推理クイズ♦︎別れさせ屋

ハシバミの花

問題編

 古いテナントビルの四階にある、うちのような小さな探偵社に、飛びこみでくる仕事依頼には、面倒ごとがつきものである。

 その依頼人はすすめたソファに座るなり言った。

「妻と別れたい。報酬ははずむ」

 男は押しだしがよく、いかにも不動産業の社長といった風体だった。

「この探偵社は"別れさせ屋"として有名だと聞いた」

 別れさせ屋とは簡単にいえば、カップルのいずれかに浮気をさせる仕事だ。

 たとえば自分の妻や夫、たとえば子供の恋人、たとえば横恋慕する誰か、依頼者によってさまざまなケースがある。

 一般的な探偵業務ではないが、そういった業務を行う事業者もいる。

「どちらで耳に入れられたのですか?」

「それを知る必要があるかね?」

「できれば知っておきたいですね」

「ぐうぜん知った。聞いて回ったわけではない」

「なるほど。ぐうぜんね」

 このように特殊な業務内容を、ぐうぜん知る可能性をいくつか頭の中で並べながら、私は調査依頼請求書類の記入すべき項目に丸をつけて男にさしだした。

「お邪魔いたします」

 事務員姿の結菜ゆいなさんが、楚々と茶をだす。

 白いブラウスとタイトスカートがまぶしい。

 彼女は僕が雇う唯一の職員だ。

「ふむ」

 男が無遠慮に、その体を眺める。

「ほう、あなたは中々大きな会社を経営されてますね。35歳とお若いのにご立派です」

 記入された書類には、社員数二〇〇名近い中規模企業の名と、取締役である旨の記入があった。

「親から継いだ会社だが、業績は伸ばしておる。俺の甲斐性ではない、なんて言いおる奴輩やつばらもおるがね」

 フンと鼻息のあらい言葉からは、むこう気の強さがうかがえる。

「奥さまは十歳以上お若い。結婚は……たった半年前。なのにもう別れたいと?」

「ああ。やはりそれも話さなきゃならんかね?」

 やはり、という言葉に引っかかる。

 話したくないのか、それとも聞かれることを予想していたのか。

「そこは業務の内容に関わりますので、なるべく詳細に知りたい部分です。できるなら、出会いからおねがいします」

「わかった。あれは道路公団から受注した高速道路の現場だった。遊べそうな町から数十キロもある僻地へきちではあったが大きな現場で、私は陣頭指揮のために二月ほどそこにつめていた。重要な現場だったが、頭数として下請けが入ることもあり、横着な仕事をさせぬよう目を光らせていなければならなかった。そんなふうにピリピリしていた中、私は今の妻と出会った」

「ほう」

 ラップトップPCでメモをまとめるフリをしながら、結菜さんにみじかいメッセージを送る。

「現場のゲート前で弁当を売っていた妻を、私が見つけてやった。前妻との生活はぎくしゃくし、ずっとレスだった。風俗なんぞも利用したが、前の妻はそんな遊びはすぐに見抜くし、男盛りの私が満足できるわけもない。そこに今の妻だ。年齢は二十そこそこ、若くして苦労していて、夏の現場前での弁当販売もいとわない根性もある。なんでも亡き母親の弁当屋をついで、その現場に売りに来ていたという。イチコロだったね。糟糠の妻など、抱く気もおこらなくなった。アレも昔は献身的だったが、女と畳は新しい方がいい。男はやはり若い女に惹かれるものだ。ああいう色っぽい女を雇ってるあんたにも、それも分かるだろう」

 結菜さんが姿をけしたパーテーションの方を見て、好色そうに言う。

 そこには彼女はいないが、この発言を耳にすればいい気持ちはしないだろう。

「……セクハラと受け取られかねませんので、返答はしかねます」

 返事を曖昧にして先をうながす。

「その弁当屋って、現場での販売許可は取ってあったんですか?」

 近年無許可の移動販売が、あちこちでおこなわれているというニュースを耳にしている。

「そんなことは問題ではない。食中毒でもださんかぎり、現場でああいう移動販売が問題になることはないのだ。実際そこそこ美味かったし、量も多かった」

「なるほど」

 僻地の工事作業員は、なにもない寝床と現場の往復だけになりがちだ。

 食事の豊かさがそのまま生活クオリティにつながる。

「さっきも話したが、前妻はうたぐり深い女でね。女遊びをしようものなら相手のところまで乗りこんでいって罵詈雑言ばりぞうごんをわめきたてる。こちらが悪くないとは言わんが、なにしろ束縛そくばくがひどい。一度など……いや、そんな話はいい。とにかく、そういう経緯けいいだ」

「離婚時は、もめたでしょう」

「それはな。だが、今の妻が泣きながら頭を下げ、私が慰謝料を満額支払うと言ったら、さすがにあきらめたのか身を引きよった。学生時代からのつきあいだったが、所詮はその程度のあさい関係だったということだ。あれなら亡き父のすすめた見合いをしておけばよかった。情がない分気楽に生活できただろうに」

 ずいぶん勝手なことばかり言う。

「だが、今の妻もやはり女だ。贅沢を知って変わってしまった。健康的な日焼けは、臭うほどの化粧におおわれて、若いだけで前妻と変わらなくなった。夜こそ拒まれないが、反応もわるく、もはや魅力を感じない」

