第5話 天王星
「すっごい綺麗! 宝石みたい!」
碧緑の縞模様のグラデーションが美しく映った。その周りに薄っすらと
結杏はうっとりとした表情で
「あの周りのガスやけどな、水素とヘリウム、メタン、それに硫黄やで。つまりはおならの臭いや」
ぶち壊すようなことを、最新鋭のロボット、
「そうなの? やだぁっ! 私、あの星に行きたくない」
結杏は打って変わってかぶりを振った。もはや、天王星に魅力を感じなくなっている。
しかし、宇宙ロケットは天王星への進みを解くことはない。
「そんな臭いはないさ。いや、感じることはできないというべきか。
そんな大気で息をしたら、即死するからな」
ミーちゃんが冷ややかに二人に声をかける。黒ウサギの外観に、甲殻の身体を持つ宇宙生物だ。
さらりと怖いことを言う。
「それに、その大気を越えた場所では、今の結杏なら普通に過ごせるはずだぜ」
結杏は風船のように空気を詰め込んだトカゲの姿になっていた。つまり、溜め込んだ空気を有効利用できるということだろうか。
なんとなく、いい予感がしないままに、宇宙ロケットは天王星に向かって降下していく。
◇
宇宙ロケットが落ちた先は氷の海だった。
その海は氷ではあるのだが、流動性の強いものである。
「これは氷にメタンガスとアンモニアの混ざり合ったものやろな。この深部に潜ると、ダイヤモンドの雨の降る場所があるらしいんやけど、さすがにそこには行かないやんな」
ダイヤの雨というのは
「陸地もある。そこに行くぞ」
黒ウサギのミーちゃんは耳を広げて、エーテルを掴みながら、空中を進んでいく。
結杏は風船のような身体で宙を浮かびつつ、ミーちゃんについていった。MINEは相変わらず、足のあるはずの場所からホバーを噴出し、海上を進んでいく。
やがて、陸地に辿り着く。それは天王星にあって、珍しい大地であった。
その島をやはり、空中に浮かびつつ、三人は進んでいく。
黒い窪み、あるいは影たまりのような場所があった。
ミーちゃんはそれを確認すると声を上げる。
「おい、影たまりよ、ミ=ゴが来たぞ。契約に従い、我らをもてなせ」
すると、影たまりが少し震えた。そして、影から声が聞こえる。それは大気を震わせる低い声だった。
「今は夜中だぞ。まったく、あんたら、翔ぶものたちは迷惑なことしかしないよなあ。
まあ、商売だ。ありものは持って行ってくれればいいさあ」
それは抗議の声だったが、ミーちゃんは意にも介さず、結杏とMINEにぼやくように伝える。
「天王星の昼夜はそれぞれ42年間続く。それに適応した種族だ。時間間隔が違うのさ」
そのぼさっとした声に反応したのはMINEだ。
「ああ、聞いたことあるわ。天王星はほかの天体にぶつけられた影響で地軸がめちゃくちゃ傾けられているんや。だから、太陽の当たる時間が極端になってるやんな」
その言葉に結杏は「はへー」と呆けるしかできない。意味はよくわからなかった。
「それって、天王星人は84年間を一日として生きてるってこと? なにそれ!? 途方もなっ!」
理解のおぼつかないままに、結杏は言葉の意味そのままに
「そういうことだ」
ミーちゃんがぼそりと返事する。そして、言葉を続けた。
「影たまりの作り置きの食事を貰いにいく」
そう言うと、ミーちゃんは影たまりの中に入っていく。そして、一旦入り終わると、ちょこんと顔だけ出した。
「何をしてる。ついてこい」
それを聞いて、結杏とMINEは慌てる。
「えっ、えっ。私たちも行くのね。
みんなぁ、行くよぉ!」
残りはMINEしかいないにも関わらず、結杏はそう声をかけていた。
◇
「ここって一体、なんなの?」
影たまりの中は影の中である。四方八方に黒一色の道が続くが、不思議とどこを進んでいけばいいかわかった。真っ黒ではあるが、真っ暗ではないというべきか。
そして、道とはいうが、踏みしめるべき地面はない。ミーちゃんは耳を広げて飛び、
「影たまりの食糧貯蔵庫だ。少し、奥に進む必要がある」
ミーちゃんが事もなげに結杏の疑問に答える。
「しかし、けったいなところやな。あの影みたいな生物の中に入ると、その生物の作った施設ってことなんか。まさか、あの生物の体内に入ってるわけやないやろな」
MINEが珍しくぼやく。自身の持つ情報との矛盾に耐えられないのだろうか。
「地球の知識が元じゃ、理解はできんだろうな。その二つが矛盾しないのが、あの影たまりという生物なんだ」
ミーちゃんは突き放すようにそう語った。
結杏もMINEは理解できない。むしろ、理解することを放棄した方がいいのだろう。そう考え始めていた。
そんな時だ。影の一部が急に落下し、地面に着地すると、そのまま結杏に襲いかかってきた。
「きゃっ」
結杏が避けるように身をすくませると、その前にMINEが出る。
そして、腕部から機銃を露出させた。
ダダダダダダッ
銃弾を浴びせかけるが、弾丸は影をすり抜けていく。
「無駄だ。それに大丈夫」
ミーちゃんがMINEを制止した。
果たして、影はMINEと結杏をすり抜けて、そのまま後方へと進んでいく。
「えっ? 今のなに?」
