第5話 要らぬ心配

 その日は、いつもより早くに目覚めた。手っ取り早く支度を済ませ、大テントへと向かう。

 

「やあ、おはようタツキ」

 

 テントのステージ前の座席で、笑顔で俺を出迎えてくれたのは、ウィリアム大佐だった。同じテーブルに座っていたのは、ヅォルンと黒いペストマスクをつけた、俺と同じくらいの年齢の青年。軍服から推測するに、俺よりは階級が上だった。

 

「お、おはようございます」

 

 初めて間近で見るペストマスクに怯えながら、声を震わせて挨拶をすると、彼は苛立ったように乱暴に立ち上がり、テントから出ていってしまった。

 

「あーあ、印象最悪だなこりャ」

 

 ヅォルンはいつものしかめっ面でそう吐き捨てる。彼はいったい何だったんだろうか。

 

「あの……彼は……?」

 

「彼の名はミーク・リールヴィッヒ、アイデクセンのい」

 

「あー、いいぜアイツのことなんか、後々嫌ンなる程聞かされるだろうからヨ」

 

 ウィリアムが言いかけた所、何故かヅォルンがそれを止めに入る。名前、そして同じアイデクセン所属なのは分かったが、ヅォルンが隠すのには何か理由があるのだろうか。

 

「……まぁ、そうだね。今は一先ず、朝食を食べようか」

 

 ウィリアムは、部下の兵士が持ってきた朝食……、ライ麦パンとコーンポタージュを受け取り、テーブルに置いて席に座った。

 

「今日は出発の日だ、仲違いするのは止めよう」

 

 そう言って、ウィリアムはライ麦パンを千切り口へと運ぶ。


 今日はラグマルク・マーシャル国境間紛争に、サラマンが動員される日だった。ラグマルクが今所有4体しているの生物兵器の内2体が出動していたが、マーシャル側も大量の兵士を追加、戦場は泥沼化していた。紛争としては異例な事態に、ラグマルクも、アイデクセン全5小隊の内、今回の動員で計3小隊、そして3体目の生物兵器……サラマンを導入することになったという。隣国マーシャルとの全面戦争を避けられないことは、軍事情勢に詳しくない俺にも感じ取れた。果たして俺は、それまでに星の揮棒ステラ・タクトを我が物とし、十分な戦力に成り得るのだろうか。


 一人孤独に思い悩んでいると、例の彼が現れて背中を叩く。


「おうタツキ、ちゃんと飯食ったか?」


 朝食の乗せられたトレーをテーブルに置いたサラマンは、いつも変わらぬにやけ面でタツキの横に座る。


「おいてめぇ!今までどこほっつき歩いてたんだこのバカ!」


「ちょっと外でゴドゥスの野郎と話してただけよ」


「……え、ゴドゥス中将来てんの!?」


 ウィリアムはまるで腰を抜かしたかのように目を見開き、飲もうとしたコーンポタージュの注がれたカップを置いて急いで支度をし出した。ゴドゥス中将、初めて聞く名だが、彼はアイデクセンと仲の良いのだろうか。


「片付け頼んだヅォルン!」


 そして、ウィリアムは即行でテントから出る。


「はぁぁぁ!?名指しで押し付けンじゃねェ!」


「ククク……大変そうだなアイツも」


「……サラマンってそんな顔広いの?」


 俺がそう問うと、サラマンはなんのことやら、と困り顔をする。


「え、だって中将を呼び捨てにしてたし……」

 

 すると、サラマンは質問の意味を理解したのか、大げさに手を叩いた。


「あーそゆこと、あのジジイは俺ら生物兵器の製造責任者で、アイデクセン結成前……俺らが被検体の時から世話になってんのよ」


 ラグマルクの生物兵器を造らせた張本人……。ゴドゥス中将とは、一体何者なのか。サラマンが呼び捨てにするほどだし、相当嫌われてるか、はたまたナメた態度を取られる程温和かの2択だろう。だが、サラマンが前言っていた、激痛を伴うという狂化実験……。これはおそらく前者であろう。


