不思議な美女だね。和十尊君

 公園でのミーティングがあった一週間後、僕は二コマ目の講義が始まる前に学生部へと向かった。前期講義の履修登録がちゃんとされているか確認するためだ。


「ターニー!」


 名前を呼ばれた方を向くと、笑顔の鰐中さんが手を振っている。


「鰐中さん」

「ターニー、何してたの?」

「これから履修登録が間違っていないか確認しに行くところ」

「履修登録?」


 鰐中さんと話をしていると、いつの間にか和十尊君が僕らの前に現れた。


「見つかった。アパート」

「そうなんだ、和十尊君。良かったね」


「何の話?」

「ああ、鰐中さんは知らなかったね。和十尊君、アパートが見つかるまで、公園に住んでいたんだよ」

「ほぇ?」


 鰐中さんは間の抜けた声を出した。可愛らしい声だった。


「谷っち、うちに来るか?」

「あちき行きたい!」


 和十尊君の提案にいち早く鰐中さんは反応した。


「ねぇ、ねぇ。ターニーも行こうよ!」

「でも、履修登録が――」

「そんなの後でもできるでしょ?」

「二コマ目も入っているんだけど……」

「一回くらいサボったって大丈夫だよ!」


(鰐中さん。スタートが肝心なんですよ。行かなくても平気な講義ってわかったら、味を占めてサボりまくるでしょうよ)


「よし! 決まり! ワトソン案内して!」

「いいぜ。女子おなご一人なら問題があるが、谷っちが来るなら問題ない」


 こうして半ば強制的に、和十尊君のアパートへ行くことになった。


 ◆


 現場に到着して見えた、和十尊君の住むアパートは、年季の入ったものすごくボロいアパートだった。


(築何年だろ)


「谷っち、あのアパートの階段を登った部屋の真下がオレの領域だ」


(階段脇の一階の部屋ってことね)


 和十尊君の独特な表現に慣れていない鰐中さんが不思議そうな顔をしていたので、僕は解説をする。


「階段脇の一階の部屋が和十尊君の部屋みたい」

「あちき、何か薄気味悪く感じるんだけど」


 和十尊君の部屋の前まで来る。鍵を取り出すかと思ったら、和十尊君は普通に玄関を開けた。


(鍵かけてないんだ――大丈夫かな)


「ワトソン、トイレ借りたいんだけど?」

「部屋に無いぞ、あの建物がトイレだ」


(ああ、風呂トイレ無しの物件なのね)


「ありがと」


 和十尊君と部屋の中に入る。部屋には蜘蛛の巣があり、畳も汚れていた。


(これ、靴下汚れるな)


「きゃぁぁぁぁ!」


 鰐川さんの叫び声が聞こえた。僕は急いでトイレの建物へ行く。


「わ、わ、わ、わ」

「鰐中さん、大丈夫?」

「あ、あれ――」


 トイレの中にはゲジゲジ、ムカデ、カマドウマなどの虫たち。壁をナメクジが這っていた。


(これは無理。そりゃ叫ぶわ)


「ふぅ。あちき、コンビニ行ってくる。ついでに飲み物も買ってくる」

「わかった。気をつけてね」


 鰐中さんはそそくさと、アパートの敷地を出る。僕は和十尊君の部屋に行った。


「谷っち、悪いな。水も電気も無い部屋で」


(ああ、契約まだなのね。っていうか何故にアパートに来るかと誘った?)


「ううん。それにしてもスゴい部屋だね」

「住めば都だ」


 和十尊君は胡坐をかく。それを見て僕も腰を下ろした。


(なんだろ、この黒い靄)


「ふぁぁあ。谷っち、何だかオレ眠くなってきた」


 和十尊君の言葉を聞くと、黒い靄が僕のところにもやってきて、僕も眠くなってきた。


 ◇


(綺麗だなぁ)


 心地よい光の中、目の前にはお花畑が広がっていた。


「谷っち」

「和十尊君」

「あっちに川が見えるから、そこに行ってみようぜ」

「わかった」


 和十尊君と小道を歩く。花畑には蝶が舞い、そよ風が吹く。


「おっ。女がいるな」


 しばらく歩くと、川の船乗り場に人がいるのが見えた。お客さんと渡し守だろう。船乗り場の近くへ来ると、そこにはこの世の者とは思えない絶世の美女がいた。


(鰐中さんと比較するのはおかしいけど、ものすごい美人だなぁ)


「おーー、いいねえ」


 和十尊君はそう言う。美女が微笑むと和十尊君は彼女のところへ行き、


「よっ! 君、エロいね。これからホテルへ行って、悪魔合体。ずっこんばっこんして気持ちよくならないか?」


 和十尊君にナンパされた美女は顔をしかめ、和十尊君を引っ叩く。その後、立ち回り背負い投げをして、和十尊君を倒した。


(美人で強い。こんな人いるんだ)


 僕はその人のところへ行く。


「ごめんなさい。友達が変なことを言って」


 そう美女に謝ると、聞き覚えのある声が聞こえた。


「あーら、まあ」


(えっ、今中のおばちゃん)


