第6話 冥王星
「次はあの星だよねぇ」
近づくにつれ、真っ白だった星の中に赤いグラデーションが混ざってくる。
「あれが
それに答えたのは
「結杏は冥王星のことを知っているんか?」
その物言いはインチキ臭い関西弁であり、それはすべての記憶を失った際に、地球のインターネットを基に学習しなおした結果であった。
「え、えと、全然知らないよっ。なんだっけ、惑星じゃあないんだよね。ほかの惑星より小さいからだったかな」
それを受けて、MINEが返事をする。
「せやね。準惑星って区分や。
これはサイズが関係ないとは言わんが、その軌道上に同サイズの天体を排除できているかが大きいんや。ほかの天体を自身の重力に引きつけたり、逆に重力散乱で遠ざけたりやね。
冥王星は衛星のカロンがほぼ同サイズで主客が曖昧やし、そもそもカイパーベルトの内部にあるしな」
MINEの言葉に知らない言葉があった。
「カイパーベルト? ってなんだっけ?」
結杏が尋ねる。すると、MINEが答えた。
「
小惑星が無数にあって、さながら雲のような形態をしている領域のことやな。冥王星はカイパーベルトを晴らせなかったから惑星と認知されなかったともいえるんや」
それを聞いて、結杏がため息を漏らす。
「なんか、可哀想だね。そんな理由で惑星になれなかったんだ」
それを聞き、宇宙生物であるミーちゃんがぶっきらぼうに言葉を返した。
黒ウサギの姿をした甲殻生物である。
「可哀想なんてあるかよ。そんなものは地球人が観測上の都合でつけている名称に過ぎねぇ」
それを聞き、結杏が「えっ」と声を漏らした。
「そうなの? ミーちゃんたちには別の呼び方があるってこと?
でも、冥王星の人たちもいるでしょ。その人たちは気を悪くしてないのかな」
結杏の言葉は冥王星に知的生命がいることを念頭に置いたものだった。彼女にとって、赴いた惑星に地球外の知的生物がいるのは当たり前のことになりつつある。
だが、それをミーちゃんが即座に否定した。
「現時点じゃあ、冥王星に生命はいねぇな」
◇
「あははっ、みんなぁ、いい景色だよぉ。見に来なよ!」
冥王星に降り立った
それに、太陽から離れた準惑星である冥王星のことである。寒かったり、空気が薄かったりするんじゃないかと思ったものの、まるで快適な環境だった。冥王星はそういう場所なのか、それとも、今の結杏の肉体が冥王星に適応したものなのか。
結杏は空気を水掻きのついた足で蹴り上げ、その翼で舞い上がる。
上空から見る冥王星の景色は一際美しいものだった。
太陽の光が届かないため、薄暗いものの、星々の明かりが景観に光を与えている。起伏のある山々が連なり、それは純白の山脈だったり、赤土の広がる台地だったりと、赤と白のグラデーションが美しい。それに、空は意外なことに青かった。
「冥王星に濃い大気はないはずやけどな。それも主成分は窒素で、あとは一酸化炭素やメタンが主成分のはずや。なんだって、あんなに元気なんやろなあ」
それを受けて、ミーちゃんは珍しく不安そうな声を漏らした。
「今の結杏は危険だ。早く変態させよう」
それはMINEがようやく聞こえるほどの呟きであった。次いで、結杏にも聞こえるほどに大きな声を上げる。
「結杏、食事にするぞ。こっちに来い」
ミーちゃんは耳を広げると、滑空するように大気を進んでいく。今の結杏はそのスピードに追い付くことができる。
MINEはジェット噴射を展開して、二人についていっていた。
「ああぁ、そっちね! なんか、建物が見えたよ!
