第12話 胞子生物イア
「ハロー……ハロー? ねえ、あなたは誰なの?」
目が覚めると、
それは、もはや日常となりかけた風景だ。
しかし、なぜだか違和感があった。
「ねえってば。あ、でも、怖がらないでね」
声がする。聞こえているわけではない。頭の中に直接響いている。
かといって、テレパシーというわけでもない。それはわかった。
「この声って、もしかして私の頭の中から聞こえてるわけ?」
黒ウサギの姿をしたミーちゃんや最新鋭ロボットの
「なんだ、聞こえてるのですね。良かった」
頭の中の声は言葉を返してくる。
こうなると、ただの勘違いでも空耳でもない。本当に何かが頭の中にいるのだ。
「あなたは誰なの? って、あなたもそれを聞きたいんだよね。
私は結杏。地球って星から来た女の子なんだ」
自分の頭がおかしくなったのかもしれない。一瞬、そんな考えがよぎったが、そのことは考えないことにする。
結杏は頭の中の誰かに向かって言葉を返した。
「結杏……。会えて嬉しいです。というか、あなたに会えて本当に幸運でした。私は母星から旅立ったものの、迷子になってしまい、行く当てに困ってました。
それで、あなたたちの言うプロキシマ・ケンタウリに迷い込んで、その灼熱に焼かれようとしたところを、どうにかこの宇宙ロケットに入り込むことができたんです」
頭の中の声は喜びを増したようで、多くの言葉を捲くし立ててくる。
「それで、私の頭の中にまで入り込んできたってわけね」
結杏が話をまとめるため、結論を導く。まだ、この声の主の名前も聞けてはいない。
「はい、その金属製のロボット――MINEさんは私の知ってる生物とは違っていて。それにミーちゃんさんは……なんかすごく怖くて……」
消去法で結杏に入り込んだらしい。やはり、結杏の頭の中に寄生しているというわけだろうか。
「ねえ、私まだあなたの名前聞いてないんだけど」
結杏がそう言うと、頭の中の生物はハッとしたように言葉を返してくる。
「私の個体名はクロエといいます。種族名はイア、もしくはイアクロンです。
私はあなたの言語器官を学習して言葉を学びました。そして、感覚器官を共有して話しかけているんです」
◇
「へっ、そのクロエの母星に行けってのか」
ミーちゃんがぶっきたぼうにそう言い放つ。
しかし、
「ちゅーてもやで、その母星っちゅうんはどこにあるんかが問題やな。そのクロエの生体の特徴や体積、運動性能。諸々の情報をインプットする必要があるで。
それに、この辺の宙域も知らんことばかりや。ミーちゃん、情報よこしてや」
二人に任せれば、クロエの母星だというノトーリアスにも行けるはずだ。
「喜んで、クロエ。私たち、あなたを帰してみせるから」
結杏がそう言うと、頭の中の声が弾んだ。
「ああ、ほんとにありがとう! まさか、帰ることができるなんて! 夢みたいです」
その言葉とともに、結杏の身体に衝撃が走る。それは波のように広がる快楽だった。
身体が火照る。結杏は顔を真っ赤にしながら抗議の声を上げた。
「今、何をしたの? 変なことするんだったら、出てってもらうから!」
すると、クロエが申し訳なさげに小さくなったのがわかる。
それとともに、快楽の波が弱まっていった。
「ごめんなさい、元の宿主があなたより原始的な生物でしたので。言語器官も発達してなくて、こうして快感を与えることで感謝を伝える必要があったんです」
それを聞いて、結杏はスライム状の頬を膨らませた。
「なによぉ、それ。もう、二度とやらないでよね」
◇
「ノトーリアスに着くにはもうしばらくかかるな。今日は宇宙食を摂る必要があるな」
ミーちゃんがそう言うと、
「いいね! みんなぁ、ご飯にするよっ!」
そう言って、結杏はニコニコと笑った。
その言葉に従うように、
「貯蔵庫にあるもので優先して食べたほうがいいのはなんやろな。調理の必要ない代わりに日持ちに不安のあるかもな、これはどうや?」
それを見て、結杏は目を輝かせる。
「ラーメン!? 私、ラーメン食べるの久しぶりだよっ」
それを聞いてなのか、あるいは結杏の体内の反応を受けてなのか、クロエが頭の中で声を発した。
「結杏、いいリアクションですね。これは期待できそうな食べ物です」
MINEは食材と食器の用意しながら、結杏の言葉を訂正する。
「ラーメンっちゃラーメンかもしれんけどな、これは冷やし中華や。ある程度、組み合わせを変えられるから、好きなもの選んでくれや」
野菜はキュウリや水菜、もやしなどいくつかの種類があり、肉にもチャーシューや蒸し鶏などがあった。
タレも醤油ダレやゴマダレ、担々タレと選べるようだ。
「冷やし中華かあ。私、食べたことないかも」
結杏のテンションが少し落ちる。
そして、こめかみに指を当てつつ、少し考えた。
「何味がいいのかなあ」
MINEは真空パックから麺を開けると、皿によそい、さらに野菜や肉を飾り付ける。そして、タレを注いだ。
宇宙食だし、真空パックを開けただけなので、料理をしたという実感は薄いが、それでも料理が出来上がってくると高揚感が出てくる。結杏はお腹が空き始めていた。
◇
