第4話 土星第二衛星エンケラドゥス

「うわぁ、綺麗!

 写真や映像では見たことあるけど、こんな間近で見られるなんて」


 結杏ゆあが宇宙ロケットの窓に張り付きながら、感嘆の声を上げる。

 リングをまとった惑星があった。土星である。


「ね、ね。土星に行くの?」


 はしゃぐ結杏の様子を、うるさいとばかりに横目に見ていたミーちゃんが口を開いた。黒ウサギの姿をした宇宙生物である。


「向かっているのは土星の衛星だ」


 その言葉を受けて、最新鋭のロボット、MINEマインがお喋りを始めた。


「土星の第二衛星のエンケラドゥスやろ。木星第二衛星のエウロパと同様に、生命を有している可能性のある星や。

 エンケラドゥスでは水素ガスが噴き出しているのが確認されていて、これは海底で熱水活動が起きている証拠なんやて」


 MINEは失ったデータを地球のインターネットにあった知識で置き換えている。つまり、地球人たちの情報ではそうなっているのだ。


「けどさ、私たち、エウロパでもう会ってるよね、宇宙人に。だから、そのエンケデス?にもいるんじゃない?」


 もはや結杏の感覚は麻痺していた。地球外生命体が当たり前の存在に思えている。


「ああ、いるぜ」


 結杏の考えをミーちゃんが肯定した。


 宇宙ロケットはエンケラドゥスへと突入する。それは真っ白な星だ。星中を覆うひび割れはエメラルドの輝きを放っていた。


「あれ? どこまで落ちるの!?」


 結杏の悲鳴が響いた。

 宇宙ロケットはエンケラドゥスの凍てついた地表を越え、さらに落下する。それはひび割れ――地面の亀裂の中であった。

 亀裂をそのまま降り、やがて宇宙ロケットは海の中へ沈んだ。


          ◇


 海中に沈んだ宇宙ロケットの内部で、ミーちゃんは落ち着き払っている。


「無事に着いた。降りるぞ」


 そう言うと、ロケットの内部扉を開く。その奥にはエアロックと呼ばれる空室があり、その部屋を密閉することで、気圧や空気の成分を調整できるのだ。

 結杏ゆあはその様子に困惑する。


「ええぇ? みんなぁ、待ってよ。私、まだ宇宙服着てない。まだ行かないで!」


 その言葉にミーちゃんもMINEマインも一瞬思考を停止させる。そして、すぐに納得するように声を上げた。


「結杏はまだその身体に馴染んでないんか。どう考えても、海棲生物の姿や。このまま出て問題ないやろ」


 結杏の姿はエウロパで変態した姿のままであった。流線形のフォルムに、鰭が生えている。足も手も二足歩行の生活を維持できる程度には器用に動かせるが、どちらかというと水中生活に適しているように思えた。


