Got messed up (1)
始業のチャイムが鳴り、タマモはスタスタと教壇へ上がってしまった。平は右往左往していたが、いつの間にやら教室の後ろにいた教頭に手招きをされ、それに従う。サトルの後ろに用意された椅子へ平が腰掛けると、タマモが口を開いた。
「よし、じゃあ授業を始めるよ! アンタたち、気合いを入れな!」
大半の生徒が無反応だったが、ナナだけが元気に返事をした。
「タマモ先生には、古文を担当してもろとります」
滑瓢が平に耳打ちする。
――なるほど、古文か。確かに玉藻前なら古の時代から生きている訳だし、実体験を踏まえた興味深い授業をするに違いない……いささかアダルティな内容が多くなりそうだが……それも含めて(主にそれが)楽しみだ!
「はい、それじゃ活用から! 古文は活用を覚えてナンボだよ!」
――お、意外と基本を大切にするタイプなのか……
「ましかまるましましましかまる!」
タマモが張りのある声で助動詞「まし」の活用を唱えると、生徒たちが復唱する。
「ましかまるましまし……」
この時点で、平はおや、と思っていた。板書はなく、生徒たちがテキストを開いている様子もない。覚えている前提で復唱させているのだろうか……
「ましかまるましましましかまる!」
「ましかまるましましましかまる……」
「声が小さい! もっと気合いを入れろ! ましかまるましましましかまる!」
「ましかまるましましま……」
平は厭な予感を覚えていた。これは……まさか……
「ましかまるましましましかまる!」
「ましかまるましましましかまる!」
誠に残念ながら、平の予感は当たっていた。
ハイ!ましかまるましましましかまる!ましかまるましましましかまる!ましかまるましましましかまる!ましかまるましましましかまるましかまるましましましかまる――まだまだ声が小さい!――ましかまるましましましかまるましかまるましましましかまるましかまるましましましかまるましかまる――いいぞ、だいぶ温まってきたァ!――ましましましかまるマシカマルマシマシマシカマルましかまるマシマシマシカまるマシカマルましマシましかマル
怒涛のごとく押し寄せる「ましかまる」の波。時おり入れられるタマモの合いの手。
マシカマルマシマシマシカマルマシカマルマシマシマシカマルマシカマルマシマシマシカマルマジョリカマジョルカマシカマルマシマシマシカマルマシカマルマシマシマシカマルマシカマルマシマシマシカシマシカシマシカマル――イイ!お前らすごくイイ!――マシカマルマシマシマシカマルマシカマルマシマシマシカマルマシカマルマシマシマシカマル
次第に生徒たちの顔は上気していき、目があらぬ方向を向き始める。さながらバリの伝統儀式「ケチャ」のごとく、同じリズムを繰り返すことでトランス状態に入っているのであろう。
MashikamarumashimashimashikamarumashikamarumashimashimashikamarumushroommushuroommashikamarumashimashimashikamarumashikamarumashimashimashikamarusmashmushroommashikamarumashimashimashikamarumashikamarumashimashimashikamaruMashikamarumashimashimashikamarumashikamarumashimashimashikamarumushroommushuroommashikamarumashimashimashikamarumashikamarumashimashimashikamarusmashmushroommashikamarumashimashimashikamarumashikamarumashimashimashikamaru
もはや繰り返される文字列は意味をなさず、ゲシュタルト崩壊した「ましかまる」が教室を渦巻き始める。平は堪らず耳を塞ぎ、恍惚としたタマモの顔を慄然と見ていた。
そしてそのまま……
終業のチャイムが鳴った。
我に帰ったタマモが「ましかまる」を指揮者のように制止する。やがて教室は静寂に包まれたが、生徒たちはみな目を血走らせ、荒い息をしていた。
「はい、じゃあチャイムが鳴っちまったけど、最後におさらいしておくよ。じゃあナナ! 言ってみな!」
「よし来た! ましかまるましましましましま!」
「馬鹿野郎! しましまじゃねえよ!」
「えー、違うのぉ?」
「おら、ガサブロウ、手本を見せてやりな!」
「ましましましてましのましましてマヨルカ島に漂着したバスコ・ダ・ガマが…… いや、待てよ。バスコ・ダ・ガマはラプラプ王との蜜月を……」
「何言ってんだ、このアンポンタン! もういい! クーちゃん!」
「………………」
「ムージー!」
「あ、あの、ええと、黒……じゃなくて……」
タマモはこれ以上ないほど大きな溜息をつくと、平の眼の前に座るボサボサ頭を指す。
「はい、サトル」
「……ましかまるましましましかまる」
