解答編
「社長。プリン、食べますよね」
結菜さんは手に下げたエコバッグからコンビニのプリンを出してテーブルにならべる。
「どうだった?」
「——ええ、メッセージのとおり、尾行者がいました。車は一台。たぶん、運転席のその人だけです」
このテナントビル二階ある鍼灸院の施術師のふりをして、はす向かいのコンビニへ買い出しのていで偵察をしてもらっていた。
ゆるふわな空気をまとっているが、するどい観察眼の持ち主だ。
「抹茶プリンはわたしがもらいます。あ、車の画像撮りましたけど、見ます?」
差しだされたスマホには、コンビニの駐車場に停まっているボックスバンの全形画像。
ナンバープレートまで確認できる
「さすが。よく撮れてるね」
「今日の天気ですと、中の人の確認はむずかしそうですけど」
空が明るいと、車内や室内との陰影差が強く出て影が濃くなり、細部がつふれて見えなくなる。
「ソフトで補正をかければ、性別と年齢くらいは分かりますよ?」
「いいよ。依頼者怒らせちゃったし、あのようすじゃもう来ないだろう」
「あら、先に怒ったのはどちらかしら」
すっかりお見通しの笑みで、彼女は抹茶プリンを美味しそうに口に運ぶ。
仕事がら秘密の保守は得意なのに、結菜さんにはすべて見透かされてしまう。
「どっちだろうねえ」
もちろん自分だ。
依頼主とはいえ、あんな目で彼女を見る人間に、どうして親身でいられよう。
好物のプッチンプリンをいただいて、あの前時代的で失敬な男へのいらだちを頭から追いだす。
「やっぱり、今の奥さんって前妻さんの雇った"別れさせ屋"さんですか?」
「たぶんね。あの男は前妻さんが自分にベタ惚れしていたように言ってたけど、慰謝料支払いの段階で、すぐに身を引いたそうだよ」
「『請求額は数千万』。まあ、大変な金額だわ。結婚生活10年以上の前妻さんを追い出して……そんなに魅力的な新妻さんだったのね——結婚前は」
結菜さんは書き足した書類の備考欄を、面白そうに読む。
「彼は、新しい奥さんのことをなにも知らないようだった。きっと婚前調査もしていないだろう。甘やかされて育った二代め三代めを地でゆく単純な方のようだから、前妻さんも簡単な仕事だったろうね」
あたりになにもない僻地に弁当を売りにくる、健康的な若い女性。
そのシチュエーションそのものが、前妻さんの演出だったのかもしれない。
妻だからこそわかる好みのどストライク。
都会的な遊びから遠ざかっていたあの脂ぎった男に、演出された新妻は、どれほど魅力的に見えただろう。
「少し考えれば、遠隔地で弁当を売るような労働を、若い女性がすること自体疑ってもいいはずだけどね。労力の割に実入りが少ないし、容色優れた女性なら、他の働き口をさがすさ」
「『亡き母の店を継いで』……の部分も、きっとウソでしょうね。家ではテイクアウトや配達ばかりなのも、きっと婚前の言葉ほどお料理はできないのでしょう。お鍋なら調理のスキルはいりませんし。お惣菜屋さんで買ってきたものをつめたパックを並べれば、お弁当屋さんのフリはできます。だけど調べられたらすぐにバレそうなウソだわ。もしそうなら、どうして結婚なんてしたのかしら」
「当初の予定では、証拠を突きつけて民事で慰謝料をふんだくるだけのつもりだったんじゃないかな。だけど"ターゲット"が"ヒロイン"に思いのほか入れ上げてしまって、工作プランを浮気相手から本妻へ変更した、とかね」
ヒロインは先ほど説明したヒーローの対義語で、男性対象へ接触するメインの女性工作員の隠語だ。
「入籍してから、また慰謝料を取る方向に、ですよね。でも、一歩まちがえば結婚詐欺では? とても危険な変更ではないかしら」
「仕込みなら犯罪だよね。それに、別れさせ業務よりもはるかに仕事が込み入ってくる。とても二十歳そこそこの若者が単独で実行できるブランじゃない。バックには計画した"チーム"がいると考えた方が妥当かな。そうとう危ない橋だから、あまり多人数では無理だね。根拠はないけど、外の一人だけが彼女のチームメイトにして、チームリーダーだと思う」
「結婚生活が半年もつづけば、たった二人でもそんなにいい実入りにはならないのでは?」
「どうだろうね。家にいるだけで生活費は保証されて、カードをわたされてぜいたく三昧できる。遊んでると見せかけて、生活費をプールしておく、とかね。ターゲットのあの男が、たとえばどこかの探偵を雇って、ハニートラップをしかけた証拠を逆につかめたら、それを材料に金額のつり上げが可能じゃないかな——ここまでするとなると、完全に脅迫だけど」
「あの方もこれから大変ですこと。社長業って、信頼第一ですものね」
結菜さんが僕を見てやわらかく笑う。
「僕なんかは
「——ただの感想ですけど、きっとあの方はお金を支払うわ。そしてそこまで予測できたのなら、すごくよくあの方をご理解されている方が、裏でアドバイスをしていると思います。たとえばそう——前妻さんとか」