「それで、我が社に"別れさせ業務"を、依頼したいとおっしゃるのですね?」

「ああ。実はこの事務所に来る前にも、一社訪ねたのだが、けんもほろろに追い返された。こちらは客だぞ」

 男はプリプリ腹を立てている。

 探偵の主要業務でもある調査とはまったくちがった技能が要求されるのが、別れさせ屋である。

 よその業者が断ったとなると、やはり一筋縄ではいかない案件なのだ。

「そこではなんと言われたのですか?」

「バカバカしい通りいっぺんのことわり文句だ。そんなことをしても意味がない、もっとよく奥方を観察し、話しあえだのなんだのと説教までしおった」

 ご立腹のようすで不満をもらす。

「なるほど。それで我が事務所に」

「せめてあんたはこの私相手に無礼な態度を取らんでほしいね。こちらは客だ」

「もう少し奥さまの話をよろしいですか? 奥さまの生活パターンなどを」

「バカな女にありがちの、気楽なセレブライフだ。これがあいつのアカウントだが、下品で派手派手しくて、まるっきり人気インフルエンサーきどりだ」

「外に働きには」

「出ておらん。出させるものか。男たるもの最低限、外で働かせない甲斐性を持つべきだからな」

「つまり専業主婦、と」

「当然だ。女の勤めとは、夫を立て家を守ることだ」

「SNSをざっと見ていますが、毎日のようにカフェなどの外食をされているようですね」

「ああ。わたしている生活費をきれいさっぱり使いきる。家での食事はテイクアウトばかりだ。たまにはちゃんとした食事がしたいと言っても、外食の方が美味いと作りもしなくなった」

「奥さんは、料理ができるのですか?」

「無論だ。そもそも弁当も自分で作っておったからな」

「作ってるところを見ましたか?」

「なにが言いたい。弁当を作るところは見ておらんが、あいつに部屋を借りてやって泊まったときには、必ず手料理を作らせていたわ」

「ということは、料理の腕はプロ級と?」

「家では普通の家庭の味だ。弁当屋の味付けは毎食口にするには濃すぎるそうだ。家で料理するのがあまり好きではないとかで、鍋物が多かったな」

「他の家事に関して、何かお気づきの点はありますか?」

「掃除洗濯などはしっかりこなしおる」

「踏み込んだことをお尋ねしますが、夜の生活は?」

「拒みはせんが、結婚前ほど積極的ではない」

「そして浮気の気配は、ない」

「ない。あればここには来ない」

「つまり、家庭のことは最低限してくれてるのですね?」

「家の中は綺麗なものだよ。なまじしっかりとやられるからタチが悪い。いっそ放棄してくれれば、こっちも堂々と放りだせるのだがな」

「それで、今の奥さまを追いだすために"別れさせ屋"を使いたい、と」

「ああ。これ以上慰謝料を支払うのはまっぴらだ。あいつのために生活費をくれてやるのも腹にすえかねる」

「ちなみに、前妻さまにはいくらほどの慰謝料を?」

「事情が事情だ。数千万くれてやった」

 浮気、レス、前妻を追い出して新妻を迎え入れるという、慰謝料の吊りあがる条件がそろってはいる。

 相場もあるにはあるが、基本的に民事で上限はない。

 とはいえさすがにこの金額は破格である。

 書き終えた書類と男を見比べる。

「まだなにか聞くことがあるかね。さっきからずいぶん黙りこんでいるが」

「ええ、もう知りたいことはだいたい……まずは、業務プランのご説明からいたします」

 考えをまとめて、口をひらく。

「最初に奥さまの生活パターンの調査をします。好きなテレビ番組や芸能人、ネットのサイト、インフルエンサーからよく利用されるお店、ブランド、個人的な持ち物のチェック、そういったものから異性の好みを割りだします」

「持ち物をさぐるのは、問題ないのかね?」

「じかに触れたりいたしませんのでご安心ください。それから、奥さまの好みに合う男性を用意して、数名からなる攻略チームを作ります。我が社ではわかりやすく"ロマンス工作"と呼んでいます。たとえば、すてきな出逢いの舞台として、楽しい遊びを提案する同性の友人役を"フレンド"、信頼を得るためのまじめそうな店員を"スタッフ"、奥さまの気を惹く容姿の好みな"ヒーロー"ほか、さまざまな用語で説明しています。人数はプランや流れでそのつど増減いたします」

「ほほう。聞くかぎりはたいへん周到だな。なるほど、そこまで用意して仕事にとりかかるなら、あいつもイチコロだろう」

 男は感心するが、現実はそう甘くない。

「いえ、お話をうかがった印象ですが、この案件は厳しい結果が予想されます。へたをすると、ご依頼者さまは大損しかねません」

「なんだと。どういうことだ」

 男が表情をくもらせる。

「調査会社は、調査作業プランの提供をする業態です。内容も特殊ですし、人件費も安くありません。時間がかかれば、足が出ることもあります」

「金ははずむと言っておる。とにかく、あんなのにこずかいや生活費をくれてやるのはガマンならんのだ」

 さしたる落ち度もない若妻を、あんなの扱いときた。

「それと先に一軒、業者に断られたとおっしゃいましたね。その言葉が正しい可能性もあります」

「どういうことだ。言ってみろ!」

「……ここから先は、相談料が発生しますが、よろしいですか?」

 男はたまりかねて激する。

「この私を世間知らずの若造のように言うか! 依頼に必要な説明をするだけで、金を取るなどと、ぼったくりではないか! それこそ話にならん! 安っぽい値段のつり上げをしおって、出来んのなら出来んとはっきり言え! まったく、ムダ足をふんだわ!」

 男はソファの脚がきしむほどはげしく立ちあがり、ドアを出ていった。

 それと交代するように、ペールピンクの看護師用上下姿の女性が入ってくる。

「ただいまもどりました」

「結菜さんおかえりなさい」

「すごい剣幕でした。わたしにも気づいてないようすでしたけど……」

「うん。相談料が必要と言ったら、怒って帰ってしまったよ」



怒って帰ってしまった依頼者

さて探偵はどうして、この依頼が難しいものだと言ったのでしょう?

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