「はい、よく出来ました」
エロ女教師は先ほどまでの威勢が嘘のようにがっくりと肩を落とすと、疲弊しきった様子で教室を出て行った。
――な、なんじゃぁ、こりゃ……いったい、何を見せられているんだ……
当惑して教頭の顔を見やった平だったが、彼はウンウンと満足そうに頷いているだけだった。
だが、タマモの授業は悪夢の序章に過ぎなかった。
二限目、コマメ先生。 数学
一升マスに入った小豆を見せ、中に入っている小豆の数を求めさせる。ただし数式などは一切使わず、目視で小豆の数を当てることを絶対条件とする。もちろん誰も出来ない。
三限目、滑瓢教頭。 歴史
源義経がモンゴルに逃げてアウンサン・スーチーになっただの、明智光秀は山崎の戦いを生き延びて大航海時代の先駆者になっただの、フザケ倒している。
四限目、カガミ先生。 理科
生徒に懐中電灯を持たせて自らの禿げ頭に照射させ、「ほうら、眩しいでしょう! これが反射! ニュウシャカクとハンシャカクですぞ!」を全ての生徒に繰り返す。残念ながら、最初から最後までスベリ倒している。
昼休みに入り、生徒たちはぞろぞろと教室から出て行った。滑瓢が食堂を案内すると言ってきたが、平はとても食事をする気にはなれず、丁重に辞退した。誰もいなくなった教室で彼は頭を抱える。
――あまりに酷い……授業として成立していない……いや、そもそも本当に彼らは授業をしているつもりなのか? 悪ふざけとしか思えない。しかも男性教諭は全員ハゲときた。ふざけんなよハゲ…… 否、ハゲはいいとして……
何よりも平を苛つかせていたのは、授業の締め方だった。教諭たちは授業が終わりに近づくと、揃いも揃って思い出したように「おさらい」をする。それ自体はいい。授業の最期にまとめをするのは基本中の基本。だが、そのやり方が最悪なのだ。教諭の質問には誰も答えられず、決まって最終的にサトルが答えることになる。彼はこのクラスだと比較的優秀なのか、必ず正答を言い、教諭はそれで満足したように教室を出ていく。つまり彼らは理解力の高い生徒に頼って、授業が成立しているように見せかけているだけなのだ。
――最悪の授業だな……
ふと、「自分なら……」などと考えている自分に気付いて、平はかぶりを振った。
――何を考えているんだ。僕は妖怪に授業をする気なんてない。酷い授業だろうが理解していなかろうが、彼らが満足しているのなら勝手にワイワイキャッキャやっておけば良いんだ。教頭の熱っぽい雄弁にアテられた僕がバカだったってことだ。いや、そもそもあの熱弁だって意味不明だったじゃあないか……やはり、一刻も早くここを抜け出して……
平はグルリと教室を見渡した。誰もいない。今なら、と、彼は立ち上がった。扉へと足を進める。多少なりとも後ろ髪を引かれたが(実際このとき、事務員のウシロガミさんが平の襟足を引っ張っていたのだが)、彼は思い切って引き戸の把手に手をかけた。
ガラっと、扉が開かれる。開けたのは平ではなかった。扉の向こうには、真面目男子の三人組が立っていた。
「あ、た、平先生……」
ムージーがはにかんで、軽く頭を下げる。続けて、後ろにいたガサブロウが声をかけてくる。
「どうしたのですか? 先ほど教頭先生にお昼は食べないと仰っていたことから論理的に推測すると、腸のトラブルでしょうか? 厠へ案内しましょうか?」
一番後ろでそっぽを向いているサトルは別として、二人は思いのほか懐っこく話しかけてくる。不意打ちを食う形になり、平は上ずった笑みを浮かべながら「アハハナンデモナイヨー」と元いた席まで後ずさってしまった。
仕方なく席についた平を不思議そうに見ながら、三人も自分たちの席に着いた。彼らは話すでもなく、かといって自習をするわけでもなく、再び教室を静寂が支配する。平はしばらく逡巡してから、三人に声を掛けた。
「あ、あのさ、いつもあんな感じなのかい?」
ガサブロウとムージーが振り向く。一番距離が近いはずのサトルは、じっと窓の外を見つめていた。
「あんな感じとは?」
ガサブロウが聞き返してきた。
「授業だよ。例えばタマモ先生の授業だけど、毎回ああやって活用を繰り返すだけ、なんてことはないよね?」
「いや、そうですけど……」
ましか……もとい、マジか……と思いつつ、平は平静を装って話を続ける。
「そうなんだ。ちなみに、ましかまるましましましかまるって何のことかは分かってる?」
ガサブロウが訝しげに平のことをねめ回す。
「何のことって、何のことですか?」
「いや、だから、あれは反実仮想の助動詞といって、『〇〇なら□□だろうなぁ』みたいに使う言葉なんだけど……そういうことは教えてもらってるのかな」
ガサブロウの眉間に深い皺が刻まれた。
「何を意味不明なことを言っているんですか? 古文というのはそれすなわち、『ましかまる』のことでしょう?」
そう言うと、彼はまた前に向き直って、以降黙り込んでしまった。
――ダメだこりゃ……
静かな教室の中、平は天井を仰いだ。
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