断片20240622

 生きることが絶望になってしまうのはいつだろうか。希望を失ったときに、生きることは絶望に変わってしまうのだろうか。そうであるとしたら、生きることに外部的に付着しているのが希望で、絶望とは生きることそのものなのではないだろうか。



 思ったことをそのままぶつける、というのは実はとても難しい。自分の思いというものは、簡単に言葉にはなってくれない。思いの丈をそのまま文章や歌にぶつけるというのは、情熱がメインのようだが、見た目とは裏腹に非常にテクニカルな行為だ。情熱を燃やしながらも同時にそれを冷めた目で見つめるような冷酷さも必要になる。書かれた文章を読む人はその情熱を読み取って、一緒に燃え上がることができるかもしれない。しかし書く人はその情熱の中に飛び込むことはできない。飛び込んで情熱に飲まれてしまえば、書くことができなくなってしまうからだ。


 

「私が立っているのは手すりのない橋だ。私が足をふらつかせれば、私は谷の底へと真っ逆さまに落ちてしまうだろう」

「足をふらつかせなければいいじゃありませんか。お酒でも飲みましたか?」

「意識ははっきりしている。だがそれは重要ではない。私が意思を働かせるだけで足を踏み外すことができるのだ。その可能性が恐ろしいのだ」



 他人の苦しみを理解しようと奮闘する種類の人間がいる。それらの人々が報われるとき、苦しみを理解してしまっているのだから本人たちも苦しくなってしまうだろう。では、それらの人々は苦しむためにそんなことをしているのだろうか。そして、そんな人たちの苦しみをさらに理解しようとする人は現れるのだろうか。



 苦痛のない世界に行きたい。苦痛のない世界が別にあって、そこに私が移動すればいいのだろうか。この世界に何らかの働きかけをして、苦痛のない世界にすればいいだろうか。私の感覚器官に働きかけて、苦痛を感じないようにすればいいのだろうか。それぞれ、自殺か、革命か、あるいは酩酊と名前が付いている。苦痛をなくすための手段はいろいろある。



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