かわいいくちびるにプラスチックのスプーンをくわえたまま手を止め、結菜さんが遠くをながめて言う。
「どうだろう。そうなった場合、前妻さんは無用なリスクを負う形にならないかい?」
「あくまでアドバイザーとして、背後のリーダーが対面接触すれば、デジタルに証拠は残りませんし。別れさせ工作をしかけた元旦那さんへの愛は残っていないでしょうから、もう少し痛いめにあわせたいと思っても不思議じゃあないわ。理由はお金、もしくは傷ついた気持ちの清算かも」
「ふつうの誠実さを持ち合わせていれば、こんな裏切りにもあわずにすんだ、ということか」
「わが社を教えたのは、新妻さんのリーダーでしょうね。その方、今もあの方の近くにいるはず。お酒の席なんかで、あらかじめ探偵社の名前のいくつかでもあげておけば、あの方ならそこを利用するでしょうし、そうすれば監視も楽になりますから」
彼女はコンビニのある方の窓を見る。
「部下や仕事仲間、外部委託業者を装った飲み仲間。そのあたりがくさいね。ボロを出してほしいなら、うちのような小さな探偵社がいい。そんなふうに考えたのかな」
なめられたものだ。
リーダーは、ろくな人間じゃない。
犯罪まがいの行為に手を染める探偵社の話をたまに耳にはさむが、同業者として許せるものではない。
こんなやり口がまかり通るわけがないから、いつか痛い目を見るだろう。
「今はもうやっていないんだけどねえ、別れさせ業務なんて。どこから耳にしたんだか」
「社長、色仕掛け苦手でしたものね」
「——今まで見やぶられたの、結菜さんだけだよ」
恥ずかしながら、若いころには女性ターゲットへの"ヒーロー"として、いく度も工作を成功させてきた身だ。
友人だった結菜さんづてにターゲットと知りあおうと、十分な偽装をつくして接触したのだが、一目で
その案件、ターゲットは資産家一族の孫で、タチの悪い半グレの男に引っかかってしまったので、手をつくして引きはなし、取りもどす方策だった。
洗いざらい打ち明けて協力をたのみ、どうにか解決したのだが、彼女の高い探偵力を買ってうちに勧誘し、色々あって今にいたる。
「笑ってますよ、社長。どうしたんです?」
「いや、結菜さんはさすがだなって思っただけ」
「わたし、画像を撮っただけですよー」
かわいく言うが、警戒する相手の鮮明な画像を近距離で撮るのはかんたんな仕事ではない。
「もしかしてこの事案のリーダーは、昔うちでチームを組んだことのある者なのかもしれないね。こんな仕事に手を染めるやつだから、探偵や経営の才覚はなく、モラルも低い人間だろう」
「そうですね。探偵業界って、せまい世界で、持ちつ持たれつですから」
案件ごとに内容がかわる探偵業務では、人材確保に外注するのが常態化している。
うちも大手からの下請け仕事は、事務所窓口からの依頼より多い。
その部分だけで言えば、あの男が生業とする建設業界とよく似ている。
プリンを食べおえ、緑茶を口にふくむ。
——あの若社長にこちらの助言をうけいれる度量があれば、こまかく説明した上で、工作相手の悪行をあばいてやれたのに。
たいくつな時間にあかせて、受けもしない依頼者の詳細を聞きだした自分のあきれたヒマ人ぶりを、茶の苦みとふくよかな薫りといっしょに僕は飲みほした。
「そろそろわたし現場にまいります」
「ああいってらっしゃい。気をつけて」
結菜さんが立ちあがり、地味な私服に着がえる。
「進行中の案件は、早ければ今夜。遅くとも今週末には片づきそうです」
「帰り時刻がわかったら連絡ください。車で迎えにゆくから」
「一人で帰れますよ。子供じゃないんだから」
「結菜さんと一緒にいたいんだよ。ただそれだけ」
僕も立ちあがり、彼女にキスをした。
「仕事とはいえ君を、水商売の現場に送りこむのは、気持ち的にも楽しくない」
調査出動以外では事務の仕事もまかせているが、彼女は本来とても有能な調査員だ。
今回の案件は婚前調査。
依頼者は女性で、結婚を前提としたおつきあいを申し込んできた男性の身元を確認したいらしい。
結菜さんにはその男がつとめているラウンジの潜入調査をしてもらっている。
「こっちの男もひどいね。結婚しているのに独身をよそおって、独身証明書のいらない婚活パーティーに潜りこんでは、何人も並行して女遊びとは」
「商社マンと偽って多数の女性と交際、六本木のお店を任されてますが、雇用者が奥さまの父親のようです。勤務内容も、嬢への態度が横柄と、キャスト女性からの評判は低いものでした」
「そのぜんぶがバレたらどんな目にあわされるのやら。火遊びの対価は、いつだって高くつく」
「会社だけでなく、夫婦も
「心得ておりますよ、わが奥さま。ではいってらっしゃい」
彼女は僕への信頼をしめすように、にっこり笑って出動した。
推理クイズ♦︎別れさせ屋 ハシバミの花 @kaaki_iro
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