「……で、ゴドゥスと何話したんだよ」


 腕組みしたヅォルンがサラマンに問う。


「向こうの現状と今回の作戦の概要。あと……"例のアイツ"の進捗」


「"アイツ"……あー、か」


 ヅォルンは納得した表情を浮かべる。とは一体……。


「今回の出兵には間に合わねぇが、あと半年ぐらいすりゃあ参戦できるとよ。タツキもそん時くらいに前線に出れりゃいいんだけどな」


 そう言って、サラマンは俺の方を向く。半年か……。半年でそこまで力がつくのだろうか。1週間ばかり前に魔術訓練を始めた俺は、伸び悩む実力に頭を抱えていた。一般人より無力、紙を少し浮かせただけの俺に、半年で前線に立て、と……。入隊した時には満々だった自信が、ここ数日で嘘だったかのように削れていく。果たして本当に、その望みに叶えられるだろうか。


「……ま、死なれちゃ困るから、別にゆーっくり訓練してくれたってもいいんだけどな」


 するとサラマンは朝食のパンを掴み、トカゲのような形状をした大きい口に入り込む。人間が五、六口で1つ食べるような大きさのパンを一口で食べる。少し咀嚼した後、コーンポタージュでそれを流し込む。ゆっくりしていられない状況だというのに。


「……よし、行ってくるわ」


 サラマンは、ゆっくりと立ち上がった。


「ケッ、砂漠で干乾びて死んでくリャいいのに」


「安心しな、お前にそう言われる内は絶対に死なねぇからよ」


 サラマンがそう言ってすぐ、俺は彼に叫んだ。


「アンタが帰ってくるまでに、風魔術で中段獲得するから!」 


 柄でもない言葉を思いきり言い放つ。それに驚いて目を爛々とさせるヅォルンの視線が痛いが、必死に無視する。そりゃあ、俺も恥ずかしい。だけど、サラマンは戦場に赴く……、もしかしたらこれが最後の会話になるかもしれない。さっきの2人のやり取りを聞いて、そんな不安が舞い降りてきたのだ。サラマンは生物兵器であり、魔術の練度もかなりある。……だが、やはり親しい人が死ぬのは見たくない。心配性の俺は、彼に言葉をかけずにはいられなかった。


「ククク……!まさかお前に、"要らねぇ心配"をかけられちまうとはなァ……!」


 すると、サラマンは身体を大きく伸ばし、あの時……、あの車の中で俺を脅した時のような姿勢を取る。


「大丈夫、俺は敗北しても絶対に死にはしねぇ。『嫉妬エンヴィアス』の名の下の執念は伊達じゃねぇぜ。俺に心配かけるくらいなら、明日の我が身を心配しな」

  

 そう言って、サラマンは食べ終えた食器の乗ったトレーを右手に持ち、左手で手を振って大テントを後にした。


 それが、ここ数週間で最後にサラマンと会話した記憶。その日の午後、ウィリアム大佐による出兵式が行われ、残留組全員で動員される兵士に敬礼をした。終始、サラマンは欠伸をして気怠そうにしていたが、敬礼はきちんと返してくれた。





「リュウガサキ、ちょっといい?」


 激励式が終わった夕方、灯りが付き始めたテントの中で、俺はリリアに呼び止められた。初めて個別で呼ばれたが、苗字呼びか……。ちょっと残念。


「貴方さ、今から訓練できる?」


 俺は驚いた。今まで魔術訓練に後向きで、"夜練"は絶対にしないと言い張っていたリリアの口から、練習に誘われたのだから。


「え……なんで急に?」


 ここは普通、素直に感謝するべきなのだが、動揺した俺は心の声を漏らしてしまった。


「急にって……貴方、早くサラマンの期待に答えたいんでしょ?」


 リリアはその青色の瞳で、俺の方をはっきりと見つめる。俺は彼女のことを誤解していたようだ。いつもスカした態度で、仕事はこなすが何をやるにも無気力、そして戦闘でもないのに平気で他人に魔術をぶっ放そうとしてくる彼女が、初めて俺の想いに答えてくれた。……やはり、彼女はツンデレだ。


「ありがとう」


「は?急に何に感謝してんの?頭おかしくなった?サラマンに毒された?やっぱり止める?」


 なぜかむちゃくちゃ饒舌になるリリア。その顔は伏せられていたが、怒っている訳ではなかった。


「あ……いや、訓練する!します!お願いします!」


 こう浮かれているようでは、立派な兵士になれない。とにかく今は訓練に集中しよう。

 俺は頬を両手で思い切り叩いた。

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