結杏が呆然と影を見送った。MINEも不可解な状況であると感じているのか、顔のモニターにコードの羅列が走る。状況を分析しているようである。
「影は三次元とは異なる次元を行き来しているんだ。この場所では知覚が歪んでいるので認識はできるが干渉されることはない。
……まあ、幻みたいなものと思ってくれていい」
結杏が理解していないことを察したのか、ミーちゃんは平易な物言いに切り替えた。
幻のようなものということは気にしても仕方ないのだろう。
「ここだ」
やがて、行き止まりに辿り着く。その場所で影を開き、箱のようなものを取り出すと、MINEの体内にある圧縮空間の中に仕舞っていった。
「なんだって、こんな場所に保管しとるんや」
MINEは影の空間の分析で処理が重くなっていることに辟易としている。
◇
「え、えーと、これってなぁに?」
影たまりの中から運んできた箱を開けると、ガスの塊が沈殿していた。まさか、これが今回の食事だというのだろうか。
すでに影の外に出ていた。夜の天王星にあって、星々を眺めることができる。天王星を覆う星屑の輪があり、土星が肉眼でも見ることができるのだ。
「ガス生物を調理したものだな」
ミーちゃんはそれだけを言う。
「うーん、これ食べれるものなのかな。
みんなぁ、食べてみよっか」
半信半疑ではあるものの、ミーちゃんを信じてみることにする。
「あっ、すごい。口に入れた途端に、お肉の味わいがすっごいする。ガスを固めてるからなのかな、それまで全然香りもないのに。不思議!」
それは奇妙な感覚であった。しかし、その肉の味わいは無類である。
程よい噛み心地があり、肉は噛みしめると柔らかく砕けていった。脂っこくもあり、塩気もあり、ご飯が欲しくなる。ちょうど、もう一種類のガス生物はガス穀物というべきものであり、肉のコッテリとした味わいをしっかりと受けて止めてくれた。
「美味しい! なんか、バクバク行っちゃうね」
結杏は満面の笑みを浮かべる。
「今の結杏は半分ガス生物のようなものだ。だから、ガス肉とガス穀物が味わい深いものに思えるんだろう」
ミーちゃんがぽつりと解説した。
確かに風船の姿の結杏は体内に多量の空気を取り込んでいる。空気が肉体の一部となっているともいえた。だから、ガスの食べ物が体に合うのだ。
「これはワイも食べれるんやけどな。確かに美味いとは思わんな。栄養の分析をしたところ、問題ないのやけど、なんか味気ないとしか思えんのや。
ワイが地球人を基準に作られているからやろなあ」
MINEはガスの食べ物を身体に取り込みつつ、そうぼやいた。
すると、ミーちゃんがストロー付きのコップのようなものを渡してくる。
「これならどうだ」
ミーちゃんも同じもの口にしていた。
「ほう、これはガスの酒やな。いや、煙草といったほうが近いか。ニコチンはないようやが」
MINEはコップの中身を推察しながら、それを吸い込み始めた。
すると、同じように渡されていた結杏も飲み始める。
「うーん、甘ぁーい! 美味しい。なんか複雑な香りだけど、それが美味しいね」
結杏はうっとりとした顔でガスの酒を飲む。液体でないため、お酒という感覚は薄かったが、段々とほわほわとした感覚が頭の中を巡った。
「これは複数のフレーバーがあるようやな、それが複雑な味わいを生んでるんやな。
これなら、ガスの食べ物を摂るように造られとらんワイでも美味しく飲めるわ」
MINEはようやく落ち着いたようだ。
◇
「風船の身体ってどうかって思ってたけど、ガス肉やガス穀物を美味しく食べれるんなら、良かったかもねっ」
元の姿に戻ることにも頓着していないようだった。
「マ、気にするのはストレスやからなあ。受け入れてくれて良かったやで」
それを聞き、ミーちゃんは顔を俯けた。
「そう単純なもんじゃないのさ」
二人が会話している間に、結杏に変態が起きていた。
風船のように膨らんでいた身体はスリムなものに萎んでいく。そのトカゲのように突き出ていた顔は平坦なものになる。それはまるで地球人類のようであったが、目は赤々と輝いていた。
腕には翼が生え、その足には水掻きのようなものが生えている。
「なんか、また変わっちゃった。でも、なんか、あまり変わっている感じないなあ。もともと身体が軽かったし」
大きく姿が変わっているというのに、本人はあまり自覚がないようだ。
風船で浮かび上がるのも、翼と水掻きで空気を掴むのも、本人の意識としては大差ないのだろう。
「結杏、自分の身体を見てみるんやな。大分変っとるで」
そう言われて、結杏は痩せた自分の身体、そして両腕、両脚の変化を見る。
「へぇ、確かに変わってる! なんか浮かんでる感覚は一緒だけど、でもっ!」
結杏は翼をはためかせ、上空へと舞い上がる。
「なんか、もっと軽くなったみたいっ」
気をよくして、跳び回っていた。
だが、ミーちゃんだけは浮かない顔をする。
「あの姿は……」
誰にも聞こえないように、ぽつりと呟いていた。
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