「え、え。でも、いきなり海の中に入るのってハードル高すぎるでしょ! 本当に海で生きていけるかわからないし、そもそも知らない星だし」


 その言葉を背中で聞いていたミーちゃんが、顔だけ少し振り返り、一瞥するように結杏を見る。


「俺の見たところ、問題ないがな。まあ、まずいようだったら、MINEがどうにかしてくれるさ」


 それだけ言うと、そのまま出口に向かって進んでいった。

 ミーちゃんについてMINEも移動すると、結杏は慌てる。


「みんなぁ、私も行くよぉ」


 結杏もまた出入り口となるエアロックに飛び込む。


「でも、本当に大丈夫かな」


 まだ、不安は拭えなかった。


          ◇


 意外なことに、その海は心地よかった。

 氷に覆われた星であるので、寒い海なのだろうと覚悟していたが、温暖である。


「エンケラドゥスに熱水環境があるっちゅうのは、地球の探査機も確認してるんやで。これは衛星が公転する遠心力によって摩擦が生じるからだというのが有力な説やな」


 MINEマイン結杏ゆあの疑問に答えるように解説した。


「エンケラドゥスの中心にはマントルが煮えたぎっている。そこに水が直接重なっているわけだが、表層の冷気とマントルの熱とが混ざり合い、温暖な海を形成しているんだ」


 こともなげに、ミーちゃんが呟く。

 そのまま、長い耳を巧みに動かして、海中を搔き進んだ。結杏は海中に適した身体をしているはずだが、ついていくのが精一杯だった。

 MINEは背中にスクリューを展開して移動する。


 海底に辿り着くと、街があった。

 コンクリートで固めたような四角い建物が並び、明かりが灯されている。


 ミーちゃんについて町の中に入ると、人だかりが出てきた。

 驚くべきことに、エンケラドゥスの人々は結杏の姿にそっくりだった。地球人に似ているわけではない。海洋哺乳類のような姿に変態した結杏にそっくりなのだ。

 この異星の街に、結杏はすっかり溶け込んだ気分だった。


「おねーさん、不思議な動物と機械を連れているねぇ」


 そんな声をかけられる有様だ。言葉はテレパシーで自然と理解できた。


「不思議なこともあるもんやな。結杏の変態した姿がここの生物とそっくりやなんて」


 MINEが首をかしげるが、それに対しミーちゃんがぶっきらぼうに言葉を返す。


「無軌道に変態しているわけではないようだな。何かしらの法則によって、存在する生物の遺伝子配列のようなものを再現しているのだろう」


 ミーちゃんの言葉は結杏にはよくわからない。だが、今までも、実在する生物に変態していたのだろうか。


「こっちだ」


 案内されるままに、店舗と思しき建物の前に来た。

 胴の長い恐竜のような生物の装飾がいくつも施されているのが印象的だ。店の中ではエンケラドゥスの海棲知的生物が忙し気に泳ぎ回っている。繁盛しているようだ。


「うわぁ、すっごい美味しそうなお店だね! 私、気に入りました。みんなぁ、入ろう!」


 テンションの上がった結杏が先導するように店に入っていく。

 

          ◇


 店内に入る。結杏ゆあの姿を見ても、別段気にする人はいなかった。

 しかし、MINEマインの姿には辺りがざわめく。この星の文明レベルでは特異にみられるのだろう。

 だが、その後にミーちゃんが続くと、そのざわめきも収まった。ミーちゃんの存在は認識されているらしい。


「ご使者様ではありませんか。当店をご利用いただき、いつもありがとうございます。お連れの方もどうぞ。最高の料理でおもてなしいたします」


 この店の責任者と思しき、老年のエンケラドゥス星人がミーちゃんの前に現れていた。その上品かつ自信満々な佇まいに結杏は気圧される。

 案内されるままに、食事をするスペースへと赴いた。テーブルや椅子はない。海中なので必要ないのだろう。

 その場所でぷかぷかと浮かびながら、食事を待つことになった。


「でもさぁ、こんな海の中で料理ってどんなだろ。火なんか使えないよね、お刺身だけなのかな」


 結杏が疑問を口にする。


「ワイは見たで。なんちゅうかな、熱を放つスライムみたいなのを使って、加熱しているみたいやったなあ」


 答えたのはMINEだ。ミーちゃんが補足する。


「この海水はマントルと隣接してると言ったな。スライムはマントルの欠片だ。粘性を持つ熱源であるマントルは欠片が千切れて漂流することがある。それを熱資源として利用しているんだ」


 その説明に結杏は呆けたような表情をした。


「ほへー、地球とは違う形で火の文化ができあがってるのねぇ。

 でもさ、それって、食べたことないお料理が食べられるってことよね。すごい! すっごい楽しみになってきた!」


 自分の言葉ではたと気づいたのか、ぼけっとした顔から一転、結杏の目が輝き始める。


          ◇


 ウエイトレスの海棲生物が料理を運んできた。

 透明のプルプルしたものが三人の前に浮かべられる。その中には茶褐色の肉の塊と緑色の植物が見えた。


「なにこれ、スライムみたい! このプルプルしたやつ、食べられるの?」


 結杏ゆあはスライムに触りながら、疑問を口にする。


「これは包装とか食器みたいなもんだな。こうして、こうするんだ」


 ミーちゃんがこともなげにスライムを開いた。結杏とMINEマインはそれに倣う。

 水中を伝わって、焼けた肉の臭いとソースが混ざり合った香りが漂ってきた。


「んぅ~っ、美味しそう。みんなぁ、食べよ!」


 結杏は二人に呼びかけると、「いただきます」をして食べ始める。肉はスライムを利用することで、切り分けることができた。

 一口食べると、肉の旨味と甘辛いソースの味わいが口に広がる。肉はほろほろと口の中で崩れていくようで、食べやすかった。


「不思議。こんな焼き加減のお肉食べたことないよっ! なんていうのかな、焼いたのとも違うし、レンジでチンした感じとも違うし。なんだろ、これ? これがマントルの欠片の焼き心地なんだねぇ。

