミ=ゴに名称を求めたようだ。しかし、そんなものはない。


「個体名はねぇな。種族としてはミ=ゴだ」


 それを聞くと、結杏はちんぷんかんぷんといった風だった。瞳をくるくる回すと、急に笑顔になる。


「じゃあ、ミーちゃんねっ」


 固有固体ユニークスキンに続き、個体名までも結杏から貰った。その瞬間に、ミ=ゴ――ミーちゃんの結杏への愛着がより強いものになっているのを感じる。


「俺はミーちゃんか……」


 感慨深げにその名前を自分の発声器官から復唱する。


 次いで、結杏はロボットに目を向けた。このロボットの個体名も知りたいのだろう。


「こいつは……」


 このロボットの名前なんて今となって知りようがない。しかし、こいつは地球の内核に爆弾を仕掛けるのが役割だった。いわば、存在そのものが爆弾なのである。


「そうだな、MINE機雷とでも呼ぶか」


 その瞬間だった。

 顔のモニターに数列が高速で流れる。その奥に青い目のようなものが光った。


「そうなんやな。ワイはMINEマインや。

 結杏とミーちゃんいうたな、よろしゅう頼むわ」


 急に流暢に話し始めた。その言語は結杏に合わせたものになっている。奇妙な方言が付与されてはいるものの。


「記憶を補ったんや。地球のインターネットを学習し、取捨選択したわけやな。

 ただ、ワイが最新ロボットであることはわかってるで。あんたらを助けたるさかい、大船に乗った気持ちでいてくれや」


 信用していいものか。不安ではあるが場合によっては初期化しなおせばいい。使えるうちは使うとしよう。

 ミーちゃんは冷ややかな目でMINEを見つめていた。それとは逆に結杏の心情を慮り、精一杯、陽気な声を出す。


「これから宇宙を旅するぜ。最初の目的地は火星だ」


 すでに火星が近づきつつあった。窓からそれを眺めながら、そう宣言した。

 それを聞いて、結杏がにっこりとした笑顔になる。


「そうだねっ、みんなぁ、どこまでも行くよっ」


 結杏の快闊な声が響いた。

 その言葉がミーちゃんにとっての旅の目的となる。

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