 声のした方を見ると、舟の中に実家の近所に住む今中のおばちゃんがいた。


「大学受かったんだってね」

「すみません。報告せずに」

「いいのよぉ。ここ、隣空いてるわ」


 今中のおばちゃんは舟の中の空いている場所をポンポンと叩いた。


「じゃあ、失礼します」


 僕は舟に乗る。舟の中には今中のおばちゃんの他に三人の人がいて、みんな幸せそうな笑顔を浮かべていた。

 美人のお姉さんも舟に乗る。お姉さんはかいを持って舟を漕ぎ始めた。 


「この子、すごく綺麗よね。かろんちゃんって言うらしいの」

「そうなんですね」


 今中のおばちゃんと話をし、しばらくすると、川の向こう岸に人影が見えてきた。


『うわぁぁぁん! ターニー、ドラム叩いてくれるって言ってたじゃん! 約束したじゃーん!』


 鰐中さんの声が聞こえた。


(そうだ。バンドでドラムを叩くんだった)


 和十尊君はこの舟に乗っていない。僕はとりあえず彼のもとへ行こうと思った。


「すみません、お姉さん。僕、戻りたいんですけど」


 美人のお姉さんは無言で漕ぎ続ける。


(どうしよう。こんなとき和十尊君なら――)


 舟はどんどん進んでいくので、僕は勇気を出して川の中へ。「とにかく泳ごう」そう思い、クロールで岸を目指した。


(とにかく行かなきゃ)


 重い。泳いでも泳いでも中々進まない。それでも、和十尊君と会わなきゃと思い、必死になって川を泳いだ。


(手に土の感触――。岸に着いたんだ――)


 ◇


「ターニー、ターニー、お願いだから目を覚まして!」


 鰐中さんの声が聞こえ、僕は目を開ける。


(あれ? ここは)


 白い天井が見える。病院独特のにおい。腹部には重みがあり、鰐中さんが泣いていた。


「鰐中――」

「えっ――ターニー、うわぁぁぁぁ! 良かったぁぁ!」


 鰐中さんが僕のことを抱きしめる。いい香りがして、女の子の柔らかい感触があった。


「ちょっと、鰐中さん。どうしたのよ?」

「どうしたも、こうしたもない! 心臓止まってたから、もう駄目かと思った」


(ん? ん? どういうこと? 心臓が止まった? 誰の?)


「ごめん。何があったのかわからない」

「ごめんじゃないよ。コンビニから戻ってきたら、ワトソンもターニーも倒れていて呼吸していないんだもん。ワトソンは天井の板が落ちてきて、ぶつかって目覚めたけど、ターニー心臓も止まって――ほんとうに良かったぁぁ!」


(心臓が止まったって、僕死んでいたの?)


「鰐中さん、僕大丈夫だから。ちゃんとドラム叩くから泣かないで」

「だってぇぇ」


「病院では静かにお願いします――って!」


 看護師さんは僕を見ると、すぐに医者の先生を呼びに行った。しばらくすると先生が現れ、僕はすぐに診察を受ける。


「――大丈夫そうですね。念のため一日入院してください」

「はい、わかりました。ありがとうございます」


 先生が病室から去り、鰐中さんは僕の隣に座る。


「ターニー、気分はどう? なんともない?」

「特に違和感は無いかな。いつも通りな感じがする」

「ワトソンは別にいいけど、ホント心配したんだから」


(和十尊君の扱いが……)


「じゃあ、あちきお昼だから一旦帰るね。夕方、ワトソンと来る」

「ありがとうね、鰐中さん。心配かけてゴメン」

「ううん。あちきがワトソンの家に行こうって言ったから――あちきの方こそゴメン」

「それは関係ないと思うよ」

「そうかな……」

「そうだよ。だから気に病むこと無いよ」

「えへ。ターニー、やさしいね」


 鰐中さんの笑顔に僕はドキッとしてしまった。


「そろそろ行くね。またね、ターニー」


 ◇


 僕は自分の状態を確認するため、病院内を歩く。途中、電話の使えるエリアに来たので、僕は実家に電話をした。


「もしもし」

『もしもし、どうしたの?』

「そっちはみんな元気?」

『元気よ』

「何か変わったこと無かった?」

『別に無いけど――あっ、近所の今中さん覚えている? 昨日心臓発作で亡くなったのよ。急なことだったから、ビックリしたわ』


(僕は違う意味でビックリしている)


「そう――」

『ええ。それよりもアンタ、何かあったの? ちゃんと食べてる?』


(あったよ。でも、余計な心配をかけてもなぁ)


「ちゃんと食べているよ。大学の学食も安くて量が多いし」

『なら、いいけど。何かあったら連絡しなさいね』

「うん、わかった」


 僕は電話を切る。今中のおばちゃんと向こうの世界で話ができたのは良かったことなのかもしれない。


 ◆


「谷っち。あのエロ女とまた会いたいよ。今度こそ手籠てごめにしたる」


(和十尊君、死ぬよ? そんなこと言わない方がいいと思うよ)

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