でも、冥王星には生物がいないんじゃなかったっけ?」
◇
その場所は静謐な神殿というべき場所であった。
生物の存在しない星で、なぜこのような建物があるのだろうか。
「ここは太陽系の惑星を調査するための前哨基地だった」
ミーちゃんが含みありげに言う。
それを聞いて、彼が何を言いたいの察し、結杏は顔を俯けた。
「ああ。そういうわけでな、ここにいた奴らはもう引き払っちまったようだな」
ミーちゃんが事もなげな風体で、しかし、結杏の方には決して向かずに言葉を綴る。
それに口を挟んだのは
「現時点の冥王星に生物がいないっちゅうんはそういう意味やったんやな。少し前までは生物がいたっちゅうわけか。
けど、そんな速やかに星を後にするっちゅうことは、この星に根差した生物ってわけじゃないんやろ。いわば、宇宙人っちゅうか、宇宙生物っちゅうか。
ミーちゃんよ、お前はそいつらのことを知ってんやないんか?」
しばし、沈黙があった。そして、ミーちゃんが口を開く。
「ここにいたのはミ=ゴという宇宙生物だ。ミ=ゴは宇宙をくまなく調査し、訳あってさまざまな金属を集めている。ここに残っている金属はその中でも優先順位が低いと判断されたものだろうな」
ミ=ゴ。その名前は聞いたことがあった。
天王星でミーちゃんはその名を発して、影たまりに言うことを聞かせていた。だが、それ以前に、結杏はその名を聞いたように思える。それを思い起こした瞬間、結杏の胸は苦しくなった。
――ィィィィィィィンン
結杏は悲鳴を上げていた。
それを聞き、ミーちゃんは怖気を覚えたように震えあがる。耳の穴にもさもさした毛を生やし、耳栓をするように耳を塞いだ。
「MINE、結杏の声を止めるぞ」
そう言うと、ミーちゃんは結杏の頭に張り付いた。そして、耳でその口を塞ぐ。
しかし、結杏の悲鳴が止まったのは一瞬だけで、すぐにまた悲鳴が響いた。物理的に塞いだだけでは止められるものではないらしい。
「脳波妨害音波展開」
MINEの宣言とともに、一瞬にして、無音が広がる。
次の瞬間、結杏が倒れ込んだ。それをミーちゃんが耳を広げて、受け止める。
「食事の準備をするぞ」
ミーちゃんが危機感を持った声でそう言った。
◇
上体を起こすと、目の前にテーブルがあった。そこには円筒状のカプセルが並べられており、ガラス越しに肉や野菜が見える。
「起きたか。食事にするぞ」
黒ウサギのミーちゃんが声をかけてくる。それに反応するように、
円筒状のカプセルをミーちゃんがその耳を使用して器用に開ける。そこから出てくるのは、ハム、レタス、キュウリといった馴染みのある食材。それをMINEが切り分けた。
さらに、液体の入ったカプセルを開け、グラスに注いでいく。透明な、琥珀色の液体が波打った。
それは簡素な、けれども、ご機嫌な朝食のようだ。
「でも、私、寝起きでそんなに食欲ないな」
結杏がぽつりと呟く。すると、ミーちゃんが反応した。
「ダメだ、結杏、食べるんだ」
その言葉には有無を言わせない迫力があった。
「んんぅ、食べるよぉ」
そうは言いつつ、まずは乾杯をする。三人はそれぞれグラスを持ち、互いのグラスを合わせると、その琥珀色のお酒を飲んだ。
酸っぱい。そして、どこか甘い。それを飲んだ瞬間に、食欲が湧き出てきた。
「これはワインやな。フルーツの味わいがしっかりあって、ブドウを食べてるような酸っぱさと甘さを感じるわ。これは美味いな」
MINEがアームで挟んだグラスを揺らしながら、言葉を紡ぐ。
食欲の湧いてきた結杏は、ハムに手をつけた。
肉厚に切られたハムを齧ると、その肉の旨さが広がっていく。塩気があり、旨味があり、ハムならではの冷たさと香り。それが何とも言えない美味しさになっている。
見知った味。それがこんなに美味しいとは思わなかった。
「この味、久しぶりだよぉ。なんだか懐かしい」
結杏の目からはぽろぽろと涙がこぼれる。
さまざまな星での食べたことのない食べ物。知らない肉の未知の味わい。それもまた楽しく美味しいものだった。
だというのに、懐かしい味がこんなに愛おしいとは。
「人間の美味しさには習慣の美味しさってもんがあるんや。結杏の味わっているのはまさにそれやな。食べ慣れたものが美味しいっちゅうんは当たり前の感覚やで」
MINEがそう言う。
ハムに続けて、レタスとキュウリも食べる。
瑞々しい野菜。ミ=ゴの技術によって食品の新鮮さは完全に保全されているらしい。
パリパリっとした食感とともに、水分の多い野菜が弾ける。その青臭い味わいがハムと合わさることで、なんと美味になることか。
「これも使え」
ミーちゃんが新しくカプセルを開いた。
白黄色のどろっとしたソースがハムサラダの上にかけられる。
「うん、これも美味しいよ。マヨネーズだね。カラシもはいってるのかな。ピリッとしてるのにまろやか。ぴったり合うね」
結杏は笑顔になっていた。けれど、いつもの満面の笑みではなく、どこか寂しさのある笑顔だった。
◇
水掻きのある足もまた変わる。やはり鉤爪のある後ろ足に変わっていた。
結杏の全身を毛が覆い始め、スリムだった体型もずんぐりとしたものに変化する。頬からは三、四本の髭がピンと伸びた。お尻からは細長い尻尾がちょろりと生える。
くりくりとした目でミーちゃんと
それは大きなネズミというべき姿だった。
「あぁん、なんか身体が重いよ。また、変わっちゃったんだねぇ。
さっきの身体、気に入ってたのになあ」
結杏は諦観のこもった声で呟く。
「今回は環境に適応できないってことはないんやな」
MINEがミーちゃんに向けて疑問を口にした。
「ここはミ=ゴの前哨基地だぜ。あらゆる生物が順応できる場所だ」
ミーちゃんが事もなげに言う。
「せやけどな、もう一つ、気になってることがあるねん。
ミーちゃんよ、前の結杏の姿を気にしてたやんな。あれはどういうことや。まずい姿やったってことか?」
その疑問を聞き、ミーちゃんは少し考える。そして、結杏には聞こえないようにMINEに向けて声を発した。
「あの姿は
あれは危険なものだ。だから、すぐにでも変わってほしかった」
それを聞いてもMINEはピンと来なかった。
「なんや、それ?」
MINEの顔のモニターは不可解さを表すようにいくつもの数列が流れ、答えが出なかったようだ。
「
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