 でも、このお肉もプリプリした食感で面白いのよね。味もいいし。何のお肉なんだろ」


 結杏はお肉料理を食べながら満面の笑みを浮かべた。


「これはエンケラドゥスの海棲生物のうち、地球だと豚に該当しそうな生物だな」


 ミーちゃんが素っ気なく答える。


海豚うみぶたっちゅうわけか。まあ、確かに噛み心地もいいし、旨味も詰まっているようやね。でも、豚肉の脂身たっぷりの味わいに比べると、筋肉質って感じするわ。柔らかいのは調理方法のおかげやろな。

 けど、このタレがその美味さを引き上げてるっちゅうのはあるな。甘さが心地ええし、ピリッとした辛さが食欲を掻き立てるわ。

 この野菜もええな。シャキシャキしていて、苦みが程よくて、柔らかい肉とピッタリや。ただ、植物っぽいが違う感じもあるなあ」


 MINEが海豚の甘辛煮を食べながら、味付けを分析していた。

 その疑問にミーちゃんが答える。


「マントルの地熱エネルギーを酸素に変える生物だな。地球の植物とは違う進化を辿っているが、まあ、近い存在かもな」


 ミーちゃんはスペースの奥にある壺から、いくつかのスライムを取り出した。


「酒だ。この料理に合う」


 そう言って、結杏とMINEに手渡す。

 結杏はスライムの口を開くと、その中身を飲んでみた。


 そして、ゲホォっと咳き込む。


「ま、まずいぃ。苦い……とも違くて、なんか変な味する……」


 ミーちゃんは結杏の背中をさすりながら、別のスライムを差し出す。


「結杏にはまだ早かったな。こっちを飲んで口を直せ」


 言われるままに、その飲み物を飲む。濃厚な甘さが口いっぱいに広がった。

 その瞬間、苦しそうだった結杏の表情が満面の笑みに変わる。


「甘ぁい。これ美味しい」


 ニコニコしながら飲み続け、再度、海豚の甘辛煮を食べ始めた。

 一方、MINEは上機嫌でスライムに入った酒を飲んでいる。


「これは美味いやないけ。香りは独特だけど、それがええやんな。フルーティなのかもしれんが、濃厚過ぎて、別の味わいになってるっちゅうんかな。アルコールの濃い飲み口に濃厚な香り、これは癖になりそうや。

 まあ、お子様には合わん酒やもしれんがな」


 MINEの分析を聞いて、結杏がほっぺたを膨らませる。


「私がお子様ってこと? まずいものをまずいって言っただけじゃない!」


 すると、MINEは呆れたように鋼鉄メタリック製の腕を開いた。


「それがお子様やっちゅうねん」


          ◇


「この星のお肉も美味しかったなぁ。色んな星で、それぞれの美味しさがあるの、本当に楽しい!」


 結杏ゆあがニコニコと笑顔を見せながら、満腹とばかりに両鰭でお腹を叩いた。


 そんな時だ。急に結杏が浮上を始める。

 程よく海中に浮かんでいたのだが、そのバランスが取れなくなり、浮き上がるばかりになってしまった。


「なにこれ!? 私、ヘン。なんだろ、身体の中がおかしい」


 結杏が困惑した声を上げた。


 その身体は急激に膨らみ始めていた。まさしく、身体がまん丸になっている。まるで、風船のように。

 そして、結杏の顔は流線形のものから、ギザギザとした骨格に変貌していた。鱗がえ、長く伸びた口から牙が生える。爬虫類を思わせる顔立ちになっていた。

 風船とトカゲ、奇妙な組み合わせの姿である。


MINEマイン、結杏に着装しろ!」


 珍しく、ミーちゃんが緊迫感のある声を上げた。


「へいへい、わかっているやで」


 MINEの身体がバラバラに分解されると同時に、分かれたパーツが結杏に向かって射出された。


 ガシャンガシャンガシャン


 結杏の体を覆い、MINEが新たな姿へと変形する。それは宇宙服のようであり、パワードスーツのようでもあった。

 金属の身体は海中へ沈み、背中についたスクリューで浮力を得る。海中生活におけるバランスが取れた。


「た、助かったぁ。MINE、ありがと」


 安堵したように、結杏が言葉を漏らし、MINEへの礼を言う。


「ワイはこのためにおるんや。気にせんで、ええんやで」


 MINEは気にもしていない。機械である以上、自分の役割を全うすることが重要なのだ。


「ミーちゃんも、ありがと」


 続いて、結杏はミーちゃんに声をかける。それに対して、ミーちゃんは顔を俯けた。


「気にすんな。俺はあんたに恩がある」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る