ミーちゃんがお酒を注ぐ。透明な液体だが、少し黄みがかかっている。ふつふつと湧き上がる炭酸が涼やかだ。
「レモンチューハイだ。冷やし中華にはこういう酒が合うのさ」
そう言うと、ミーちゃんはレモンハイをグビッと飲む。
「うん、爽やか! なんかいい気分のお酒だね」
スライムの身体だからか、酔いがいつもより回るような気がした。ほわぁーっとした温かな感覚が全身を巡る。
「はい、なんだか心地いいです」
酔いはクロエにも伝わっているようだ。
でも、クロエを酔わせていいのだろうか。結杏は少しだけ不安になった。
「飲みやすい酒やな。これはいくらでも飲めるで」
MINEはゴクゴクとレモンハイを飲んでいた。
「みんなぁ、ご飯食べよっ」
結杏はそう二人に言うと、冷やし中華に手をつける。
麺の上にはキュウリ、冷やしトマト、錦糸卵、細切りチャーシューが乗っていた。結杏の要望でチャーシューは三人前分も入っている。タレは醤油ダレだ。
「うーん、冷たくて美味しいねっ。ちょっと酸っぱいのがいい感じだよ。それに、このツルツルした麺にはチャーシューがよく合うんだ。ほろほろと柔らかいから食べやすい! 美味しっ」
醤油ダレは酸味が混ざっており、それが絶妙な味わいをもたらしていた。キュウリのシャキシャキとした食感も、トマトの旨味もそのタレと実によく合う。
なにより、チャーシューの旨味と味付けが抜群で、それを麺が吸収するかのように、食欲を掻き立てる。
結杏は夢中になって冷やし中華を食べていた。
「ワイのはゴマダレや。ゴマの旨味がええ感じで、蒸し鶏と合うんやで。それにもやしも水菜もこの濃い味にピッタリや。
次はゴマダレを選ぶのもええんやないか」
MINEはゴマダレのかかった冷やし中華をすする。
結杏はそれを見て美味しそうだとも思うが、目の前の醤油ダレの冷やし中華が美味しいのだ。その気分はすぐに吹き飛んでいた。
それを横目にして、ミーちゃんが食べていたのは担々味の冷やし中華だった。
挽肉と麺が絡み合うこの冷やし中華も美味しそうだ。辣油のたっぷりかかったネギも、メンマも、その味わいを引き立てているのだろう。
「辛いものってのは食欲を推進させるんだ。こういう味付けってのもいいもんだぜ」
ちらちらと様子を覗いていた結杏に気づいたのか、ミーちゃんは視線を変えないまま、結杏に向かって呟いた。
◇
「ねえ、
頭の中で声がする。クロエだ。不安げな雰囲気があった。
「変って何? 酔っぱらっちゃったの?」
結杏はクロエの様子を聞こうとする。だが、次の瞬間にクロエの悲鳴が聞こえた。
「怖いんです! 私の中から胞子が生まれようとしています」
それは衝撃的な告白だった。クロエは産卵期に入ったというのだろうか。それはクロエ単体だけで行われると。
冷やし中華を食べて栄養を巡らしたことで、それが起きてしまったのかもしれない。
しかし、胞子が生まれるからどうだというのだろうか。
クロエと同様の生物が自分の頭の中で増えると考えると、少しゾッとしないが、それでも恐れるようなことなのだろうか。
「私たちの種族には教育が必要なんです。でも、私には教育を行うだけの教育を受けていない。
教育者のいないまま胞子が成長すると野獣と変わりありません。ただ、周囲のものを食い荒らすだけの存在。宿主から栄養を分けてもらうことを学習できないからです」
クロエは焦ったように捲くし立てる。
これには結杏も恐怖を抱いた。それに気づいたのか、ミーちゃんが声をかける。
「結杏、クロエを排出するんだ。今の身体ならできる」
今の結杏の身体はスライム状のものである。確かにある程度の分離は可能だが、クロエがいるのは脳のはずだ。それを分離させてしまっていいのだろうか。
「外科手術は
その言葉を信じて、結杏は自分の脳を体の外に出した。
すると、MINEが光線を脳に当てる。
「クロエの寄生位置を特定したで。ミーちゃん、テレパシーで場所を送ったやで」
その言葉とテレパシーを受け、ミーちゃんの耳が鋭利な刃物に変化する。そして、ピンポイントで結杏の脳の一部を切り裂くと、それを円筒形の容器の中に密閉した。
残った脳は素早く結杏の頭の中に戻す。
「失った脳は培養する。この薬を注入する」
また、耳の形状が変化し、針のように細く伸びると、脳に突き刺さり、薬らしきものを注いだ
結杏は脳が元通りになったという実感するが、また別の変化が起きていた。
「あ、私また変わる」
変態が起きていた。
液体のようだった身体が固形のものに変わっていく。骨が生まれ、そこに肉と皮が纏わりついた。
二足歩行で立ち、両手がある。胴体の上には首があり、その上には頭があった。
「なんだか、この姿、懐かしい気がする」
それはかつて地球人であった時と似通った姿である。
だが、違和感もあった。
頭を触ると、角が生えている。だが、違和感はそれだけではない。
胸を触った。乳房が四つある。
地球の人類とは異なる姿だ。
「さ、こいつをこいつの母星に届けるとするか」
結杏の変態を気にもしない様子で、ミーちゃんはクロエの入った円筒状の容器をくるくると回していた。
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